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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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17.精霊樹の種1

 足が重くて怠い。思考がぼやけて頭が回らない。呼吸も無意識に浅くなって息が上がる。


 モニカは両手に抱えた小さな水瓶を抱え直す。

 何も入っていない空っぽの水瓶でさえ、腕が引きつりそうになって辛い。


「水が入ってなくて良かったかも。絶対ひどい顔してるもん」


 水面に反射する自分を見たら、きっと幻滅する。

 そんな冗談を言ってみても、空笑いしか出てこない。


 なにせ笑えない。

 モニカの目の下には化粧でも隠せないくらい濃い隈ができている。


「どこにいっちゃったんだろう・・・」


 大事な思い出の口紅は見つからなかった。


 化粧箱の中身を全部引っくり返して、クローゼットもかき回して、思い当たる場所は全部探して、それでも見つからなくて、もう一度最初から探し直す。


 ベタつく嫌な冷や汗をシャワーで洗い流そうなんて考える余裕もなく、碌に力の入らない身体を引きずり、無いとわかっているのにわずかな希望に縋って何度も同じところを確認する。


 結局、一睡もできずに朝を迎えてしまった。

 ごちゃごちゃに荒れた部屋の中で心が抜けたように座り込んでいたモニカにとって、朝を告げる鐘は絶望の知らせに等しかった。


「あれがないとあたし、いったいなんのために―――」


 モニカは泣き言を無理矢理に飲み込む。


 まだ笑顔を取り繕うことはできる。なら、多分大丈夫。元気で可愛い笑顔の仮面が残っているなら、まだモニカ・レイポネンは立ち上がれる。


 今はやるべきことをやる。

 精霊様から水を貰わないといけない。太陽の恵みが籠った水を。太陽の恵み亭(このパン屋)にはなくてはならないものなのだから。


 厨房に水を置いたら、急いで部屋に戻って着替えよう。シャワーはもういい。浴びている時間はない。


 濡れたタオルで顔を拭ったらお化粧をしなくては。寝不足と疲労に染まった悲惨な顔を完全に取り繕うことはできなくとも、少しでもマシにしなければ。


 精霊が待つ部屋の前に辿り着くまでに組み立てたそんな計画は儚く砕けて消えた。


「な、なんで・・・」


 扉を開けた先の光景を見て、モニカの手から水瓶がゴトリと落ちたのだった。











 アーリコクッカ広場に足を踏み入れた途端、リーリヤは静かに押し寄せるざわめきを知覚した。


 嫌なざわめきだった。


 お昼前の時間はいつも穏やかながらも活気のある雰囲気が流れていたのに、今日は違う空気が広場全体を覆っている。


 広場の前で別れたイレネも―――昨日と同じくリーリヤを送ってくれたのだ―――、その変化を感じていたようだった。一見代わり映えがしないのに、どこかおかしい人々の様子に頻りに首を捻っていた。


 その原因を探るべく、リーリヤは太陽の恵み亭に向かう前に広場を適当に歩き回ってみることにした。


 リーリヤの耳にどこぞの女性達のひそひそ話が届いてくる。


「好き勝手言ってんじゃないわよ」


 誰にともなくリーリヤは反論する。

 話題がモニカに対する噂だったからだ。


 曰く、最近のモニカは調子に乗っているように見える。実は見えないところでは振る舞いが我儘で横暴らしい。誰に対しても良い顔をしているが、他の花の乙女を貶めて手柄を横取りしようとするほど卑しい性格だとか。


 伝聞形式の、曖昧で、根拠のない噂を囁き合っている。そして、半信半疑の人。真実のように断定する人。否定する人。信じる人。様々だ。


 まさしく昨日のティアの懸念どおりと言えよう。モニカを貶める妨害行為の表れだ。それも今度は広場にいる一般の人達を巻き込んできた。


 モニカを陥れようとする悪意をまざまざと見せつけられた気分だ。


「落ち着け、私」


 無責任に噂を広める人達に文句を言いたくなるのをグッと堪える。


 モニカの味方になると決意したリーリヤがやるべきことは、ここで1人や2人の説得をすることではない。それでは意味がない。噂はもはや広場中に広まっているのだから。


 ポケットから手の平ほどの革の小箱を取り出す。これはティアから預かった魔具だ。これがモニカをこの不遇な状況から助ける重要な一手になるらしい。


 詳しい使い方は知らないがそこは問題ない。サポートをしてくれる人が後で合流する手筈になっていた。


 この魔具さえあれば、モニカが『良き』花の乙女だと証明できる。ティアの言葉を借りるならその筈だ。


 後もう少しの辛抱よ、とリーリヤは心の中でモニカに語り掛ける。


 それはそれとして、やっぱり一言くらい言ってやりたい。

 モニカの陰口で盛り上がる集団に近付こうとしてリーリヤの足が止まった。


「おい」


 別の人物に先を越されてしまったのだ。


「な、なに?」


 ダークブラウンの髪に小太りの体型をした男性は、モニカへの悪口に興じていた女性達に無遠慮に声をかける。

 不機嫌そうな唸り声に女性達は怯んでいる。


「目が腐ってる。耳が詰まっている。その上、心がねじ曲がっている。他人から与えられた情報を疑いもせず、ただ鵜呑みするだけの愚物共。死んだ魚にも劣る。少しは自分で考えたらどうだ。この間抜けめ!」


「お、おぅ」


 強烈な言葉の羅列に近くで聞いていただけのリーリヤでさえ慄く。

 当然、女性達の反応も劇的だ。


「は、はぁっ!?いきなり何、コイツ!」


「キモっ。モニカってアンタ達みたいのが付きまとっているんでしょ。やっぱりまともじゃないっ」


「あのモニカちゃん様を見て、そんな考えになるなど正気じゃないと見える。いいか、モニカちゃん様の素晴らしさを僕が教えてやる」


 男が更に近づこうとすると女性達は倍の距離後ずさった。


「キモい!近付くな!」


「変態がなんか言ってるわ」


「もう行きましょ」


 寒気がするとでも言いたげにわざとらしく自分の体を抱き締める仕草をして、女性達は足早に去っていった。


「おい!待て!話は終わってないぞ!」


 放置された男は不満を隠さずに怒鳴っている。

 男の行動に普通に引いていたリーリヤに、グルンと男の顔が向けられる。


「なんだ?」


「うわっ。こっち見た」


「ん?お前、アルマスの・・・」


「馬鹿か、お前は!」


 何かを言いかけた男の頭を、唐突に別の男がはたいた。


 2人の会話を聞くに、モニカのファンクラブの面々でどうにかモニカに対する誤解を解こうと躍起になっているらしい。


「おい、クスター。それじゃあ、逆効果になるだろう!?」


 しかし、難航している。

 最たるは目の前のクスターと呼ばれた男だろうが。


「あんな奴ら説得したところで意味なんてない。奴らはモニカちゃん様の悪口を言いたいだけなんだからな。真実がどうかなんて二の次どころか気にしてすらいない。愚かな奴らだ」


「愚かはお前だ!じゃあ、なんのために突っ掛かって回っているんだ!阿呆!」


「ふん・・・」


 やっていることはヤバい以外の感想は出てこないが、言っていること自体はリーリヤとしても同意できる点がある。


「モニカちゃんはそんな娘じゃないのに」


「ふん。お前はまあまあ見る目があるようだな」


 リーリヤの独り言に、クスターは耳聡く反応する。

 別に褒められても嬉しくはない。むしろ不快だった。リーリヤは1歩下がってクスターから距離を取る。


 そもそもなんでこの男はこんな普通にリーリヤに話しかけてくるのか。


 そこでリーリヤは以前にアルマスから友人として紹介されたことを思い出す。

 そういえば、こんな気色悪い奴もいた。


「なんでこんな急にモニカちゃんの悪口が広まったのかしら」


「陰口は元々あったさ。それがいっせいに噴出しただけだろ。異様なほどにな」


 それだけ言うとクスターは去っていった。また別の人達に難癖を付けに向かったのだろう。

 仲間の人が慌てて追いかけていく。


 お昼の空はほの暗い雲に覆われかけていた。

 リーリヤはただならない雰囲気に心が落ちがなくて仕方がなかった。












『モニカちゃんを理不尽から救おう大作戦』


 ティアと練ったこの作戦は全部で3段階だ。


 1番目はパン工房内(太陽の恵み亭)の探索。


 2番目は精霊の発見。


 最後は預かった魔具を使うこと。


 単純にして簡単でとても良い作戦だ。しかも、サポートまで付けてくれるらしいので、リーリヤとしては気構えずにいられる。


 それでも、この作戦に心配な点はある。

 それはモニカ、引いてはパン工房内の職人達に見つからないようにすること。


 この話を聞いたとき、リーリヤは疑問に思ったものだ。


 リーリヤ達はモニカを助けるためにやるのだ。何を隠す必要があるのか。堂々とモニカに打ち明け、協力を仰げば済む話だ。


 だが、それは要らぬ誤解を与える可能性があるという。


 前提としてモニカやモニカを後押しする陣営は度重なる嫌がらせ行為にピリピリしている。


 そして、パン焼き職人達はこの作戦に重要な魔具『精霊樹の種』を知らないのだそうだ。花の乙女でさえ、見たことがある者は限られているという。


 モニカのために用意された魔具。しかし、その正体を知らない人からすれば、得体のしれない怪しい物に過ぎない。


 もしかすると、リーリヤが裏切り者と勘違いされてしまう危険性があるのだ。


 そういうわけで、太陽の恵み亭の人達には一切を隠し通すようにとティアに念押しされている。


 この地区一帯の人のパンを焼いている太陽の恵み亭には職人の数もかなり多い。その視線を掻い潜って工房の探索を試みる必要がある。


 そして、一番の関門はやはりモニカだ。目端が利き、働き者のモニカは、よくリーリヤの世話も焼いてくれる。そんなモニカの気遣いが逆に足枷になる。


 そう想定していたのだ。


「ねぇ、モニカちゃん。大丈夫なの?」


 モニカの蒼白な顔を見て、リーリヤは思わず自分から声を掛けていた。


「見てのとおり全然大丈夫だよ」


 嘘だ。明らかに無理をしている。


 それがはっきりわかるほど、モニカの笑顔は痛々しい。昨日までのモニカとの落差が激しすぎて、誰もが事情を詮索するのを戸惑うくらいには。


「むしろリーリヤちゃんの方が心配なくらい。一人で大丈夫?」


「私はほら、見学させてもらうだけだもの」


 パン工房こと太陽の恵み亭の中を調べて回るにあたって、リーリヤにも建前が必要だった。


 初めは昨日と同様にお手伝いをしようと思っていたのだが、昨日の有様がどうだったかなど自分が良く理解している。無理に挑戦してまた失敗を繰り返すと、モニカの負担になりかねないので自重した。


 そういう事情でお仕事(パン作り)の見学ということにした。


 ただの口実ではあるが、『モニカ達のような美味しいパンを作れるようになりたい』という想いもリーリヤの本心ではある。


 ここ数日、太陽の恵み亭のパンを食べ続けていたせいかもしれない。


 こっそりパン作りが上手くなって、イレネ達を驚かせたいという下心もあったのだ。昨日は散々な結果ではあったが、それでパン作りの練習を諦める理由にはならない。


 純粋に太陽の恵み亭の人々(モニカ達)が楽し気にパン作りをしている様子が羨ましかったのもある。


 リーリヤがパンを作れるようになったら、ステーン家でも同じような光景が見れるのではないかと思ったのだ。リーリヤも含めたステーン家の全員で。


 それに、上手く作れるようになったらアルマス(あいつ)にも食べさせてあげなくもない。


「お手伝いしたいのも山々なんだけど」


 そう言った瞬間、他の職人達が凄い勢いで振り向いて、引きつった顔でリーリヤを見てきた。


「失礼ね。わかってるわよ」


 声を大にして異議を唱えたくなる。けれど、ちょっと口を尖らせての独り言に留める。何度も言うが、自覚はあるのだ。


「モニカちゃん、何かあったら言ってね」


「それはあたしの台詞だよ、リーリヤちゃん」


 それはそうだ。けれど、ついそう言ってしまうほどに今日のモニカは不安をかき立てて仕方がなかった。


 そして、リーリヤの心配は的中する。

 午後過ぎにやってくるという協力者が現れるまで、リーリヤはパン職人達の仕事を遠目に観察していた。


 主に目で追うのはモニカだったわけだが、はっきり言って昨日のリーリヤ以上のやらかし具合だった。ふらふらとどこか心ここにあらずなモニカに、リーリヤはずっとハラハラしっぱなしだった。


「果物の発注どうなってる?もうストックが切れそうだぞ!」


 お昼の忙しい時間をなんとか切り抜けたと思ったら、店長が声を張り上げた。


「それならそろそろ業者が届けてくれるはずです!」


「あっ、ほら。ちょうど来ましたよ!」


 バタバタとしたお昼の時間が終わると、今度は夕方に向けて準備が始まる。


 短い休息時間は瞬く間に終わり、また慌ただしくなってくる。


 大変だなぁ、とベンチに寄りかかって眺めていたリーリヤの背後から突然声がかかる。


「状況はいかがでしょうか。精霊様を見つけることはできましたか?」


「うぇっ!?」


 そこには地味な作業着に身を包み、赤みがかった金髪をハンチング帽に隠した女性が立っていた。手には果物の入った木箱を抱えている。


 話にあった業者の人だと判断すると共に既視感を覚える。


「予めお伝えいたしますが敬語は不要です。私は一介のメイドですので」


 そうだ、この若い女性はティアの傍にいたメイドの女性だ。昨日は見かけなかったが、一昨日はティアの一番近くに控えていた。


 どうやら業者に変装して潜り込んできたらしい。


「あ、あなたが来てからかと思って・・・」


「ええ、おっしゃるとおりです。しかし、少々危機感が薄いと見えます。そんな甘い認識ではレイポネン様への謂われなき非難を晴らすことはできません」


「うっ」


「時間はありません。明後日の夜には『太陽の巫女』を選定する儀式が執り行われます。早く動かねば、レイポネン様への誹謗中傷はどんどん悪化していくでしょう。それは貴女様の望むことではありませんね?」


「ち、違うの。何もしてないわけじゃないのよ。私は私で探さなきゃとは思ってたの。思ってはいたけど・・・」


 どこを探せばいいかわからなかった。

 一応、隙を見つけては工房内をうろちょろはしていたのだ。


 パン屋だしと当たりを付けて、パン焼き窯の中を見たりもした。もちろん、精霊はいなかったし、危ないから顔を近づけるなとモニカに叱られた。後は部屋の隅っことか、物陰とかをちょこちょこ覗いたり。


 リーリヤがまともに知る精霊なんて片手で数えられる程度なので、そのくらいしか思いつかなかったのだ。


「探す場所こそ見当違いですが、その程度に控えたのは賢明でしょう。ここの方々に怪しまれる方がやりづらくなりますから。では、不自然にならないよう、荷運びをしながら話しましょう」


 他の業者の人に混じってリーリヤ達も荷馬車から荷物を下ろすと、2人で一緒に一抱えもある木箱を運ぶ。


「精霊様の居場所は、傾向こそあれど精霊様により様々です。推測するには幾つかの判断材料が要ります。その一つ目が『太陽の恵み』」


「太陽の恵み亭の名前と同じよね。確かここのパンにはたっぷり入っているとか。隠し味とか調味料のこと?」


「いいえ。これは『精霊の祝福』を意味します」


 精霊の祝福とは、精霊が人に与える不可思議な奇跡の一端。俗に『幸運をもたらす』とされるらしい。


 そんな精霊の祝福に『太陽の恵み』と独自に呼称を付け、それが練り込まれたパンという謳い文句のおかげで太陽の恵み亭は大きく成長を遂げた。


 パンになってしまえば『太陽の恵み』なんて入っているのかも定かじゃない。味も変わらないようだし、実際にリーリヤはまったく気付かなかった。


 ここのパンが美味しいのは、太陽の恵みなんてもののおかげではなく、パン職人達の腕が良いからだと思っている。


 それでも、わかる人にはわかるのだとメイドは言う。


「ああ、だからここに精霊がいるって話になっているのね」


 今更ながらリーリヤは理解する。

 精霊がいるから探せという指示には、ちゃんと根拠があったということだ。


「すべての精霊様が祝福をもたらしてくださるわけではありません。故に精霊様の居場所は秘匿されるものです。それも、ここまで恩恵を下賜くださるほどの精霊様となれば猶更」


「そういうわけで、私達が自分で探す必要があると。じゃあ、『太陽』だから火に関係するところを見て回ればいいってこと?窯にはいなかったけど」


 『太陽の恵み』という呼称が精霊を探すヒントになるとメイドは言っていた。


「いえ、『水』の精霊様です」


「はい?なんで?」


 『火』とはまったく逆の『水』。

 正直、『太陽』から『水』は連想できない。


「このパン工房は数年前にこの場所に移転されたということはご存じですか?」


 リーリヤは首を横に振る。


「太陽の恵み亭は元々商業区の外れで営んでいた小さなパン屋だったのです。それが急成長と共にこのアーリコクッカ広場に店を構えるまでとなりました。ここ10年ほどの出来事ですね。これが2つ目の判断材料です」


「2つ目・・・。前の場所にあったときの話?」


「はい。その当時に精霊様がいらっしゃったのは、良く日の当たる古井戸の中だったと伺っています」


 そこから『水』に関係する精霊だとわかる。

 そして、『良く日が当たる』というのが『太陽』の要素となるわけだ。


「わかったわ。水回りを探していくわけね」


「更にです」


「3つ目があるの?」


「パン工房となる前、この建物はアパートメントでした。歴史ある古くからのアパートメントです。それを移転の際にパン工房とするために改装しています。とはいえ、一から作り直したわけではありません。アパートメント時代の名残りは強く残っています。それは外観からもよくわかると思います」


 『太陽の恵み亭』は石造りの4階建て。屋根には窓があったことから屋根裏部屋もありそうだ。


 広場に突き出たテラスだけは後から付け足されているようだった。


「つまり、めぼしいところはもう把握しているわけね。凄いじゃない」


 凄すぎて肩透かしを食らった気分だ。これじゃ、リーリヤがすることなんてほとんどない。昨日の作戦会議は何だったのかと思ってしまう。


「アパートメントだったときには中庭があったはずです。この規模の建物なら、まず共用の水場があるでしょう。ならば、そこが最も可能性が高いと思われます」


「じゃ、まずはそこね」


 ここまで情報があれば、さして苦労しないだろう。とにかく外に露出している井戸とか、それっぽいところを見ていけば良いのだ。


 しかし、的確に思える分析とは裏腹に精霊は見つからない。


「全然いない。なんで?」


「困りましたね。この姿に扮している以上、あまり長時間は留まれません。かといって工房の方に聞くのは怪しまれますし」


 まさかのトイレかもと思って覗いたが、当然いるはずもなかった。


「メッツァ様。精霊様はそのような不潔なところにはいません」


「そ、そうね。その水はパンを作るために使うんだものね。ちょっとデリカシーがなかったわ」


 柔軟に考えようとして、また常識外れの行動をしてしまった。


「中庭には井戸すらなかったものね」


「・・・最悪、どこかの部屋の中に水場(スペース)が設けられている可能性もあります」


「へぇ。そういうパターンもあるの」


「少なくとも、水道やシャワーといったあからさまな人工物はあまり好まれないはずです。可能性がないとは言いませんが。ただ、このパン屋の規模を考慮すると、それなりに大きな水場が必要なはず」


 だが、それだと一室ずつ確かめないといけない。

 限られた時間で探索するには、難易度が跳ね上がる。


「聞きづてですが、当時の工事の様子からは、大規模な改修は主に1階部分とテラスの後付けのみ。後は屋根の補修などの細々としたものだけです」


「となると、1階のどこか、までは絞れるのね」


 1階だけとはいえ、いったい幾つの部屋があるのか。20では済まないのは確かだ。


「マスターキーでもあれば多少は楽になりますが」


「そっか。鍵も閉まってるかもしれないのね」


 マスターキーの在り処。それこそ、モニカにそれとなく聞くしか思いつかない。


「全然上手くいくとは思えないわ・・・」


 それならまだ直接精霊の居場所を聞いた方がマシな気がする。


「リーリヤちゃん、そこで何してるの?」


 背中がヒヤリと冷えた。

 振り返ればモニカが立っていた。


「そこの人は?」


「え、えとえとえと。そっ、そう。場所を聞かれて!」


 メイドがぺこりと頭を下げる。

 心の中で『メイド』と呼んでいるが、格好は地味な作業着なのでギャップが凄い。せめて名前くらいは聞いておけばよかった。


「そーいうこと?リーリヤちゃんに聞いたらそうなるかな・・・?」


「そうそうそう。聞かれたはいいけど、わからなくて」


 人目を気にして通路の影に隠れていたリーリヤ達を訝しむモニカは、リーリヤの言い分を不承不承ながら受け入れた。


 ここで普段のリーリヤのポンコツさが役に立つとは。嬉しくはないが、この場は助かった。


「生鮮食品の保管庫はその部屋じゃないよ。リーリヤちゃんもそういうときは周りの人に聞いてね」


 なんとか誤魔化せた。

 ほっと息をついたリーリヤはこの際だと思い切って訊ねてみることにした。


「ここ。閉まってるけど、この部屋はなんなの?」


 ちょうど正面にあった部屋を指さして試しに聞いてみたのだ。工房内で迷っていたと思われている今ならいけると思ったのだ。


「そこ?なんだっけ?使わない備品庫だった気がするけど」


「わざわざ鍵閉めてるのね。同じような部屋幾つもあるの?そんな部屋ばかりだと面倒そう」


「そうでもないよ。職員用の居住区のある2階以降と比べて、1階は荷物保管用の倉庫ばかりだから。鍵は共通にしてあるの。お兄ちゃんの事務室にでも行けばすぐ開けられるよ」


 鍵の保管場所をすんなりと教えてもらえたことにリーリヤはメイドと顔を見合わせる。


 やはり今日のモニカはおかしい。

 優しくはあっても、こんなにも無防備で危なかっしくはなかったはずなのに。


「あっ、でも、気を付けて。事務室の奥には―――、っ、なんでもない」


 モニカ自身も口が軽くなっている自覚はあるようだった。


「今日は変な質問するね。どうしたの?」


 しかし、モニカはすぐに興味を失ったように首を振った。


「まっ、いいけどね。あまり勝手に動き回らないでね。後、その荷物はこっちだから。付いてきて」


 まるでもっと大きな問題に追われていて、それどころではないと言っているみたいだった。


 リーリヤ達はモニカに導かれ、保管庫に荷物を置く。その頃には荷馬車の荷物はほとんど下ろし終えていた。


 それだけ確認するとモニカは売り場の方に戻っていった。


「簡単に教えてもらえちゃったわね」


「罠の可能性があります」


「罠って、そんな言い方」


「そうですね。言い換えます。私達を炙り出すためにあえて引っ掛けている可能性があります」


「そんなこと言っても、やらないわけにはいかないでしょ?」


「ええ、そのとおりでしょう。気掛かりは残りますが致し方ありません。後はどうやって鍵を手に入れるか、どこの部屋から探していくかですが―――」


 メイドと今後の段取りを決めていく。ゆっくり話し合うゆとりはない。


 荷馬車の荷物の搬入がすべて終わってしまったら、業者の姿に変装したメイドがパン屋に残るのはどうしたって悪目立ちする。


 リーリヤ、というよりもメイドがどんどんと方針を決めていく最中、リーリヤは外の異変に気付いた。


 石造りの建物が震えるほどのどよめきが急激に膨れ上がった。

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