<5・義父。>
曲がりくねった山道をひたすら進み、進み、進み。
てっきりそううちドラゴニスト王国の首都にでも出るのだろうと思っていたら、そうではなかった。御料車は、山の中で停まってしまったからである。
そう、銀色の壁に、蒼い屋根の屋敷の前で。
「え、え?」
「さあ、こちらでございます。どうぞ」
「は、はあ……」
貴族や王族が住んでいると言われても納得できるほどの洋館。しかし、どっからどう見ても町から離れている。右を見ても左を見ても森しかなく、家の前から続くのは辛うじて車が通ることができる道路が一本あるのみ。
戸惑いながら執事と一緒に車を降りると、彼は「驚かれたでしょう」と笑った。
「ドラゴニスト家も、昔は王都に住んでいたのですよ。王様でしたからね、王都にいなければ不便なことが多くて。しかし、引退する折にこちらにあった別邸に本拠地を移して……以来ご家族の多くはこちらにお住まいなのです」
「多く、ということは」
「外に働きに出ていらっしゃる方は別でございますね。なお、ご子息の皆さまは幼いころから家庭教師をつけておいでですので、学校には行きません。いろいろと事情があるのです。なんとなく貴女にはお察しいただけるかと思いますが」
「……?」
どういうことなのやら。執事に連れられて門の前に立つエミル。黒々とそびえたつ門扉を見ていて気付いた。
竜だ。
長い体をくねらせ、互いの尾を絡ませた五匹の竜が刻まれている。それぞれの竜の眼のあたりには青い宝石がはめ込まれているので、なんだか眼があってしまったようでドキドキしてしまった。これは、先祖の姿をモデルにしているのだろうか。
「ご当主様、花嫁様をお連れいたしました」
『――わかった、少々待つが良い』
執事がインターフォンを鳴らし、答える。あれ?とエミルは首を傾げた。
自分が執事から聞いた話が正しいのならば、現在ドラゴニスト家には十人の家族がいるはずだった。
家族構成は祖父、祖母、父、母。父と母の下に六人兄弟。父親には二人の兄がいたものの、現在は独立して町で会社を経営しているとかなんとか。そして、子供達のうち次男と長女はそれぞれ働きに出ていていないことが多い、と。
長女と次男が仕事に行き、独立しているくらいなのである。当然当主、つまりエミルの結婚相手である長男の父親は相応の年であるはずだ。
ところが、インターフォンに出た人物の声はかなり若い。まだ青年と呼んでも差し支えなさそうなほどに。
――お義父さまが出られた、というわけではないのかな?
暫くの後、一人のメイドらしき女性を連れて、屋敷から男性が出て来た。身長はエミルより頭一つ分小さいくらい、だろうか。グレーのスーツがよく似合う、整った顔立ちの若者だ。精々、二十代後半くらいに行くかどうかといったところ。ということは当主と呼ばれていたが、彼は自分の結婚相手の長男なのだろうか――。
「長旅ご苦労であった、エミル嬢」
門を開けると、彼は恭しく一礼し、エミルの手にキスを落とした。流れるような動作に思わずドキドキしてしまう。あまりにも慣れている。これがドラゴニスト家では作法だと聞いていても、やっぱり頬が熱くなってしまうというものだ。なんといっても、相手がイケメンとあっては。
「あ、ありがとうございます、ミスター。え、エミル・オーガストでございます。こ、こ、このたびはご縁を戴き、誠にありがとうございます……」
なんだか、挨拶がものすごく間違っている気がする。というか、政略結婚というものが未だどういうものかわかっていないので、婚約が決まっている以上どのように挨拶すれば良いのかもわからないのだ。
緊張のあまり裏返った声を出せば、青年ははっはっは、と軽やかに笑った。
「気にせずとも良い。そうそう、こちらも名乗らねば失礼であったな。予が、ドラゴニスト王国専属の顧問魔術師の家系、ドラゴニスト家の現当主……バイロン・ドラゴニストである。このたびは我が愚息のため、はるばるお越しいただき誠に感謝しよう。これからは予を、気兼ねなく父と呼ぶがよいぞ」
「……ハイ?」
現当主。
我が愚息。
父。
三つのキーワードが頭をめぐり、ぐるぐる回ってすっとんでいく。単語を考え、彼の年若い顔を見、さらにもう一度単語を考える。
おかしい、自分が結婚する長男は、確か既に二十二歳なのではなかったか。しかし、目の前の男が父親。どう年を見積もっても二十九歳が精々のこの男が、その長男の父親?
年齢が合わない。致命的なほど合わない。これは一体、どういう。
「ど、どういうことでしょう?だって、え?と、年……え?」
口をぽっかーんと開けて固まるエミルに、バイロンは眉をひそめた。そして、執事の方を見て文句を言う。
「こら、ドリトン。貴様、よもや花嫁に何も説明しておらんのか。明らかに予の顔を見て驚いておるではないか。何を考えているか想像つくというものだぞ」
ここで、車で自分を迎えにきてくれた老執事の男性の名前が“ドリトン”らしいと知る。エミルが困惑したように彼を見ると、執事は口髭を震わせてぷくくくく、と笑ってみせたのだった。
「あはははっ、いやいやいや、失敬失敬、ご当主様。黙っていた方が面白いことになるかと思いまして。どうやら、思っていた以上にオーガストの政府から何も聞いていらっしゃらないようですから。ええ、知らないで見た方が、きっと面白いと思っていただけそうだと。ちょっとしたサプライズですとも」
「そういうサプライズなんぞ、相手は求めていないと思うんだがな、まったくお前は。給料減らすぞ?」
「ああ恐ろしい!それだけはご容赦くださいませ、ご当主様!私はまだまだ買いたい本がたくさんあるのです。あと部屋に最新式の家電をですね!」
「まったく反省してないなコイツ」
笑い上戸になっている執事と、それに渋面をつくって突っ込む現当主。そのやり取りだけで、彼等の普段の関係性がわかるというものだ。つまり、身分や主従の垣根を越えて親しい間柄、ということだろう。
メイドや執事たちを無下に扱わない。使用人とも友のように接することができる。それが現当主というのは、なかなか印象が良いことではある。相変わらず、どんなに見てもバイロンの顔は二十代の青年にしか見えないので、だいぶ脳がバグってきてはいるが。
「……客間に案内しながら説明しよう、こちらへ」
「は、はい……」
まだ笑いが止まらない様子のドリトンの背中をバシーン!と一発ぶっ叩くと、当主バイロンはエミルを門の中へ招き入れた。
――す、すごい……。
黄色のタイルが、門から屋敷の玄関へまっすぐ伸びている。右手に見えるのは立派な噴水広場だった。真ん中から噴き出す水が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。安全な水であるからなのか、青い鳥が一羽、二羽、三羽と飛んできては喉を潤していた。
白い縁石の周辺には、深緑色のベンチが設置されている。この庭園で噴水を眺めながらお弁当でも食べたらさぞかし気分が良いことだろう。今日のように、空が抜けるように青い日なら尚更に。
左手には、バラ庭園らしきものもあった。薔薇のアーチがあり、奥には生垣らしきものが見えている。アーチを飾るのは白い薔薇だ。今にも零れ落ちてしまいそうなほど大輪が、新しくやってきた客を歓迎するかのごとく咲き誇っている。当主が薔薇好きなのだろうか。
「あの薔薇、眼を楽しませるだけではないのですよ」
背中をさすりながらドリトンが告げた。
「実は食用で、食べることもできるのです」
「え、食べちゃうんですか!?」
「はい。フワロッテローズと言いまして……昔から貴族の高級菓子とされてきたんですよ。紅茶に入れてもおいしいですし、そのまま砂糖漬けにして食べても風味豊かで美味しいのです。まあ、あれだけ大きなフワロッテローズに加えて、生垣で迷路まで作られているのは完全にご当主様の趣味なんですけども。ああ、あの迷路挑戦してみるといいですよ。シンプルに見えて結構難しいです。手入れしようと入って迷子になった使用人が何人いたことやら」
「そ、そんなに広いんですか……」
そもそも、周辺が森ということもあってどこまでドラゴニスト家の敷地かわからない。辺鄙な場所に立っている屋敷ではあるが、相当なお金持ちであるのは間違いないようだった。
エミルの家も、あの小さな町にあってはそれなりに大きな屋敷であったつもりである。が、二階建てだったのでもう少し平らだったし、屋敷の敷地としてもそこまで広くはない(四人家族だったので、あまりにも屋敷が広いと手入れが大変だったというのもある。使用人も一人しかいなかったし)。何より、こんな立派な庭はなかった。せいぜい、芝生に小さなブランコを併設させていたくらいである。
明らかに、規模が違う。そしてそれは恐らく、国の“ドラゴンの一族”への扱いが、鬼の一族とは雲泥の差であることからもきているのだろう。
「立派な屋敷であろう?」
玄関までたどり着いたところで、当主が振り返った。
「魔術の研究と、その成果で我々は国に奉仕する。顧問魔術師とはそういうものなのだ。それゆえ、研究費用という名目で研究施設に使える広い土地と、莫大な資金を頂戴している。ゆえに、我々は少々街から離れてはいるもののの、この土地で日々豪奢な暮らしをすることができるのだ。その気になれば、魔術による裏ルートですぐ町に行くこともできるのでな」
「それは凄いですけど、なんだか、その」
「隔離されているみたい、であろう?事実、その通りよ」
彼は銀色の髪を掻き上げて、青い瞳を細めて笑ったのだった。まるで自嘲するかのように。
「我々は王家には敬われておる。だが、民の中には我々を恐れ、気味悪がる者も少なくない。……我らのように、異様に年を取るのが遅いとあっては尚更に。これでも予は、今年で五十八歳であるのだ」