第2話
翌朝――。 小鳥のさえずりと、近くを走る電車の音で目が覚めた。 昨夜の出来事は、ただの夢だと思った。 でも、あの“何か”は、しっかりと神棚にあった。 小さく、静かに、だが確かに存在している。 その瞬間、脳内に直接響くような声がした。
『――おぬし、欲がないな。』
「は?」
寝ぼけまなこで部屋を見渡す。 やっぱり誰もいない。けれど、声は確かに聞こえてくる。
『普通、人間はこう言うのだ。 金が欲しい、愛が欲しい、名声が欲しい、永遠の命が欲しい―― おぬしは、何も望まぬのか?』
「いや、まぁ……普通の人生が送れたらそれで……」
『それでは面白くない。何でも叶えてやるというのに。』
「……じゃあ、願っていいか? とびきりのやつだ。」
『ほう。言ってみよ。』
一呼吸おいて、口を開いた。
「楼蘭の美女に会いたい。」
一瞬、空気が静止する。
『……女が欲しいのか? ならば今の時代、美しさだけなら“楼蘭の美女”より上など何人もおるぞ。』
俺は、静かに言い直した。
「違うんだ。 俺は、楼蘭で彼女と話したいんだ。 会って、言葉を交わしたい。 その場所で、その時代で――ただ、彼女がどんなふうに生きていたのか、知りたいんだ。」
***
遥か昔、風と砂の支配するタクラマカン砂漠の東に、幻の王国――楼蘭は咲いていた。 歴史の教科書では、すでに滅びたとされる古代国家。 しかし、その実像はあまりに謎に包まれていた。 絹の道に咲いた、一瞬の奇跡。 東西をつなぐ交易の中継地として栄え、文明と芸術が花開いた国。 “楼蘭の美女”――。 十数年前、中国奥地の砂漠地帯、いわゆるシルクロードで発掘された、約二千年前のミイラ。 金髪碧眼の、信じられないほど整った顔立ち。 まるで眠っているような、柔らかな微笑みを浮かべていた。 あの放送を見た瞬間、俺の心は撃ち抜かれた。 歴史じゃない。研究対象でもない。 ただ、あの人に“会いたい”という、切実な想いだった。
『……なんと厄介な願いだ。』
ヒヒイロカネの声に、ほんのわずかな“苦笑”が混じった気がした。
『だが――面白い。わしに任せておけ。』
差し込む朝日が、神棚の七支刀ミニチュアを金色に輝かせていた。
***
目を開けた俺は、異国の光に包まれていた。 見上げれば青い空。 足元には白い石の敷かれた中庭――高い壁に囲まれた、静かな空間。 やわらかな風が吹き抜け、色鮮やかな花が揺れている。 まるで夢の中のような、王宮の庭園。
「――ちょっと、あなた。そこ、入っちゃダメよ」
振り返ると、大人びた少女が立っていた。 庭園の奥に差し込む淡い光の中、風に揺れる薄絹のヴェール。 陽光を思わせる小麦色の肌。 砂漠の色を映したような、淡い金の髪が肩に流れ、どこか悲しげな横顔。 その姿は、まるで風化した壁画から抜け出してきた女神のようだった。 俺は、思わず息を呑んだ。 瞳が合う。 それは夜明け前の湖を思わせる、深く澄んだ色だった。 彼女だ――楼蘭の美女。 あの写真の面影そのままに、生きて、俺の前にいる。
「……あなた、東の人ね? それとも夢の民かしら?」
「えっ、あっ、いや、その……」
完全にテンパる俺。何か、何か言え、俺!
「――飲み物がほしいの?」
彼女が小首をかしげたその瞬間。 俺の口が、またもや勝手に動いた。
「へい! 彼女! お茶しない?」
……言っちまったああああああああ!! 時が止まる。 彼女は一瞬驚いたように目を見開き―― 次の瞬間、ふっと笑った。
「ふふっ。面白い人。いいわ、来て」
柔らかな声に導かれるまま、俺は庭園を出て、彼女の後を追った。 気づけば俺の両手には、なぜかセブン〇レブンのアイスカフェオレが握られていた。 (ヒヒイロカネ先生、また勝手にやったな! グッジョブだが) これどうぞ、とカフェオレを差し出す俺。 彼女は不思議そうに受け取り、一口すすると――。
「――なにこれ……すごく、おいしい。冷たくて、やさしくて……こんな飲み物、この国にはないわ」
その顔は、本当に嬉しそうで、俺の心まで温かくなった。 俺の願いは、今ここに叶ったんだ。
「ありがとう。……こんなふうに話せるなんて、思ってもみなかった」
カフェオレのカップを両手で包み込みながら、彼女は微笑んだ。
「私はアルシア・ロウラン。この国――楼蘭の王女よ」
「……!」
やっぱり――そうだ。 写真で見たあの微笑みと、今、俺の目の前で笑う彼女が、完全に重なった。
「俺は、長屋総一郎。奈良から……いや、遥か未来から来た。 君に会いたくて、ここまで来たんだ。」
「……本当に?」
碧の瞳が、信じられないものを見るように揺れる。
「うん。本気で君に会いたかった。 そして……君の口から、楼蘭の話を聞きたい。」
「……ふふっ。変わってるのね、あなた」
そう言って、アルシアは隣に座り、花咲く中庭で語り始めた。 王族としての暮らし。 風が運んでくる東西の噂話。 幼い頃に見た、長い長いラクダの行列や、宮殿の天窓から覗く星空のこと――。 彼女の言葉一つひとつが、まるで古代の香りを纏っていた。 気づけば、夢中で聞いていた。 彼女の横顔、微笑み、しぐさ、すべてが心を震わせるのだった―― この時間が、永遠に続けばいいと、心から願いながら。
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