<22・運命。>
オスカーの言葉の意味を理解するまで、しばしエミルは時間を要した。
そして数秒かけて飲みこむと同時に――今まで母や執事頭のドリトン、バイロン、そしてオスカー本人から聞いた言葉を思い出していたのだ。
『隣の国は、そのポジションが竜なんですって。ただ、竜の一族は鬼と違って衰退していない。人間と血を混ぜつつも進化を続け、代々国の中枢を担っていると聞くわ。なんでも、王国専属も魔術師の家系として、今でも重宝されているのだと。鬼の先祖返りである貴方のように大きな体格や強い力があるわけではないけれど、人間が使えない不思議な魔術の力を使えるのだそうよ」
『ドラゴンたちは人間と混じりながら人々をより優秀な種として進化させ、それにより宇宙からの捕食者から身を守り、この惑星に隠れ住み続けた、と。……まあ残念ながら、長い年月をかけるにつれドラゴンたちも一枚岩ではなくなりましたし……多くの国の人々がその存在を忘れてしまうようになったわけですが』
『そもそも、ドラゴニスト家の皆さまは人間として生きることに慣れてしまっておりますからね。一部の先祖返りの方以外は、もうドラゴンの姿に戻ることさえできないのです。ゆえに、エミル様の夫となられる方も、見た目は普通の人間です。少々特殊なところはございますが……まあそれはおいおい、見ていただければわかるでしょう』
『無論。そもそも、先祖にそのような欲があったのであれば、人間の王を立てて隠居するようなことなどしなかったろうに。……そして、我々竜の一族は、血に目覚めれば魔法などの特殊な力が使えるようにもなるが……今では、ドラゴンの姿に戻ることができるような者など極めて稀。人間の血が濃くなりすぎたのでな。むしろこの我らの身でドラゴンの力を解放などしたら、体が負担に耐え切れずに死に至るやもしれぬ』
『死にかけました。ドラゴンの姿を保つのは、それだけで心身の負担が大きいのです。ましてや、わたくしはまだ幼かったものですから。……しかし、傍にいたマラウンド・ウータンの群れを一掃するには十分だったのですけどね。召喚魔法に加え、竜としての剛力と魔法。それらが合わされば、ランクAごときのモンスターではまったく相手にならないのです』
かつて、銀河を統べたという覇者のドラゴン。しかしドラゴンたちはその希少性から捕食者に追われ、生き残った僅かな者達は地球に隠れ潜むことで難を逃れた。それがオスカーたちドラゴニスト家の先祖である、という話は聞いている。
彼等が生き残るための隠れ蓑として類人猿を進化させ、そこに紛れて生活するようになったと。より長く隠蔽するために、進化した人類たちと交配し、人間の姿に化けることを選んだのだと。
それゆえに、彼等は高い魔力と魔法を維持しつつも、ドラゴンの姿に戻ることが困難となった。人間の血が濃くなった体では、ドラゴンの姿やそのままの能力は負担が大きすぎる。実際、血に目覚めた時に一瞬ドラゴンになっただけで、オスカーは死にかけた。そうだ、本人がそう言っていたではないか。
ということは、つまり。
「ひょっとして、ドラゴンを本格的に召喚するには……貴方もドラゴンの姿に戻らないといけないと、そういうことなのですか?」
「はい」
エミルの言葉に、オスカーは頷いた。
「ガワだけの召喚ならば、人の姿のままでもいけるでしょう。しかし、本格的に敵を攻撃し、脅威となるだけの本物のドラゴンを召喚しようとしたならば……わたくしはすべての力を解放し、ドラゴンの姿に戻らなければいけません。そしてそれは、一瞬戻るだけでも足りません。……間違いなくこの身は耐えられないことでしょう。ドラゴンを召喚し、敵を制圧したところで……わたくしの命も燃え尽きます。ほぼ確実に、です」
なぜ、とエミルは言葉を失う。
なぜ、彼はそのような話を、笑顔で語ることができるのだろう、と。
もうじき、北の大国がこちらに攻め入ってくる。ドラゴニスト王国とオーガスト聖国は結託して立ち向かわなければいけない、それもわかりきっている。そのリミットが、恐らく半年ももたずに訪れるだろうということも。それから、その北の大国に対抗するためには、ドラゴンを呼ぶ究極召喚の力が必要だということも聞いている。でも。
「なん、で」
ようやく、震える唇で紡ぎだせたのはその言葉のみだった。
「なんで、教えてくださらなかったのですか?そんな、大切な、こと……!」
「貴女が心優しい女性だとすぐに分かったからです」
オスカーは静かな声で告げた。
「わたくしを殺す魔法だと知っていれば、貴女様はきっと、究極召喚を作るための研究に協力してくださらなかったでしょう?」
「あ、当たり前です!だって私は……!」
「そのお気持ちは大変嬉しい。ですがエミル、よく考えてください。究極召喚が完成しようとしなかろうと、わたくしの死は変わらないのです。もしこの召喚魔法を完成させることができなかったならば、その時は……この国は、オーガスト聖国ともども、北の大国に焼き払われます。そしてすべてが失われるのです。そうなればわたくしも確実に殺されるでしょう。というか、王家に使える魔術師一族の存在は有名ですから、どう転がっても真っ先に抹殺対象になるのは免れられません。貴女と貴女の一族さえどうなるかわからない」
それは、その通りかもしれない。北の大国がどれほど残酷な国家なのか、それはニュースで嫌というほど見て来たことだ。
連中は今まさに、悪魔の所業とも言うべきやり方でフェアリスト共和国を支配しようとしている。
道で倒れている、飢えと病で苦しむ人々を平気で蹴り飛ばすかの国の兵士の姿を見た。
怪我人たちを一生懸命治療しようと頑張っている病院に空爆し、廊下に血まみれの医師や看護師が倒れている写真も新聞に載った。
国境を越えて活動する国際医師団の者達さえ連中は攻撃する。フェアリスト共和国の兵士や民間人の手当をしていた看護師と医師たちが折檻され、ボロボロの姿でトラックに乗せられていく姿をカメラが収めていた。彼等にとっては、敵国の人間を手当したというだけで悪なのだ。連れ去られた者達がどうなったのかはわかったものではない。だが、拷問されるか、あるいは男女問わず強姦されたあげく縊り殺されているというのが有力説だった。どちらにせよ、善意や正義感のある者達から次々と殺されていっているのは間違いない。
彼等は自分達の考えこそ正しいと信じ、フェアリスト共和国の者達が信じてきたもの全てを踏みにじり、奪い取り続けている。あれは侵略どころの話ではない、ただの虐殺で略奪だ。彼等が好きだった絵画も、小説も、神様の像も、言語も、流通するお金さえも。何もかも自分達の色に塗り替え、洗脳し、それを本気で救いと信じているのだ。
国際社会からの非難も相次いでいるが、大国の軍隊があまりにも恐ろしすぎること、大きな世界大戦になることを恐れて手だしできない国が多数を占めている。もはや、フェアリスト共和国が落ちるまでは秒読み段階に入っていると言っていいだろう。そして、その次は間違いなく、ドラゴニスト王国とオーガスト聖国の番なのだ。
あのような暴虐がこの国と故郷を襲うなどとなったら。エミルとて、想像するだけで恐ろしい。
ちょっとした盗賊団程度ならば一人で倒せるエミルであっても、相手が空からも海からも爆弾を投げつけてくる軍隊と国家ではどうしようもない。民間人と同じように、逃げまどうしかできないだろう。
「……他に」
絶対に、食い止めなければいけない。二つの国のためだけではなく、世界のためにも。それはわかっている――しかし。
「他に、方法は……ないのですか。別の兵器で応戦するとか、和平交渉を進めるとか、もっと他に方法が……!」
「わたくしは、これでもドラゴニスト家の長男ですから。外交に関する情報は、父を経由して一般人より多く入ってくるのです」
エミルは困ったように小首をかしげて言う。
「北の大国は、もうずっと昔から危険視されてきました。それこそ、わたくしが生まれる前からどうにか手を打たねばと、多くの国が奔走してきたのです。我が国とオーガスト聖国が手をくんで防衛力を強化し始めたのも、ここ数年のことではありません。ですが……その時点で、北の大国と他の国々とでは、軍事力に絶望的な差がありました。何故だかわかりますか?かの国は、本来民のインフラ整備のために費やすための税金のほとんどを、一部の貴族の町と軍事力のみに費やしてきたからです。あれほどまでに広大な土地と多くの町があるにも関わらず」
どうしようもない、と彼は首を横に振った。
「かの国の国内情勢は酷いものです。聖都以外のすべての町の民が飢えています。民から搾り取った金はみんな貴族と王族の御馳走と宝石、ミサイルに変わっている。そして、軍隊に入れば平民でも良い生活ができるために、次々と貧しく知識がない者達ほど軍隊に集う。人員には事欠かず、結果ますます軍事力は強化される。外の国の人々は、自分達と違って十歳になる前に国民の半分が死ぬのが当たり前だと思っています」
「む、無茶苦茶な……!」
「無茶苦茶でしょう?でも洗脳教育をされた者達にとっては、それ以外に情報がなく、それだけが真実となってしまう。独裁国家はそれが恐ろしい。でも本当に恐ろしいのは……その独裁国家の中枢にある者達が、恐らく本気でそれを正義だと信じているだろうことです。彼等は、自分達の大総統閣下が本当の神の化身であり、かの人を信じる人だけが救われると思っている。同時に、悪しき風習に染まった者達は死ぬことで浄化されると信じているので、殺すことにも罪悪感はない。彼等にとっては救済を行っているも同然だからです」
「そんな……」
「信じがたいですか?しかし事実なのです。そして、そういった人達にはまともな説得なんて通じません。数十年どころか百年近く、どれほど国際社会が訴えかけても無駄だったのです」
はあ、とため息まじりに、オスカーは話を締めくくった。
何十年も、対策を考えてきた。手を打ち尽くした。それなのにフェアリスト共和国への侵略を止められず、ドラゴニストとオーガストが攻められる瀬戸際に来ている――。そのように言われてしまっては、エミルも何も言えなくなってしまう。
他に手はないのか、なんて。既に、多くの者達が考え尽くしてことであるというのならば。
「……ドラゴンの姿に戻っても、生きながらえる可能性は、ないのですか」
ようやく絞り出せたのは、それだけ。
エミルの縋るような言葉に、オスカーは静かに首を横に振った。
「ほぼゼロです。実は大昔、別の国との戦争を終結させるため、先祖が三度ほどドラゴンの召喚に成功した記録があります。ですが、その者達は須らく命を落としました。……わたくしもそうなるでしょう。先祖たちよりもずっとひ弱で脆い体であれば尚更に」
ですから、と彼は続けた。
「エミル。どうか……どうかそれでも力を貸してください。わたくしはけして死にたいわけではありません。できることならば、貴女とともにもっと未来を……平和な世界を生きたい。でも、魔法を完成させることができなければ、そのような未来は万に一つも手に入らないのです」
「オスカー……」
「ドラゴンの究極魔法を使っても、生き残れる可能性は完全なゼロではない。戦争を防げず、自分の命どころか貴女の命も、尊厳も、家族も何もかも失う方がわたくしはよほど恐ろしい。どうか、お願いします……!」
ズルいのは、きっと本人もわかっていることだろう。そのような言い方をされてしまっては、エミルも“貴方が死ぬならもう手伝いません”なんて言えるはずがない。エミルだって、戦争がどれほど恐ろしいのか、連日のニュースで嫌というほど見てきているのだから。
ゆえに、言える言葉は一つだけなのだった。
「……じゃあ、約束してください。最後まで……生きることを、諦めないと。どうか……それだけはどうか、お願いします」
その日。
最後の食べたデザートの味はもう、わからなかった。けれどだからといってどうして、エミルにオスカーを責めることなどできただろうか。
一番辛いのは自分ではないとわかっているなら、尚更に。




