第5話
「六畳一間じゃ……身が持たねぇ……」
キュン死寸前の朝を乗り越えた俺は、息抜きも兼ねて奈良公園への外出を提案した。
「アルシア、ちょっと外出ようか。奈良を案内するよ」
「うん。緑が見たいな」
というわけで、俺たちは奈良公園へとやってきた。
***
木漏れ日が差す参道。 鹿たちが自由に歩き、観光客がのんびりと散策している――はずだった。
「……あれ、なんか……異様にでかくない?」
道の向こうから、ゆっくりと歩いてくる圧倒的風格の鹿。 他の鹿とは明らかに違う気配。 周囲の鹿たちも、ピシッと道を空けるように避けていく。
「……まさか、アイツが……」
『うむ。あれが“鹿王”だ。奈良の鹿たちのボスだな。』
ヒヒイロカネ、マジで言ってる?
そんな俺の心配をよそに、アルシアが一歩前に出て、買ってきたばかりの鹿せんべいを差し出した。
「はい、どうぞ」
鹿王は静かに近づき、――もしゃっ、と丁寧に一枚を食べた後、前足を開いて深々とお辞儀。 周囲の観光客がどよめいた。
「おいおい、完璧な礼儀作法じゃねーか……」
さらに、他の鹿たちがぞろぞろとアルシアの周囲に集まり出す。
「わぁ、みんな可愛い」
まさかの鹿たちに大人気モード発動。 少女時代の聖フランチェスカか、童話の森の精かよ! 俺がぽかんと眺めていた、その時だった。 鹿王が、こちらに視線を向ける。――鋭い眼光。
「あ……え? 俺、なんもしてな――ぐあああああっ!!?」
次の瞬間、俺は鹿王に踏まれて地面に沈んだ。 ――そう、何の前触れもなく、ただ“王の儀式”として。
「総一郎!?」
『……理不尽な因果律に巻き込まれるのが、おぬしの宿命だな。』
おかしい。なんで俺だけ……っ!
***
そんなドラマ(物理)を乗り越えて、俺たちは公園近くのスーパーで買い物を済ませ、アパートに戻った。
「楽しかったね、今日はありがとう」
「……俺は、肋骨が痛い」
「あの子も悪気はないと思うの。きっと仲良くなれるんじゃないかな?」
ポジティブすぎるわ、姫。 それでも、アルシアの笑顔を見てたら、まあ――いいか。
***
買い物から帰ってきた俺たちは、ささやかな夕食を囲んでいた。
「今日のメニューは……白飯と、もやしの卵炒めと、切ったかまぼこと、インスタント味噌汁です」
アルシアは小さな声で「いただきます」と手を合わせると、箸を持った。
「……美味しいわ。温かくて、優しい味がする」
「う、嬉しい……!」
「この“味噌”って……不思議な香りね」
「それ、数百年の歴史があるからな。なめちゃいけないぞ」
「そうなの? 総一郎の料理、国宝かも……」
正直、貧乏飯と呼ばれてもおかしくないラインナップなのに、アルシアは一口ごとに目を輝かせてる。
「私、こういうご飯、初めてなの。こんなに心が満たされる食事ってあるのね……」
もうやだこの子、どれだけ癒し属性詰め込んでんだよ…… 危うく飯を噴き出すとこだった。
***
夕食を終えたあと、テーブルを片付けていたときだった。 脳内に、いつものあの声が響いた。
『……ふぅ、わし、ちょっと休むわ。』
「えっ? ヒヒイロカネ先生?」
『おぬし、どれだけわしに負担かけたかわかっておるか? 時間操作、空間干渉、因果曲げ……そりゃもう、ヘトヘトじゃわい。』
「いやいやいや! お前、ずっと元気だっただろ!?」
『もう限界。しばらく寝る。起きるまで二人で仲良くやっておれ。いいな?』
「え……」
二人でって聞いて、アルシアが赤面して、そっと顔を伏せた。 俺はその場で完全に硬直した。 何この、唐突すぎる“青春イベント発生宣言”。
『あとひとつ。アルシアには押し入れの奥に寝室作っといたからな。異空間式で快適にしてある。 防犯も完璧。彼女の許可なしでは侵入不可能よ。おぬしは……まあ、いつもの布団でな。』
「……っ」
涙ぐんだ。マジで。 いやもう、何このヒエラルキー。
『……ではしばしの夢の中へ。おぬしたちの青春に、幸あらんことを。ヒヒイロカネ、ログアウト――』
どこかで、パソコンの電源が落ちる音がした気がした。
「ちょっ、待っ――」
声はフェードアウトした。 部屋が静まり返る。
***
「……そろそろ風呂、入るか」
「あ……ごめんなさい。入ってみたいけど、どう使ったらいいか分からなくて……」
アルシアが申し訳なさそうに言う。
「おっけ、任せろ!」
そう言って、俺はトイレの前に正座して、既に風呂場にいるアルシアに、浴室の構造と入り方について真剣にレクチャーを始めた。 レバーの使い方、温度調節、洗い場と湯船のマナー。 文明の利器を全力で解説。
「なるほど……お風呂って、入る前に身体を洗うのね。すごく整った作法だわ」
素直に頷く姫。 さすが文化吸収率S級。
「あとこれ“シャンプー”ね」
「……ヤギの乳かしら?」
「違う! 違うぞ!」
ドアの向こうで聞こえてきた湯音と、ふぅ……と満ち足りた吐息。
「総一郎、このお湯、まるで魔法みたい……全身が溶けてしまいそう。それに、こんなにたくさん綺麗な水を使ってもいいなんて……楽園ね、ここは」
……ちょっと泣きそうになった。
***
風呂上がり。 浴衣風のパジャマに着替えたアルシアが、ふわりとリビングに現れる。 頬がほのかに火照ってて、髪先から水滴がぽたぽた。 冷蔵庫から瓶の牛乳を取り出し、俺は一本手に取る。
「風呂上がりってのはな、こうやって――」
腰に手を当て、ぐいっ。ごくごく、ごくっ。ぷはぁっ!
「こうやって飲むんだ。これが俺の世界、日本の伝統だ!」
「なるほど……わかったわ!」
アルシアが瓶を持つ瞬間、ふっと目が合った。 ほんの一瞬、微笑んだ気がして――俺は、それだけで撃ち抜かれた。 同じように腰に手を当てて瓶を構える。 ごくっ、ごくっ、ぷはっ。
「んっ……美味しいっ!」
もう尊さが天井突き抜けた。 この国に生まれて良かったと思った。
***
歯磨きタイム。 並んで鏡を見ながら、しゃこしゃこと音を立てる。
「じゃあ、私はもう寝るわね」
「うん。おやすみ、アルシア。」
「おやすみなさい、総一郎。」
彼女が入っていったのは――押し入れの奥に作られた、異次元の寝室。 ちょっとだけ、開いたドアの隙間から覗いてみた。
「……ここ、私の住んでた王宮と、そっくり……」
そこは――まるで楼蘭の王宮の一室。 柔らかな光。 織物の絨毯。 水と香草の香りが漂う空間。 広々とした寝台には天蓋がかかり、風がさらりと通り抜ける。
「…………」
何も言えずドアを閉め、俺は自室の布団に沈んだ。 備え付けの中古クーラーは効かない。 暑い。 うるさい。 さっき飲んだ牛乳が腹の中でダンスしてる。
「これが……現実か……」
俺の夜は、いろんな意味で熱かった。
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