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誰かを好きになる前に 〜普通になりたかった私の話〜  作者: Wataru


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13/28

恋じゃなかったけど、必要だった

 駅前のロータリーで、車がゆっくり止まる。


 窓が下がって、短く整えた髪の女性が顔を出した。


「花音ちゃん?」


「……はい」


 ちゃんと女性だった。


 声も、仕草も、写真のまま。


 ほっとするのに、胸は軽くならない。


「家、二駅しか離れてないからさ。車のほうが楽かなって」


「ありがとうございます」


 助手席に座る。


 シートベルトを締める音が、やけに大きい。


 車内は柔らかい匂いがした。


「お腹空いてる?」


「……家で食べました」


「そっか。私まだなんだ。ファミレス行っていい?」


「うん」


 エンジン音が静かに響く。


 窓の外の景色が流れていく。


(引き返せる)


 でも、引き返さない。


⸻


 ファミレスのテーブル。


 メニューを開く。


 文字が、頭に入らない。


 彼女は普通に話している。


 保育園の子どもの話。

 今日あった小さな出来事。


 優しい声。


 穏やかな笑い方。


 ちゃんとしている。


 なのに、どこか遠い。


(欲しいのは、これじゃない)


 コップの水を飲む。


 冷たいだけで、味がない。


 嫌われないように相槌を打つ。


 可愛いと思ってもらえるように、

 少しだけ声を柔らかくする。


 笑う。


 ちゃんと笑う。


(お願い)


 私を、選んで。


⸻


「私のこと好き?」


 自分でも急だと思った。


 彼女が少し驚く。


「可愛いとは思ってるけど……」


 足りない。


 もっと、はっきりした言葉が欲しい。


「恋愛対象になる?」


 一瞬の沈黙。


 数秒が長い。


「うん」


 その一言で、


 胸の奥の何かが、ふっとほどける。


(ああ)


 ゼロじゃない。


 私は、ちゃんと対象になる。


 それだけで、

 今日の私は、少しだけ生き返る。


⸻


 数回会った。


 手をつないで歩いた。


 抱きしめられた。


 最初は、


(証明)


 そればかりだった。


 抱きしめられるたびに、


(私は、いらない人間じゃない)


 心の中で唱えていた。


 でも何度か会ううちに、


 その言葉を唱えなくても、

 息ができるようになった。


 腕の中にいる自分が、

 他人の証明じゃなくて、

 ちゃんと自分として戻ってくる。


 必死さが、

 少しだけ薄れる。


⸻


 数日後。


 教室の前で足が止まる。


 中では授業が始まっている。


 結衣がいる。


 でも。


(……入れる)


 ドアノブを握る。


 開ける。


 先生の声。

 クラスの空気。

 椅子のきしむ音。


 私は、自分の席に座る。


 結衣は前を向いている。


 何も変わらない。


 でも。


(私は一人じゃない)


 そう思えるだけで、


 この教室は、

 昨日ほど怖くなかった。


⸻


 昼休み。


「花音ちゃん、今日は元気そうだね?」


 グループの子が言う。


「うん。恋人できたんだ」


「え⁉︎そうなの⁈」


「うん。女の人で……」


「なぁんだ。女の人か……」


 一瞬、胸が引っかかる。


 軽くされた気がする。


 でも私は、笑う。


「うん」


 それ以上、説明しない。


 あの人がいなかったら、

 私はまだ教室の外にいた。


 それだけで十分だった。


⸻


 その人とは、


 一度ホテルに行った。


 数回デートして、


 静かに終わった。


 恋ではなかった。


 でも、


 必要だった。


 何度か抱きしめられているうちに、


 自分が、戻ってきた。


 ファーストキスも、その人。

 

 車の中で、イチャイチャして、その流れで。


 何となく、キスはあまり好きじゃなかった気がする。

 それだけ、ぼんやり覚えている。

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