しょーとすとーりーず① イメージをたぐり寄せて物語を綴っていきたいと思います。イメージ放出中…
ある男が迷路にいます。もぞもぞしている。ずっと立っているから不快でたまらない。彼は自分とは何なのかを探っている。この迷路は、一歩、一歩が次元のヘンゲなのです。一歩踏み出すと崖を垂直に降りている。もう驚きません。自分の姿も変幻するので、この世のすべてから、この世ならぬものまで、いろいろなりました。世界にも何にでも。自分とは、と、この男の姿のかれわたしは、はじめて立ち止まり、止まらなくなり、変化するわたしかれは、不快になったから立ち止まっていたら、峠を越してまた不快になった。もぞもぞ、もぞもぞ、じんせいはもぞもぞ。あ、いろいろ目まぐるしい輪廻や天変地異は、楽しかったり、刺激的だったな。あれがいわゆる青春か…。ウチュウの青春。でも自分が知りたくなったから、男オレは、立ち止まって探っている。じんせいは三次元じゃない。四次元でも足りない。複眼生物のオレは万華鏡のウチュウで世界の錯綜と錯誤に翻弄されながらめいていしながらこの世に我がいる理由をどうしても確認したくてたまらない、
がそれが一番、不快でツラい。みんなに垣根はない。過去も未来もひとりだ。みんなでひとつの。だから全ての存在は、不死鳥みたいに、灰になってすぐに生まれかわる。幾重にも、幾重にも。
ある男が迷路にいます。一歩踏み出してしまうと次元も世界もわたしも変わってしまうため、この迷路は、常にここが出発地点なんだ、ここが始まりなんだと気づく。始まりの場所と時間でオレ男は、考えている。早く終わりたい。でも、オレが終わったとして、次の何かのオレがはじまっているだろう。動かずいることも、不可能だ。もぞもぞしている不快な足を男は踏み出し始める。地獄の業、が脳裏を掠めた。そうか、これは、絶対に終わるものではないのだ。終わらない物語を引き受けて、始まりや繋がりを、男は歓迎している。両手を広がして一歩。彼は宙を舞っていた。燃え盛る美しい肢体、不死鳥の姿で。ワタクシハスベテヲウケイレテイルワケデハナイ・ミズカラモセカイダッテヒテイヲシテイル・ダケドワタシハコノウツクシクカガヤクミズカラノスガタニ・ナゼダロウ・ヨロコビヲカンジテイル・ソレハクルシミヲモフクンダウツクシイ戦慄ー旋律・・・
わたくしはつねにうまれている/まいじかんまいくうかんに/わたしがしぬばしょわたしがうまれているばしょ/
それはまいじかんとまることはなくつながってあり/じつはきゅうきょくにぶんりしている/そんざいとそんざいはふかけつなくらいもとめあいひきあってあいしあう/でもこどくはとまらない///
僕の迷路は、今や悪魔と神の駆け引きの場所である。そして、究極を含んだウチュウサイショウの一点は、幾重ものウチュウを生む。累乗に累乗を幾重にも繰り返して、複雑と単純が婚姻して、溶け合って、ウチュウは究極に、中道の宙空を舞い始めた。。
蘇った記憶喪失者のような、脳内感覚、あるいは、感覚の全てに、過激にデジャヴを過敏している修羅場、産声に断末魔、これがコノウチュウにイキル存在達の本質ならば、ああ、せめてその途中で夢を見たくはあるまいか。夢を与えたくはならないか。断末魔の炎の中で高らかにうまれた産声は、死と誕生の拍動を美しく染め上げる豊穣の種子、夢の実を食べて毎日を暮らそう、夢の呼吸で、死を迎えよう、始まりへと向かおう。