<4・銀河。>
元々、この世界にドラゴンはいなかった。彼等は惑星の外、はるかなる宇宙からやってきてこの惑星に降り立ったという。
「う、宇宙なんて……」
エミルはさすがにぽかん、とするしかない。
「さ、酸素も何もないんですよ?そんな空間に、生き物が存在するなんてとてもとても……!まだ、一部の国がようやくロケットを飛ばして、月に行けるようになっただけという状況ですのに!」
「そうですね。あくまで伝説です。現在のドラゴニスト家の皆さまも、そんな伝説をまるっと信じてらっしゃるわけではないでしょう。ただ……この世界にドラゴンが降り立つことがなければ、人類はここまで発展することはなかったと、少なくともこの国ではそういうことになっているのです」
「人類の発展に、関わりが?」
「はい」
執事は語る。
人類の起源が猿であることは明白だった。彼等は他の生き物より賢く、他の生き物より器用であったがために人類として進化を遂げ、やがて惑星の支配者になることができたという。詳細は省くが、彼等が火を使えるようになったこと、道具を使えるようになったことが大きな分かれ目だったというのは教科書でも習う話だ。
だが。
「人類の祖先に手を加えたのが、そもそも宇宙からやって来たドラゴンの種族だったと。そういうことになっております」
既に、御料車は国境を越えている。ドラゴニスト王国とオーガスト聖国の国境には深い森があり、その森の中に検問所があるのだ。検問所を超えても暫くは森と川ばかりが見える光景が続く。地理で学んだので、エミルもそれくらいのことは知っている。
「そのドラゴンたちは、かつて広大な宇宙さえ支配した、偉大な一族でした。凄まじい魔力を持ち、古今東西あらゆる魔法の知識を持っていた彼等。その不老長寿ともされる頑丈な体もあいまって、かつては誰も逆らうことができない……いわゆる銀河の覇者であったというのです」
「銀河の、覇者……」
「しかし、彼等には大きな弱点がありました。大昔のドラゴンたちには、メスしかいなかったのです。オスと交配して増えるのではなく、定期的にメスたちが誰の力も借りずに一人で子供を産むことで子孫を増やしていました。つまり、単性生殖……細胞分裂に近いようなものだったのです。とすると、何が起きるのか……エミル様はお分かりでしょうか」
なんだろう、急に理系の話になってきているような。エミルは少しだけ考えて、ひょっとして、と口を開く。
「……それ以上の進化が、望めなくなる?」
「その通り」
執事は頷いた。
「現在多くの生き物が、他者と交配して、優秀な遺伝子を取り込むことで子孫を残していきます。それは、産まれる子供が自分のコピーではなくなることを意味する。より優秀なオスとメスがかけあわされ続けることによって、さらに優秀な子供が生まれ、その遺伝子が次世代へと残り進化していく。……まあ、人類の場合はその限りではありませんがね。一般的な動物や鳥は、あらかたそのようなものと思って頂ければよろしいかと。……優秀な遺伝子のみが残り、劣る遺伝子や能力は淘汰されていく。それにより生き物は強く、たくましく進化を遂げていくのです」
なるほど、とエミルも理解する。つまりドラゴンたちは、己の力を驕りすぎていた、というわけだ。自分達は最強、既に進化する必要がない。ゆえに、他者と交配することもなく子供を増やし続けて、現在と同じ種を存続させていけばそれでいいと考えていたのだろう。少なくとも、そのように種そのものが進化し、固定されていうことなのだろう。
だが。生まれる子が親のコピーである以上、親より優秀な存在になることは難しい。
そのような生き物はいずれ淘汰されていくものだ――より強い支配種が現れることによって。
「長い長い年月をかけて、ドラゴンたちの種は緩やかに衰えていきました。彼等より強い力を持つ宇宙生物が現れるようになったからです。……ましてや、ドラゴンたちはその瞳も、鱗も、肉も、高級品として高く売れる。そのように価値を見出す者が現れた。……気づけばドラゴンたちはどんどん数を減らし、絶滅の危機に追い込まれるようになっていったのです」
「なんだか、地球の生き物たちの縮図を見ているかのようですね」
「まったくその通り。……ドラゴンたちはやがて、捕食者に見つからないように隠れて生きるようになりました。その方法が、資源豊かな惑星に降り立ち、別の生き物に成りすますということです。地球もまたその隠れ蓑として、ドラゴンたちに眼をつけられた土地であったのですよ」
話がやっと繋がってきた。人類の起源と、ドラゴンたちの物語。それがどのように結びついていくのかが。
「……なるほど、木を隠すなら森の中、というわけですか」
この惑星に存在した類人猿たち。ドラゴンたちは彼等に紛れて生きようとしたのだろう。そして、自分達の盾にするべく、彼等の進化を促したというわけだ。火の使い方を教えたり、あるいは魔法で遺伝子操作でもしたということなのかもしれない。
「類人猿たちを、人類に進化させ……その人類に紛れてドラゴンたちが生きるようになった、と」
「その通り。ドラゴンたちには擬態能力がありましたから、それも可能だったのでしょう。ただし、姿だけ人類の始祖に変身しても、それで能力が変わるわけではありません。彼等の頭脳は人類より遥かに優れ、力も強く、魔法も化学にも秀でているわけです。彼等が古代人類のリーダーとなり、文明を築く王となるのは必然的であったでしょう。そうして始まったのが、この地球で最も最初にできた王国……古代ドラゴニスト王国だった、というわけです。ドラゴンたちは人間と混じりながら人々をより優秀な種として進化させ、それにより宇宙からの捕食者から身を守り、この惑星に隠れ住み続けた、と。……まあ残念ながら、長い年月をかけるにつれドラゴンたちも一枚岩ではなくなりましたし……多くの国の人々がその存在を忘れてしまうようになったわけですが」
執事はにやり、と笑ってエミルの肩を叩いた。
「実は、オーガスト王国の鬼の一族も。元はドラゴンの一族が突然変異したものと言われているのです」
「え!?」
「鬼の一族は見た目も能力もドラゴンの一族とはあまりにも異なる。特に進化の過程で、鬼の一族は強靭な身体能力を得る代わりに魔力を失いました。今では、貴女がたの中に、魔法を使える者は残っていないはずです」
「た、確かにそうですが……」
鬼と竜。
響きも想像上の見た目もあまりにも異なるのに、まさか大昔は同じものであったとは。思わずエミルは、自分の手をまじまじと見つめてしまう。
同時に、もう一つ納得したことがあった。ドラゴンの一族は大昔に人間に擬態して、そのままこの惑星で暮らしているという。と、いうことは。
「……つまりドラゴンの一族……ドラゴニスト家の皆さまは、みんな人間と同じ姿をしている、と?」
「その通り」
ぱちぱちぱち、と執事は手を叩いてみせた。
「そもそも、ドラゴニスト家の皆さまは人間として生きることに慣れてしまっておりますからね。一部の先祖返りの方以外は、もうドラゴンの姿に戻ることさえできないのです。ゆえに、エミル様の夫となられる方も、見た目は普通の人間です。少々特殊なところはございますが……まあそれはおいおい、見ていただければわかるでしょう」
特殊?とエミルは首を傾げる。しかし、彼はそれ以上説明するつもりはないようで、さっきとはうってかわって沈黙してしまったのだった。
髪の色や目の色が違う、ということなのだろうか。あるいは、鬼の一族と違ってものすごく小柄だとか、そういうこともあったりするのか。
『この婚姻で、二つの目的を果たそうとしているらしい。かつてこの国を支配した強い鬼……その鬼の力と持つお前と、竜の一族の息子。両者を結婚させ、両国の結束を高めたいということがひとつ。もう一つは……鬼であるお前に、竜の一族の息子の魔術を補佐する役目をして欲しいというのがあるという』
『どうやら、竜の一族の魔術は複雑なものらしく、補佐をしてくれる者が優秀であればあるほど力を発揮できるらしい。そんために、優秀な補佐官が必要だというのだ。お前に妻であると同時に、仕事の上でのパートナーも任せたいとのこと。残念ながら、それ以上のことは教えて貰えなかった。というか多分、町長もこれ以上詳しいことは知らんのだろうな。竜の一族の魔術に関しては極秘中の極秘であろうから』
父の言葉が蘇る。自分は妻になるのと同時に、国と国の絆を深める架け橋とならねばならない。そして、竜の一族が扱う魔術の補佐をしなければならない、と。
無論、エミルとしても自分にできることは精一杯やりたいとは思っている。魔法なんて使える気もしないし、体が大きくて力が強いだけで器用でもなんでもない自分にどれほど仕事ができるかはわからないが。
ただ。
妻である以上、当然世継ぎも期待されているとみてほぼ間違いあるまい。自分が嫁ぐ相手が、ドラゴニスト家の長男だというから尚更に。問題は。
――……この政略結婚が通ってしまったということは……恐らくお父様は、肝心なことを国に告げてはいない。あるいは、言う余地もなかった、ということなのか。
ぎゅっと、膝の上で手を握りしめるエミル。自分には、ある大きな秘密がある。夫となるであろうその人物に、どのタイミングでその秘密を打ち明けるべきか。あるいは、ずっと黙っていた方が安全が買えるのかもしれないが――。
――すぐに怒り出すような人だったら、まともに話が通じないような人だったら、どうしよう。
がたん、と少しばかり大きく車が揺れた。大きな石でも踏んだのかもしれない。
エミルの心おまた、言葉に尽くせぬ感情で揺れている。人の姿をしている、というのは安心要素であるはずだが、それでもまだ油断はできないのだ。
なんせ自分に、退路はない。これからどうあっても、ドラゴニスト王国の、偉大なるドラゴンに一族の嫁として――生きていく他、術はないのだから。