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<9・少年。>

 研究室。そう言うから、もっと無機質な部屋を想像していたのだ。

 ところがエミルの目の前に広がったのは、あまりにも予想だにしていなかった光景である。

 壁も天上も真っ白な広い部屋。室内は中央で二つに区切られているようだった。真ん中の敷居を作るのは分厚い硝子の壁だ(少々砂ぼこりで汚れていなければ、そこに硝子があることに気付かなかったかもしれない)。

 硝子で仕切られた手前のエリアは、白い床も壁もボコボコに穴があいてしまっている。爪痕のようなものもあれば、巨大な足跡のようなものもある。そして、天井の一部が崩落しているとなれば――さっきの怪獣のようなモンスターが実体化して暴れた影響なのは明らかだろう。


――これは……。


 壊れた白い床には、よく見るとうっすら青い線のようなものが引かれているのがわかる。これは、魔法陣だろうか。そして魔法陣の真ん中には、焼け焦げて枠しか残っていない絵画のようなものが残されている。魔法に詳しくないエミルの眼にも、それが“何らかの媒介であったのでは”と想像するには十分な位置取りだ。

 そして。

 硝子の向こう、こちらに人が来たことにも気づかない様子で――こちらに背を向け、一心不乱に絵を描き続ける黒髪の少年。エミルはゆっくりと近づいていき、そして気づくのだった。

 硝子の向こうの部屋には、何枚も何枚も油絵が飾られている。もしやあれら全てが、この少年の作品ということなのだろうか。


「こらこら、オスカー!花嫁が来たというのに、振り向きもしないとはどういうことか?ここを開けなさい」

「!」


 バイロンがとんとん、と硝子の壁を叩く。よく見ると、壁の一部には四角い切れ込みがあった。そこがドアということなのだろう。

 ノックを受け、さすがにこちらに気付いたらしい少年が振り返る。そこで、初めてエミルは彼の顔を見ることになったのだが。


――う、うわあ……!


 バイロンも美しい顔をしていたが、絵を描いていた少年も目が覚めるほどの美貌の持ち主だった。艶やかな黒髪に抜けるように白い肌、まるで宝石をはめ込んだような群青の瞳。睫毛は驚くほど長く、唇は薔薇の花が咲いたように淡い色に染まっている。

 大きな眼をさらにこぼれんばかりに見開く少年は、まだ十歳程度の年の頃にしか見えなかった。首も肩もほっそりしていて非常に華奢で、中世的な顔立ちもあいまって少年というより少女のようである。問題は。


――い、今、オスカーって言ったような!?


 オスカー。それは、自分がこれから結婚する相手の名前、であるはずである。

 そして彼はこの家の長男。年は二十二歳と言っていなかった、だろうか。どう見ても、目の前の少年は十歳前後にしか見えないのだが。




『正確には取らないわけではないのだ。我らの性質でな。外見年齢が、竜の力が強く目覚めた時点でほぼ固定されてしまうのよ。予は二十六歳で覚醒したゆえ、この見た目のままほぼ変わらないで年を取ることになってしまった。そして、竜の一族は背が低く、人間としては華奢であることが多い。……先祖にメスしかいなかったせいだと言われてはいるが、理屈はわからん。妻よりも小さいのは少々残念なことであるがなあ』




 ついさっき、バイロンが言っていた言葉が蘇る。

 もしや彼は――あの見た目であるのは、つまり。


「驚かれたであろう?」


 バイロンはエミルを振り返り、苦笑したのだった。


「我が息子オスカーは、十歳で竜の血に目覚めた。その結果、見た目がほぼ十歳で固定されてしまったのだ。……政略結婚であるのは重々承知している。それでもそなたを、オスカーの妻として迎えたいと思った理由はそこにもあるのだ。いくら実年齢は二十二歳でも、見た目が十歳の夫を迎えたいと思う妻はそうそうおるまい。だが、そなたならば……鬼の血を引くそなたならば、そのような差別や偏見なく、オスカーの家族になってくれると思ったのだ」

「そういうこと、だったのですか……」


 確かに、これは結婚相手を見つけるのも至難の業だろう。黒髪の少年――実際の年齢的には青年だが――オスカーは、転びそうになりながらもテトテトとこちらに駆け寄ってくる。そして、透明な硝子の戸を開くと、鈴が鳴るような高い声で告げたのだった。


「大変申し訳ありません、お父様、エミル様!……その、先ほどの怪物はどうなりましたか?さきほどから音が何も聞こえないのです」


 彼は不安げに、それでもしっかりした声で告げた。


「とにかく対抗できるモンスターを早急に作り出さねばと、次の絵を描いていたのですが……もしや、どなたかが対応してくださったのでしょうか」

「その通りだ、オスカーよ。感謝するがよい、そなたの花嫁となる女性が助けてくれた。彼女、エミル・オーガストが召喚獣を倒してくれたぞ」

「ええ!?あ、貴女様が!?」


 オスカーは驚いて、それから見上げるほど大きなエミルの姿を見つめたのだった。視線の高さが段違いである。彼に真正面に立たれると、エミルは首が痛くなるほど視線を下げなければいけなかった。


「初めまして、オスカー様。私が、今宵馳せ参じたエミル・オーガストでございます」


 エミルはスカートの裾を掴んでうやうやしく礼をした。確か、ドラゴニスト王国ではこれが女性貴族の一般的な挨拶の仕方、だったはずだ。いかんせんオーガスト聖国とは様々な意味で文化が違う。多少は事前に勉強してきたつもりだが、それでも抜けがないとは言い難い。間違っていなければいいのだが。


「鬼の一族ゆえ……少々普通の女性より体が大きいのです。これからもまだ身長が伸びてしまうかもしれません。なるべくオスカー様にご配慮させていただきたく存じますが、もし不手際がありましたら……」

「なんて格好良いのでしょう!」

「え」


 オスカー少年は、エミルの足先から頭までを見上げて、眼をキラキラと輝かせたのだった。


「し、失礼!わたくし、このような見目ですので身長が伸びなくて……背が高い方にとても憧れていたのです。しかも貴女様は、わたくしが生み出してしまった召喚獣を倒されたと……。鬼の一族はとてもお強いと聞いてはおりましたが、噂通りであったのですね。なんて素晴らしい!このような素敵な方がわたくしの花嫁様になってくださるなんて、オスカーは心から感激しております!」

「そ、そんな……」


 ここまで真正面から人に褒められ、好意を向けられたことがあっただろうか。いや、家族から褒められたことならいくらでもあったが、目の前にいるのは出会ったばかりの赤の他人である。

 そう、ドラゴニスト家の家族や使用人たちはみんなそうなのだ。大柄すぎるエミルに驚くこともせず、圧倒的な怪力を示しても怯えることなく、むしろ素晴らしいと受け入れてくれる。

 確かに、自分の強さは、戦いにおいては必要なのかもしれない。防衛力と国との結束を高めるために求められるものであるのかもしれないが――それでも多くの人間は、理解ができない力を恐れ、差別するものだ。自分が持っていないものを持つ人間に対して、人がする反応は嫉妬か攻撃の二択しかないはず。今まで生きて来た人生で、エミルはそのように学んできたというのに。


「……私を、受け入れてくださるのですか?オスカー様は」

「勿論です!ただ……」


 オスカーは恥ずかしそうに俯いた。


「むしろ、わたくしの方がエミル様に嫌われてしまうのではないかと不安で仕方ありません。見ての通り、わたくしはこのように幼い見目です。ドラゴニスト家の宿命とはいえ……多くの者が成人してから目覚めるはずのドラゴンの力に、わたくしだけが早々に目覚めてしまったせいで。とても、わたくしのことを男として見ることなどできないことでしょう。それどころか、二十二歳という年齢にも拘らずひ弱で、声も高くて……とても気持ち悪いと、そう思われるのではないかと」

「そ、そのようなことはありません!」


 思わず声を荒げてしまっていた。それは、エミルの心からの本音だ。


「私は……長らく鬼の力と見た目のせいで、差別と偏見に晒されてきました。そんな私に対して優しく接してくれるのは家族だけ。そして両親は、私にとても大切なことを教えて、育ててくれたのです。それは、人の本当の価値とは、心に宿るものなのだと。見た目などより、何より、人を思い遣り愛に溢れた者の心にこそ真の価値は宿るのだと。愛して欲しいならまず愛しなさい、憎まれたくないのなら人を憎まないようにしなさいと。自分がされて嬉しかったことは人にしなさい、されて嫌なことはしてはいけないと」


 見た目も、体の大きさも、力も、エミルが望んで得たものではなかった。それなのに、それを理由に攻撃され、差別され、どうすればいいのかいつもわからなかった。苦しかった。悲しかった。だって、どれほど責められたところで、それを自分の意思で変える方法などどこにもないのだから。

 だからこそ。

 同じような理由で、誰かを差別し、攻撃する人間になりたくないとずっと思っていたのだ。今、ようやくわかった。自分が政略結婚という形とはいえこの家に来たのはすべて――この人を愛し、愛されるためであったのだと。

 いわれなき差別に苦しんだことがある自分だからこそ、この人の苦しみがわかるはずだと。神がそう考えて与えてくれた天命であるに違いないと。


「……私はまだ、人に恋をする気持ちがわかりません。今まで私に優しく接してくださった男性は、父と弟だけでしたから。だから、オスカー様に限らず、恋愛するというのがまだよくわかっていないのですけれど……」


 政略結婚なのはわかっている。

 それでも夫婦になるのならば、きちんと恋をしたい。愛を知ってみたい。それはきっと、目の前のオスカーも同じだろう。


「私に、愛を教えていただけますか、オスカー様」

「勿論です!」


 オスカーは小さな手でエミルの手を握ると、花が咲くように微笑んだのだった。


「これからどうぞよろしくお願いいたします、エミル様!」

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