少しだけ、置いていかれた
結衣が美術室に来るようになってから、放課後の時間が少しだけ変わった。
私はいつも通り静かに描いているつもりなのに、隣に人がいるだけで、空気が違って感じる。
その日も、結衣は当然のように隣の席に座った。
「……今日ね、部活、さぼった」
少しだけ声を落として言う。
「……いいの?」
「うん……昨日、描きたいゲームのキャラ思いついちゃって」
そう言いながら、スケッチブックを開く。
そこには、見たことのない鎧姿のキャラクターが描かれていた。
「オリジナル?」
「うん……ゲームに出てきそうじゃない?」
少しだけ照れたように笑う。
線はまだ荒いけれど、ポーズも表情も生き生きしていた。
「昨日、家帰ってから三時間くらいずっと描いてた」
「三時間?」
「……気づいたら夜中だった」
恥ずかしそうに言う。
「好きなんだね」
「……うん」
迷いのない返事。
「絵描いてるとさ……時間、消えるじゃん?」
筆を持ちながら、ぽつりと続ける。
「あと、ゲームしてるときも」
私は少し黙る。
その中に、自分は入っていない気がして。
「花音ちゃんは?」
「……私は」
言葉を探す。
「描いてるときは、楽」
それが精一杯だった。
結衣は、へえ、と小さく言ってから笑った。
「……じゃあ、一緒だね」
また鉛筆を走らせる。
集中すると、話しかけても返事がなくなる。
眉間に少し皺を寄せて、画面だけを見る。
その横顔を、私はつい見てしまう。
恋とか、そういうものじゃない。
ただ、好きなものに夢中になっている姿が、
きれいだと思った。
少しして、結衣が思い出したように言った。
「……今日、帰ったら新作のゲーム届くんだ」
「……そうなんだ」
「……だから、今日は早く帰るね」
申し訳なさそうでもなく、
ただ事実を言うみたいに。
「……うん」
分かっている。
絵も、ゲームも、
きっと私と同じくらい、いや、それ以上に大事なものなんだろう。
それでも。
「……じゃあね」と小さく言って先に帰る背中を見送りながら、
(……もう少し、一緒にいたかった)
そんな気持ちが、
胸の奥に小さく残った。
名前をつけるほどのものじゃない。
ただ少しだけ、
置いていかれた気がしただけだった。
その日、教室に戻ると、結衣の席のまわりに数人が立っていた。
珍しいな、と思う。
結衣は誰とでも話すけれど、自分から輪の中心に入るタイプではない。
近づくと、聞き慣れない単語が聞こえてきた。
「昨日のボス、倒した?」
「まだ。あそこで全滅してさ……」
「回復足りなかったんじゃない?」
話しているのは、同じクラスの女子二人。
ゲーム好きで有名な子たちだった。
結衣は、その輪の中で少し控えめに笑っている。
「私は、後ろで回復してただけだから……」
そう言いながらも、少し楽しそうだ。
「でも最後、結衣のおかげで助かったよね」
「いや、たまたま……」
照れたように視線を落とす。
私は少し離れた場所で足を止める。
話の内容は、ほとんど分からない。
ゲームの名前も、キャラも、システムも。
入っていけない。
ただ、輪の外から眺めるだけ。
そのとき、結衣がふと顔を上げた。
「……あ、花音ちゃん」
気づいて、小さく手を振る。
そのまま、少し迷ってから言った。
「今度さ、放課後ちょっとだけ一緒にやらない?」
「協力プレイ、できるやつで……」
みんなの視線がこっちに向く。
「楽しいよ」
強く誘うわけでもなく、
断られても仕方ない、という言い方だった。
私は口を開きかけて、閉じる。
できないとは言いたくない。
でも、分からない。
「……あんまりゲームやらないから」
そう答えるのが精一杯だった。
「そっか……」
結衣は少しだけ残念そうに笑って、
「じゃあ、また今度」
それだけ言って、話を戻した。




