第九話 覚悟
1
十月。
朝の冷気がまだ残る事務所に、トレーニングを終えた黒崎とめぐが入ってくる。
めぐはどこか誇らしげだ。
「おはようございます!」
一方、黒崎は疲れ気味。
「ざーす……」
佐伯は二人を見るなり苦笑する。
「おはようさん。黒崎ちゃん、元気ないな」
黒崎は肩を落とし、ぼやくようにため息をついた。
「連日のザコ対処で疲れが取れませんよ。もう年ですかねぇ」
そんな黒崎に対し、めぐは嬉しくて仕方がないという顔で身を乗り出す。
「今日はパイセンに四発、掠りました!」
黒崎は疲れた顔ながらも、どこか満更でもない様子。
「三発だな。一発は服の端を掠めただけだ。まぁ、腕が上がってきてるのは確かだがな」
佐伯が目を細める。
「やるやんか!ちょうどええ。二人とも本部行ってみんか?ここんとこ“妖”の出現も妙に多いし、修行しといで」
黒崎は思わず眉をひそめる。
「関東の事案はどうするんです?」
佐伯はあっさりした口調で言う。
「宇都宮支部に頑張ってもらう。あそこは出番が少ないからな」
黒崎は皮肉っぽく口元をほころばせる。
「確かにあいつら暇そうですもんね」
めぐが慌てて黒崎を肘で突っつく。
「パイセン、言い方!
―で、本部ってどこにあるんですか?」
その言葉に、佐伯と黒崎は思わず素で突っ込みを入れる。
「知らんかったんかい!」
「知らなかったのかよ!」
めぐはしゅんと肩をすくめ、目線を落とす。
「……誰も言ってくれなかったし……」
黒崎は天を仰ぐ。
「……Z世代だわ」
佐伯はため息をひとつつき、説明を続ける。
「和歌山や。高野山って聞いたことあるやろ?本部には訓練施設があるんや。美維ちゃん、真太郎ちゃん、鷹谷ちゃん、佳奈ちゃんにも声かけとる」
鷹谷の名前が出た瞬間、黒崎の顔にわずかに曇る。
「鷹谷か……」
めぐは「やば!」と心の中で叫び、黒崎を見る。
(気まずっ!)
佐伯は二人の空気を察しながらも、あえて口を挟まない優しい声音で言う。
「ま、鷹谷ちゃんも鷹谷ちゃんなりの信念があんのやろ。黒崎ちゃんは黒崎ちゃんの信念を貫きゃええ。
今、三河ちゃんが大阪支部におる。準備できたら新大阪に向かってや」
―――
―新大阪。
改札前で黒崎とめぐを三河が迎える。
「お疲れ様っす!さて、本部に向かいますか!」
めぐがハキハキと言う。
「お疲れ様です!本部まで私が運転します!」
黒崎が眠そうな顔をして言う。
「そうしてくれ」
三河は不貞腐れる。
「ぶー」
2
―高野山。
平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。
―Wikipedia―
麓に到着する三人。
観光を終えて降りてくる観光客が多い。
三河が言う。
「ここからは“裏ルート”で行きます。奥の院で、“あの方”がお待ちです」
裏ルートを上がり、三人がハイエースから降りる。
―高野山・金剛峯寺、奥の院。
三河が荷物を抱えながら言う。
「この先はとりあえずお二人で。僕は工房に用があるので。では後ほどっす」
黒崎とめぐ禁足地の手前までくると若い僧侶が一人立っていた。
「こちらです」
僧侶について奥に進む二人。
「どうぞ」
そう呟いて僧侶はその場を辞する。
静寂を裂くように、僧衣の裾がすっと石畳を滑る。
灯籠の淡い光に浮かび上がったのは――
佐伯室長と瓜二つの男。
めぐ、驚嘆。
「あ、あれ……し、室長⁈」
黒崎は深々と頭を下げながら、静かに答える。
「――弘法大師、空海様だ」
めぐはパニック。
「は⁈ え⁈ ちょ、待って!空海様って、生きてるんですか⁈」
僧衣の男――空海は、二人の前で足を止め、柔和な微笑みを浮かべた。
「よう来たな。苦労、かけた」
めぐの顔が真っ青になる。
「え、え、なんで佐伯室長が⁈
どうなってるんですか⁈」
空海は肩をすくめるように言う。
「佐伯はな、わいがこの奥の院から飛ばしとる“式”なんや。わいの本名は佐伯真魚。全国の支部に“佐伯”がおる」
めぐ、さらにパニック。
「いやいやいや! そんな大事なことぉ、初めから言ってくださいよおぉ!」
空海はとぼけながら言う。
「だって聞かれなかったしぃ」
めぐが戸惑いながらも突っ込む。
「空海様もZ世代ですか⁈」
黒崎は苦笑しながら言う。
「……まぁ、室長の性格的に言わねぇだろうな」
空海はくつくつと笑う。
「すまんすまん。せやけど佐伯の“中の人”は今、ここにおる。よう来てくれたな、黒崎ちゃん、めぐちゃん、今日はもう遅い。明日までには“奇異物係”のみんなも到着するやろ。今日は宿坊でゆっくり休みぃ」
―――
翌朝の高野山訓練施設。
黒崎、めぐ、美維、真太郎、鷹谷、佳奈が揃う。
黒崎と鷹谷は目も合わせない。
その前に空海が現れる。
空海がポツポツと話を始めた。
「揃ったようやな。
知っとるもんもおるかも知らんが、“空亡”はな、わいが唐から連れてきてしまったモンなんや。
最初、奴は子犬の姿をしとった。
修行中のわいに懐いてきてな、キャンキャン鳴くから『ナキ』と名付けた。わいがこの国へ帰ってくる時、奴はこっそり船に乗ってついてきたんや。
わいは帰ってきてから奴を連れて全国を廻った。
とある山村に着いた時、奴は正体を顕した。山村の住民全てを奴が“喰”った……そして消えた」
空海は空を睨む。
「それから方々で“妖”が暴れ始めた。
わいは坂上田村麻呂と共に“空亡”を彼方へ還そうとした。
奴が京の都に近づいて来た時、わいは全法力を使い奴を封じかけた。
その時、奴はあろうことか坂上田村麻呂の亡くなった娘へと変化したんや。
―――
空海が叫んだ。
『坂上殿、“鬼切”で奴を斬ってくだされ!』
坂上田村麻呂は吐き出すように言った。
『空海、すまぬ……自分の娘は斬れぬ……』
―――
“ナキ”は、けくけくとわいらを嘲笑しながら逃げた……。
以来千年以上、奴はこの国の闇へと潜んどる。
わいはこの命が尽きようとした時、唐から持ち帰った“術”を使い、高野山に結界を張り、それ以来、わいはここで生き続けとる。
……“ナキ”が今だに『居る』のはわいの責任や。わいには奴を闇に還す為の覚悟はできとる。
君らが奴を“現世と彼方の狭間”に押し込めてくれれば、わいが必ず、奴を向こうに連れていく……。
昔、わいが奴に接触した時、あいつの“心”が見えた。
空亡の目的は、この世とあの世の狭間を壊す事や。
ヤツは人間の『空虚』から生まれ、貪欲に自分の在り方を探しとる」
六人を見る空海。
「君らにはここ訓練してもらいたい。
符使いは美維ちゃんから教わりぃ。
黒崎ちゃんと鷹谷ちゃん、真太郎ちゃんは──」
―その時。
闇の奥から、すっと人影が現れる。
僧坊の空気がわずかに震えた。
歩いてきたのは服部拝蔵だった。
「──オイラがやりましょう」
黒崎が思わず声を上げる。
「じ、爺さん!なんでここに!」
めぐが驚く。
「師匠!」
拝蔵は淡々と、しかしどこか懐かしむように答える。
「オイラも昔、ここで働いていたんだ。三十八年前までな。……おまえらに技を教えられる人間は、オイラ以外にいないだろ」
3
高野山訓練所内――静寂が張りつめる弓道場。
外の風音すら遠のき、“気”だけが澄んだ水のように満ちている。
そんな空気の中で、美維はめぐと佳奈に“符”の基本を教えていた。
美維はめぐの立ち姿をじっと見つめ、言葉を選ぶように口を開く。
「めぐちゃんは符を使う時、最初から“気”と“指示”を全部乗っけてるんだよね」
「はい」
「まず最初に“気”を符に乗せて……」
美維が符をそっと持つと、
空気がわずかに震え、符の表面に淡い光がともる。
その光は、ゆっくりと水面のように揺らぎながら浮き上がった。
めぐと佳奈は思わず息を飲む。
「ここで“指示”を載せる。――封」
短い一言とともに光が凝縮し、
符が“意志”を持ったように前方へ走る。
光の尾が弓道場の空気を裂き、的に突き刺さった。
「こんな感じ。やってみて」
二人は緊張した面持ちで符を構える。
佳奈は無駄のない動きで気を符に通し、すぐに光らせて見せた。
しかし、めぐの符は沈黙したまま。
「上手くいきません……。美維さん、コツってあるんですか?」
「そうだね……気合いと根性かな?」
めぐは目を細めた。
「室長と同じこと言ってる……」
「それ以外に説明のしようがないんだよなぁ。気って、形のないもんだから」
美維は優しく笑うが、その奥に“実戦経験者”としての厳しさがのぞく。
めぐは深く息を吸い、もう一度符を取る。
今度は動作がゆっくりになり、集中が深く沈んでいく。
手のひらから、わずかに温度の変化が生まれる。
符の紙が空気を吸うようにふわりと震えた。
「……封」
ぼんやりとだが、光が灯る。
符が前へ飛ぶが、的の手前で力尽きて落下した。
美維が本当に驚いたように目を丸くする。
「できるじゃん! あとは繰り返し練習ね!あと、防御も教えるね!」
めぐの頬がぱっと明るくなる。
「はい!」
その声に応えるように、
弓道場の静かな空気が、少しだけやわらいだ。
4
訓練所の武道場で、拝蔵は黒崎、鷹谷、真太郎の前に立つ。
畳の上を渡る気が、三人の緊張を浮かび上がらせる。
低い声が武道場に響く。
「オイラから教えられるのは大したもんじゃない。けどな――
おまえらは“力”を装備に頼りすぎている」
「例えば真太郎。おまえ、刀がなくてもバケモン斬れるんだぜ」
真太郎の目が丸くなる。「え?」
「今まで散々斬ってきたろ? “鬼切”はただの道具だ。
斬るのは刃じゃねぇ、おまえの“心”と“意思”だ。割り箸でも、人差し指でも一緒だ」
真太郎に、緊張が走る。
拝蔵の視線が次に黒崎と鷹谷へ移る。
「それから――ハヤト、鷹谷」
二人の背筋がわずかに伸びる。
「おまえらの中には“酒呑之牙”より、はるかに深い力が眠ってる。
紫の手袋が“力の形”を教えてくれてるだけで、本当の核はおまえら自身だ」
拝蔵が静かに握り拳をつくる。
「今回は、それを“引きずり出す”ために来た。
“闇”と渡り合うには、道具や技の前に――自分の底を知れ。
底を知らなきゃ、深みに呑まれるだけだからな」
黒崎も鷹谷も、思わず息を呑んだ。
―長い“修行”が始まった。
5
訓練最終日の夜、宿坊の近く。
めぐはそっと、疲れ果てベンチに座り込む鷹谷の隣のベンチに腰を下ろした。
「鷹谷さん、お疲れさまです」
鷹谷は横目でめぐを見る。
「めぐぴー。どうしたんです?」
めぐは指を組み、少しためらってから言った。
「……ちょっと話したいことがありまして」
鷹谷は察する。
「ハヤト君の事ですね」
めぐはポツリと話始める。
「はい。……慶蔵さんのこと、ご存じですか?」
「ハヤト君と兄弟同然に育ったらしいですね。あの後聞きました」
めぐは小さくうなずく。
「はい。私……出来れば、慶蔵さんを取り戻したいんです」
鷹谷は言葉を探しながら、視線を落とした。
「鷹谷さんにも、大事な方がいらっしゃいますよね。
その方が“空亡”に操られたとしたら……鷹谷さんは、撃てるんですか?」
鷹谷は答えられない。
「……」
めぐは立ち上がり、頭を下げる。
「伝えたかったのは、それだけです。失礼しました」
めぐが去ろうとしたその背に、鷹谷が小さく呟いた。
「……ミーも、あれから考えてはいたんです。どうすればいいのか……。次に奴が現れた時に、判断します」
めぐは振り返り、ぱあっと表情を明るくする。
「ありがとうございます!」
めぐが走り去るのを見届けたあと、少し離れた木陰で、佳奈がじっと二人を睨んでいた。
6
黒崎が禁足地を前に、一服だけ許されたタバコに火をつける。
紫煙がゆらりと揺れたそのとき——
背後から、静かな草履の音が近づいた。
空海がふわりと影を落とす。
「黒崎ちゃん。渡したいもんがあるんや」
黒崎は吸い込んだ煙を咽せながら吐き出し、慌ててタバコの火を消して振り返る。
「御大師様、なんでしょう」
空海は袖の内から、小さな桐箱を取り出した。
手のひらほどの箱なのに、空気がそこで一段重くなる。
「金剛弾や。……もしかしたら最後の一つになるかもしれん。
いつも以上に、丁寧に丁寧に……仕上げた」
黒崎のまつ毛がわずかに震えた。
箱から滲む“圧”を感じている。
「そんな大事な物、オレでいいんですか?」
空海は微笑む。
「君やからこそや。黒崎ちゃんは——金剛弾に“魂”を重ねられる稀有な存在なんや。鷹谷ちゃんには……まあ、荷が重いわな」
遠くで鷹谷が、誰にともなくクシャミをした。
空海は黒崎の肩にそっと手を置く。
「頼まれてくれるか?」
「……はい、もちろんです。
オレも覚悟を決めたところです。——有り難く、拝借致します」
黒崎の掌に桐箱が渡される。
重さはない。
だが、“重み”はあった。
7
翌朝。全国の奇異物係から一斉にけたたましく通信が鳴り響く。
『“闇返し”した霧が千葉方面に向かっています!』
各地で警戒音が重なり、モニターの地図に黒い雲が渦を巻いていく。
千葉にいる宇都宮班からさらに追報。
『霧が“八幡の藪知らず”に集まってきています。観測続行!』
その名が出た瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
空海が、誰にも向けずぽつりと呟く。
「とうとう始まるんか…。皆、準備してや。目的地は、『八幡の藪知らず』や。(まさか、あそこを選ぶとはな…)」
その言葉が号令の合図となった。
「了解です!」
六人が、ほぼ同時に声を揃える。
ただし佳奈だけは静かに、ただうなずくだけ。
準備の音だけが室内に響く。
銃器の装填、符の確認、スーツの固定、深呼吸。
そこにいる“奇異物係”の胸の奥で静かに鳴り始める鼓動が、戦いの始まりを告げていた。
——“禁足地”が動き出す。
——六人の討伐隊が、その門を叩く時が来た。
それぞれが車に乗り込んだ。
8
六人が去った後の奥の院。
拝蔵が静かに歩き始める。
後ろから空海が声を掛けた。
「拝蔵先生。……あんた、わいが止めても行くんやろ?」
拝蔵は静かに目を伏せ、何も言わない。
空海は小さく息を吐き、懐から古びた独鈷杵を取り出す。
「……餞別や。これ、持っていき」
拝蔵が驚く。
「こ、これは……」
空海はいつになく真剣な顔で言う。
「若いもんには荷が重い。先生、あんた、行く覚悟、もう決めてるんやろ」
拝蔵はゆっくりと独鈷杵を両手で受け取る。
「御大師様、命には“賭け時”というものがございます。若いあいつらには未来があります。慶蔵を取り戻すのは……オイラの役目です」
「……これ以上は何も言わん。
今まで、よう働いてくれたな」
「三十八年前、御大師様にいただいたこの命、決して、……無駄には捨てません。
……では」
静かに深く一礼し、拝蔵は踵を返す。
その足取りには一片の迷いもなく、夜の回廊を、影のように音もなく歩み去っていった。




