第四話 予兆
1
七月。
朝の光が差し込む、事務所三階のトレーニングルーム。
めぐは拝蔵直伝の姿勢を保ち続けていた。
汗が床に落ち、傍らには山積みの本。
その一冊を読みながら、フォームを崩さない。
そこへ黒崎が入ってくる。
「お、やってんな。って何読んでんだよ!」
めぐは顔を上げる。
「あ、おはようございます! 先輩が『湾岸ミッドナイト』ぐらい読んどけって言ったので、読んでます。二周目です!」
黒崎は額を押さえる。
「アレはただのボヤキだ…」
めぐは構わずページをめくる。
「『悪魔のΖ』の歴史と構造はバッチリです!」
黒崎は深い溜息をついた。
「うん、ズレてる。…で爺さんから教わった姿勢はもう身についたのか?」
「はい!筋肉痛は無くなりました」
「じゃあ次のステップ、“回避”だ。オレがバケモン相手してる間、いつもお前をカバーできるわけじゃないからな。
新体操やってたんなら、動きの基礎はできてるだろ」
黒崎はスパーリンググローブを締める。
「余裕そうな顔してんなぁ。全力で避けろよ、行くぞ」
黒崎の軽いジャブが飛ぶ。
めぐは咄嗟にスウェーでかわした。
「わっ!ひどい!いきなり顔面狙いましたよね!?」
「今のは二割だ。“敵”は優しくねぇ。…次は五割いく」
めぐの目つきが変わる。呼吸を整え、黒崎の間合いに集中する。
黒崎は流れるように攻撃を繰り出す。
上段、下段、フェイント。
「目だけに頼るな… Don’t think, feel」
「ブ、ブルース・リー!?」
黒崎はニヤリと笑い、攻撃の速度を上げた。
めぐは必死に躱し続ける。
数分後、黒崎が手を止める。
「ふぅ、上出来だ。爺さんが言ってた通り、素質はあるな」
めぐは息を切らせ、肩を落とす。
「五割でこれって…」
「時間だ。事務所行くぞ」
「シャワー浴びたい…」
⸻
2
事務所へ入るめぐと黒崎。
めぐが疲れきった声を漏らす。
「はぁ…おはようございますぅ…」
黒崎は片手を上げる。
「ざまーす」
佐伯が振り返る。
「おはよ。なんや、めぐちゃん、疲れとんなぁ」
「朝からトレーニングしてまして……」
「そうか、お疲れさん。でな、さっき連絡が来て、丹沢で天狗の群れが暴れとるそうなんや。怪我人も大勢出てるらしい」
黒崎の片眉が上がる。
「丹沢の天狗って、三十年くらい大人しかったはずじゃ?」
「そうなんよなぁ。あの辺の連中は悪させぇへん穏やかな奴らやってんけど…変な胸騒ぎがする。“何か”が起きたんかもしれん」
めぐが首を傾げる。
「“何か”?」
佐伯は腕を組んだ。
「三河ちゃんは今、本部へ試作品“スーツ”を取りに行っとる。現場で合流してな。
それと大阪支部から応援が来るで」
黒崎はゲンナリした顔になる。
「大阪から? 嫌な予感しかしねぇ」
―――
めぐが勢いよく黒崎に詰め寄る。
「先輩、Zで行きましょう! 運転させてください!」
黒崎が目を細めた。
「免許あんのか?」
「持ってますよ!」
黒崎は意地悪く笑う。
「鉄雄、Zはピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ」
めぐもニヤッと笑い返す。
「金田ァ、私にだって乗れるさ」
ーーー
一階ガレージ。
めぐはZのドアを開け、うっとりした表情で座り込む。
「悪魔のZ、マンガで魅力は分かりました! で、先輩、このペダルは何ですか?」
黒崎の表情が止まる。
「それ、クラッチ。…お前、まさか?」
めぐは眉尻を下げる。
「私、オートマ限定です…」
黒崎は即座に言う。
「降りろ。ランクルで行く」
めぐは肩を落とす。
「はい…」
⸻
3
東名高速を小田原方面へ向かうランドクルーザー。
ハンドルはめぐが握っている。
黒崎が助手席で腕を組む。
「危なっかしいなぁ…ずっと左車線走れよ」
めぐは無言。集中しすぎて聞いていない。
「秦野中井で降りたら運転変われよ」
ーーー
高速を降りた先のコンビニ前。
黒崎がタバコに火をつけ、めぐに話しかける。
「飯は済んだか?」
「はい。ところで先輩、師匠が言ってた『慶蔵』って誰なんですか?」
黒崎は煙を吐きながら言葉を選んだ。
「服部慶蔵。拝蔵爺さんの孫で、玄武流の次期継承者。オレの兄貴分だ」
「今はどうされてるんですか?」
黒崎は一瞬だけ目を逸らす。
「…まぁ、おいおい話すわ。合流地点へ急ぐぞ。乗れ」
⸻ ⸻
4
丹沢山中の合流地点。
そこへ関西からの応援――R32型GT-Rが滑り込む。
長身の女と、小柄な少年が降りてきた。
褐色の肌、長髪、長身の女が手を振る。
「ハヤト、久しぶり!」
黒崎は嫌そうに眉を寄せた。
「やっぱお前か。まだそんな経ってねぇわ」
めぐが黒崎を見る。
「この方は?」
「お前の前任だ」
女は柔らかく微笑む。
「あら、可愛い子。アタシ、大阪支部所属、島袋美維。コードネームは『ヴァイパー』、よろしくね」
めぐは思わず見とれる。
「大鈴めぐです! よろしくお願いします! モデルさんみたいですね!」
「ありがと♡」
黒崎がぼそりと漏らす。
「こいつとは相性悪いっつうか、タイミングが噛み合わねぇんだよな。…“封”、三回は背中に受けてる」
美維は微笑みながら指を四本立てる。
「四回よ」
そこへあどけなさの残る少年が歩いてくる。
「黒崎さん、お久しぶりです」
「おお、久しぶり。少しは身長伸びたか?」
少年はジト目になる。
「嫌味ですか? 相変わらずですね」
めぐが黒崎を見る。
「こちらは?」
「渡辺真太郎。“鬼退治”渡辺綱の末裔。刀剣の扱いじゃ日本二番目だな」
めぐは素で驚く。
「え? じゃあ日本一は?」
黒崎は親指を自分に向ける。
「オレさ」
真太郎が深いため息をつく。
「はぁ…『怪傑ズバット』なんて、ボクしか分かりませんよ。
初めまして、大鈴めぐさん。“ホーネット”ですよね。お噂はかねがね。
渡辺真太郎、17才。コードネームは『クロウ』です」
「よろしくお願いします。(アイドルみたい…)って、年下は初めてだ!」
黒崎がぽつり。
「でも真太郎は三年目だぞ」
「え⁈先輩じゃないですか…」
そのとき、特注ハイエースが砂利を巻き上げながら到着する。
三河が窓から身を乗り出す。
「皆さん、お待たせしましたー! 真太郎君、久しぶりっすね!」
真太郎がにこやかに頭を下げた。「お久しぶりです、三河さん」
待ってましたと言わんばかりに、三河の声が弾む。
「さてさて! お待ちかねの“スーツ”持ってきましたよ〜!」
黒崎が鼻で笑う。
「存在さえ忘れてたわ」
「試作品っすからね! ちゃんとフィードバックくださいよ、テストなんで!」
三河は後部ドアを勢いよく開き、めぐを手招きした。
「はい、後ろで着替えてください!」
―――
数分後。スーツに着替えためぐが姿を見せた。
「三河さん、これ…ブッカブカなんですけど」
袖を引っ張るめぐに、三河が慌てて言う。
「おっと、まだ調整前っす! 手首のスイッチ押してください!」
めぐがスイッチを押した瞬間、シュッ、と軽い音。
生地が吸い込まれるように肌へ密着する。
「わぁっ! エヴァのプラグスーツみたい!」
三河がドヤ顔で親指を突き立てた。
「そうっす! 参考にしたの、まさにそれっす!」
黒崎が呆れ気味に目を細める。
「お前、好きだなそういうの…」
やがて全員の着替えが終わる。
「皆さん、準備できましたね? じゃ、説明入りますよ!」
三河がタブレットを掲げ、息を一気にまくし立てる。
「ヘルメットは黒崎さんに“髪型が崩れる”って却下されたんで、サングラス型ヘッドセットにしました!
カメラ搭載で、各々の視界は共有できます!
マイクは骨伝導式で通話はストレスゼロ!
サイドのタッチセンサーでノーマル・暗視・ズーム・サーモに切り替え可能っす!
黒崎さんのグローブ、膝、肘、つま先には“酒呑之牙”の破片を埋め込み済み! “妖”へ打撃が“通る”ように加工済っす!
スーツは僧衣用繊維と本部開発の㊙︎素材!
耐熱・耐寒・耐衝撃・完全防水!
胸部から腹部、背部、前腕部、大腿部にはケブラーと新型セラミックの装甲!
マグナム弾でも貫通しません! 当たっても骨にヒビが入る程度っす!
人工筋肉は未完成っすけど、肩・腰・膝の五箇所で跳躍や回避の瞬発力をちょーっとだけブーストします!」
めぐが小声で眉をひそめる。「…めちゃくちゃ早口で言ってる…」
黒崎が腕を組む。
「“はず”って聞こえたぞ」
「だって試作品っすから!」
三河が胸を張ると、美維がため息をついた。
「アンタの試作品、試す側は毎回命懸けだよね…」
真太郎がスーツの袖を伸ばしながら笑う。
「でもこれ、軽くて柔らかいですね。前のよりずっと動きやすい」
「そこ大事っす! 前のは“走る炊飯器”って呼ばれてたんで」
黒崎が吹き出す。
「そんなもん着せられたら、敵より先に熱中症で倒れるな」
「ま、アンタの設計にしてはかなりマシじゃない? 女子が着てもシルエット綺麗だし」
美維のひと言に、三河の顔がぱぁっと明るくなった。
「で、でしょう⁈ 機能美と造形美の融合っすよ!」
黒崎はヘッドセットを軽く上げる。
「はいはい。ファッションショーでもやってろ。ただ、この格好じゃ電車乗れねぇな。コート羽織ればギリいけるか」
その瞬間、佐伯の声が通信に割り込む。
『黒崎ちゃん、天狗の反応がさらに北へ移動中や。“何か”に追われとる…いや、呼び寄せられとるんか?』
黒崎の目が鋭くなる。
「了解。全員、準備しろ。行くぞ」
三河が慌ただしく端末を操作した。
「通信は衛星で四回線確保!」
真太郎は“鬼切”を鞘に収め、美維とめぐは呪符をストラップに装着する。
黒崎は金剛銃をホルスターに、そして“牙”を腰の鞘へ。
「黒崎さんは飛び道具が金剛銃しかないので、一応手裏剣持ってきました」
三河が袋を差し出すと、黒崎は苦笑いを浮かべた。
「お、気が利くな。ただオレ、手裏剣、苦手なんだよなぁ」
真太郎が柔らかく微笑む。
「黒崎さんにも苦手があるんですね」
「天才少年剣士。素手ならお前にゃ負けねぇよ」
黒崎の挑発に、めぐが小さく突っ込む。
「大人気ない…」
美維がふと空気の揺れを感じ取ったように、視線を北へ向けた。
「ハヤト、気をつけた方がいい。確かに北の方…妙な“気”が満ちてる。天狗だけじゃない。アタシのユタの血がざわついてる」
黒崎が眉を寄せる。
「お前の勘は大抵当たるからな…」
美維が静かに頷いた瞬間――
山の向こうで木々がざわりと震え、風が一帯を舐めるように走り抜けた。
“不穏なモノ”が、この地で――動き始めていた。




