第14話
証拠不十分で釈放された俺は、県警の玄関前で深呼吸をひとつ。 ようやく自由の身だ。だが、心の平穏までは戻らなかった。 ——その理由は、すぐにやってきた。
「総一郎様っ!」
制服から私服へと着替えた明日香が、ほぼ駆け足でこちらに向かってくる。 涼しげなスカートにブラウス姿。 どこからどう見ても女子大生にしか見えないが、中身は剣道全国優勝の警察官である。
「お疲れさま、明日香ちゃん。 出動?」
俺が軽く声をかけると、彼女は誇らしげに胸を張った。
「はいっ! 実はわたくし、上から“特殊任務”を任命されまして!」
「へえ、大変だね。……もしかして、埴輪兵の追跡かい?」
「いえ、それが……」
明日香はなぜか頬を赤らめて、きゅっと拳を握った。
「総一郎様の“尾行&内偵”任務ですっ!」
「……は?」
頭が一瞬フリーズした。 まさかの監視対象、俺。
「公安も動いてるそうで! でも、わたくしが“専任”ということで……これから、どこへでも、ついていきます!」
何をどうしたらそうなるのか。いや、まずおかしいだろ。
「明日香ちゃん、あの……それ、自分で言っちゃっていいの? 尾行って、もっと隠密にやるものじゃ……」
「別命があるまでは、ずっと総一郎様の傍にいられます! しかも給料出るんですよ!? 毎日一緒で、お金まで貰えるなんて……夢のようです!」
ああ、うん。確かに、夢のよう……って違う!!
「それ、完全にデート感覚じゃないかっ!!」
笑顔でくるくる回る明日香に、俺は天を仰いだ。 ——どうする、俺。 公安まで巻き込まれてるって、これもう“日常”に戻れる気がしない。
***
「……で、どこへ向かってるんだ、明日香ちゃん」
俺は言われるがまま、駅のコインロッカー前に連行されていた。 明日香が鍵を差し込み、カチリと音を立てて扉を開ける。 次の瞬間—— 「うっわ、重っ……って、え?」 中から出てきたのは、巨大なスーツケース。 ゴロゴロ転がすと思いきや、明日香はそれを軽々と背負い始めた。 まるで羽毛でも詰まってるかのような軽やかさだが、いや、どう見てもサイズ感がおかしい。
「なあ、ちょっと待て。それ何? どこ行く気?」
「総一郎様のお部屋です♪」
明日香は満面の笑顔で言い放った。しかも、満面すぎて眩しい。
「今日から、わたくし“お邪魔”いたしますっ!」
「え? いやいやいや、尾行だろ!? “同居”って、もはやストーカーの終着点じゃねーか!」
「任務ですから♪」
ピシィッと敬礼を決める明日香。どこまで本気なんだこの子は。 ふと、俺はある疑念を抱いた。
「……あれ? 明日香ちゃん。お父さんから、俺の今の“状態”って聞いてないの?」
「え? 状態? 何か不都合でも?」
と、きょとんとした顔。
「おいおい……マジかよ……教授、何も言ってねぇのか……?」
俺は頭を抱えた。いろいろと、完全に話がすれ違っている気がする。 ……この同居(という名の尾行)、絶対に波乱の予感しかしない。
***
……修羅場。 圧倒的、修羅場である。 心なしか、あの天使ことアルシア様が、笑顔を保ちながらも目尻をピクピクさせておられる。 さっきまでの聖母スマイルはどこへやら、今にも光の剣を抜きそうな雰囲気だ。 一方の明日香は、そんなアルシアをようやく視界に捉えたようで、目をまんまるにして固まっている。
「えっ、あの、総一郎様……この方は……?」
「ご挨拶がまだでしたね。私はアルシア・ロウラン。総一郎の“フィアンセ”です」
バサァッと、風でも吹いたような圧が部屋に充満する。
「っ……フィ、フィアンセ……!?」
「はい。ですので、その大きな荷物、どうぞお持ち帰りくださいな」
完璧な笑顔で、容赦のない宣戦布告。 明日香の顔からみるみる血の気が引いていく。
「で、ですが! これは任務です! 上層部から正式に任命された“尾行”でして……! ですから、この部屋から離れるわけには……!」
うわ、任務を盾にするのやめろ! 悪い意味で職権濫用だ! 俺は完全に板挟み。二人の視線に炙られながら、ただただ胃がキリキリと悲鳴を上げていた。
そんな緊迫の瞬間——「ピンポーン♪」 ……ドアベルが鳴った。 救いの神か、さらなる絶望か—— 恐る恐る玄関を開けると、そこには困り顔の結月が立っていた。 泣きそうな笑みを浮かべながら、手をぎゅっと握りしめている。
「お願いです、先生……! あたしも、混ぜてください!」
「混ざるなッ!!!」
という俺の心の叫びも虚しく、結月の言葉に、アルシアと明日香が同時に振り向いた。 空気が一段と重くなる。 視線が鋭く交差する。 まるで空間が裂けそうだ。 俺は小声で呟いた。
「……なあ、ヒヒイロカネ先生。 お前、何か変な力働かせてないか?」
神棚から、どこか他人事のような声が返ってきた。
『それは濡れ衣だろ、総一郎』
いや、濡れ衣どころか、状況的に完全に黒だよな、お前。
***
狭い六畳一間のアパート、そのど真ん中にある小さな卓袱台—— 俺は今、そこに三人のヒロインと一緒に座っていた。 アルシア、明日香、結月。 そして、中央には温かいお茶と、熱すぎる女たちの気迫。 ……俺、メンタルが死にかけてます。 とりわけ異常だったのは、いつも聖女のように穏やかなアルシア。 普段は優雅に淹れてくれるはずのお茶を、なぜかちょっとだけ乱暴に配り始めた。 お茶を出された明日香と結月が、同時に姿勢を正す。 アルシアの“正妻のオーラ”が、部屋に満ち満ちている。
「ふふ……総一郎が朝起きて、最初に見るのはいつも私なんです」
「でも先生の昔からの素敵さは一番知ってるのはわたしかと」
「総一郎のお弁当、私が作ってるんです」
「私もお弁当、毎日作ってます。渡せてませんけど!」
「わたし総一郎様のためにボーナス全部貯金しました!」
「私は先生とならどんな貧乏でも大丈夫です」
……口々に、自分がどれだけ“俺”に惚れているかを主張し始める三人。 そのたびに俺のHPがガリガリ削れていく。 胃が……胃が死ぬ。
***
「……埒があきませんね」
アルシアがすっと立ち上がり、冷静な口調で言った。
「総一郎。この際だから、お二人にはこちらサイドに来てもらいますか」
「は? 全部話すってことか?」
俺は目を見開いた。 アルシアは静かに、だけど確固たる決意で頷く。
「え、でもそれって……未来の話も、“大ハーン”も、“傾城三姫”も……」
「ええ。すべて、です。未来を平安に保つには、お二人の心の安定も必要かと」
——戦略的共有、ってやつか。 俺たちは押し入れの奥、“楼蘭の部屋”にふたりを連れていき、そこで洗いざらい白状した。 ヒヒイロカネから聞いた未来、俺の予知夢から分かってることなど。
「……わ、わたしが先生の……愛姫……?」
結月がほっぺを押さえてうっとりしている。
「戦姫って、なんかこう……名前が勇ましすぎて……あの、恋姫とかじゃ……だめですか?」
明日香はもじもじしながら提案してきた。 俺は柱に頭をぶつけたくなる衝動をどうにか堪えながら、叫ぶ。
「駄目だ! 姫になっちゃ駄目なんだよ! 未来が崩壊するっつってんの! 話、ちゃんと聞いてぇぇえ!!」
……血の涙が出るかと思った。
「大丈夫です! 先生が闇落ちする未来なんて、私には想像できませんもん!」
「総一郎様は私が守りますから! 悪い輩は一刀両断です! 明日、実家から真剣持ってきます!」
いやだめだって。銃刀法違反になるから! 楽天的な二人にめまいがする俺だった。
***
「——二人とも、覚悟は決まりましたか?」
静かで、しかし威圧感をまとったアルシアの声が、楼蘭の部屋に響いた。 結月と明日香は、一瞬だけ視線を交わし、やがて同時に頷く。
「……はいっ」
「もちろんです……総一郎様のためならば」
アルシアはふぅと小さく息を吐き、微笑みながら続けた。
「それなら、私からひとつ——いえ、ギリギリまで譲歩した提案があります」
総一郎である俺は、すでに不安でいっぱいだった。 “提案”という単語が、ここまで冷や汗を誘うとは思わなかった。
「これより、結月さんと明日香さん。それぞれの自室とこのアパート——総一郎さんの生活空間を次元的に接続します」
「は?」
「接続、ですか?」と明日香。
「つまり!」とアルシアは手を振るように説明を続けた。
「お二人は、自分の部屋からこのアパートに、そしてこのアパートから自分の部屋に——好きな時に、自由に行き来できるようになります」
「なにその便利システム!?」
「えっ、まさかのハイテク空間リンク!?」
結月が目を輝かせた。 だが、アルシアはぴしゃりと冷水をかけるように続ける。
「ただし——総一郎さんは、このアパートから外へは一切アクセス不可です」
「なっ……!」
「つまりどういうこと?」と明日香が固まる。
「アタックは禁止、ということです」
「この空間に来るのは皆さんの自由ですけど、総一郎さんがこちらから“動く”ことは一切できません。……あくまで、“守られる”立場です」
「そ、そんなぁ……」
「不公平すぎませんかっ!?」
結月と明日香が抗議の声を上げたが、アルシアは一切表情を崩さなかった。まさに、外交戦の女王である。
「そしてもう一つ。この六畳一間では、イチャつきは禁止です」
「イチャ……つき……?」
「スキンシップも、恋人らしい行動も、すべて**“中立空間では禁止”**とさせていただきます。これは総一郎さんのメンタル保護のためでもあります。……ご理解いただけますね?」
結月と明日香は、それぞれ小さく唇を噛みながらも、しぶしぶ頷いた。 ——そして、俺は悟った。 俺とアルシアの平穏な生活は、もう戻ってこないのだと。 その日、ヒヒイロカネがぽつりと呟いた。
『……ようやく戦線が整ったのう。さあ、総一郎……ここからが地獄ぞ』
***
次元工事が完了した。 結月と明日香は、それぞれの自室へと一度帰っていった。 結月は風呂のドアから、明日香はトイレのドアから。 見た目は普通の生活空間の扉なのに、内側には彼女たちの“拠点”が繋がっているという異常事態だ。 ※ただし、ヒヒイロカネに「帰宅申告」をしない限り、ドアは通常のまま。 つまり——「常時、存在の気配は不定」
という、俺にとってこの上なく恐ろしいシステムが完成してしまった。 俺は畳の上で体育座りしながら、未来を思って静かに嘆く。
「もう、俺の生活は……終わった……」
そんな俺の耳元に、そっと温かい吐息が触れた。
「総一郎」
ふいにアルシアが近づき、耳打ちしてくる。
「実はね、私の部屋には——総一郎は来られるようにしてあるの」
「……マジで?」
顔を上げると、アルシアはにこりと笑っていた。 可憐なその笑顔の奥に、どこか妖しくも魅惑的な光が宿っている。
「でも……私が“来てほしい”ときだけ、ですけどね」
柔らかくも、絶対に逆らえない支配力を感じさせる口調で言う。 その一方で、彼女の瞳がふと、真剣な色を帯びた。
「それに……結月さんと明日香さんは、今や私たちの“保護下”にあります。あの二人も覚醒させたら世界が崩れる気がするので」
淡々と、だがどこか確信的に語るアルシアに、俺はただ黙って頷くしかなかった。 ——そう、このアパートはもはや異世界のハブであり、俺はその中心に据えられた、“世界の安寧”を担うただの一般人(予定)なのである。
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