第3話
俺はふと、ぽつりと呟いた。
「……楼蘭の街も、見てみたいなぁ」
すると、アルシアが柔らかく微笑みながら、そっと言った。
「よかったら……私を街に連れ出してくれませんか?」
その笑顔に、心がふわりと浮かぶ。
「いいのか? 案内を頼めるかな?」
「もちろんです」
二人で、そっと王宮を抜け出した。 まるで、ローマの休日だな。違う時代、違う世界で、二人きり。 アルシアに導かれ、王宮の隠し通路を抜けて市街へ。 彼女は手早く平民の服に着替えていた。 羊毛で織られた遊牧民風の素朴な装い――それがまた、驚くほどよく似合う。 俺も、彼女から借りた上着を羽織った。
そこに広がっていたのは、二千年前の古代楼蘭王国――。 遊牧と農耕、そして交易で栄えた、砂漠の真ん中のオアシス都市国家だった。 豊かな水をたたえた川は、街の隅々にまで潤いを届けている。 インドから伝わった仏教が花開き、金色に輝く仏塔が街のあちこちにある。 市場には、遠く中国から運ばれた絹絹のきらめき、ペルシャの美しい絨毯の紋様、隊商のラクダたち、見たこともない果物が並ぶ、香辛料の匂い、遠くから聞こえる商人たちの掛け声――。
あらゆる感覚が、砂漠のオアシスを生き生きと描いていた。 正倉院に伝わる宝物たちも、この地から旅立ったのかもしれない。 アルシアは俺の手を取って、軽やかに、楽しそうに案内してくれた。 その笑い顔も、声も、仕草も――すべてが眩しく、世界で一番輝いて見えた。
***
しばらく歩いたあと、アルシアは愛馬を引き連れてきた。 二人で一頭に跨り、楼蘭の外へ。 目指すは、ロプノール湖――“さまよえる湖”として知られる場所だ。 現代ではとうに干上がってしまったこの湖も、この時代には満々と水を湛えていた。 岸辺には漁にいそしむ舟が浮かび、水鳥たちが優雅に空を舞っている。 俺たちは、そっと小舟を漕ぎ出した。 真っ青な空と、湖面に映る二人の影だけが、静かに世界を満たしていた。
「……もっと、聞かせてほしい。何もかも」
そう言った俺に、アルシアが口を開きかけた――その時だった。
『総一郎―――時間だ。』
ヒヒイロカネの声が、鋭く俺の意識に割り込んできた。 足元から光が滲む。 世界が再び俺を未来に引き戻そうとしている。
「え、嘘だろ……?」
「……もう、行くのね」
アルシアが、さっきまでとは違う顔をしていた。 どこか諦めたような、でも確かに悲しみを浮かべた表情だった。
「どうして……そんな顔をするんだ?」
俺の問いに、彼女はほんの少し間を置いて答えた。
「実は、もうすぐ……私は結婚するの」
「……!」
「相手は将軍。王に仕える貴族で、私よりずっと歳上。 この婚姻は“褒賞”なの。 ……私という褒美を与えるって意味よ。」
その声は、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
「だから……私は、きっともうすぐ、あなたの前から消える。 王女としての私の人生は、もう決まっているの。 自分の意志では、何も変えられないから……」
俺の胸が、締めつけられた。 でも、だからこそ――。
「なら、また来る。君に会いに、必ず戻る。何度でも……楼蘭へ!」
アルシアが、目を見開いた。
「……どうして、そんなことを?」
「君を救いたいんだ。 君が自分の人生を選べるようにしたい。 たぶん、何もできないかもしれない。 でも、それでも君を救いたいんだ。 」
次の瞬間、俺の身体は完全に光に包まれた。 彼女の言葉が、かすかに届いた気がした。
「……待ってるわ、総一郎。 貴方だけは――夢じゃないって、信じたいから。」
俺は光に包まれ、意識が遠のく中で―― 最後の力を振り絞り、叫んだ。
「アルシア! 俺と――手を繋げ!」
アルシアが驚いたように顔を上げた。
「君が言ってたよな? 見てみたいって。緑に囲まれた、平和な世界を――。 だったら、来いよ。今度は、俺の世界で話そう!」
その瞬間、アルシアの震える指先が、迷いながらも確かに俺の手を掴んだ。 その一瞬、世界が確かに、二人のために輝いた。
「……信じるわ、総一郎」
眩い閃光が爆ぜた。 空間が砕け、現実が揺れる。 光の奔流の中、俺の背後で、ヒヒイロカネの呆れ声が響いた。
『……ちょ、待て。 おぬし、ロマンチストにも程があるぞ……いや、嫌いじゃないが。 』
「ヒヒイロカネ! お前、まさか――」
『うむ。 召喚者の意思に反しない範囲での、若干の補助魔力操作。 まあ、あれだ。勢いってやつだな。』
「勢いってお前――!」
俺の言葉が終わるより早く、視界は完全に白に染まった。
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