15.不遇な日常
吹き荒んでいた暴風の名残は消え去り、今は湖の方から湿気が混ざったそよ風が穏やかに漂っている。
風に揺れた髪が頬をくすぐるが、リーリヤはまったく気にかけもしなかった。
風車の上層部に設置されたベンチに腰掛けたまま、リーリヤはぼんやりと手すりの向こう側を見ている。眼下の景色を眺めているようで、その瞳にはまったく別のものが映っている。
「ほわぁ」
ぽかんと間抜けに開いていた口から何度目かの吐息が漏れる。
リーリヤの頭から余韻が抜けきらない。あの美しくも心に響く光景をじんわりと噛み締めている。
感動は何物にも代えられない。
まさにその一言に尽きた。
「おまたせ〜。はいっ、どうぞ」
呆けていたリーリヤにモニカがアップルパイを差し出してくる。甘い匂いがリーリヤの食欲を刺激し、お腹が鳴る。途端に現実に戻ってきた感じがした。
リーリヤはちょっぴり恥ずかしがりながらパイを受け取る。
「配達用のパイが余ったからね。お腹減ってるでしょ?さっき全然食べれてなかったみたいだし」
リーリヤとモニカは並んでベンチに腰掛ける。
二人の見守る先では、職人達が風車の周りで忙しなく作業をしている。
風の精霊が大人しくなったことで彼等はやっと仕事を始めることができたのだ。木槌であちこちを叩いて回ったり、羽根に取り付けられた帆をじっくり観察したりと様々だ。
暴れ狂う風に翻弄された風車に傷みや不具合がないか、管理人のもとで職人達が確認作業をしている。
そして、モニカは彼等相手にパンを売りさばいていたのだ。もちろん、とびっきりの笑顔を付けて太陽の恵み亭のアピールも怠らない。花の乙女の仕事ついでにパンの営業も抜かりはないようだった。
「よかった?」
「うん」
リーリヤはコクリと頷く。
アップルパイのことではない。
モニカが披露して見せた『花歌』―――花の乙女と精霊との交感をそう呼ぶらしい―――のことだ。
感想を述べるでもなくリーリヤはただ頷いた。それだけでも、モニカは嬉しそうだった。
「あたしもね、昔はこうやってよく『花歌』を見に来てたんだ」
幼い頃のモニカは落ち込むことがある度に花の乙女が紡ぎ出す花の舞いを見て心を躍らせたと言う。
「そうなの」
「綺麗だよね。こうして花の乙女になった今もそう思うもん」
モニカのヘーゼル色の瞳はどこか遠くを見るようだった。
あの美しい光景を作り上げたのはモニカ自身なのにおかしな反応だった。
職人達が立てる騒がしい音を背景にリーリヤ達はアップルパイをゆっくりと噛み締める。林檎の優しい甘さがやけに舌に残る気がした。
「ねぇ。モニカちゃんはなんで花の乙女になったの?」
深い意味はない質問だった。
このゆるくてふわついた時間だからこそ、純粋に湧き出た疑問が口から出ただけだ。
「え〜?そうだなぁ。あんまり聞かれない質問かも」
モニカなら『なるべくしてなった』と言われていても違和感はない。自然とそう思ってしまうくらいには、人を虜にする魅力がモニカにあるのだろう。
「ううーん。やっぱり、憧れかなぁ」
小首を傾げて唸る姿も可愛らしいモニカは、自分の心を探るように言葉を選ぶ。
「忘れられない光景があるんだ」
リーリヤは目を瞬かせる。
てっきりモニカはいつもの自信に満ちた可憐な笑みを浮かべると思っていた。
だが、その横顔は大切なものを失くして悲しむ子どものように見えてしまったのだ。
「あの人と同じように『いと気高き紅』になることがあたしの目標なの。でも、あたしみたいな庶民には『太陽の巫女』になるのも高い壁で。今、やっとそこに手が届きそうなの。だから・・・」
呟くようなモニカの声は小さくて聞き取り辛かった。しかし、例えモニカの声が大きかったとしても、リーリヤはモニカの抱えている想いを理解できなかったと思う。
『あの人』とは誰なのかとか、『いと気高き紅』とは何なのかとか。モニカがやるというお祭りでの役目『太陽の巫女』がそれにどう関係するのかとか。
端々にどこかで聞いたことがある単語はあっても、リーリヤには話の核心が掴めない。
とはいえ、それをモニカに聞ける空気でもない。
顔に暗い陰を落とすモニカを励ましたくても、そのための言葉が出てこない。それがリーリヤの心をモヤモヤさせた。
「・・・ううん、なんでもないっ」
リーリヤが言葉をかける前に、モニカは表情を取り繕う。それは誰が見ても可愛くて隙のない完璧な笑顔だった。
「とにかくっ。そんなところだねっ」
「う、うん」
リーリヤはそれ以上追及することはできなかった。
「そろそろあたしの出番かな」
リーリヤ達がアップルパイを食べ切る頃、職人達がちょうど仕事を終えたようだった。
職人達は次々に撤収を開始している。
「おーい!モニカの姫さーん!もういいぞ!回してくれー!」
職人達がリーリヤ達のところまで降りてくると、こちらに向けて大きな声が張り上げられた。
モニカがベンチから立ち上がる。
風車の羽根を回すと言っても、もちろん力尽くで行うはずもない。リーリヤの生っ白くて頼りない腕と比べれば、断然健康的であるとはいえ、モニカの細い腕では無理に決まっている。
それはつまり、花の乙女の力を持ってして精霊をなだめることで風を収めたのとは反対に、今度は精霊に風を吹かせようというのだ。
リーリヤはアップルパイの最後の一欠片を急いで口に詰め込む。
また、あの『花歌』を観ることができる。そわそわとした期待とちょっぴりの興奮を抱いているのをリーリヤは自覚する。
だから、モニカがこんなとんでもないことを言い出すとは思ってもいなかった。
「そうだ。折角だし、リーリヤちゃんがやってみる?」
「ぶぇふっ!ぼっふ!・・・ぇ゙っ!?」
リーリヤは思いっきり咽た。
「お、おお、ぉ・・・?な、なんでこんなことに・・・?」
リーリヤは風車の正面にぽつんと立ち尽くす。
モニカの面白くない冗談だと思いたかった。いや、今からでもいいから冗談だと言って欲しい。
後ろを見れば、モニカがにっこりと笑い返してくる。
「なんなのよぉ、もぅ。なんで私がやることになってるの?嘘でしょ?」
リーリヤの手には花の刺繍がされたハンカチが握りしめられている。その中央にはきらりと緑に輝く小ぶりな『花飾り』が一つ付いていた。
これを使って、と半ば無理矢理モニカから渡されたものだ。
何がどういうわけなのか、リーリヤが精霊相手に『花歌』をすることになっている。
リーリヤは冷や汗を垂らす。
『私、精霊を大暴走させた前科があるの!それで友達の家が燃えちゃったのよ!?』
そんなことを大っぴらに宣言できるはずもなく、もごもごしていたらリーリヤは断るタイミングを逃していた。
「あはは。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。やり方はきちんと教えるから」
「そこじゃない!いや、そこも大切だけど!そもそも、私、花の乙女じゃないのよ?マズイんじゃないの?」
「一人前の花の乙女がいるときなら問題ないよ。リーリヤちゃんは結構心配性なのかな?知らない?よくあるんだよ?特にお祭りの最中なら、ちっちゃい子の体験会とか珍しくないし。そこに混ざって一緒にやる大人だっているんだから。ほら、そう考えたらお祭りの先取りみたいでお得に感じるでしょ?」
「全然感じない」
リーリヤは震える声で言うが、モニカには届かなかった。
職人達は面白そうに囃し立てている。完全に見世物扱いだ。
「いい気なものね。こっちはトラウマだってのに・・・!」
また精霊が暴走してしまったらどうしようと不安が止まらない。それとも、このたった1枚の布切れがあれば違うのだろうか。
リーリヤは手の中のハンカチを見つめる。
精霊と相対する花の乙女にとって最も重要な道具は『花飾り』である。それは先日モニカから聞いたことだ。
しかし、モニカがさっき精霊相手に使っていた日傘の『花飾り』と比べると、このハンカチに付いている『花飾り』は随分と頼りない。
あちらは大きくて立派な向日葵を模した黄色い結晶が三輪で、こちらは申し訳程度にハンカチの中央に載っている何の花かもわからない緑色の結晶が一つだけ。見た目からして明らかに貧弱だ。
「あの精霊様達には落ち着いてもらったばかりだもん。少〜し『お願い』するだけで十分だよ」
モニカの言うとおりに今の精霊達はとても大人しい。風の精霊達は風車の羽根にゆったりとまとわりついている。まるで揺りかごで眠る赤子のように穏やかだ。
これなら本当にリーリヤでも精霊を意のままに操ることができるのだろうか。
「〜っ。わかったわよ。腹くくればいいんでしょっ、もう!」
失敗したらモニカのせいだ。
だって、リーリヤは止めたのだから。
「それで?どうするの?私、何も知らないわよ」
「あは。簡単だよ。まずはお花を咲かせよう」
「は?どういうこと?」
「渡したハンカチを見てみて」
花とハンカチと言われれば、このハンカチに付いている『花飾り』のことだろう。だが、緑色に輝く『花飾り』は、小さいながらも既にしっかりと花開いている。
「もう咲いてるじゃない」
「いいから、ほら。モニカちゃんの言うとおりにしてみて?『花飾り』を指で撫でるの。優し〜く、だよ」
リーリヤは恐る恐る『花飾り』に指を伸ばす。ちょんと指先が触れた緑色の花の結晶からは、その無機質な見た目に反して確かな温もりが伝わってくる。
するりと花弁の表面を指が滑る。
結晶だというのに、リーリヤは何故か柔らかいと思ってしまった。視覚と触覚の認識の違いに大混乱である。
その感覚も次の瞬間には上書きされた。
例えるならば、新緑の瑞々しさだろうか。清々しくも爽やかな心地がリーリヤを包む。
『花飾り』の内部で光の粒子が乱舞し、煌めきを宿した。
リーリヤはなんとなく理解した。後はこれを振り回せば、モニカのように光の花びらを生み出すことができるのだろう。
ハンカチの端っこを握りしめ、腕を大きく上下に振ってみる。けれども、何も起こらなかった。花びらどころか、光の一欠片も生まれやしない。
嫌な予感を気にしない振りをして、今度は横に振り回してみる。そして、やっぱり何も起こらなかった。
リーリヤはその事実に気を取られたせいで、勢い余って体勢を崩してお尻から倒れ込む。
「いっ、たぁい」
レンガの地面の硬さに悶えるリーリヤの背に職人達の笑い声が突き刺さる。
リーリヤは顔を真っ赤にして俯いた。
だから、やりたくなかったのだ。
初めからできるはずもなかったとリーリヤは不貞腐れる。モニカが変な期待を持たせたせいで、無駄にやる気になってしまった。
「リーリヤちゃん。ただ振り回すだけじゃダメなんだよ?」
リーリヤのもとにモニカがやってくる。
モニカはなんだかいつもよりもずっとにこやかな笑みを浮かべている。なんでそんなに微笑ましそうな表情をしているのか。
「風の精霊様はね、楽しいことが好きなの。リーリヤちゃんも楽しまなきゃ」
「楽しむって言ったって」
精霊を見上げる。
脳裏にチラつくのは暴走して吹き上がった真っ赤な炎。
「無理よ。無理無理」
「そっか。じゃあ、何か楽しかった出来事を思い出してみよう?何かあるでしょ?パッと思いつくこと」
そんなものはない。
リーリヤはブンブンと首を横に振る。
そも人生の大半を暗く不気味な森で寂しく生きてきたリーリヤだ。相当過去の記憶まで掘り起こさない限り、そんな思い出はそうそう出てこない。
「うんうん。なら、あたしに任せてよ」
モニカの差し出した手を掴むと、リーリヤは両手を引っ張られて起こされた。
「ありが、と?」
立ち上がった後もモニカはリーリヤの手を離さない。右手で左手を、左手で右手を、リーリヤが握っていたハンカチごとがっちりと捕まえている。
「はい?」
リーリヤとモニカは互いに向かい合う形で手を繋いで輪を作っている。
「さっ、やるよ!気楽にね!」
「え?え?何を?何が!?」
ぐいっとリーリヤの手を引いてモニカはくるくると回り始める。
「皆も一緒に!はい、せーのっ!」
モニカの号令に観客と化していた職人達も軽快に手を叩いたり、口笛や指笛を吹き始める。中には下手っぴな調子で歌い出す人もいる。
「なになになに!?なんなの!?」
「らたたっ、らたたっ。ほら、皆、もっとちょーだい!リーリヤちゃんも、はい、らたたたたっ!」
「らっ、らたたた、たたたたっ!?」
「あはははは。いい感じ、いい感じ!」
手拍子やリズムに合わせて、飛んだり跳ねたり回ったり。
リーリヤはモニカに引っ張られるがままに、脚を絡ませながら、辿々しく振り回される。
ダンスとも言えないダンス。見世物としては不出来もいいところ。それなのにこの場の誰もが楽しそうに笑っている。
モニカも観客も思い思いにはしゃぎ回っている。あまりの滅茶苦茶さにリーリヤは馬鹿らしくなって吹き出した。
「リーリヤちゃん、楽しいっ?」
「わかんない!わかんないけど笑っちゃう!」
「あは。それでいいんだよ!あはっ!あははは!」
「ぷふっ!ふふふふふっ!」
笑い過ぎて息が乱れる。その時、モニカの手が離された。
「今だよ!リーリヤちゃん!」
手に持っていたことも忘れかけていたハンカチをリーリヤは咄嗟に振る。丁寧さとはかけ離れたぞんざいな扱いに、それでも『花飾り』は応えてくれた。
リィンと澄んだ音とともに『花飾り』から緑色に輝く花びらがこぼれ出る。片手で数えられる程度のたった数枚だったが、花びらは宙を滑って精霊にまで届いた。
精霊は身体を震わせると、目が覚めたように空を飛び回る。
そして、同時に風が吹き始めた。
勢いは全然ない。しかし、優しくも力強い風がリーリヤの頭上を吹き抜ける。それはゆっくりとだが確かに風車を動かす力を持っていた。
「よくできました!」
「やるじゃねぇか!嬢ちゃん!」
モニカを始めとして観客達から拍手や喝采が送られる。リーリヤは照れてそっぽを向いた。
「ふ、ふん。これくらい大したことないわよ」
「リーリヤちゃんったら、素直じゃないんだから」
拍手はすぐにただのざわめきへと変わっていく。あっという間に職人達の関心は薄れ、点検後の風車の調子を確かめる仕事に戻っている。それでも、リーリヤは気にならなかった。
心が満たされるこの感覚はなんだろう。
名前も知らない人達にほんのちょっとの間おだてられただけなのに。家事が上手くできてイレネに褒められたときに感じるものとは少し違う満足感があった。
これが花の乙女になるということか。
これはこれで悪くない気分だ。
それに精霊を操るのだってやり方さえわかれば案外と簡単ではないか。これならリーリヤの『花の乙女に力ずくでなってやるぞ計画』の再始動を考えても良いのでは。
調子に乗るリーリヤの隣から声がかかる。
「少し良いかい?」
そこには小柄な老婆がいた。
「あんた、有名な花の乙女さんなんだろう?ここの風車をやる人は皆凄い人だって聞くからね」
「うぇ?え?」
「どうか、うちの近くにいる精霊様のことも頼めないだろうか?」
リーリヤの充足感が急激に萎んでいった。
どうしたら、とオロオロするリーリヤの横をスッと抜けてモニカが前に出る。
助かったと安堵するリーリヤはモニカの浮かべる笑みが作り物めいたものに切り替わったことに気付いてしまった。
「おばあさん、ごめんなさい。それはできません。精霊様とやりとりができる花の乙女は花園によって取り決めがあるんです」
意外なことにモニカはきっぱりと断った。てっきり二つ返事で受け入れるのだと思っていた。
「そこはよくわかっているよ。そのうえでお願いしとるんだ。どうにかならないもんかね。頼むよ」
老人が本当に困っていることはリーリヤにも伝わってきた。
モニカはやんわりと丁寧な口調のまま再度首を横に振る。
しかし、それでも老婆は頑なに諦めなかった。モニカの手を掴むとせがむ様に懇願する。流石にモニカも眉をひそめている。
押し問答に決着を付けたのは職人達の取りまとめをしていた男性だった。モニカと老婆の間に立つとモニカに向き直る。
「いいじゃねえか、姫さんよ。仕事のついでに人助けくらいしてもよ」
モニカは目を瞑ってから深呼吸をした。
「・・・・・・わかりました」
その横顔が憂鬱そうに見えたのはきっとリーリヤの気のせいではなかった。
「はい。これで大丈夫だと思います」
「おお!助かったよ!どうもありがとう!」
老婆からの依頼はすんなりと滞りなく終わった。
それはリーリヤから見ても、至極何でもない内容だった。
やって来たのは住宅街の中に作られた小さな花壇。植えられている花はヘレニウス家で管理されていた花々と比べれば随分と素朴ではあるが、リーリヤにはこちらの方がしっくりくる。
なんというか、ひっそりと森で咲き、ときには季節を教えてくれた故郷の花を思い出すのだ。
その花壇の花は枯れるまではいかなくとも、元気がなさそうに萎れていた。どうにも花壇に住まう土の精霊の機嫌が悪くなっていたそうだ。
リーリヤだって花が可哀想と思わなくもない。自然の草木や花を慮る配慮くらいはリーリヤも持ち合わせている。
だからと言って特別危険があるわけではない。
たったこれだけのためになんで老婆があんなにもしつこく頼み込んで来たのかがリーリヤには全くもってわからなかった。
それにモニカがなぜあんなに老婆の頼みを渋っていたのかもだ。
実際、土の精霊への『花歌』は、向日葵の花びらをたった1枚だけ出して終わった。呆気ないのもいいところだ。
しかし、その疑問には答えの方からやってきた。
「このでしゃばり女!ここで何してるの!?」
老婆からの感謝の言葉とは引き換えに若い女の怒声が聞こえてきた。
「ここは私の担当なのに!勝手なことしないで!」
モニカとは似て非なる花柄のケープをまとった若い女性は、モニカに掴みかからんばかりの物凄い剣幕で捲し立てる。
リーリヤは突然の状況を飲み込むのに数瞬の時間を要した。
そして、何拍か遅れて気付く。この女性は本来この場所を担当していた花の乙女なのだと。
その女性を老婆が後ろから引き止めようとする。
「私が心配になって頼んだだけなんだよ。そら、いつもは週に1回は精霊様のお相手をしてくれてただろう?なのにもう3週間もそのままだったから。もしかしたら精霊様がお怒りになられてないかって思って、じっとしていられなかったのさ」
「忙しかったの!それにまだ全然大丈夫だったし!そこの女ならその程度理解してるはずでしょ!?なんせ私達庶民の中で唯一実力で名誉ある大役を勝ち取ったらしいから。ねぇ、そうでしょ?なんの実力かは知らないけどさ!」
女性は皮肉たっぷりにモニカへと吐き捨てた。
「そ、そうだったのかい?なぁ、花の乙女さん。本当に気付いていたのかい?」
「・・・」
モニカは言われるがままで、文句も言わず、言い訳もしなかった。
ただ諦めたように地面を見ている。
「ほら!この女、わかっててやったの!自分の手柄が欲しかっただけ!どうせ『太陽の巫女』だって、上街のお偉いさんを誑し込んだだけでしょ!?男好きのモニカ姫様!さすがは『悦びの茉莉花』の再来と言われるだけあるわ!」
「は?」
黙っていられなかったのはリーリヤの方だった。
「さっきから聞いていれば一体何?一方的にこっちを悪者にして。そこのおばあさんがどうしてもって言うから来てあげたんじゃない。それにモニカだって最初は断ってたわよ」
リーリヤが言い返せば、女性の矛先がリーリヤの方にも向けられた。
「あなたには関係ないでしょう!?花の乙女でもないのに話に入って来ないで!」
「そ、そりゃ、私は花の乙女じゃないけど・・・。か、関係はあるわよ!だって、だって、と、友達だもの!黙ったりなんてしないんだから!」
「っ!」
隣からモニカの息を呑む音が聞こえた気がした。
女性は少したじろいだが、引き下がることはなかった。
「な、なに!?私が言ってるのはただの事実!悪いのはそこの女なのは変わらない!」
まだ言うか、と反論しようとしたリーリヤを制したのはモニカだった。
「リーリヤちゃん、ごめんだけど、今日はここまでね。多分、時間かかるから先に帰っててくれる?」
「モニカちゃん!?」
「ありがとね。でも、これはあたしの問題だから。リーリヤちゃんを巻き込めないや」
リーリヤの気持ちを言うのならば、ここでモニカを1人にするのは違う気がした。
しかし、モニカ自身がそれを求めていないようだった。
リーリヤはそれが歯痒く、無性に悔しかった。
「大丈夫だよ。こういったことは別に初めてじゃないの」
「え・・・?」
こんな理不尽なことがよくあるみたいにモニカは言う。
「だから、心配しないで。また明日ね、リーリヤちゃん」
場所を移しましょう、とモニカは女性と老婆に言う。
いつの間にか騒ぎを聞きつけて近隣の住民達が集まってきていたからだ。
遠ざかるモニカの背に言葉にできない気持ちを抱えたまま、リーリヤはその場に取り残された。
住民達の無遠慮な視線がリーリヤに集中する。逆に睨み返す勇気なんてないリーリヤは逃げるようにその場から立ち去るしかなかった。
「あっ。帰り道わかんない」
いつもなら慌てふためくところなのに、今はふらふらと適当に彷徨い歩きたい気分だった。
だが、そういうときこそ思い通りにはいかないものだ。道行く人にぶつかったり、流れてくる人の波に押しのけられたりと前に進むことさえ難しい。
情けない悲鳴を漏らしながら押し出されるように開けた場所に出た。
誰もが避けて通る空間を不思議に思う間もなく、リーリヤは正面から馬車が近づいていることに気付く。
瞬間、そこら中から悲鳴が上がった。
「ひぃうっ」
馬車はリーリヤにぶつかる直前で止まった。
人混みにもまれて弾き出されたリーリヤは知らずに馬車の前に飛び出してしまったらしい。危うく轢かれてしまうところであった。
冷や汗を流すリーリヤに馬車の御者が慌てて怒鳴る。
「急に飛び出すなんて危ないですよ!気を付けて!」
声も出せずにリーリヤはコクコクと首を縦に振る。
そこで馬車に描かれた模様が目に入った。それはつい昨日にも見たばかりの赤い牡丹と葉冠の紋様だった。
「あら。御機嫌よう」
リーリヤの耳にあの美しくも透明な声が届く。
「どうやらまた何かお悩みがありそうな顔をしていますわね」
馬車の窓から顔を出したのは艶やかなブラウンの髪をなびかせるティア・ヘレニウスだった。
「よろしければ、ご一緒に如何?」




