金持ちフェアリー
近年、さまざまな問題が相まって、金属類の値段が急激に高騰していた――。
* * *
駅前の大通りを歩いて自宅に帰っていた青年は、ふと足をとめた。
一月の半ば。真冬で、気温がとても低い日。雪もちらついており、身体を動かしていないと芯が凍ってしまいそうである。そんな日にもかかわらず、青年は歩を止めて呆然と立ち尽くしていた。
青年の目線の先には、大通りから伸びる一本の脇道があった。特に気に留めるようなものはないように思われるのだが、じっとその脇道を見つめていた。他の人々は、青年をよけながら足早にその場を過ぎ去っていく。
その青年は、身なりからしてそれほどいい生活を送っているとは思えなかった。特に、ところどころ穴のあいたダメージジーンズはこの季節と不釣り合いで、足元をよく見ると、靴下は穿いていないようだった。また、この寒い中マフラーや手袋といった防寒具は一切身につけておらず、せいぜいジャンパーくらいだった。
しばらくその状態のままだった青年は、意識が覚醒したのか、ようやく歩き出した。しかし、向かった先は自宅ではなく、先ほどまで見つめていた脇道だった。
青年は、辺りを見回しながら奥へと進んでいった。だが、目に入るのは一軒家ばかりで、眺めていて楽しいものなどない。それでも足を止めることなく、自宅とは反対の方向に向かって歩を進めていく。
やがて、青年は公民館の前で立ち止まった。どうやら目的の場所はここであったらしい。
「遅かったのぅ。もうちょっと早く来ると思うていたが」
青年は突然の声にたいそう驚いた。同時に、声がした方へ振り向いた。そこには、手の平サイズの可愛らしい妖精がいた。
「……あなたが、僕を呼んだのですか?」
「ん? ああ、そうじゃ」
公民館の裏からひょっこり姿を現した妖精は、口調がどこかおかしかった。だが、青年はそれよりも気になることを尋ねた。
「なんで僕を呼んだのですか?」
妖精は、ちょっとの間考えるように黙っていた。それから、「お主が一番いい奴じゃと思ったからじゃ」と言った。
「僕が……いい奴?」
「そう、お主はいい奴なんじゃ」
引っかかることはいろいろあったのだが、青年は上手く口に出すことができなかった。
そうこうしているうちに、妖精は「こっちに来い」と言って進み出した。
青年は少し反応が遅れた。
「え、ちょ、ちょっと待ってください! どこに行くのですか!」
あとを追って、青年も足を動かし始める。しかし、妖精は青年の質問に答えることなく、羽をバタバタと動かし続けた。
青年は仕方なく、妖精の後をついて歩いた。歩きながら思考を巡らしていたが、考えれば考えるほど青年の頭は混乱していった。
妖精は、どんどん人気のない方へ進んでいった。角を右に曲がって、左に曲がって、また右に曲がって……。青年がそろそろ疲れたなと思い始めたころ、妖精はようやく止まった。それから、青年に振り向いて、こう言った。
「お主、お金は欲しいか?」
青年は、まったく想像していなかった質問に、目を丸くした。同時に、この妖精がなぜ自分を呼んだのかが分かった気がして、嬉しくもあった。
「はい、欲しいです。今、ちょっと生活が苦しいので……」
青年は、自分の気持ちを素直に言った。
「ならば、やろう。じゃが、ただでやるわけにはいかん」
「では、僕は何をすればいいのでしょう?」
「金属じゃ」
「金属?」
「お前が今持っておる金属をわしに全部くれれば、その分だけお金をやろう」
「なるほど、そういうことですか」
青年はそう言うと、左手首に着けていた腕時計を外し、妖精に渡した。少し惜しい気がしたが、お金のためなら仕方がないと割り切った。
それから、青年は妖精がお金をくれるのを待った。しかし――。
「お主、まだ金属持っておるだろう?」
青年は首を傾げた。
その様子を見た妖精は、静かな口調で言った。
「お主、ポケットに携帯電話が入っておるな?」
それを聞いて、青年ははっとした。確かに、ポケットには携帯電話が入っていた。
「待ってください! これは、両親が三年前に買ってくれた、大切なものなんです!」
「お主、お金は欲しくないのか?」
「いや、でも、これ金属は少ししかないじゃないですか!」
「構わん。これだけの金属でも、結構なお金になるのじゃ。それから、一度『お金が欲しい』と言ったら金属全部を渡すまでわしはお主を帰さん。もう逃げることなどできぬ」
青年は、しばらく携帯電話を握りしめたまま立ち尽くした。それから、諦めがついたのか、そっと携帯電話を妖精に渡した。
今度こそお金をくれるだろうと、青年は待ち構えた。だが――。
「お主、もうないと思うとるみたいじゃが、全部じゃ。そのジャンパー、前にファスナーがついとるの?」
「え、あ、はい……」
まさかそこまで厳しく言われるとは思ってなかった青年は、落胆した。ジャンパーのファスナーは、確かに金属でできていた。この寒さの中、防寒具なしで帰らなければいけない羽目になる。
しかし、その落胆も束の間、妖精は「そのジーンズもファスナーがついとるみたいじゃの」と言った。
「は!? ジーンズを取られたら、もう街中を歩けないじゃないですか!」
「聞きわけがわるいのう。全部と言ったら、全部なんじゃ。それから、家の鍵もじゃ」
「鍵!? 家に帰られなくなるじゃないですか!」
「帰る前に作ってもらえばよかろう」
「その格好で店に入れると思っているんですか!」
「そんなことは知らぬ」
青年は、今まで経験したことのないような、とてつもない恐怖に駆られた。絶望した。取り返しがつかないことをしてしまったとようやく気づいたが、もう遅すぎた。
妖精は、少しでも金属が含まれているものを全て青年から奪い取った。それから、金属の量を量り、計算をして、青年にお金を渡した。
「ほれ、約束通り、お主が望んだお金じゃ。受け取れ」
青年は、一応受け取ったものの、ふてくされていた。それを見た妖精は「なんじゃ、その顔は。欲しいものを手にして、どこが不満なんじゃ」と言った。
「……僕がこのまま何事もなく家に帰られるとでも思っているのか!」
青年は妖精を睨みつけ、小さい妖精を掴もうとした。妖精はそれをひょいと身軽にかわすと、こう言った。
「すべてお主が悪いんじゃよ。いや、弱いんじゃ。お主は誘惑にすぐ負ける、弱い奴なんじゃ。わしはお主のような奴を狙って、金儲けをしておるのじゃ。今、金属の値段が急激に高騰しているじゃろう? 今日の金属は、しばらくあとに売るのじゃ。一ヶ月くらいしたら、今日より高くなっておるはずじゃ。そこで売るのじゃよ」
「お前……! この、詐欺師が!」
「わしは、ちゃんとお主の望みに応えたんじゃ。悪いことなど、何もしとらん。ほれ、寒かろう? とっとと帰るんじゃな」
そう言うと、妖精は青年に向かって何か呪文のようなものを唱えた。次の瞬間、青年は不思議な感覚に襲われ、目を閉じた。
よくわからない、ふわふわと浮いたような感覚は、数十秒ほどで消えてなくなった。目を開くと、そこにはさっきの公民館があった。それから、近くを通っていた人にすぐさま通報され、青年は捕まった。
取り調べる警察官に、青年は必死になって経緯を喋った。だが、そんなことを信じる者など誰もいなかった。