第十話 友情の間
華理の想いの深さを知った。
彼女を大切だと想う気持ちがある。
ならばこのまま、彼女を選んでもいいのではないだろうか。
『あなたはただ、彼女たちの気持ちに誠実なだけ』
はっ、と我に返った。
脳裏に過った母の言葉に、千秋は華理を引き剥がす。
目を丸くする彼女の顔は、すぐに悲しげに歪められた。
「やっぱり、真紅が大事? 昔一度会っただけの私じゃ、ずっと一緒にいた真紅には敵わない?」
「違う。そうじゃない」
ドクドクと暴れる心臓を宥めながら、彼は言葉を搾り出した。
「昔から、父は研究一筋だった。母や私のことは放って、いつも部屋に閉じこもって。たまに母とケンカして、母は自分の実家に帰る。でも父のことが忘れられない」
父は研究ばかり、母は父のことばかり。たまに帰る母の実家の祖父母は、父と離婚しろと母を説得させるのに必死で。
だから、誰も私のことを気にかけてくれる人はいなかった。
そう、華理は昔話を始めた。
「だから時々思ってた。私は、何で生まれてきたのかなって。私は、望まれない子どもだったんじゃないかって」
孤独な少女は、早くにその疑問を抱き、すでに闇を抱えていた。
そんな暗い過去を、彼は受け止めようと耳を傾ける。
「そんなときよ、千秋と会ったのは。国へ帰っても、父のことばっかで、娘の誕生日も忘れてる母に嫌気がさして家を出たの。ちょっと困らせてやろうと思って」
そして、七歳の春。二人はこの公園で出会った。
憶えている。いや、思い出した。
母親と買い物の約束をしていたが、急な電話の応対で出られなくなって、千秋は先に公園で待つことにしたのだ。
そこで、異国の少女を見つけた。
寂しそうにブランコを漕ぐ少女が、母親に誕生日を忘れられていると聞いて、だったら自分が祝ってやろうと思ったのだ。
雑貨屋の店主とは、その頃からすでに顔馴染みで、納得いかないからと安価で売ってくれる小物の中から、桜を模したペンダントを贈った。
それは、出会った時期が桜の満開の季節だったからで、彼女の魔法を知っていたからではなかった。
そして。
『君が生まれてきてくれたことに、祝福を』
「嬉しかった。その一言が、どれほど私を救ってくれたことか……!」
誰にも望まれていないと思っていた少女に、その少年が祝福をくれたのだ。
生まれてきたことに。
母に呼ばれて去って行った少年。その母が少年に「千秋」と呼びかけたことで、少女は彼の名を記憶した。
それから十年近く経って、母はようやく父と離婚したが、結局まだ未練があるらしく、祖父母の言葉にも耳を貸さない。
「辛くなるたびに、千秋の言葉を思い出した。もう一度会いたいって、ずっと思ってた。千秋、私……」
「ごめん」
その先を言われたくなくて、彼は言葉を紡いだ。
「…………」
賢い彼女は、それがどういう意味で言われたのかを理解したらしい。
悲しい笑みを浮かべながら、華理は千秋の胸に手を伸ばし、そこに擦り寄った。
「突き放さないの? でも、抱きしめてはくれないわよね?」
ぎゅっと拳を握りしめたのは、彼女の言う通りだからだ。
「私より、真紅が好き?」
もう一度同じ問いを繰り返した華理に、彼はゆっくりと口を開いた。
「大切なんだ、二人とも。過ごした時間の長さなんて関係ない。人に優劣なんてつけたくないけど、他の子よりも、特別だって感じてる」
だからこそ、誰よりも「好き」だと言われることが怖い。それを聞いてしまったら、返事をしなくてはならなくなるから。
「小さい頃から一緒にいて、あの日の恐怖を乗り越えた真紅も、たった一度の思い出を忘れることなく、一途に想ってくれていた華理も。同じくらい大切で……」
「……大切だけど、それは恋愛感情じゃない?」
ぐっ、と言葉に詰まる。
大切な、特別な、友達。友情から生まれるそれは、『親友』に近いものだった。
「ドキドキしてる。これは『私』だからじゃなくて、『女の子』だから?」
千秋の心臓に耳を当てながら、華理は彼に尋ねた。
「いつか、誰かを選ぶ日が来るかもしれない。それは真紅かもしれないし、華理かもしれないし、二人とも違う別の女の子かもしれない。それまで待ってて欲しいなんて言わない。けど、抱きしめるのも、キスをするのも特別なことだから」
先ほど鳴子にした、親しみを込めたものとは違う。相手に特別な愛情を持ってする行為だから。
「君たちの気持ちを知りながら、同じ気持ちを返せないのに、そういうことはできない」
それが、千秋の答えだった。
やがて、段々と落ち着きを取り戻す千秋の鼓動を聞きながら、華理は小さく笑い出した。
怪訝に思っていると、彼女は爪先を立たせ、彼の首に腕を回す。
「華理?」
「少しだけ……」
彼女の腕を解こうとしたが、少しだけ、という華理の言葉に、それを止めた。
「あなたの優しさに免じて、そのときまで待っててあげるわ」
いつになるとも分からないその日まで。
華理の言葉に、千秋は奥歯を噛み締め、腕を下ろす。
彼女の目尻から一筋の涙が流れたことに、千秋は気づかなかった。
千秋くんの気持ちはあくまで友情。不安はありますが、優柔不断と思われないように気をつけて書いているつもりです。