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 魔界、などと呼ばれるこの地だが、気候は安定していて過ごしやすい。夜に凍えることが無ければ、昼炎天に焼かれることもない。

 そんな土地柄だからこそ、という強行軍といえた。

「やれやれ、少し考えが足りなかったな」

 目の前には緑の上に積まれる、大量の書の山。

 昨夜あの後に気が付いたのだが、ここにある建物といえば書を収めていたものだけで、他には何も無い。要するに寝泊りする場所が無かったのだ。

 そこで庫内を整理して居住スペースの確保を考えたのだが、この書の量と長年に渡って積み上げられた埃だ。作業は夜を徹して行うことになってしまった。

 そうして空が白み始めた今になって漸く、終わりが見えて来たというところだ。

 庫内にあった書は全て外へ持ち出し、埃は魔導によって編んだ風を以って飛ばした。大量の埃が狭い扉から吹き出す様は、水の如く重みを感じさせる程だった。

「あとは、これらの書を暫く陽に晒して戻せばよいな。当分雨は降らぬ様だし、運び込むのは徐々にで構わぬだろう」

 ひとまず作業はここまでとする。

 一方、フィーはといえば木陰で開いた書に突っ伏す様にして眠り込んでいる。字が満足に読めぬものの、挿絵の多いものを見付けては夜通し眺めてはしゃいでいた。とはいえ流石に睡魔には勝てなかったらしく、数刻前にああして微睡みに落ちてしまった。

 如何に冷えぬとはいっても水場は他よりも幾らか涼しい。陽が顔を出したとはいえ大気をを暖めるにはまだ時が要るし、フィーが目を覚ますのも暫く先だろう。万が一風邪をひく様なことがあっては事だ。適当に見繕ったボロ布を手に歩み寄る。

「これは……」

 無いよりはマシといった程度のものだが、掛けてやろうと傍らに立ってそれに気が付いた。

 眠るフィーの周囲に広がったまま転がる書。目を引いたのはそれらよりもその周囲に散乱する紙切れの方だった。

 たどたどしさは見られるが、短いながらしっかりと意味が読み取れる文章の記述がある。紙の上に木炭の欠片があることを見れば、それを記したのはフィーということで間違い無いだろう。

 自身の名も書けぬと言った仔が、ただの数刻書を眺めただけでそこまで学んだというのだから驚きだ。

「これは私の教えなど無くともよいかもしれぬな」

 ささやかに寝息を立てるフィーの肩に布を掛けながら、未来の賢人を夢想した。

 人の世で幸せに暮らしているだろうその姿を、私が見ることは無いだろう。

 そんな当たり前の現実だけが、些か寂しい話だった。


 空を見れば地平から完全に姿を露わにした陽の光が、一日の始まりを、別れの日へまた一歩進んだことを教えていた。


      ■


 昼になり漸く目を覚ましたフィーだったが、すぐさま書へ齧りつく様にして眺め始めた。

 昨晩食事を摂ったきりの筈なのだが、正しく三度の飯よりも、といった風だ。その傍らでは見回りから戻ったらしい一角が付き添う様にして立っている。

「フィー、そろそろ食事にしたらどうだ」

 言いながらパンに果実をチラつかせる。その場を動かぬだろうことは想像に難しくはなかったので、イモや野菜の類はあらかじめ挟んである。

「ありがとう」

 予想通り。差し出されたそれを書に目を落としたまま受け取った。少々行儀が悪いとは思ったが、真剣な様子なので水は差さない。

「お前にはこれを」

 湖畔を歩いた際に見付けた根野菜を差し出してやる。やや赤み掛かったそれは一角の好物のひとつだ。礼のひとつもなく齧りつくのを認めて手を引いたが、器用に全て平らげてしまった。日に日に態度が忌々しくなっていく。

「ねえ、ニコ。これ」

 はたと手が止まり、熱の籠った視線は書から私へと移った。

「どうした?」

 挑発的にいななく一角から視線を外し、差し出された書に目を落とすと片側の項に大きく挿絵が見られた。

「これは、一角か」

 そこには細部まで精巧とはいえないまでも、馬に酷似した体躯や象徴的な螺旋の角がしっかりと描かれていた。私の友人たる一角と同一の個体ではないだろうが、同じ種と考えて良さそうだ。

「ここ、なんて書いてあるの?」

「ユニコーンと。外ではそのように呼ぶらしいな」

「名前?」

「いや、種としてのだな。フィー達のことをまとめてヒトと呼ぶのと同じだ」

「へえー。それじゃあ、あなたの名前はユニ!」

 答えてやると閃いたとばかりに声を上げた。しかし、ユニコーンだからユニとは、安易に過ぎないだろうか。いや、考えてみれば私の名も似たようなものではあるが。

「だ、そうだぞ?」

 少々性格の悪さが露見したこやつのこと、不満のひとつも上げるかと思ったが反応はといえば実に嬉しそうにひとついなないたのだった。

「ふむ……。そうか、そうだな」

「どうしたの?」

 名を与えられるということは、嬉しいものだものな。

「気に入ったそうだ」

「えへへ」

 一角の名付けを終えたフィーは我がことの様に嬉しそうに笑って、またすぐに書へと目を落とす。読めているのかいないのか、随分と熱心にその項を眺めている。やはり一角に関して記してあるからだろうか。

「ねえ、ニコ。おかめってなに?」

「オカメ? 今度は何だ……? ふむ」

 再び顔を上げたフィーの問いに書へと目をやる。相変わらず一角に関しての項らしい。読み上げてみれば訊きたいのは『乙女』のことらしい。

「それはオカメではなく、おとめと読む」

「おとめって?」

「ふむ……。そうだな、フィーの様な娘のことだ」

 如何に説明しようかと思案してそんな答えを返した。

「ふーん? それじゃあユニはわたしのことが好きってこと?」

 案の定理解出来ぬ様子のフィーだったが、別なところには解を得たらしい。しかし、一体何のことか。

「一角が、何と?」

「だって、ほら」

「……成程な。色々と合点がいった。中々良い趣味をしていたものだな、ユニよ」

 指し示された箇所を読み上げてひとり納得する。私の言葉に一角が開き直る様にひとついなないた。

「なあに?」

「いや、まったくその通りだということだ。これはお前を好く思っているとな」

「おー」

 そこにはこんなことが書いてあった。


 ――ユニコーン

 螺旋の角は水を清める力を持ち、力強く、気性は獰猛で決して人に懐くことはない。しかし処女の前で己の獰猛さを忘れ、その純潔さに魅せられる――


「数百年来の友人を無碍にするのだから、それはもう首ったけというものだよな」

 冷めた視線を投げつけてみるも当の一角は涼しい顔で視線を逸らす。

 そんな私達のやり取りを、フィーはただ不思議そうに眺めているのだった。


 ――それから毎日。フィーは書を読み耽った。私はその様子をただ見守る。

 過ぎていく日々は穏やかで、優しく流れる時はしかし、瞬きの如く過ぎ去っていった。


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