期待していたのは、私だけだった
それから、気づけば私は結衣と一緒にいる時間を少しずつ増やしていた。
意識しているわけじゃない。
ただ、移動教室のときに自然と声をかけるようになっただけだ。
「次、理科室だよね」
席を立ちながら言う。
結衣は鞄を肩にかけながら、少しだけ驚いた顔をする。
「うん」
「一緒に行く?」
「いいよ」
それだけのやり取り。
廊下を並んで歩く。
クラスのざわめきの中で、特に話すこともない。
でも、一人で歩くより落ち着いた。
それだけだった。
昼休みも、放課後も。
気づけば、帰るタイミングを合わせるようになっていた。
その日も、昇降口で結衣を見つけて声をかける。
「もう帰る?」
「うん」
「じゃあ、一緒に」
言葉にしてから、少しだけ胸がざわつく。
理由なんてない。
ただ、一人で帰るより楽だから。
そう思うことにしていた。
校門を出て、並んで歩く。
特に話題があるわけでもなく、
授業の愚痴とか、先生の話とか、
どうでもいい話をしていただけだった。
改札が見えてきたころ、
結衣がぽつりと言った。
「花音ちゃんといるとさ」
私は足を止めかける。
「……なに?」
「楽なんだよね」
あまりに普通の調子で言うから、
一瞬、意味が分からなかった。
「楽?」
「うん」
結衣は前を向いたまま続ける。
「気使わなくていいっていうか」
少し考えてから、
「一緒にいて疲れない」
と言った。
心臓が一瞬だけ強く跳ねる。
何か返そうとして、
言葉が出てこない。
「……そっか」
やっとそれだけ言う。
結衣は気づいていない。
私の胸の奥で、
何かが大きく揺れたことに。
「ゲームの話わかんなくても、別にいいし」
続ける。
「無理して話合わせる人より楽」
そこで話は終わる。
改札の前で立ち止まり、
結衣はいつも通り言う。
「また明日ね」
「……うん」
手を振って、改札を抜けていく。
私はその場に少し立ち尽くした。
(……楽って)
それは、どういう意味なんだろう。
特別なのか。
それとも、
誰にでも言う言葉なのか。
分からないまま、
胸の奥だけが落ち着かなかった。
ーー
次の日。
放課後のチャイムが鳴って、教室の空気が一気に緩む。
椅子を引く音や、鞄のファスナーを閉める音が重なる中で、
私はいつものように視線を前の席へ向けた。
結衣は、もう帰る準備をしている。
(よかった)
胸の奥で、小さく安心する。
今日も一緒に帰れる。
それが当たり前みたいになっていることに、
そのときは気づいていなかった。
私は鞄を持って立ち上がる。
「もう帰る?」
声をかけると、結衣は振り向いて、
「あ、ごめん」
と言った。
「今日は、先に約束あるんだ」
一瞬、意味が分からなかった。
「約束?」
「うん。昨日話してた子たちと、ゲームショップ寄るって」
悪気のない、いつもの声。
思い出す。
昼休み、ゲームの話で盛り上がっていたあの子たち。
「そっか」
口が勝手に動いた。
「じゃあ、また明日ね」
結衣は普通に笑って、
「うん、またね」
と言って、教室を出ていった。
それだけだった。
特別なことなんて、何もない。
ただ今日は、一緒に帰らないだけ。
それなのに。
教室のざわめきの中に取り残されたみたいで、
自分だけ音が遠くなった気がした。
(……別に)
私だって、誰と帰ってもいいはずなのに。
靴を履き替えて外に出る。
ひとりで歩く帰り道が、
いつもより長く感じる。
前は、これが普通だった。
誰かと帰るほうが、特別だったはずなのに。
(……なんで)
胸の奥が、少しだけ重い。
結衣が誰かと帰るのが嫌なわけじゃない。
引き止める理由なんて、どこにもない。
それでも。
(……一緒に帰れると思ってた)
気づいて、足が少し止まる。
思っていたのは、
私だけだったのかもしれない。
結衣にとっては、
ただタイミングが合えば一緒に帰る相手。
それだけで。
(……何、期待してるんだろ)
小さく息を吐く。
恋とかじゃない。
ただ、一緒にいるのが楽だっただけ。
それなのに、
胸の奥が、少しだけ痛かった。




