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「魔王。今日、ここを発とうと思うの」

 食事の手を止めることなくメイデアは言った。

 メイデアが共に食事を摂ることを希望して、七日程経った日のことだった。

「随分急なことだな」

「そろそろ外で待っている皆の物資もぎりぎりでしょうし、あなたのこともよく分かった、と思う」

「そうか」

「だから」

 そうして、食事の手を止めた。手にしていたパンを置き、すっと上げた眼差しは聖女のそれだ。

「貴方に、ひとつお願いがあります」

「そうだろうな」

 ここを発つと言った段でそう言うだろうことは分かった。彼女は最初に言ったのだから。私を知る為に。そしてひとつの願いを伝える為に、と。

「聞こう」

 その内容が、これまでどんなものだろうかと考えなかったわけではない。ただ、考えても無駄だと理解したまでだ。何しろ、私は今日この日まで、彼女の行いのどれ一つとして予測出来たためしは無いのだから。

 だが、

「私が貴方に願うのは、ただひとつ」


 ――死んで頂けますか。


 その言葉に、驚きは無かった。

 無論、死を要求されるなどと、考えていたわけではない。ただ、不思議と得心がいった思いだった。聖女と呼ばれた者が、魔王の下に訪れる理由として、正当なものに思えたのかもしれない。

「君が、私を殺すのか」

「いいえ。言った筈です。私にそんな力は無いと。だから、お願いしているんです」

 真っ直ぐに向けた瞳を決して離すことなく、メイデアは告げた。

「私に自壊しろと、そういうことか」

「はい」

「理由は」

「この先、貴方が生き続けることで世界が滅びてしまう。少なくとも、ヒトは姿を消すでしょう。だから、貴方は死ぬべきだ。今、この時に」

「予知、か」

「ええ」

「私が、世界を滅ぼすと、そう言うのか」

 あり得ない。私は決してその様なこと、しはしない。徒に命を摘むことを是としたことなど一度として無い。私は、ただ平穏が欲しいだけなのだから。

「分かりません。私が知り得たのは、貴方が生き続けた結果の世界。貴方が今死することでその未来を変えられるだろうこと。それだけ。……他に方法が、そう思いました。だから貴方と言葉を交わした。触れ合った。そうすることで違った未来への道が視えるかもしれないと。けれど――」

「理不尽な、ことだな」

「自分がどれ程身勝手なことを言っているか、分かっているつもりです。けれど、それでも。その滅びゆく世界には、私の――わたしの愛した世界ヒトたちがあるのよ、魔王」

 そこにはもう、聖女の姿は無かった。あるのはただ己の小さな故郷せかいを想うだけの、メイデア・ダルクという一人の少女だ。

「これでは立場が逆だな」

「え?」

 目の前の少女の姿に、思わずそう零した。

「死を望まれている私よりも、今の君の方が余程辛そうに見える」

 瞳には先程までの力強さは無い。己の吐き出した言葉への罪悪と嫌悪に歪む眉根は痛ましくすらある。

「そんな顔をされたのでは、私は君を罵倒することも出来ないではないか」

 他者の死を望まなければならなかった苦悩を、それを当人に告げた覚悟を、すべて愛した者達の為に果たしたその尊さを、どうして責められよう。

「魔王……」

 それでも、

「メイデア。その頼みを聞くことは、出来ない」

「…………」

 承服出来なかった。メイデアの視たという未来は私には見えない。私が世界を滅ぼすことなど考えられない。私には此の地の皆を守る義務がある。死という選択を受け入れることは、出来ない。

「だがメイデア。約束をすることは出来る」

「約束?」

「私は決して滅びを招かぬと。約束する、私が君の予見を覆すと」

 そうだ。彼女が世界を変えてきたというのなら、それはまだ未来は定められていない、変えられるということの証左だ。ならば、彼女ではなく私自身が変えてゆけばよいのだ。

「そう、……そう」

 その言葉に、メイデアは深く息を吐く様に二度頷き、顔を上げた。少し困った様に、小さく微笑んでいた。



 遠くなっていく背中を見送る。

 外界と此の地とを隔てる大断崖に糸の様に掛けられた橋を越えると、メイデアは一度だけ振り返った。

 ぽつりと一言。音は届かない。ただそれは、


 ――さようなら。


 そう言っていることは理解出来た。

 微笑みだ。酷く淋しげな、悲しげな。

 もう二度とは逢えぬだろう。

 その彼女の最後の貌が、そんなにも不似合いなものだということが、心残りだ。

 無言で応える私を認めると、そのまま踵を返して居並ぶ騎士の下へと向かった。

 歓声が沸く。

 集団へと消えていく姿は、どこか彼女の未来を暗示している様で、胸を締め付けた。

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