第七話 鬼宴(上)
1
八月中旬。
湿り気を含んだ朝の空気が、トレーニングルームに満ちる。
床には黒崎とめぐ、二つの影。互いの呼吸を読むように向かい合い、グローブが静かに構えられる。
黒崎のジャブとローが、乾いた音を残して空気を裂く。
めぐはそのフェイントをすべて見切り、細い軸をしならせて身をひねり、軽やかにかわす。
「……よし、終了。おいおい、今の九割だぞ?」
黒崎が息を吐く一方で、めぐの顔にはまだ余裕がある。
「ふふ。じゃあ次は、こっちからも攻撃していいですか?」
「調子に乗ってんなぁ。ま、悪くねぇ。隙があったら打ってこい」
「実は“パンチの打ち方”の動画を見て研究してたんですよね。はい、行きます!」
二人は再び構えた。
めぐの右拳が空を切り、左の蹴りが黒崎の脇腹を狙って伸びる。
それを黒崎は軽く体をひねって外す。
だが――
めぐが軸足を返して放った拳が、黒崎の頬をかすめた。
「……っ!」
汗が飛び、黒崎の髪が揺れる。頬に細い赤い線が浮かんだ。
黒崎は半歩退き、その傷を指で拭う。わずかに血が滲んだ。
「……ほぉ」
「い、今の⁉︎」
「まさかオレの顔面を掠めるとはな」
不敵に笑う黒崎。
「やった! え、でも、怒ってます?」
「怒ってねぇよ。むしろ、ちょっと嬉しいぐらいだ」
めぐの顔が花開くように明るくなる。
「よっしゃー! パイセンに当たったー!」
「調子に乗んな。次は当てさせねぇよ」
「えーっ⁈ じゃあもう一回!」
「今日は終了。汗拭いて仕事だ」
「むぅ〜〜」
黒崎は笑いながら、雑にタオルをめぐの頭に放った。
⸻
2
事務所へ戻る二人。
「おはようございます!」
「ざーす」
佐伯が神妙な顔でモニターを睨みつつ振り返る。
「おはようさん。ちょっとえらい事になってるかもしれん」
めぐが聞く。
「えらい事?」
「大江山の様子がおかしいんや」
モニターを眺めながら佐伯が言った。
黒崎が眉間を寄せる。
「大江山って、あの…?」
「ああ、酒呑童子のいた山や。どうやら各地から鬼が集まってるらしい」
めぐがぽつり。
「お祭りですかね?」
「アホか」
黒崎が呆れる。
佐伯は頭を振る。
「それが冗談でもなさそうなんや。大江山の結界が破られとる。周辺で行方不明者も増加中。
今回は仙台の“イーグル”“スコーピオン”に斥候を任せるつもりや」
「あのナルシストと無口コンビか」
黒崎が舌打ちする。
めぐが興味深そうに首を傾ける。
「パイセン、知ってる方なんですか?」
黒崎は少し嫌そうに答えた。
「ああ。イーグルは鷹谷流唯。オレの同期で、何かと張り合ってくる気持ち悪いナルシスト。
スコーピオンは如月佳奈。真太郎の同期の符使い。挨拶も返さない無愛想女だ」
(パイセン、絶対嫌ってる……)
めぐは心の中で呟く。
「急やけど、京都に行ってくれへんか?
三河ちゃんが“スーツ”を本部に取りに行ってる。京都で合流や。
大阪の美維ちゃんと真太郎ちゃんの二人も来るで」
「めんどくせぇ事になりそうだ」
「私は知らない人に会えるの楽しみです!」
佐伯は重ねるように忠告した。
「黒崎ちゃん、鷹谷ちゃんと喧嘩すんなよ。ホンマに」
「自信ねぇなぁ……」
3
新幹線が京都駅に近づくころ、黒崎は頭を揺らして寝ていた。
めぐが黒崎の肩を揺する。
「パイセン、もうすぐ着きますよ」
「あぁ?……おお、あっという間だな」
めぐは車窓の景色を眺め、心底楽しそうに言う。
「清水寺、行きたいなぁ」
「修学旅行じゃねぇつの」
ホームに降り立つと、湿気を含んだ熱気がまとわりついてくる。立っているだけで汗が滲む。
黒崎が額の汗を拭う。
「やっぱ盆地はあちぃな」
「盆地じゃなくても日本中暑いですよ」
改札を出ると、アロハを揺らす三河が手を振る。
「長旅お疲れ様っす! 福知山にホテルとってあります。そこで大阪班、仙台班と合流っす! さ、車こっちっす!」
黒崎が言う。
「三河、福知山まではオレが運転する。お前の運転だとミッション前に倒れる」
「パイセン! おなしゃす!」
三河は不満げ。
「ぶー」
三人はハイエースに乗り込み、一路福知山へ。
車内で三河は得意げに胸を張る。
「スーツ、良いのができましたよ! 全員集合してからのお楽しみっすけどね!」
黒崎がぼやく。
「そんなんより金剛マシンガンが欲しいわ……」
「それは無理っす。ただでさえ東北で鷹谷さんがバンバン撃ちまくって、金剛弾の在庫が減ってるんすから」
「……あいつ、やっぱムカつくわ」
めぐは目を輝かせる。
「パイセンがそんなに言うなんて、逆に興味湧いてきました」
夕暮れの福知山。
ハイエースがホテルの駐車場に滑り込む。
「すんません、スーツ運ぶの手伝ってください」
三河がケースを引きずりながら言う。
黒崎とめぐがスーツケースを抱え、304号室へ入る。
ノック――
三河が扉が開くと、サングラスに長髪の男と、おかっぱ頭の女が立っていた。
男は前髪を指で巻きながら、うっとりとした声で言う。
「……遅かったね。久しぶり、ハヤト君。相変わらずケダモノのオーラ纏ってるね。
……髭ぐらい剃ったらどうです? エチケットとして」
黒崎が苛立ちを抑えながら言う。(ウザっ、このスネ毛ツルツル野郎!)
「おう、久しぶりだな。こいつは大鈴めぐ、“ホーネット”。今のバディだ」
めぐが会釈する。
「初めまして! 大鈴です! よろしくお願いします!」
鷹谷は手鏡をちらり。
「初めまして、ミーは鷹谷流唯。コードネーム“イーグル”。ハヤト君とは同期なんだ。年はミーが二つ下だけどね。よろしく、めぐぴー」
めぐが無意識に声に出す。
「想像以上のナルシーだ……自分のこと“ミー”って言う人初めて見た……」
三河がめぐへ耳打ち。
「…大鈴さん、声、漏れてるっす」
鷹谷が紹介する。
「この子は如月佳奈、“スコーピオン”。二十三才の符使い」
佳奈は小さく会釈し、そして鷹谷に耳打ち。
「……佳奈が、“みなさん、よろしくお願いします”だって」
黒崎が突っ込む。
「囁き女将か! それぐらい自分で言えよ!」
「ほんとに無口なんだ……」
めぐが小声で言った。
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4
再びノック。
開くと、美維が明るい声が飛び込んでくる。
「おじゃましまーす! 流唯、佳奈、久しぶり!
ハヤト、めぐちゃん、三河、アタシの予感通り――すぐの再会だね!」
黒崎は苦笑いを浮かべる。
「おう、やっぱりお前の勘ってのは当たるんだな」
真太郎も軽く会釈する。
「みなさん、お疲れ様です」
鷹谷が片手を上げながら、
「美維、真太郎、久しぶり。……美維、また綺麗になったね」
その瞬間、佳奈の視線が鋭く刺さる。
見えない刃のような圧が鷹谷へ向かって走る。
美維が鷹谷に向かって、
「流唯、佳奈が睨んでるよ……」
鷹谷が慌てる。
「か、佳奈、ただの挨拶ですよ……」
三河が手を叩きながら言った。
「みなさんお揃いですね! 早速スーツの試着してみません?」
黒崎が片眉を上げる。
「三河、お前、ウズウズしてんな」
「そりゃもう! 305に女性用、306に男性用運んどいたっす! 着替えたらここに集合っす!」
黒崎がぼやく。
「スーツで廊下歩くのかよ。恥ずかしいだろ」
三河がサムズアップ。
「大丈夫っす! 明日“福知山コスプレフェス”があるんで、このホテル仮装だらけっす!」
めぐが思い出したかのように言う。
「確かに、ロビーにスパイダーマン居ましたね」
⸻
着替え後、再集合。
黒崎がほっとした表情で、
「幸い、誰とも廊下ですれ違わなかったぜ」
三河は満面の笑みで説明を始める。
「説明します! 黒崎さんはご要望通りマットブラック」
「悪くねぇ」
「大鈴さんのは、黒崎さんが黄色と黒のツートンって言ってたんですけど……」
めぐが愚痴る。
「そんなの私が着たら『みつばちマーヤ』じゃないですか!」
「ですので、濃紺でシックに仕上げました」
「いい感じです」
「美維さんのはヘビ柄。真太郎君のは“烏色”のマジョーラカラーっす」
美維が微笑む。
「もうちょっと派手でもいいけどね」
真太郎は嬉しそう。
「ボク、『響鬼』リスペクトなんで気に入ってます」
「お二人のカラー、塗装班泣いてましたよ……」
三河は次に鷹谷を見る。
「で、鷹谷さんはパープル。少し暗めに調整っす」
鷹谷がスーツを眺めながら、
「高貴なミーにピッタリだね。気に入った」
佳奈がポツリと、
「……流唯様、かっこいい……」
鷹谷、佳奈以外全員
「しゃ、喋ったーー!!」
鷹谷が慌てる。
「なんなんです? 昔のマクドナルドCMの再現ですか?」
三河が続ける。
「で、佳奈さんは“なんでもいいです”ってメモが付いてたので、鷹谷さんとお揃いっす」
佳奈が鷹谷に再び耳打ち。
「……佳奈が、“嬉しい”って」
めぐが声を張る。
「さっきは喋ったのに!」
三河は最後の説明を終え、胸を張った。
「スーツは個人個人のステータスに合わせて調整済みっす。動きやすく、ダメージも軽減!」
鷹谷は髪を払って歩きだす。
「ミー達は室長に斥候を頼まれてるんでね。そろそろ出発するよ。
まあ、二人でスタイリッシュに片付けるかもしれないけどね。ではスコーピオン、行きましょうか」
佳奈が小さく会釈し、鷹谷の後に付く。
「では、Ciao!」
鷹谷と佳奈が立ち去る。
めぐがボソリと、
「……あの格好のまま行くんですかね」
黒崎がテンション低く呟く。
「知らね」
彼らの後に残ったのは、鷹谷の濃い香水の匂いだけだった。




