恋じゃなかったけど、必要だった
駅前のロータリーで、車がゆっくり止まる。
窓が下がって、短く整えた髪の女性が顔を出した。
「花音ちゃん?」
「……はい」
ちゃんと女性だった。
声も、仕草も、写真のまま。
ほっとするのに、胸は軽くならない。
「家、二駅しか離れてないからさ。車のほうが楽かなって」
「ありがとうございます」
助手席に座る。
シートベルトを締める音が、やけに大きい。
車内は柔らかい匂いがした。
「お腹空いてる?」
「……家で食べました」
「そっか。私まだなんだ。ファミレス行っていい?」
「うん」
エンジン音が静かに響く。
窓の外の景色が流れていく。
(引き返せる)
でも、引き返さない。
⸻
ファミレスのテーブル。
メニューを開く。
文字が、頭に入らない。
彼女は普通に話している。
保育園の子どもの話。
今日あった小さな出来事。
優しい声。
穏やかな笑い方。
ちゃんとしている。
なのに、どこか遠い。
(欲しいのは、これじゃない)
コップの水を飲む。
冷たいだけで、味がない。
嫌われないように相槌を打つ。
可愛いと思ってもらえるように、
少しだけ声を柔らかくする。
笑う。
ちゃんと笑う。
(お願い)
私を、選んで。
⸻
「私のこと好き?」
自分でも急だと思った。
彼女が少し驚く。
「可愛いとは思ってるけど……」
足りない。
もっと、はっきりした言葉が欲しい。
「恋愛対象になる?」
一瞬の沈黙。
数秒が長い。
「うん」
その一言で、
胸の奥の何かが、ふっとほどける。
(ああ)
ゼロじゃない。
私は、ちゃんと対象になる。
それだけで、
今日の私は、少しだけ生き返る。
⸻
数回会った。
手をつないで歩いた。
抱きしめられた。
最初は、
(証明)
そればかりだった。
抱きしめられるたびに、
(私は、いらない人間じゃない)
心の中で唱えていた。
でも何度か会ううちに、
その言葉を唱えなくても、
息ができるようになった。
腕の中にいる自分が、
他人の証明じゃなくて、
ちゃんと自分として戻ってくる。
必死さが、
少しだけ薄れる。
⸻
数日後。
教室の前で足が止まる。
中では授業が始まっている。
結衣がいる。
でも。
(……入れる)
ドアノブを握る。
開ける。
先生の声。
クラスの空気。
椅子のきしむ音。
私は、自分の席に座る。
結衣は前を向いている。
何も変わらない。
でも。
(私は一人じゃない)
そう思えるだけで、
この教室は、
昨日ほど怖くなかった。
⸻
昼休み。
「花音ちゃん、今日は元気そうだね?」
グループの子が言う。
「うん。恋人できたんだ」
「え⁉︎そうなの⁈」
「うん。女の人で……」
「なぁんだ。女の人か……」
一瞬、胸が引っかかる。
軽くされた気がする。
でも私は、笑う。
「うん」
それ以上、説明しない。
あの人がいなかったら、
私はまだ教室の外にいた。
それだけで十分だった。
⸻
その人とは、
一度ホテルに行った。
数回デートして、
静かに終わった。
恋ではなかった。
でも、
必要だった。
何度か抱きしめられているうちに、
自分が、戻ってきた。
ファーストキスも、その人。
車の中で、イチャイチャして、その流れで。
何となく、キスはあまり好きじゃなかった気がする。
それだけ、ぼんやり覚えている。




