16.栄誉と謀略
ゴリゴリと乳鉢ですり回す手を止め、アルマスは顔を上げる。
「そういや、アレ、外に干しっぱなしだったな」
そろそろ『カエル苔』の日干しもいい頃合いだろう。
アルマスは立ち上がり、作業台から離れる。
「どちらへ?」
外に出ようとしたアルマスが工房のドアに手を伸ばしかけたところで立ち塞がる人物が現れた。
「ああ・・・。そういえばいたんだっけ」
「はい。それにお忘れでしょうか。雑事はお任せくださるようお伝えしておりましたが。特に工房からお出になるのであれば猶更」
「忘れてたよ」
アルマスはあっけらかんと言う。
錬成作業に集中していて本当に忘れていたのもあるし、まともに相手をするつもりがないという意思表示でもあった。
「では、改めて。ご用命がありましたらなんなりとお申し付けください、アルマス・ポルク様」
アルマスに対して恭しくお辞儀をしてみせたのはヘレニウス家のメイドだった。
「貴方様のお役に立つよう申し付けられております故」
主の命には絶対。相変わらずお嬢様の忠実な僕というわけだ。
アルマスは無意味と知りながら質問を投げかける。
「あのお嬢様、今度は何を企んでいる?」
「お嬢様は思慮深いお方です。私ごときにはとても推し量ることなど」
メイドは目を伏せてエプロンの前で手を合わせ、いつもどおりにとりすます。
アルマスの非友好的な態度をまるで気にしていないのがよくわかる。
「ですが、お嬢様も貴方様に大変な役目をお任せしてしまったことに心を痛ませておいでです。微力ながら少しでも助力となることを望まれているのではないかと」
嘘つけ、とアルマスは内心断言する。あのお嬢様にそんな他人を労る気遣いなどありはしないのをアルマスはよく知っている。
「手伝いなんていいから休んでたらどう?別に告げ口なんてしないからサボってなよ」
「お心遣いありがとうございます。ですが、お気になさいませんよう」
「あっそ」
あわよくば居眠りでもして貰おうと思ったのに。
眠り薬はご禁制の品でも、心身を癒すお香くらいなら使っても問題ない。気を緩めればすぐにでも夢の世界に落ちていくだろう。
しかし、椅子に座ることさえ徹底的に固辞するメイドにアルマスの企みは露と消える。
まぁ、別にいい。
本気でやろうとはしていない。
「じゃあ、中庭で干してる『カエル苔』を見てきてくれ。表面に滑りが表出し、それが乾いて薄く膜が張っていたら、その粘液を回収してくれ」
アルマスは採取用の瓶と匙をメイドに渡す。
因みに『カエル苔』は見た目のヌトヌト感と採取時のねっとりさが気持ち悪いと有名だ。特に中途半端に乾いた時は、ツブツブ加減が加わるのでより一層グロテスクである。
若い女性なら誰もが顔を顰めるはずが、メイドは眉一つ動かす気配もなかった。
工房の外に出ていったメイドを見届けつつ、アルマスは思案する。
メイドは助力と言っていたが、当然ながらアルマスは言葉どおりに受け取っていない。
これはおそらく監視だ。アルマスが工房外に出るのを極端に厭っている点からも妥当な推測だろう。
では、監視の目的はなんだろうか。
1番に思いつくのは、アルマスが仕事をサボって逃亡するのを防ぐため。
公開錬成を執り行うことになっていても、雑事がなくなるわけではない。だからこそ、せっせとこうして学術協会の依頼をこなしているわけだ。
考えておいてアルマスはその可能性を否定する。
そもそも監視があろうがなかろうが力付くで抜け出すことは簡単だ。それをやらないのは、ティアの心象を決定的に悪くするからだ。今はまだヘレニウス家の後ろ盾が必要だった。
窓から見える雲はこの時期には珍しく分厚く暗い。明日は雨かもしれない。
疑問は募る。
しかし、結局のところさっさとノルマをこなしてしまうのが合理的だ。
ならばせいぜいこき使ってやるとしよう。
『淑女の語らいは相応しき場所で』
そう言われてリーリヤが連れてこられたのは、街中にある物静かな喫茶店だった。
馬車の中では対面に座ったティアの顔を見つめるだけの時間が辛くて、リーリヤは終始俯いて馬車に揺られていた。
無言の時間はなんとも居心地が悪くあったが、頭を整理するための配慮だったとも思える。
おかげで周りを見渡す余裕も戻ってきた。
店内に入り、リーリヤの目の前の席に座ったティアは、店員ではなく付き人らしき使用人から耳打ちをされている。いつものごとく口元が扇で隠されているので、ティアの表情を読み取ることはできない。
それでも忙しそうな様子を見るに、ティアには元々予定があったのだろう。困っているリーリヤのためにわざわざ時間を空けてくれたのだ。
初対面の時にあんなにも不気味がってしまったことをリーリヤは反省する。一般人とかけ離れた独特の雰囲気をまとっているだけで、ティアはやはり良い人なのだと改めて認識した。
ちょっとした罪悪感を誤魔化すため、手持無沙汰な振りをしてリーリヤは視線を窓に向けた。
リーリヤは宵闇色の瞳を瞬かせる。
「ここって」
見覚えのある噴水に以前来たことがある地区なのだと気付く。てっきり知らない場所に来たと思っていた。
噴水から飛び散る水の勢いが記憶よりも少し強いだろうか。
「えっと、確か、ロヒイト坂・・・だっけ?」
「よくご存じで」
リーリヤはティアの方を振り返る。
使用人とのやりとりは終わったらしい。
「ま、前にイレネさんと来たことがあって。あ、でも、来たのはこのお店じゃなくて。多分、もっと広場に近い、そ、そう、サーモンスープが美味しかったです!あっ、イレネさんというのはお世話になっているお家の奥さんで―――」
「失礼」
ピシャリとティアがリーリヤの話を遮る。ティアにしてはとても短く、強い語気だった。
リーリヤは息を呑み、そのまま言葉も飲み込んだ。
ティアは一度視線を落としてから、リーリヤを見据えた。
「無益な雑談はここまでにいたしましょう」
「あっ、すみません・・・」
「まずは貴女のお悩みを。とは言え、概ね想像は付きますわ。モニカ・レイポネンのことでよろしいかしら?」
「え?な、なんで―――」
知っているのか、と言い切る前にティアが会話を続ける。
「貴女とモニカ・レイポネンが友人関係であることは把握しております。他にあまり親しいご友人がいないことも。我がヘレニウス家に不審な者を招くわけにもいきませんでしたから。失礼ですが、昨日の段階で貴女の身辺は一通りの調査を行っていましてよ」
あまり友達がいない。
グサリとリーリヤの心に突き刺さる。
いや、いるにはいる。ヘレナはともかく、セルマは友達に数えてもいいはず。そうすればモニカも含めて2人。ついでにアルマスもいれれば3人だ。
大丈夫。全然1人ぼっちではない、はずだ。
「もちろん、それでもわからないことはありますけれども」
ティアの鳶色の瞳がリーリヤを映している。
そこでやっと遅れて認識した。ティアは『調査』と言ったのだ。
今更ながらリーリヤの背に冷や汗が流れる。
どこまで知られているのだろうか。ティアならばリーリヤが魔女の系譜だと突き止めていてもおかしくない怖さがある。
ティアの口ぶりではまだ真相まで辿り着いていないようだが、アルマスの作った設定を怪しんでいるのは感じ取れた。
リーリヤが何も言えずに固まっていると、ティアは扇子を閉じてみせた。
「それは今は重要なことではありませんわね。ご友人との間に何かありまして?」
リーリヤは肩の力を抜く。
しかし、それはそれでリーリヤは困ってしまった。
思い悩んでいたことを言葉にしようとすると、なお恥ずかしくさえなってくる。
しかし、いつまでも黙っていても始まらない。リーリヤは頬が赤くなるのを無視して、意を決して自身の胸につかえる想いを口に出した。
「モニカちゃんが言いがかりをつけられてて。それで、なんでか私がむかついちゃったんです。だから、モニカちゃんの代わりに言い返したのに。でも、モニカちゃんにとっては、私の助けなんていらないみたいで」
あまりに辿々しいリーリヤの説明。ティアに言いたいことが伝わっただろうかと不安になる。
自分の言ったことを心の中で繰り返してみると、まるで駄々をこねている子どもみたいで嫌になった。
これだけでわかるはずがない。リーリヤは詳しく説明しようとして、これ以上の言葉が出てこなかった。自分の中にある複雑な感情を表現する術を、今のリーリヤは持ち合わせていなかった。
「なるほど」
ティアは閉じたままの扇子を口元に添えて、リーリヤの話をじっくりと噛み砕くように考え込んでいた。
「貴女はモニカ・レイポネンの現状をどれくらい認識していますか?」
「げ、現状?」
「なぜあれほどに敵意を向けられているのか、と言い換えていただいて構いませんわ」
やはりモニカの周りで起きていることは普通ではないようだ。リーリヤも薄々感じてはいた。
以前、モニカはリーリヤに同じ境遇の仲間と言っていたが、被害を考えればまるで比較にならない。
「男の人達にちやほやされるから、私くらいの年の女の子にはよく嫌われている、とは聞きました」
知っているのはせいぜいそのくらいだ。
「それも理由の1つでしょう。もう1つ大きな理由があります」
その答えを告げる前に、ティアはちょうど運ばれてきたハーブティーを手に取る。
リーリヤの前にも同様にハーブティーが置かれる。
瑞々しい甘やかな香りは、ティアの華やかな花の香りとは種類の違うお茶だ。
この林檎を思わせるカモミールの香りがリーリヤは好きだった。なによりとても飲みやすい。
ティアに好みを伝えたっけ、とリーリヤは首を傾げる。そんな些細な疑問はすぐにどうでもよくなった。
「原因はわたくしにあるのです」
「えっ」
「厳密にはわたくし個人ではなく、わたくしが代表を務める赤薔薇会に責があると言えましょう。無論、遠因です。それでも、あの方の現状には心苦しく思っていますの。・・・ああ、馴染みがないのも当然ですわね。貴女はまだフルクートに来て半年も経っていませんもの。赤薔薇会とは、この街を代表する、花の乙女の派閥の1つとご認識くださいませ」
疑問が顔に出ていたのか、ティアが補足をしてくれた。それでリーリヤは得心がいったことがある。
「なるほど。だから、『紅き薔薇を戴く者』ってことだったのね」
「わたくしは確かにその栄誉を賜った者。けれども、今の話とは直接的な関係はなくてよ。歴史的価値のある名誉と、たかが派閥の長を混同してはなりませんわ」
リーリヤの小さな独り言を掬い上げたティアは、リーリヤの考えを否定する。
「えっ、でも・・・。紅い薔薇って・・・」
「・・・どうも話が噛み合いませんわね。信じ難いことですが、貴女はこの街の伝承についてご存じないのですか?」
リーリヤはあからさまに目を逸らす。
フルクートの『伝承』。昨日はやり過ごすことができた話題がまた降りかかってきた。
だが、ティアは疑問を問いかけながらも、最早確信しているようだった。
なんでこう簡単に嘘がバレるのだろうか。
自分の不器用さがほとほと嫌になる。だが、それよりも『だから、教えておいてよ』とアルマスに当たりたくなる気持ちの方が強い。
これ、ティアの反応を見る限り、知らないのは異常だと思われるくらいの常識なのだろう。
ここでリーリヤがなけなしの抵抗をしていても仕方がない。リーリヤは正直に白状することにした。
「は、はい。実は知らないです」
ついにティアにも白い目で見られるかと思いきや、逆に興味深そうな眼差しをしていて、リーリヤは2重の意味で驚いた。
「アルマス様の話もあながち嘘ではないのですわね。そう。そういうこともあると」
ふぅん、と唇に指を当てるティアの仕草は、普段の人形のような無機質さとは違って―――変な言い方かもしれないが―――血の通った生きた人のようにリーリヤは感じた。
「耳触りが良いだけの美談を謳い、広めるのは教会の役目ですわ。しかし、ときにはこの街を導く一族の者としての務めでもありますわね。いいでしょう。教えて差し上げますわ。1人の花の乙女の大いなる奇跡を」
遥か古の時代、この北の大地ベーネを襲った災厄から世界を守ったのが花の女神とされる。簡単に言うと、その女神を信仰しているのが教会である。
花の女神を讃える教会には、その教えを説くための原点とも言える『花の教典』が存在する。その教典には数多の聖人、聖女の軌跡が記されているが、特筆すべきは花の女神から遣わされた5人の『大輪の花姫』に集約される。
『いと貴き白の乙女』
『いと気高き紅の乙女』
『いと美しき蒼の乙女』
『いと賢しき翠の乙女』
『いと麗しき黄の乙女』
その5人の聖女全てがとても偉大な花の乙女である。聖女の中の聖女と呼ばれるに相応しく、それぞれが遺した伝説はどれも比類なき偉業だ。
「特に『いと貴き白の乙女』とは、かの始祖イリスと同義であり、花の女神の化身でもあったと教典には記されておりますわ」
始祖イリス。
聞いたことがあるようでない名前だとリーリヤは思った。少なくとも師から教わった魔女の言い伝えには登場しなかった気がする。
リーリヤは世俗のことをあまり知らずに育った経緯がある。魔女として生きるのに必要がないと師に判断されたからだろう。精々女神と教会の存在を小耳に挟んだことがあるくらいの知識しか持ち合わせていなかった。
ティアの話によれば、始祖イリスとは花の乙女の開祖であるとのことだ。つまり、『花飾り』や『花歌』といった精霊と交感するための花の乙女の技法を編み出したとんでもない人物なのだという。
「そして、この誇り高きフルクートは、かの『いと気高き紅の乙女』が降臨した地なのです」
『白の乙女』と肩を並べて語られる『紅の乙女』。
その『紅の乙女』が伝説を刻んだ地こそがこの街なのだ。
この時点で、リーリヤは己がどれだけ異質な状況に置かれているかを理解した。
北の大地全域に広がる女神信仰の中でも特別な伝承の地に住まう者で、肝心の伝承をこれっぽっちも知らない人間がいる。それも、小さな子どもならまだしも、リーリヤも立派な大人と言える年齢だ。
普通に考えておかしいだろう。
それに今までリーリヤが伝承の話を聞かなかった理由もなんとなくわかった。
当たり前すぎて誰もリーリヤが伝承を知らないなんて露ほども思っていなかったのだろう。今更あえて触れる話題でもなかったわけだ。
むしろ知らないなんて大っぴらに言おうものなら、どういうことかと糾弾されかねなかった。
「『いと気高き紅の乙女』を語るならば、まずは古の大災厄から始めなければなりませんわ」
ティアはその偉業を語りだす。
この物語の始まりは、大疫病の流行からだった。
正確な年の記録まではないとティアは言う。女神歴―――始祖イリスが降臨してからの暦で、今は女神歴822年だ―――百年前後くらいの出来事らしい。
「史実上、類を見ない大規模な人死にが出た病の名は『枯死病』。魔女が振りまいた最悪の災厄の一つ」
「なっ・・・!?」
「真偽は不明ですわ。魔女なんて本当にいるのかさえ定かではない御伽噺の中の登場人物ですもの。ですが、伝承のとおりならば、悪しき者共を従えた魔女が起こした悲劇が『枯死病』の流行なのです」
また魔女のせい、とリーリヤがショックを受けている間にもティアの話は続く。
この時代、『枯死病』には碌な薬もなく、的確な対処法もなかった。そのため、あまりにも軽々しく人の命は散っていった。
数年にも渡る死屍累々の日々は、特効薬の発見で止まる。
ある森になる木の実が薬の材料になると判明したのだ。
「それこそが、このフルクートの東方面に広がる森林地帯のことです」
しかし、やっと見つけた希望の光はすぐに闇に覆われることになる。薬の材料の噂を聞きつけた魔女が森を支配したのだ。悪しき者に命じて、非道にも森に立ち入る人々を蹂躙した。
その窮地を救ったのが1人の花の乙女。つまり、『紅の乙女』だった。
『紅の乙女』は強力な精霊の力を借りて、森に棲み着いた魔女と激しい死闘を繰り広げた。
「クーケルゥ湖は伝承において、最後の決戦の地とされておりますわ。別名は『太陽が顕現した地』。夏至に行われる祭事の由来にもなった聖戦ですわ」
花の乙女率いる街の人々に追い詰められた魔女は最後の悪足掻きとして、己の身を邪悪な存在へと変貌させる。
それでも、数多の仲間を失いながら『紅の乙女』は遂に魔女を打ち倒す。
「その結果、朽ちた魔女を中心に汚泥が如き腐敗の沼が生じました。ともすれば、一日と経たずに街を侵食する勢いだったとか。放っておけば国の1つや2つは死者の国へと成り果てたことでしょう」
絶望を前にして、救世のためにその身を投げ出したのが『紅の乙女』だった。生命を賭して魔女の亡骸を抱きかかえた花の乙女は、清き炎を身に纏い大地の呪いを浄化する。その様は天に輝く太陽が地に降り立ったと形容されるほど。
七日七晩にも渡って『紅の乙女』の花歌は奏でられ続けた。そして、浄化の奇跡の代償に残った大地の傷跡には、聖女の慈悲に世界が涙を流したかのように雨水が流れ込み、今のクーケルゥ湖が出来上がったそうだ。
「街に、国に平和が訪れるも、かの聖女に尽力した当時の領主一族はほぼ滅亡となりました。それを契機にフルクートも自治都市へと変遷していきましたが、それは別のお話ですわね」
薬の材料が安定的に採集できるようになり、流行り病が収束した頃には、『紅の乙女』の姿は忽然と消えていた。そのため、『白の乙女』の伝説に因んで女神の遣わした聖女だったと言われるようになったのだ。
「聖女が最後に目撃された場所は聖地として、今も森の最奥にありましてよ。教会の厳重な管理下に置かれているはずですわ」
ティアの話を聞き終えたリーリヤは感情を表情に出さない様にするのに随分と苦労した。
話が進むにつれて、リーリヤの胸中には新たな苦悩が生まれた。その想いを一言で表すと落胆である。
所々突っ込みたいところはあった。
しかし、細々とした疑問や不満は、結局のところ『魔女が悪役にされるのは致し方ない』という結論で押し潰される。
そういうものだと、もう飲み込むしかないのだ。
リーリヤは大きく深呼吸をして心をなだめようとした。
一歩心理的な距離を離して考えてみると、この伝承の大筋に既視感があることに気付く。
「あれ?子ども向けの人形劇と話が似てるような?」
1か月くらい前、図書館で小さな子どもに本の読み聞かせをやったとき、一緒に行われていた人形劇を思い出す。
あの題名は『花の乙女と苺の森』だった。
「似ていて当然。あれは伝承を元にした童話なのですから。真実を子どもに聞かせるには余りにも酷ですもの」
それもそうかとリーリヤは納得する。
「先ほども申し上げたように、夏至の日から七日に渡って開催される夏至祭『太陽の咲く祭り』とは、この伝説的な偉業に因んだもの。『太陽の巫女』と呼ばれる選ばれし花の乙女達は、夏至の日から七日間、精霊様に花歌を捧げます。最も精霊様に見初められた花の乙女が、その年の『いと気高き紅の乙女』に選ばれるのです」
一拍の間、ティアは目を伏せる。
長いまつ毛の奥に覗く鳶色の瞳は琥珀のような静謐さと美しさを秘めている。
「もうお判りでしょう?わたくしが今代の聖女の担い手。紅い薔薇の『花飾り』を用いることから、人々はわたくしを『いと気高き紅薔薇』と呼ぶのです」
「せ、聖女、様・・・・・・」
リーリヤが不気味がっていた、透明と評するほどの感情の読めない振る舞いも、途端に神秘的な一面に思えてくる。
そして、ここでやっとモニカの抱いていた願いの輪郭が見えてきた。モニカは『いと気高き紅』になりたいと言っていた。『太陽の巫女』に選ばれ、更にはティアのように聖女になりたいという意味だったのだ。
モニカは大きな夢を叶えようとしている。そのことをリーリヤは凄いと思うと同時に、自分のことでもないのに嬉しく感じていた。
「ここまでは前提と言えますわね」
ティアはハーブティーで喉を潤してから続ける。
「聖女の大役もあと数日で任を解かれます。しかし、それと引き換えに今年もまた『太陽の巫女』達による情熱的な花歌が咲き誇ることでしょう。いえ、昨年にも増して、ですわね。今年の夏至祭では『太陽の巫女』が5人になりますから」
「あっ。それなら私も聞きました」
リーリヤは教会でセルマから聞いた話を思い出す。
多分、この追加の1枠はモニカのためのものだったはずだ。
「では、人数を増やすことになった経緯も?」
ご存じかしら、とばかりにティアは小首を傾げる。
ティアの首はあまりにも細くて、そのまま折れてしまいそうだなどと見当違いな心配をしてしまったリーリヤは、遅れてティアの質問に気付いて頷いた。
リーリヤも人が増えることになった理由は聞いた覚えがある。去年の儀式はとんでもなく過酷で、最後まで役目を全うしたのが1人しかいなかったくらいだ。
その人物こそが目の前のティアだった。
「それは重畳ですわ。この問題の根本には伝統による弊害がありますの。言わずもがなですが、伝承に基づくこの祭事はとても神聖なもの。故に『太陽の巫女』には、実力だけではなく、家柄の格や正統な血筋も求められるのです」
リーリヤは眉をひそめる。
極端な話をすれば、儀式から脱落者が出たのは、実力不足の人を『太陽の巫女』にしてしまったせいとも見て取れる。
本当のところはわからないが、それは何とも本末転倒な気がした。
「貴女のおっしゃりたいことは理解できます。ですが、この街の歴史と威信をかけた祭事を、どことも知れぬ人物に託すわけにもいかないのも事実。そう単純にどちらと割り切れるものではありませんわ」
「そういうもの、なんですね」
「だからこそ、逆にしきたりに固執し過ぎる必要もないともわたくしは考えておりましてよ」
「ぎゃ、逆・・・?」
「そう難しく考える必要はありませんわ。凝り固まった観念に一石を投じただけのこと。赤薔薇会が掲げるのは実力主義。実力さえ伴っていれば、家柄はもちろん派閥さえも問わずに『太陽の巫女』への推薦をすると声明を上げました。その結果、モニカ・レイポネンの名が挙がってきたのですわ。大精霊様相手の経験はなくとも、街中での活躍は上流階級の間でも話題になるほど。推薦する相手として不満はありませんでした。―――少なくともわたくし達は」
「じゃあ、誰が・・・」
不満を抱いたのか。
リーリヤの脳裏に、同年代の少女達がモニカに突っかかる姿が思い浮かぶ。
「年若い花の乙女達の心に仄暗い火をつけてしまったのは失策でした。真っ当に実力で競り合うのなら問題ありませんでしたわ。しかしながら、その矛先は悪い方に向かってしまいました。それは貴女もわかっておいででしょう?」
「嫌がらせ・・・」
モニカにそういう意図はないにせよ、周囲にたくさんの若い男性をはべらせるモニカを気に入らないと思う少女達は多い。そして、そんな少女達の怒りの炎に薪を焚べた格好になってしまったのだろう。
『実力』というどんなに正当な理由があったとしても、嫉妬に駆られた人は事実を歪めて受け取る。
素直に褒めればいいのに、と思うリーリヤはまだ人間関係の実態をよく理解できていないのかもしれない。
「特に最近は陰湿な嫌がらせが多いみたいですわね。自らの持ち場をあえて離れ、住民の不安を煽るとともに、その不安の捌け口として庶民の間で話題になっているモニカ・レイポネンへと意識を誘導させる。その対応だけでも相応の負担はあるでしょう。そこに加え、情にほだされて助力しようものなら、担当地区の取り決めを違反したと難癖をつけて騒ぎ立てる手口ですわね」
ティアの語った嫌がらせの内容は、先ほどリーリヤが遭遇した場面そのままだった。
「ひょっとしてさっきのも?偶然じゃなくてわざとだったって言うんですか!?」
「やはり貴女が巻き込まれたのもこの件だったのですね。住民からの依頼を受けても担当の花の乙女から反感を買い、かといって断わっても角が立つ。陰口なんて可愛く思えるような、悪意ある策謀ですわね。しかも、あの方の性格上、わかっていてもなお頼みを断わるのは難しいのでしょうから」
リーリヤは鳩尾のあたりに締め付けられるような鈍痛を感じた。
これが胃が痛くなるということか。
味わったことのない感覚からリーリヤはつい逃れたくなる。
「でも、巫女の枠ってモニカちゃんに決まっているんですよね?今更、そんなことしたって意味なんか・・・」
「いいえ。あくまで推薦。『太陽の巫女』が正式に指名されるのは、夏至の日の前夜に行われる『選定の儀』にてですわ。現在は推薦された候補者の査定期間中と言ったところ。これが示す意味はおわかりになりまして?」
「・・・もし、モニカちゃんに不祥事でもあれば、巫女に選ばれない可能性がある?」
恐ろしい考えに至り、リーリヤの顔からサッと血の気が引く。
まだ太陽の巫女になる確約がないのであれば、せっかく推薦されてもひっくり返ることだってあり得るのだ。
「そのとおり。けれども、わたくしの見立てでは、そもそもモニカ・レイポネンが選定される可能性は現状において極めて厳しいと考えておりますわ」
「え?」
リーリヤの抱いていた認識との食い違いに疑問がこぼれる。
「確かにモニカ・レイポネンを推薦したのは赤薔薇会。それにわたくし達が実力に重きを置くのも事実。ですが、当然ながら『太陽の巫女』の候補を推薦する派閥や団体は他にもたくさんありますわ。いくら巫女の席が5つあると言っても、高々一つの派閥の意向だけではできることに限りがあるのです」
「え?え?で、でも、街の人達はモニカちゃんで決まりだって。な、なんで?」
「さぁ?具体的な根拠はわかりかねますわ。あくまで推測するのならば、『太陽の巫女』の席が1つ増えたことと、庶民派の花の乙女が1人推薦されたことを変に曲解してしまったのではと。大袈裟に勘違いした庶民によるただの思い込み。それだけですわ」
「そんなアホみたいな・・・」
流石に失礼だとリーリヤは慌てて口を閉じる。
「民衆とは案外簡単に噂に踊らされるものですわ。それこそ滑稽な道化のごとく」
その言葉はとても傲慢だった。
透き通った清廉さを醸し出すティアであっても、人の上に立つ上流階級の人なのだとリーリヤに強く印象付けた。
「他の追随を許さないほどの確固たる実力の証明でもない限り、モニカ・レイポネンが『太陽の巫女』になるのは難しくてよ。しかし、貴女の言うように世間の人々はそう考えていない。ここが厄介な点ですわね。モニカ・レイポネンがまるで有力候補であるように誤認している。これは良いことではなく、悪いことですわ。不利益の方が遥かに上回りますもの。これから数日の間にかけて妨害行為はより激しさを増すでしょう」
「そんなの・・・!」
そんなのは、心が殴られているのと変わらない。
今までモニカはどれほど痛めつけられてきたのだろう。
寄って集って女の子1人相手に酷すぎる。
「前置きがとても長くなってしまいましたわね。つまるところ―――」
ティアは再び紅い扇子を開き、口元を覆い隠す。
前置き、という言葉に思い出す。
そうだ、元はといえばリーリヤの相談に乗ってもらっていたのだった。
しかし、ここまで話を聞けばリーリヤにだって結論を思い描くことはできる。
「貴女を巻き込みたくなかった、ということですわ。これが貴女の抱える悩みへの答えになるのではなくて?」
リーリヤは神妙な面持ちになる。
モニカの優しさとリーリヤへの心遣いはよくわかった。けれども、そこで『良かった』とはならない。
「それを踏まえて問いましょう」
「へ?」
人形みたいだと思っていたティアの無機質な視線にリーリヤを見定めようとする色が加わる。
「貴女はモニカ・レイポネンの味方ですか?」
「っ・・・!」
ティアだってリーリヤがモニカの敵ではないのはわかっているはず。
この質問の真意は、リーリヤの覚悟を試しているのだ。その他大勢の傍観者になるのか、それとも逆風を理解した上でモニカの味方になるのか。
自問するまでもなかった。リーリヤの中でやるべきことが明確になる。
「はいっ」
モニカを助けたい。リーリヤにできた新しい友達を人の悪意から守りたい。それができなくても、せめて側で一緒に戦ってやる。
リーリヤは決意を込めてティアを見返した。
「そう。それは良かった」
ティアの微かな呟きはリーリヤの耳にも届いた。
「良い方法がありますの。そのために貴女にはぜひ協力をいただきたいのです。きっと彼女の気を楽にさせてあげることができると思いますわ」
モニカを助けるためにティアが手を差し伸べてくれる。
気持ちはあっても解決の手段を持たないリーリヤにとっては、ティアの協力ほど心強いものはない。リーリヤは喜んでティアの手を取った。
「単純なことですわ。良き花の乙女であると実力を示せばいいのです。これこそ正道ではありませんこと?」
誰も見えない扇子に隠された奥で、ティアの美しい唇は艷やかに弧を描いていた。
「モ・・・め。モニ・ひ・、・・カ姫。モニカっ」
肩を揺さぶられ、名前を呼ぶ声にモニカは目を開けた。
「あ、れ?お兄、ちゃん?何?」
目の前に見慣れた兄の顔を見つけて、シパシパと重い瞼を瞬かせる。
「大丈夫か?」
心配そうなオスクの声にモニカはやっと意識が覚醒する。
周りではパン焼き職人達が未だに仕事に取り組んでいる。昼間よりも気の抜けた雰囲気なのは、明日の仕込みの最中だからだ。
モニカは少し休息するつもりで椅子に腰掛けたら、そのままうたた寝してしまったようだった。
「ちょっと寝ちゃってた。さっ、あたしももうひと踏ん張りしないとっ。って、うわっとと・・・!」
気合いを入れて立ち上がったモニカは立ちくらんでふらついてしまう。
「・・・やっぱり疲れているんだろう?今日はもう休みなさい。後は俺達でやっておくから」
オスクの気遣いを過保護だと笑い飛ばす前に、職人達からも同様の声が上がる。
「そうですよ!後は俺達にお任せを!」
「残りは力仕事ばっかですからね。姫様の細腕には任せられませんよ!」
力持ちアピールをしてポーズを取り出す職人達の滑稽さに、ドッと笑い声が上がり、モニカもつられて吹き出す。
気が抜けるのに併せて、眠気も込み上げてきてしまった。これじゃあ、無理に仕事をしても大して役には立てないだろう。
「じゃあ、皆が言うならそうしようかな?」
「はい!姫様!」
「ゆっくり休んでください!もう夏至祭も近いですしね!・・・あっ」
和やかだった空気が急激に凍りつく。
「お、おい!おまえ、それは言うなって・・・!」
「あ、すいません、姫様。あの、その、そういう意味じゃなくてですね!えっとぉ」
「いいよ。わかってるから。あたしなら大丈夫っ、大丈夫っ。皆、お祭りを楽しみにしててねっ」
変な緊張感が漂ってしまったこの場も、モニカが微笑めばすべて解決。
ホッと安堵が広がった。
タイミングを逃さないようにモニカは手早く支度を済ませる。そこでオスクは言いづらそうに口籠った。
「ああっと、モニカ姫。明日の朝にでも追加の水汲みを頼んでいいか?『太陽の恵み』の水がちょうど切れてしまったんだ。ほら、うちのパンにはやっぱりあれがないとな」
「オーケーっ。モニカちゃんにお任せあれ!朝になったら精霊様にお願いするね!」
パン焼き職人達に手を振って、モニカは作業場を後にする。
パン焼き工房の居住区に戻り、自分の部屋に入った途端、モニカの可憐な笑顔に罅が入り、砕け散った。
期待があるのは知っている。皆がそれを感じさせまいとしていることも。
それでも、その期待がモニカを息苦しくさせている。そうなりたくないのに、そうなってしまう自分に暗い感情が出てきそうになって、頭から無理矢理振り払う。
「はぁ・・・」
1人でだんまりと考え込んでも気分が沈むばかりだ。
今日は久しぶりに早く寝れるのだから、さっさとベッドに潜り込んでしまおう。
モニカは数日ぶりに寝間着に着替える。ここ最近はいちいち着替えるのも億劫なくらいには疲労困憊になる日々だったのだ。
寝ようとしたところでモニカは舌打ちをする。ベッドの上に脱ぎ散らかされた服が邪魔だった。これもまた片付ける気力がなくて脱ぎ散らかしていたものだ。
洗濯は今度まとめて一気にやるとして、とにかく部屋の整理だけはしておきたくなる。
モニカはむしゃくしゃしながらも落ちていた服を拾い上げると、脱いだばかりの服と一緒にクローゼットに突っ込んでいく。
粗方しまい終えてクローゼットを閉めるときに、鮮やかな黄色い生地の服が目に付いた。
見目麗しい美しきドレスは今回のために特別に仕立て上げたものだった。
「『黄金の夜会』」
夏至の日の前夜に行われるパーティー。
ここで『太陽の巫女』を選ぶ儀式が行われる。当然、推薦を受けた花の乙女は参加を義務付けられる。
望んだ舞台とは言え、別の意味で気は重い。
夜会の出席者はほぼ上流階級の人達だ。庶民は多分モニカ1人だけ。
いくら豪奢なドレスを纏おうとも、自分には不釣り合いなのかもしれないと弱気が顔を出す。
「大丈夫ったら、大丈夫。あたしはモニカ・レイポネン。皆に好かれて、笑顔が魅力の、可憐な花の乙女だもの」
自身に言い聞かせるように鼓舞した。
そうして空虚な自信を必死に胸に抱きかかえる。
表面上を取り繕っただけの張りぼてなのは、自分のことだからこそ誤魔化せない。
それでも、モニカはこの機会を逃すわけにはいかないのだ。
叶えたい夢がある。何年も焦がれ続けてきた憧れがある。
それを手にするためなら、この程度の苦しみなんて耐えきってみせる。
モニカは覚悟を確固たるものとし、幼い頃から心の支えにしていた願いの拠り所を握りしめようとする。あの人から貰った大切な口紅を―――。
「あれ?口紅は・・・?」
口紅が、なかった。
テーブルの上にも、化粧箱の中にもない。
モニカは必死に思い出そうとする。最後に見たのはいつだったか。
あれは『精霊の小路』に迷い込んだ小さな女の子を助けた日だ。
クローゼットにしまったばかりの服を引っ張り出して、そのときに着ていた服のポケットを探ってみる。
空っぽの手の平に、モニカの顔は蒼白に染まっていた。




