2.『これまで』と『これから』
「あー、はい。こういう状況になってるわけね」
アルマスは大きな溜め息を吐く。
「アルマス君、どうしましょう。彼女、もう一週間も部屋から出てこないの。大丈夫かしら、心配で心配で」
「お前、一体これまでどうしてたんだ。女の子一人連れてきたと思えば一向に家にも帰ってこないで。いくらなんでも説明が足りなすぎるぞ」
「わかった。わかったから、いったん落ち着いてよ」
アルマスは両手を前に出して、慌てふためくステーン家の住民を宥める。
アルマスが早朝に訪れたのはフルクート西部の住宅街にあるちっぽけな雑貨屋であり、アルマスの叔父であるトビアス・ステーン一家が住む小さな家だ。なにを隠そうつい先日まではアルマスが居候していた場所でもある。
精神的に不安定なリーリヤを適当に放置するわけにもいかず、人の良い叔父一家に面倒を見てもらうことにしたのだ。ここの住人ならばリーリヤをいたずらに刺激することはないとアルマスは信頼していたのもある。
しかし、住宅街にあるさして大きくもない家に何人もの居候を抱え込む余裕はない。リーリヤが安全に休める場所を確保する代償としてアルマスは居候先を変える必要に迫られたのだ。アルマスがステーン家から離れた理由は他にもあるのだが一番はやはりそれだろう。
「まず確認なんだけど。なに?彼女やっぱりまだ引き籠もってる?」
また二人にまくし立てられる前にアルマスは先んじてこの家の主である男性トビアス・ステーンに話を振る。
トビアスは咳払いをするとアルマスを正面から見据えて忽然とした態度をとった。
「ああ、そうだ。俺はまだ彼女の顔をまともに見てすらいない。そもそもだ、彼女はいったい何者なんだ。いくら若い女の子とはいえ身元が不確かな人間をこれ以上家に置いておくわけにはいかないぞ。きちんと説明してくれ、アルマス」
「それは最初に言ったでしょ」
トビアスは顎髭をさすりながら苦々しい顔をした。ちなみに貫禄のためといってうっすら生やしている髭は愛娘からもっぱら不評を受けていることを本人は知らない。
「あれか。遠い辺境のど田舎を治めるとある高貴なお家柄出身で、それなのに幼くして母を失って思い出も愛情も碌に与えられないまま、継母が出来てからはいびられる毎日でずっと屋敷の部屋に閉じ込められていたせいで友達どころか同じ年頃の知り合いもいない上に継母の怒りに触れて家を追い出されてしまった―――」
「世間知らずで可哀想なお嬢様、ね。覚えてるじゃん」
もちろんアルマスがトビアスに告げたものは作り話だ。それでもだいたいの要点は抑えてある。
いくらアルマスの血縁といえどもリーリヤの出自、とりわけ魔女として育てられ、既に破門された身であるとしても魔女としての力を持つ彼女の事情をおいそれと話すわけには行かない。トビアスは母方の血縁なのでそっちの話を深く知らないのだ。
ただ一時的にこの街に身を寄せているだけのアルマスとは違い、ステーン一家はこれからもこの街で生きていく。遙か昔からの魔女の役割なんて失われた現代においても、魔女が不吉の象徴だというのは変わらない。誰もが見たことはなくても御伽話や教会の説教で悪しき者の代表格として伝えられている。
魔女と関わりがあると教会から目を付けられても厄介だし、なにより周辺住民に広まるのは更にまずい。噂一つで態度ががらりと変わるのが人間社会だからだ。軋轢を防ぐためにも本当のことは言えない。
しかし、どこにでもいる普通の女の子―――リーリヤは確か十代後半なので間違いではないはず―――とするには少々無理がある。
森の奥深くで人との関わり合いをほとんどなく過ごしてきた彼女は、一般常識はおろか街の人とまともに会話が成立するのかもアルマスは自信がない。しかも故郷の森でのごたごたで彼女は精神的にもひどく落ち込んでいた。
そんな彼女の素性を偽るとすれば『やんごとない身分だけど屋敷から追い出された世間知らずの可哀想なお嬢様』という方が都合が良いのだ。
「うぅ。不憫な子ね。いいのよ、好きなだけ家に居てくれて。そんな事情なら例えアルマス君の頼みじゃなくてもどうにかしてあげたいと思うもの」
嘘塗れのリーリヤの身の上を信じ切って目に涙を溜める栗毛の女性はトビアスの妻であるイレネ・ステーンだ。リーリヤが不憫な状況にあること自体は間違っていないのだが、ここまですんなり受け入れてもらえるとアルマスの良心的にも疼くものがある。
「あなたもそう思うでしょう?困っている女の子がいるんだから助けてあげなくちゃ」
「う、うむ。確かに俺もそうだと思うが。それはそれとして、きちんとした事情をだな。家長たる者、気にしないわけにも、な?」
イレネの勢いに押されるトビアスはさっきまでの憮然とした姿勢はどこへやら既にたじたじだ。
「彼女の事情も大切かもしれないけど、まずはあの子の身体が心配。だって、もうずっとお部屋に籠もってるのよ。身体によくないわ。ね?」
「はい。俺もそうだと思います。はい」
トビアスはあっという間に丸め込まれると自身の意見を取り下げた。
アルマスの予想した通りの展開でもある。彼は必死に威厳を保とうとしているが、この一家の中では立場が一番低いのだ。無論一番はイレネで、次点は一人娘のヘレナだ。ヘレナは中等教育を受ける年齢なので既に外出している。先祖返りのしっとりした黒髪をした可愛らしい少女だ。
「そういうわけだ、アルマス。彼女はここ一週間まったく部屋から出てこない。さすがに気がかりだ」
トビアスは真面目な顔を取り繕っているが、目の前でイレネに言い負かされる情けない姿をさらしているのだ。威厳もなにもない。こういうところが嘗められる原因なのだとそろそろ気付くべきだとアルマスは思う。当然のごとくアルマスもこの中年をぞんざいに扱っているのは言うまでもない。
「オーケー、オーケー。どうにかするよ。任せといて」
「どうにかすると言ってもだな。部屋は内側から鍵がかかっているし、何より俺達が声をかけても返事すらしてくれないんだぞ」
「あなた。アルマス君に任せてみましょう?きっと彼になら心を開いてくれるに違いないわ」
「そう、だな。そもそもこいつが連れてきたんだしな。大丈夫、か?いや、不安だなぁ。なにせアルマスだからなぁ」
イレネに諭されたトビアスは自身に言い聞かせるように頷こうとして、途中で不安そうに首を捻った。
「失礼だよ、トビアス。俺が大抵のことは軽くこなすのを知ってるでしょ?」
「お前、実の叔父を呼び捨てにするなって。まぁ、お前は頭もいいし、顔もいいし、その上なんでも出来る奴なのは認めるがな。逆にそれがなぁ」
「うだうだ言ってないでとにかく見てなよ」
そう言ってアルマスは勝手知ったるステーン家の階段をあがり上の階に向かう。そこそこ長い間暮らしていた家だ。どこに何があるのかを今更迷うはずもなく、アルマスはリーリヤが住まう部屋に辿り着く。
トビアスとイレネは階段から顔を出して成り行きを見守っている。
「やぁ、久しぶり。アルマス・ポルクだよ。元気してる?ちょっと話をしたいんだけど中に入れてくれないかな」
アルマスは扉をノックしながら何の気負いもなくリーリヤに声をかけた。まるで友人を遊びに誘うような気軽さだ。
しかし、アルマスの軽快さとは反対にリーリヤからの返答は扉越しでもわかる重苦しい沈黙であった。
本当に誰かが住んでいるのかと疑うほどに物音も息づかいも聞こえてこない。ただ静寂だけが横たわっていた。
トビアスとイレネがはらはらした様子でアルマスのことを見てくる。そんなに心配せずとも大丈夫だとアルマスが手で伝えようとしたとき、聞き逃しかねないほどの小さな声がアルマスの耳に届いた。
「・・・・・・・・・嫌」
長い沈黙の果ての回答は拒絶だった。
「そっか。わかったよ」
アルマスは言い縋ることもなくそれだけ言うと扉から離れた。
「ごめん。ダメだった」
アルマスのあっけらかんとした報告にトビアスは脱力した。
「おま、やっぱダメじゃないか」
「しょうがないでしょ。彼女は家を追い出されたばかりなんだ。そう簡単には心の傷は癒えないってことだね」
「それはそうだが。というかあの話はやっぱり本当だったのか?」
未だにリーリヤの身の上話を疑って難しい顔をするトビアスは放っておいてアルマスはイレネに尋ねる。
「最低限の食事はとってるんだよね?」
「ええ。部屋の前に置いてるんだけど、一応食べてはくれてるみたい。でも、全部じゃなくて、どっちかというと生の野菜とか果物とか。あとは丸パンも。温かいスープとか調理したものは口に合わないのかしらね。そっちはまったく手をつけてもらえないの」
頬に手を当て困った顔をするイレネ。せっかく作った料理を残される不満なんかではなくて、純粋にリーリヤの健康状態を気にしているのだろう。彼女はそういう人柄なのだ。
「多分、食べ慣れた物を無意識に選んでいるだけだと思うよ」
「そんな・・・!あの子はまともに料理さえ作ってもらえない環境にいたの?その継母の人はなんで彼女にそんなことするのかしら。ひどいわ」
継母に虐められて質素な食事しか与えられなかった、という自身の妄想に憤っているイレネだがおそらく真実はそうではない。
あそこは『白霞の森』、特異な土地だ。通常では考えられない植生が形成されている。きっと食べていた物が特別だったのだ。調理も必要とせず、木の実一つ食べるだけで十分すぎるほどの栄養がまかなえる。そんな代物がごろごろあるはずだ。
知らず知らずのうちに錬金術の高級素材とかを無造作に食べていそうな気さえする。
しかし、そんなことを言うわけにもいかず、アルマスはイレネの気持ちに同意するにとどめた。
「大丈夫。時間が解決するって。それじゃ、今日の所は帰るよ。俺もちょっとやることあるしね」
不安げな顔をするステーン夫妻とは対照的にアルマスは楽観的だ。
「また明日お邪魔するよ」
ひらひらと手を振ってアルマスは実にあっけなくその日は帰った。
翌日からアルマスは毎日リーリヤの様子を見に行った。
時間はいつも同じ。朝日を浴びながら人々が精力的に働き始める頃を見計らってステーン家を訪れる。
その度にアルマスはリーリヤの部屋の扉を叩き、なんでもないかのように挨拶をする。そして、話がしたいから部屋に入れてくれと言うのだ。
次の日は初日とまったく同じ対応だった。葛藤を思わせる長い沈黙を経てから絞り出したかのような小さな声で訪問を拒否される。
しかし、それも2、3日すると変化が現れてきた。
だんだんアルマスの来訪に慣れてきたのか、返事までの時間が短くなり、言葉選びからも緊張がほぐれてきたのがわかった。
最近は「気分じゃない」「風邪ぎみな気がするからダメ」「眠いからやだ」、そんな我が儘を言う子どもみたいな言い訳ばかりだ。
だがそこまで。それ以上の成果はまったくなく、リーリヤと顔を合わすことすら出来ないままにあっという間に一週間が経った。
「なぁ、アルマス。今日もやはりいつもと同じだろうか。いや、わかっているんだ。これは繊細な問題だ。俺みたいな不器用なおっさんが口出しするもんじゃない。けどなぁ、イレネが気の毒で」
珍しく弱った顔のトビアスの視線の先にはキッチンでお茶の準備をしているイレネがいる。彼女はお湯を湧かしていたが、心ここにあらずといった雰囲気でどうにも危なっかしい。
彼女の入れ込みようはアルマス以上だ。ひょっとすると彼女としてもリーリヤの境遇に何か思うところがあるのかもしれない。
「私のことは別にいいの。それよりもリーリヤちゃんのことよ。なにか力になれるならなってあげたいの」
「そうは言ってもだな。俺としてはお前の方が心配だよ」
アルマスはそんなステーン夫妻の会話を横で聞いていた。
「そうだね。そろそろ真面目にやろうか。どのみち引き籠もりは今日までだ。そうそう。イレネさんは温かいミルク粥でも用意して待っててよ。たっぷりの蜂蜜とジャムを載せたやつね」
ここ数日とは様子が違うアルマスを見て、ステーン夫妻は顔を見合わせた。
「そういうわけでお邪魔するよ」
いつもどおり扉をノックしてから「帰って」の一言を貰う。ここまでは昨日までと同じだ。
しかし、今日はそれで終わらない。
アルマスが取った手段は単純だ。正面からの強行突破である。
そもそもリーリヤが使っているこの部屋は、もとはアルマスが使っていた部屋なのだ。実のところ中から鍵をかけられようとも開けられるように密かに細工を施してあった。つまりやろうと思えばアルマスはいつでも部屋に入ることができたのだ。
「・・・勝手に入ってこないで」
無遠慮にも部屋に侵入してきたアルマスを出迎えたのは毛布に身を包んだリーリヤだった。下着姿のまま寝台にだらしなく寝転がっていた。
扉が開いた瞬間にひどく驚き身体を縮こまらせた彼女だが、入ってきたのがアルマスだとわかると緊張を僅かに和らげて、代わりにきつい視線を送ってくる。
彼女はのそりと起き上がり、身体を隠すように毛布を巻き付けて座り込む。薄暗い室内ではわかりづらいが、その顔は羞恥に赤く染まっているように見えた。
「驚いた。いっぱしの淑女らしい感性が君にもあったんだね」
「馬鹿にしてるの?それともからかってるの?・・・いえ、やっぱり馬鹿にしているのね。そうね、私なんか当然よね」
一瞬、眦をつり上げたかと思ったら彼女はすぐに目線を下げる。ぼさぼさになったままの長い亜麻色の髪が寝台の上に無造作に広がっている。
「いやいや、まさか。ちょっとした冗談だよ。本気にしないでほしいな」
アルマスの軽口に言い返すリーリヤの顔色は存外悪くない。
暗い雰囲気を纏っていても話しかければ反応がある。ちょっと返答は卑屈過ぎる気もするがそこには目を瞑ろう。
彼女の運命を変えたあの日から半月以上が経った。この家での静かな暮らしが彼女に安寧と落ち着きをもたらしたのは確かだろう。だが、それが全てを忘れさせ、心の傷を癒やしてくれるわけではない。
アルマスは入り口付近にあった椅子を引き寄せて座るとリーリヤと向き合う。トビアスもイレネもリビングで待っているようにと言い含めたので、この部屋にはアルマスとリーリヤの二人きりだ。
「少し、話をしようか。『これまでの話』と、そして『これからの話』だ」
今のリーリヤならば冷静に会話ができる。そう思ってアルマスは切り出す。
リーリヤもアルマスの顔は見ないまでも拒否はしなかった。
「本題に入る前に少し雑談をしよう」
まずはどうでもいい話から。話していくうちに少しでも彼女の心がほぐれ、余裕が出来ればいい。
「そうだね、まずここがどこなのかから始めよう。君がいる場所、つまりこの家だね。ここはトビアス・ステーンという俺の叔父の家族が住む家だ。雑貨屋を生業にしていて、一階の一部がその店になってる。他の住人はトビアスの奥さんであるイレネさん、そして娘のヘレナちゃん。3人家族だね」
「家族、ね」
リーリヤが家族という単語に反応する。
しまった、とアルマスは思う。ただの世間話をするつもりが、これは彼女にとって触れがたい話題だった。
なにせ彼女には家族がいない。唯一関わりが深かった師にもつい先日に否定されたばかりだ。
それでもここは避けては通れない。彼女はしばらくこの家で過ごすことになる。今はまだ部屋から出ることすらしていないが、これからはそうも言っていられない。親しくするかはともかくとして、毎日顔を合わすことくらいはするだろう。
「イレネさんくらいわかるかな。君のために食事を用意してくれていた人だよ。君のことをとても心配してくれている。優しい人だ」
「・・・」
リーリヤは無言で首を横に振った。
「そうかぁ。まぁ、後で挨拶くらいしておこうか。続けよう。この家があるのが湖畔都市フルクート。だいたいマルヤフナ王国の西部地方にあたるね。君のいた森はここからずっーと北東にいったところ」
さすがに王国の名前くらいは認知しているらしい。
リーリヤはぼうっとしながらも小さく頷いた。
その後も簡単な地理や周辺都市について軽く触れた。近くの湖はクーケルゥと呼ばれていて豊富な魚が捕れること、川を通して交易の中継点にもなっており果ては大海湖まで続いていることなどだ。ここら辺の話に関してリーリヤはほとんど耳に入っていない様子ではあった。
前置きはこのくらいでいいだろう。
今からアルマスがするのは、せっかく傷を覆い始めたかさぶたを無理矢理剥がす行為だ。
このまま何か月も、ひょっとすると何年という長い時間をかければ、彼女は緩やかではあるが穏やかに心を癒やすことができるのかもしれない。けれど、そんなには待てない。
リーリヤを気にしているイレネが理由ではない。待てないのはあくまでアルマスの事情だ。己のエゴでアルマスはこれからリーリヤを絶望に突き落とすのだ。
「じゃあ、本題。まずは『これまでの話』から」
リーリヤの顔が暗くなる。
もともと明かりがついていない薄暗かった部屋だけれども彼女の気持ちが重くなったことくらいはわかった。
「君は自分の現状を正しく認識しているかい?」
曖昧な質問だとアルマス自身も思っている。
大事な儀式に失敗したこと。師から破門され帰る場所もないこと。リーリヤはもう魔女ではないこと。
これらのことを明確に言葉にして聞くのは憚られた。おそらくこの街に来てからずっと、彼女は何度も記憶を思い返しては自己嫌悪を繰り返していただろうから。
リーリヤは唇を噛みしめていた。
相変わらずアルマスの顔を見もしない。まるで現実から必死に目をそらすみたいだ。よく見れば薄紅色の唇が荒れているのがわかる。何回も唇を噛んでいた跡だろう。それだけ彼女は苦しんでいたのだ。
それでもアルマスは再度尋ねた。
「質問の意味がわからないかな。それとも一つ一つ並び立てて欲しい?お望みならそうしよう」
アルマスは椅子から立ち上がるとリーリヤを正面から見据える。宵闇色の瞳が潤み、彼女は必死に涙を堪えようとしていた。
「勘違いしないで欲しいんだけどね、俺は何も君を虐めたいわけじゃない。この質問は必要なんだ。君がこれからこの街で生きていけるかどうか、その試金石なんだよ」
まずは現実を認めることから始めるしかない。現実から逃げるのを許されるのはそれを自分なりに整理して、考えて、納得するためなのだ。いずれは受け入れてどんな形であれ向かい合わなければならない。
早いか遅いかはあるのだとアルマスは思う。彼女がフルクートに来て半月が過ぎた。もう半月もなのか、まだたった半月なのか。彼女にとってどちらなのかはわからない。
けれどアルマスは彼女に答えを求めた。人生に非情なことはつきもの。いつだって十分な時間が与えられるとは限らないのだ。彼女だってそれはよく理解しているはずだ。
「わかっ、てる、わよ」
涙混じりの声が室内に響く。ぐすっという鼻をすする音も続いた。
「あんたに言われなくても、そんなのわかってる」
リーリヤは振るえる声で繰り返した。
「私は、儀式に失敗した。師匠の、あの人の期待を踏みにじった。今だって思うの。なんであんなことになったんだろうって。どうすればよかったのかなんて全然わからない。わからないのっ!」
堰を切ったかのようにリーリヤは心の中に溜まった澱を吐き出す。
それをアルマスは相槌も打たずに静かに聞いていた。
「なんで?なんでなの?私の何がいけなかったのよ・・・」
宵闇色の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
アルマスが見守る中、リーリヤは項垂れて小さな嗚咽を溢す。
「魔女になることだけがすべてだった。あの人の跡を継いで森を平穏に導く。小さい頃からずっと頑張ってきたのにね。こんな風に終わるなんて」
リーリヤがアルマスに笑いかける。口元にあるのは自嘲の笑みだ。それは諦めを受け入れた者だから浮かべることができるものだ。
「私は見限られた。もう森には戻れない」
雲間が晴れたのか、カーテンで遮られたはずの日射しが一層強くなる。
リーリヤの顔がよく見えた。目元は赤く染まり、ずっと泣きはらしていたのがわかる。薄紅色の唇は荒れていて、頬はやつれている。目尻に溜まった最後の涙がすっと流れていった。
「白霞の森の魔女リーリヤはもういない」
リーリヤの独白が終わる。
「うん、そうだね」
アルマスは微笑む。なるべく優しげに見えるように努力して。
まだまだわだかまりはあるに違いない。過去を受け入れて本当の意味で前を向くには途方もない時間を要するはずだ。それでも今はこれでいい。リーリヤは言葉として口にできるくらいには心の折り合いをつけていた。ならば、これで次に進むことができる。
「魔女じゃなくてまだ見習いだった気もするけどね」
わざと戯けたアルマスの振る舞いはお気に召さなかったらしい。普通に半目で睨まれた。
「おお、怖い。だから冗談だって。そのうちこれくらい笑い飛ばせるようになるといいね。じゃあ、『これからの話』に移ろうか」
誤魔化すように次の話題を話そうとしたところで、ぐぅと小さな音が聞こえた。
正面には真っ赤に染まったリーリヤの顔がある。年頃の娘らしい反応にアルマスは今度はにやりと笑う。
「そうだった。朝食がまだだったね。区切りがいいし続きは食事をしながらにしようか。誰かさんのお腹の言うとおり、ね」
リーリヤは近くにあった枕をアルマスに向けて思い切り投げ放った。
アルマスが避けるまでもなく、あらぬ方向に飛んだ枕は無情にも床に打ち付けられるに終わった。
アルマスは肩をすくめる。
元気があるのはいいことだ。
「じゃあ、アルマス君。後お願いね。リーリヤちゃんもいっぱい食べてゆっくり休んでね」
それだけ告げてイレネは席を外した。
仕事があると言っていたが、気を遣ってくれたのは明かだ。
もちろんトビアスもイレネに引っ張られていなくなった。本人は何か言いたそうだったがそれはまたの機会にしてもらおう。
「さすがイレネさん。これを食べるとやっぱ違うね」
アルマスとリーリヤは遅い朝食をとっている。時間的にはちょうど朝と昼の中間くらいか。
アルマスが頼んだとおり、イレネはミルク粥を食卓に用意していた。ありがたいことにアルマスの分もよそってある。
ほかほかの湯気を上げるお粥は身体を芯から温める。濃厚な蜂蜜の甘さと酸味のあるベリーのジャムがよくあっていた。ステーン家では定番の朝食だ。
食べ始めると手が止まらずに黙々と食べている。それはリーリヤも同じだった。
彼女が恐る恐る匙を口に運び、目を瞑って思い切って口に入れた後の驚きようといったらアルマスは思わず声を出して笑ってしまった。
今もアルマスの前で一匙一匙噛みしめるように味わう彼女を見ていると一つの疑問が湧いてくる。
「あそこでは一体何を食べてたんだ?あまり凝った料理は食べ慣れてない印象があるんだけど」
リーリヤは口に含んだお粥を嚥下してから答えた。
「料理なんて大それたことしないわよ」
「んん?どういうこと?」
アルマスの疑問に対する彼女の答えは明解だった。
「私達が食べるのは森の恵み。料理なんてする必要がないの。あっても茹でるか焼くくらいね」
「おお。なんと野趣溢れる生活」
お粥一つに大袈裟に驚くのも納得の食事情だ。
リーリヤの素朴過ぎる食事情には戦慄を覚えるが、このステーン家にいる限りリーリヤの舌はきっと肥えていくだろう。イレネはリンゴーン区の婦人会でも料理好きで有名なのだ。
「それで?あんたの言う『これからの話』って何?」
「随分と素が出て来たね」
リーリヤの言葉遣いから遠慮と配慮が抜け落ちている。
細身の身体からは強張りがとれ、妙な緊張はなさそうだ。安堵によるものというより、脱力に近いようにアルマスには見えた。良くも悪くも彼女が抱えていた行き場のない感情を少しは吐き出すことが出来たおかげだろう。
リーリヤはその勝ち気な瞳を不満げに細める。
「別に?あんた相手に取り繕うのが馬鹿らしくなったの。そもそも取り繕うものがもう何もないし」
「イレネさんの前では猫被ってたくせにね」
久方ぶりに部屋から出て来たリーリヤを心配して甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくれたイレネに対し、リーリヤは実にしおらしく振る舞っていた。
リーリヤが身につけている服も実はイレネのお下がりである。シンプルながら袖と襟に刺繍が入った白いブラウスとベージュのチェック柄のスカートだ。唯一と言ってもいいリーリヤの私物である魔女装束を着るわけにもいかないので有り難い話だった。
こうして見るとただの街娘に見えるから不思議なものだ。ちなみにボサボサだった髪もイレネが櫛で丁寧に梳いていた。
「うっさい。さっさと話を進めて」
「はいはい。わかったよ」
互いに空になった食器を脇に避ける。
そして、これまた用意されていた食後のお茶をポットからカップに注いでからアルマスは話し始めた。
「簡単に言うと君がこれからどうするか、という話だね」
リーリヤはついさっき自らの過去を受け入れようと足を踏み出したばかりだ。突然そんなことを言われてもリーリヤには想像するのも難しいだろう。
そこはアルマスだって理解している。
「まず、住居はこのまま使うといい。食事だって心配いらない。君が不自由なく生活できるように、叔父とは既に話を付けている。当分の間は気にする必要はないよ。その間にやりたいことが見つかればいいし、見つからなければそのときにまた相談に乗ろう。難しいことはない。君はステーン家の人とある程度良好な関係を保つよう努力するだけでいいんだ。ここまではいいかな?」
リーリヤが頷く。
その申し訳なさそうな表情を見るだけでリーリヤが心根の優しい娘だと伝わってくる。でも、気にする必要はないのだ。別に無償で提供するとは言っていないのだから。
「ただし。この家で暮らすにあたって、君には二つ約束してもらわないといけない。いや、一つは努力義務かな。これは後で説明しよう。まずは重要な方からだね」
アルマスは顔の前で人差し指を立てる。
「1つ目。過去を捨て去ること。魔女に関わるすべてを君は公言してはならない」
魔女を目指したこと。魔女の見習いだったこと。魔女の力が振るえること。その全部だ。魔女に関連することは何もかも切り捨てるようアルマスは求めた。
リーリヤの表情があからさまに引きつる。
それもそうだろう。今までの彼女にとっては、魔女こそが人生のすべてだったのだ。
「なにそれ・・・?破門をされても、追放されても、私の心はまだ魔女なの!例えあの森に戻ることがもう出来ないとしても、それでもその誇りまでなくなったわけじゃない。二度と魔女と名乗ることが許されなくても、魔女であった私を否定したくない」
今までの努力、費やしてきた時間、心に秘めた想い、どれも生半可なものではないだろう。既に崩れ去り、失われた夢であれど、だからといって初めから何もなかったことにはできない。
理解した上でアルマスは告げる。
「ダメだ。魔女でなくなった君には選択肢なんかない。この街では魔女とは悪の象徴なんだ。いや、この街だけじゃない。人の住むほとんどの地域でそれは変わらないだろうね。だからこそ、魔女ではなく普通の人として街で生きていくならばこれは最低限必要なことなんだ」
遠い辺境のような一部の例外を除いて現代においては大真面目に魔女を糾弾する人間はまずいない。それは一般の人々にとって魔女は遙か昔の御伽話や伝承の中にだけ生きる存在だからだ。だがそれは人々に魔女を受け入れてもらえることと同義ではない。もしも身近に魔女がいると彼らが知ればおそらく迫害に繋がり、そうではなくとも嫌悪の対象にされる。
今の世にはそういう下地が出来ているのだ。それは教会の教えでもあり、親から子へ引き継がれる昔語りでもある。残酷なことに魔女はその存在を許されていないのだ。
仕方がないことではあるが、これはリーリヤにはまだ理解できない類の話だろう。世間一般の常識を知らず、集団の中で暮らしたことがない彼女には『普通』など知りようがない。ましてや自分自身が魔女だったのだ。簡単に受け入れるとは到底思えなかった。
アルマスは平行線の話し合いをしたいのではない。
議論の余地などないのだとリーリヤに突きつけるのがアルマスの役目だ。
「まっ、納得できないよね。でも、いずれわかる話だよ。きっと色々理屈をつけても無駄だろうから今はこう言おうか。ステーン家の人達に迷惑がかかる。突然現れた他人のはずである君を文句も言わずに迎え入れてくれた、心優しい彼らが君のせいで危害を被る可能性がある」
「・・・!」
咄嗟に反論をしようとして口を開きかけたリーリヤは何も言葉を発さぬままに唇を引き結んだ。
「・・・卑怯よ。そんなの」
彼女は机の上に置いた自分の手を睨み付けるように俯く。日は浅くてもここでの暮らしで少なからず彼らの優しさに触れていたはずだ。そのことが彼女に引け目を感じさせる。
アルマスはそこに追い打ちをかける。
「もちろん、ステーン家の人達にも口外しちゃダメだ。他の誰にも相談することすらしてはいけない。はっきり言おう。口に出したが最後、君はこの街で暮らせなくなる。こうなった以上、これは君が死ぬまで抱えていかなければならないんだ」
押し黙るリーリヤ。
少し脅しすぎたかなと思うアルマスだが嘘は言っていない。彼女が口を滑らせれば、きっと似たような惨状になることは容易に想像が付く。
「どうしても我慢ができなくなったなら愚痴くらい聞くよ。俺は例外。君の事情を知っているからね」
あまり虐めすぎてまた引き籠もりに戻られても堪らない。これくらいは容認すべき妥協点だ。
「・・・わかったわ」
アルマスが冷めたお茶を啜っているとリーリヤがぽつりと溢す。
納得はしていなくてもそういうものだと飲み込んでくれたのはアルマスへの信頼と取るべきなのか。
リーリヤは両手でお茶の入ったカップを包み、じっと水面を見つめている。すでにお茶は冷めてしまっているというのに僅かな温もりすらも惜しむようだった。
アルマスは黙って棚から新しいカップを取り出すとポットからお茶を注ぐ。まだ熱々のお茶だ。柔らかな香りと白い湯気がすっと広がる。
「あっ・・・」
リーリヤの手の中から冷めたお茶のカップを奪い取り、代わりに注いだばかりのカップを渡す。
「・・・ありがと」
「飲んでごらん。あったまるから」
イレネがリーリヤのことを慮って用意したカモミールを中心にブレンドしたハーブティーだ。雑貨屋の店頭にも並んでいる物で香りを嗅ぐだけでも心が安らいでゆく。飲めば細やかな甘みが落ち着きをもたらしてくれる。
リーリヤがお茶を一口含む。
ほうっと一息つく。リーリヤは少しだけ穏やかな表情を取り戻した。
「魔女ってなんでこんなに悪者扱いされなきゃならないの?私達はただ世界のために必死に責務を果たしているだけなのに」
「そうだね、不思議な話だ。何かのきっかけがあったのか。それとも無知故の憶測がもたらした不幸な行き違いが広まったのか。調べれば何か出てくるかもしれないけどわかる保証もない。でも今更気にしても仕方ないだろ?君はもう魔女ではないんだから。もしそれでも気になるなら、君だけは魔女を嫌わない人間になればいい。もちろん、それを大っぴらに言うことは出来ないけれどね」
リーリヤはお茶をもう一口飲んでから小さく頷いた。
アルマスもまた空になった自分のカップにハーブティーを注ぐ。
「そうそう。話は変わるんだけどさ、聞きたいことがあったんだ。君、文字は書ける?」
珍しく神妙な顔をしていたアルマスが普段の飄々とした態度に戻る。重い話はこれで終わりということだ。
「え?なに、急に」
「どうなの?書けるなら試しに名前でも書いてみてよ」
アルマスは懐から手帳を引っ張りだすとペンと共にリーリヤに差し出した。
アルマスに訝しげな視線を寄越しながらもリーリヤは素直に手帳の余白部分に名前を書いていく。
「はい。これでいいの?」
「ふぅむ」
リーリヤから突き返された手帳を見てアルマスは軽く唸る。
「じゃあ、次。これはわかる?」
「だからなんなのよ。さっきから」
さらさらと幾つかの数字を手帳に書き記してまたリーリヤに返す。今度は簡単な計算問題だ。
「なにこれ。足し算とか引き算?」
「そう。昔、俺の家にいたときに教えたことがあるでしょ。どれくらいできるか確認しようと思ってね」
「それって私が小さかったときの話じゃない。よくそんな昔のこと覚えてるわね」
ぶつくさ言いながらリーリヤは手を動かす。
十年以上も昔、リーリヤがアルマスの家に預けられたとき、暇を持てあましていた彼女は時たまアルマスと一緒に勉強をしていたことがある。とはいってもアルマスとリーリヤは少しばかり年齢が離れていたので内容はまったく違う。
そもそも家の期待を一身に受けて日頃から勉学に励んでいたアルマスと同じことができるはずがない。そのときの彼女は簡単な文字の読み書きや計算を使用人から学んでいた。
「なるほどね。よくわかった」
リーリヤに返された手帳をちらりと確認するとアルマスは手帳を懐に戻した。
「これで終わり?一体何がしたかったのよ」
「うん?さっき言ったでしょ。君にして欲しいことは2つあるって。その2つ目だよ」
アルマスは顔の前で二本の指を立てる。
「あの努力義務ってやつ?」
「そう、それ。出来れば頑張りましょうっていうお話なんだけど」
アルマスは今度は懐からお金を取り出す。普通に市場で使われているヴァル金貨だ。このマルヤフナ王国では信頼性が一番高い金貨でもある。
アルマスはヴァル金貨を一枚テーブルに置くとリーリヤの方に滑らした。
「生きるためにはお金がいる。ごく当たり前の話ではあるんだけど念のためね。お金、わかる?」
ちなみにアルマスはリーリヤを馬鹿にしているわけでも煽っているわけでもない。
現にリーリヤは珍しそうに金貨を摘まんではひっくり返したり撫でたりしている。
「聞いたことはある。これがそうなの?」
「うん、そう。これがお金。住むところを確保するにも、食べ物を買うにも絶対に必要な物だね」
これこそアルマスが懸念していたリーリヤの世間知らずな一面である。
彼女が住んでいた辺境の深い森の中ではお金のやりとりなど必要とされないことが多い。なんなら物々交換が未だに行われている。その上に取引相手は魔女嫌いの村人達が主なので師である魔女が弟子のリーリヤをおいそれと彼らに近づけるわけがない。彼女自身が自覚しているかはともかく、彼女は森という馬鹿でかい箱庭で育てられた箱入り娘なのだ。
アルマスはリーリヤが指で突っついている金貨を回収する。
「これはただで手に入るわけじゃない。きちんと仕事をしてその対価として受け取るものなんだ。ほら、村の人だって畑を耕してたり、木を切ったり、何らかの仕事はしていたでしょ。それと同じことだ」
「それくらいは知ってるわよ。・・・知識としては」
「つまり何が言いたいかというと『これから君にも働いてもらう』ということだ。お金を稼ぐためにね。そして、働いて得た賃金の一部はステーン家に払ってもらう。住居と食事の代価だ。もちろん、余ったお金は好きにするといいよ」
リーリヤは難しそうな顔で話を聞いている。
難しい話をしているわけではない。けれどもリーリヤの認識が追いついているかは別問題だ。常識の差異というのは時に友好の証を宣戦布告と捉えることもあるから厄介だ。
「そうね。必要なことだしね。・・・ああ、そういうこと。さっき文字が書けるかとか聞いてきたのは私の仕事を探すためだったのね」
無事に意図は伝わったようでなによりだ。ここでごねるほどリーリヤは子どもではなかったようでアルマスは安心した。
「でも、お仕事か。お仕事って得意なことや好きなことをするのよね。あとは代々引き継いだ家業もかしら。魔女、に関係する仕事なんてないものね。ちょっとそんな目で見ないでよ。わかってる。さっきの約束は守るから」
魔女云々と言い始めたところでアルマスが呆れた顔をするとリーリヤは約束を忘れたわけじゃないと必死に弁明をする。
「でも、私、得意なこととか全然思いつかないんだけど。あっ、植物を育てるのはできるかも。森でも薬草とか花とかお世話してたし。ねぇ、そういうお仕事ってあるの?」
未知への興味と不安をない交ぜにした感情が一種の興奮をもたらしているのだろう。リーリヤは身を乗り出してアルマスに迫る。その顔には仄かな赤みがさし、口元は綻んでいる。
君の言う花はどうせ普通のじゃないよ、と思いつつもアルマスはそれを言わないだけの優しさはあるつもりだ。
それにしてもリーリヤが思っていたよりも前向きになっているのは嬉しい誤算だった。ちょうどいい、やる気があるのならばその勢いでやってもらおう。アルマスはいつもの笑みを浮かべる。
「そこは心配いらないよ。もう仕事は決まってる」
「え?」
リーリヤは少し冷静になったようだが、疑問を抱きつつも素直に頷いた。まだ彼女の興奮は冷めやらないようだ。
「大丈夫。誰しも最初は失敗するものだから。何事も経験さ。当たって砕けろとも言うね」
「ええ?」
アルマスの口ぶりを聞いて途端に不安が押し寄せたのかリーリヤから笑みが消える。彼女は頻りにお茶のなくなったカップの縁をなぞっている。
「じゃあ、仕事は明日からだから。寝坊しないでね」
「ええ!?」
呆然とするリーリヤを余所に彼女の未来は決められた。
こうしてリーリヤの記念すべき社会復帰の第一歩目は明日となったのだった。