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 翌朝は仔が目覚める前に探し物をした。家屋と言うには些か造りの大らかな我が居城だが、物を詰めておく場程度は決めてある。その蔵を掘り返す。普段放り込んだまま使わぬものだから、埃が酷い。

「……やれやれ、これは骨だな」

 思わず零しながら外界より流れ着いた品々を掻き分け、目当ての品を揃える頃には外で仔の声が聞こえていた。

「起きたのか、起こしたのか。まぁ、丁度良い」

 掘り起こした品を手に蔵を抜け、屋根の外へと進む。朝陽の下で仔と一角が戯れていた。昨日出会ったばかりの頃からは考えられぬ程打ち解けたその様子に、温かな感情と一抹の寂寥を覚える。

 昨日の決断を覆しそうになる己を律して別れへと一歩踏み出した。



「あの、魔王さま、どこへ行くの?」

 私の後ろ、一角と並び歩く仔が訊ねた。右手には先程用意した、パンに野菜を挟んだものがある。朝食にと持たせたそれを齧りながら小首を傾げる姿を改めて確かめる。

 仔が身に付けているものといえば麻布に穴を空けただけの、衣服とも言えぬ様な代物ひとつきりで、足には何も履いていない。銀の頭は埃にまみれているし、体中汚れが目立つ。

「この木立を抜けると湖がある。そこまでだ。まだ暫く歩くが大丈夫か?」

 徒手で歩くならなんということはないが、今の仔の状態を見れば少々考えなくてはならない。仔の胸には石剣が抱かれているのだ。相変わらず長く地を滑る鎖によって首輪と繋がれている。それらの重量は幼い仔には些か酷なものに思えたのだ。

「大丈夫」

 そう思いはしたが、仔は即答した。遠慮をしているのかと問うてみたが、聞けば成程、過酷な道中に比すれば涼風の様なもの、ということらしい。

 仔がそう言うのならそうなのだろうと解する。と、隣で一角がいなないた。疲れた様子を見せれば己の背に乗せればよい、ということだった。

「……お前、私に背を貸したことは一度として無かったと記憶しているが」

 私だけではない。そも、こやつが他者を背に乗せたところなど出会ってより一度も見たことが無い。小鳥一羽として、だ。

「…………」

 しかし当の一角は、不服を申し立てる私の言葉など聞こえぬとばかりに歩を進めた。私を追い抜いて進むふたつは実に仲睦まじい。

「……随分と良い性格をしていたのだな、お前は」

 数百年来の友人からの冷遇に溜息を吐きながら、残りの道程を進めた。



 木々のアーチを抜け開けた湖畔に辿り着くと、涼やかな空気が出迎えた。水場らしい清涼な香りが心地よい。

「わぁ……」

 目の前に広がる景色に仔が声を上げた。あたかも世界の神秘を見た様に深い感嘆だ。

「何だ。湖を見るのは初めてか?」

 いや、仔は砂の民だったか。

「砂の海にはこれと同じ様なものがあると聞いたが」

「オアシス?」

「そんな名だったか」

「オアシスは見たことあるけど、もっとずっと小さくて、わたし、こんなにたくさんの水を見たの初めて! ねえ、魔王さま、これは海じゃないの?」

「海はもっとずっと広く果てが無いものだ。それに海の水は命で満たされ辛い」

 遠い日に見た蒼の世界を口伝してやると、仔は信じられないとばかりに目を丸くし、同時に輝かせた。

「すごいね! わたし、海、見てみたい」

「見ればいい。お前はもう自由なのだから。これからはどの様にも生きられるのだ」

「……魔王さまも一緒?」

「私は……」

 一緒になど行けまい。答えなど決まり切っていたが、どこか不安を孕んだ仔の瞳にそうは答えられなかった。

「そんなことよりもここで沐浴するといい」

 誤魔化す様に言った私の言葉に、仔はぽかんと口を開けたまま視線を返した。話を逸らせたのは僥倖だが、何かおかしなことでも口にしたろうか。

「どうかしたか?」

「このお水、わたしが使ってもいいの? もくよくって、水浴びのこと? わたし、お水をそんなふうに使ってもいいの?」

「あ、ああ。好きにするといい。ここに在るものは皆のものだからな」

 極当たり前の用途に、まるで夢の実現を見た様に目を輝かせた。

「魔王さま! お水、飲んでもいいっ?」

「ああ」

 湖の淵まで真っ直ぐに駆け、振り返ってそんなことを訊いた。答えてやると勢いよく頭を水面へと潜らせた。暫くそのまま動じぬ様子にあわやと考えたが、首の辺りを見てみれば、どうやら水をひたすら嚥下しているらしい。

「――っはあぁっ! おいしいっ! 魔王さまっ、わたし、こんなにたくさんお水飲んだのはじめて!」

 ああ、成程。砂の海の生活に水は貴重なものだろう。ましてや奴隷という扱いを受けていた仔にとっては、沐浴はおろか飲み水さえ十分に与えられたか分かったものではない。

「そうか。それは良かったな。ここでは好きなだけ口にするといい。それから、飲むばかりでなく、旅の汚れを落とすのも忘れぬ様に……やれやれ」

 私の言葉が聞こえているのかいないのか、顔を上げた仔はすぐに着物を脱ぎ捨て湖へと体を躍らせるのだった。


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