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「ねえ、魔王。ここには小麦ってあるかしら?」

「小麦?」

 数日掛かりで石釜を仕上げると、今度はそんなことを訊いた。

 よく分からぬまま大岩を運び、揚句適当な大きさ、形に切りだすという作業に駆り出された結果出来あがったそれを、ぺたぺたと叩きながら当のメイデアはしたり顔だ。

 本当によく分からぬ娘だ。次は一体何をさせられるのか。

「そう、小麦。知らない? わたしの村じゃ秋には金色の麦穂が畑一面ばぁー……って風に揺られてね。懐かしいなぁ……」

 十七年生きただけの娘が、酷く懐かしむ様に呟いた。まるで今はもう帰れない、遠い故郷を想う様に。

「ん? どうかした?」

「……いや。小麦というのは農作物のことか。それならここから東に行ったところに小さきヒトが農耕を営んでいた筈だ。小麦とやらを育てていたかまでは分からぬが」

「小さきヒト……? ホビットかしら」

 小首を傾げたメイデアだったが、すぐにひとり納得した様にこくりと頷いて、こう一言するのだった。

「それじゃあ、行きましょうか」

 ……まったく、忙しないことだ。



 小さきヒトはこの地では数少ない、ヒトビトと同じ形を持つ種だ。

 ヒトと同じ様に社会を持ち、ある程度の数で集落を成す。違うところといえば体がずっと小さいことくらいのもので、成人した者で私の膝上程度といったところだ。

「先程ホビットと言ったな。彼等は外にも仲間が居るのか」

 集落へ向かう道中、ふと思い出したので訊ねることとした。

「ええ。でも殆どヒトの目に触れない様に暮らしているから、実際に見たことはなくって、噂に聞く程度だけど」

「……やはり迫害があるということか」

「……ごめんなさい」

 諦観する様に零した私の言葉にも、メイデアは律儀に返答した。

「君が謝る必要は無いだろう」

 眉根を寄せて苦笑する姿は珍しくしおらしいもので、彼女が聖女と呼ばれる者であることを思い出させた。

「魔王。ヒトは自分と違う者が恐ろしいのよ」

「だから傷付け殺してよいということにはならぬだろう」

「ええ、勿論」

「ならば、何故なのだろうな。私達は――」

「きっと、最初はただ守りたかったのだと思うわ」

 重ねてきた問い。何故。という疑問に、聖女はどこか遠くを見る様に、懐かしき日々を想う様に呟いた。

「そう、ただ守りたかった。より近しいヒト達を。友人を、家族を、愛したヒト達を。きっとそれだけだった」

 望郷の中にもどこか決然とした光を宿した瞳。語られる言葉から真意は読み取れないが、それは少女の生きた年月が僅かに十七年だという事実を忘れさせる程に重みを感じさせた。

「それは――」

「あ、見えてきたみたい。ねえ、あれがそう?」

「あ、ああ」

 私の言葉を遮る様に顔を上げたメイデアが示す先、目的の集落が見えた。丘の上から遠目に見えるそれは、周囲を農地に囲まれぽつりと小さく存在する、慎ましいものだ。

「わあ、立派な麦畑じゃない! ほら魔王、あれが麦よ。離れてても分かるわ。綺麗なもんでしょうっ?」

 まるで我がことの様に目の前の様子に声を上げる。

「あれがすべて麦か」

 集落を囲む黄金の絨毯は地平まで延々と続いている。時折風に揺られ一斉に身を揺らす麦穂の様子は確かに壮観といえる。

「ええ。立派な畑だわ。収穫前だけど分けて貰えるかしら? うん、行けば分かるわね。ほら、行くわよ魔王!」

 自問自答して、聖女はスカートを両手に持ち上げて駆けだした。束ねた金の長髪が踊り、視界いっぱいの黄金に溶けていく様だ。まったく、忙しない。

「待て待て! 突然外からの者が押し掛けては皆が怯える。私が話をするから君は少し待て」

「あ。そっか。てっへへ」

 振り向きぺろりと舌を出す顔は無邪気なもので、歳相応に見えた。

「やれやれ」

 そこにはもう、先程までのどこか寂寥さえ感じさせる色は、見られなかった。


      ■


 日が暮れる頃になり、小さきヒトの集落から戻ってすぐメイデアは腕まくりを始めた。

「上機嫌で次は何を始めるのかな、聖女殿は」

「今は村娘のメイデアです」

「それは失礼したな」

 出来たばかりの釜場には、メイデアの指示の下木材で組んだ簡易作業台も用意した。その上には日中、小さきヒトより譲り受けた品が並べてある。

 挽いて粉になった小麦に、鳥の卵、四足の乳と様々だ。

「でも良かったわ。一度に材料全て揃うと思ってなかったから。酵母のことなんて忘れてたし。食性は大して変わらないものね」

「私にはよく分からぬ。それで? 結局君は何を?」

「見たら分かるでしょ。パンを焼くのよ」

「パン?」

 答えながらメイデアは器に入れた材料を捏ねている。粉だったものが徐々に半固形の粘土の様に変わっていく様子は何か新鮮な感覚だ。

「何? あなたパン食べたことないの?」

「ああ」

「ふーん。ええとね、こうやって材料をしっかり捏ねて生地にしてあの石釜で焼き上げるのよ。そしたら出来上がり。わたし達の国じゃこれが主食よ。余所も大体そうだと思うけど」

 ふんふんと徐々に力を込めながら生地とやらを捏ねていく。その横顔、口元に笑みは見えるが真剣そのものだった。

「しかし、そんな粘土の様なものを食すのか。君達は変わっているな」

「粘土って……。ほんとに知らないのねぇ。まぁ、見てなさい」

 そう言ったメイデアは再び生地に向かい合う。格闘は暫く続いた。



 捏ね上げた生地を寝かせた後。小分けにしたそれを火の入った石釜へ収めると、メイデアは近くの木を背に腰掛けた。

「ふう。あとは焼き上がるまで待つだけよ。少しのんびりできるわ」

 立てた膝に顎を乗せ、ぼんやり石釜を眺める姿がそこにある。

 言葉無く過ぎる時間、その横顔を何するわけでもなくただ見ていた。

 黄金の長髪を緑の上に投げ出した少女。少し慎みに欠けるだけの、普通の村娘だと自称する娘。聖女と呼ばれる、娘。

 ふと気が付くとその眼差しだった。どこか遠くを見る様な。時折見せる望郷と寂寥を想わせる。天真爛漫を絵に描いた様な彼女には似合わぬ貌だ。

「そういえば、まだ聞いていなかったな」

 その眼差しに気付いて、そんなことを思い出した。

「何?」

 すっと持ち上げられた視線に質問を返す。

「君が何故、聖女と呼ばれるに至ったのか」

「ああ――」

 そんなことか、とでも言う様に呟いて、メイデアは視線を空へと投げて口を開いた。

「何てことない。わたしはただ、手の届くだけの小さな世界を守りたいって、守ろうってしただけ。たったそれだけ。聖女なんて、そんな大層なものじゃなかった」

 そこまで言って、視線を私へと戻したメイデアは続ける。

「ある日ね、夢を見たの」

「夢?」

「そう、夢。戦争が起こる夢。ううん、あれは戦争なんて呼べるものじゃなかった。同盟関係にあった隣国が突然攻め入って、対応の遅れたわたし達の国はただ蹂躙された。首都から程遠いわたしの村の惨状は夢でも思い出したくないくらいだった。殺され奪われ犯されて」

 思いだしたのだろう光景に瞼を落として、再び空を見やる横顔はやはりどこか寂しげだ。

「だが、夢だったのだろう?」

「おかしな話だけど、わたしはそう思わなかったの。夢の内容はとても鮮明で、ただの夢だなんて思えなかった。目を覚まして胸にあったのは、それが必ず現実に成るっていう確信だった」

「予知夢……というものか」

 先に起こる出来事を夢に見るという空想は、ヒトの著した書に時折見られる。或いは神託などとも呼ばれるその存在は、夢を見ることの無い私には理解に難しいものだ。だが、未だ見ぬ明日を知るという所業が、神域と呼ぶべき奇跡であるということに疑いはない。

「結果だけ見ればそうだったのかもしれないし、違ったのかもしれない。ただ偶然が重なっただけかもしれない。今日、この日まで」

「戦争は、起きたのだな」

「ええ。でも、結果は夢に見たものと違ってた」

「君が、変えたのか」

 恐らくは核心。その問いを口にすると、メイデアは「どうだったのだろう」と一言置いた。

「目が覚めて飛び起きて、何とかしなきゃって家の扉を開いたら。村はいつも通りで。幼馴染のアッシュは相変わらずバカで、お隣のハンクさんは朝から酔っ払ってて、向いのベラおばさんは優しくて、ヒューイもミラノもヨハンもセレンも……。みんなみんないつも通りで。わたしはそんな当たり前を守りたいって思った。国とか、世界とか、そんな大きなもののことなんて考えたわけじゃなかった。目に映る当たり前の日常が、ただ愛おしくて涙が出た」

 空に向いた瞳はきっと遠い故郷を見ている。愛おしむ様に、儚む様に。……儚む? 何を。

「でもただの村娘が、いきなり国同士の争いをどうこう出来るワケ無くて。当然よね。突然戦争が起こる、なんて言ったって陛下に声が届く筈は無いし、理由が夢に見たからなんてね。だから小さなことから始めた。ただの村娘にでも出来ること。幼馴染に相談するところから、村の自警団、そこから街へ。そうしてる内に本当に敵国の動きを掴んじゃって。そこからはあっという間だったな……」

 そうして徐々に周囲を先導し、結果として故郷を傾国から救った少女は、聖女と呼ばれるに至った。そして求められるまま今も尚ヒトビトに道を示し続けている。

「それからも度々夢を見て、その度にわたしは皆がより幸せになれるようにって歩き続けてきた。今も――」

 身近な幸福の為に力を尽くしてきたと少女は言う。事実彼女は故郷を守った、より大きなものを守った。皆は幸せの中にあるのだろう。では、彼女自身は? 何故このような儚く寂しい貌で己を語るのだろう。

「そこに、君の幸せはあるのか。後悔は無いのか」

 思わずそう口にしていた。問わずには居れなかった。承服出来なかった。ヒトビトを想い、力を尽くし続けた彼女だけが幸福の中に居ないなどということが。彼女が望んだのは今、こうして此処に居ることなどでは無い筈だ。

 これではまるで勇者達と同じだ。ヒトビトの為に己を犠牲にした彼等と。勇者の最期はいつも――

「これはわたしが望んで、選んだ道だもの。後悔なんて、ある筈ない。この道の先にあるのがどんな結末でも、守りたいと思ったものが、皆が笑っていられるなら、わたしはそれでいい」

「君は……」

 自分の結末までを――

「よっ、と」

 その言葉を言い終えるよりも先、メイデアは勢いよく立ち上がった。

「パン、そろそろ焼けた頃よ」

 釜へと駆け寄り振り向いた顔は、先程までの話など無かった様に快活なものだ。

「……そうか」

 ただ、私には言外に話は終わりだと、そう言っている様に見えたのだった。

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