表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/46

11.いと気高き紅薔薇1

( ・▽・)⊃ スッ

 『呪具』。


 身に着けた人物やその周囲に不幸を振りまく恐ろしい『呪い』の魔具を指す。これによって人生が狂わされた話は事欠かない。

 その地方で名を知らない者はいない豪商が前触れなく破産したとか、牧歌的で長閑な村だったのにたった一晩の間に血塗の殺し合いが起きていたとか。

 どこか歪で不可解な事件の裏側には『呪具』が深く関わっていることが多い。


 その成り立ちは決して一つには定まらない。

 長い時を経て人の怨念や恨みが物に宿ることで生み出されたもの。偶然の産物として意図せず錬金術の過程で錬成されてしまったもの。更には、それらを解析し、性質を模して錬金術師が再現したものだってある。人の手で作り出すことができる『呪具』が世の中に溢れていないのは、レシピが複雑で並大抵の錬金術師では錬成しようとすら思えないからだろう。


 言うまでもなく、禁制の品だ。

 その中でも、人に呪いを与える邪道は、生命を弄ぶ外道、心や感情を操る非道に並び、錬金術の三大禁忌と称され、あの『黒塗りの目録(ブラックリスト)』にさえ列記されている。錬成したことがバレたら、錬金術師としての資格はまず剝奪される。故に錬金術師の間では『黒』と呼ばれて、忌避されているのだ。


 そして、つい先日にセルマ達家族を襲った不幸な事件にもこの魔具が関係していた。

 『不実の指輪』という名のこの魔具は、『禁忌』という言葉に飛びつく趣味の悪い好事家達にとってはもはや常識とも言える。


 テーブルの上に置かれたままになっている罅割れた青い指輪がアルマスの視界に映る。

 瞬き一つにも満たぬ意識の空白が生まれ、刃物を握っていた右手の動きがほんの少しだけ鈍った。


「ちっ。またかよ」


 途中まで細く均一に刻まれていた植物の根は、たった小指の先程度だがズレが見て取れた。アルマスは眉を顰める。軽いミスとはいえ、これで何度目だろうか。そして、不揃いになった素材に気を取られていると、今度はかまどにかけていた大鍋が噴きこぼれそうになっているのに気づく。危うく中身がかまどに垂れ落ちる前に鍋を取り外す。


 小さすぎるミスも積み重なれば多大な影響を及ぼすのは自明の理。このまま続けていては、大惨事になる未来だってあり得る。ただでさえ、いつもよりも動きに精彩を欠いているのだ。


 アルマスは1つ息を吐くと作業を一時的に中断することにした。

 端的に言って調子が狂いっぱなしだからだ。

 『呪具』の恐ろしさを改めて思い返していたからではない。今更その程度でアルマスが手元をおろそかにするはずもなかった。そもそも指輪自体の効力はとっくに失われている。

 ならば何が理由か。そんなのは決まりきっていた。


「ひとまず適当に片付けるか」


 作業の手を止めると言っても、半端な状態の素材をそのまま放置するわけにもいかない。時間を置けば、因子が変質する場合もあるし、単純に劣化だってする。


 さっさと煩わしい問題を解決して、作業を再開する算段ではある。それでも、不運な事故だけは起きないようにしておかなければ。大なり小なり差異はあれど、錬金術の素材は大抵危険なものばかりなのだから。アルマスはそこかしこに転がるやりかけの素材を適当に処理していく。


 しかし、流れるように手を動かしてはいても、あいにく頭の方まではそうもいかない。思考を邪魔してくる悩み事にアルマスはついぼやく。


「ったく。おやっさんも面倒な時に面倒なもんを残してきやがって」


 おやっさんとはエドヴァルドの親方のことだ。

 昨日、珍しくアルマスの工房に顔を出していた。そのときのエドヴァルドの発言がアルマスの悩みの種になっていた。


 エドヴァルドからもたらされたのは2つの『忠告』。


 1つ目は大したことなかった。むしろアルマスに会いに来るために用意した表向きの口実だったのではないかとさえ考えている。


 この街一帯の金属錬成の大家ともなれば、しがらみも多く、意外にも不自由だったりするのだ。特に街の上層部と揉めてばかりのアルマス絡みともなれば尚更だろう。そこに申し訳なさを感じても、アルマスは振る舞いを改めようとは思わないが。


 アルマスがそう考えたのは、その要件が既におおよそ把握していて、なおかつ特に急ぎのものではなかったからだ。というか、以前にアルマスが依頼していた指輪の鑑定の件だった。


 セルマ達一家の騒動後、『不実の指輪』の解析をしていたアルマスが気になる点を見つけ、確認を兼ねてエドヴァルドに再調査を依頼していたのだ。


 だが、調査結果の報告は、アルマスの見立てどおり、の一言で済まされている。


 それは1年前にこの街で起きたとある事件で回収された呪具との共通点があったこと。推測の域は出ないが、この魔具が人工の呪具であり、また錬成した錬金術師が同一人物である可能性を示している。そして、どうやらエドヴァルドの見解も同様だったようだ。


 とは言っても呪具から作成者を特定できないのは変わらないし、たった二つではただの偶然の可能性も拭えない。誰かの陰謀だなんだと騒ぐにはあまりにも軽率だろう。ただ少しだけ何とも言えない不気味な疑わしさが残るくらいか。


 さすがに同様の特徴を持つ呪具が3つ、4つと出てくれば、然るべきところに報告を上げるつもりだ。いずれにせよ、この夏至祭直前の慌ただしい時期にわざわざアルマスの工房にまで来て報告するほどの急用ではない。


 そんな建前まで用意してわざわざ訪れたエドヴァルドのもう一つの『忠告』こそが今もアルマスの頭を悩ませている。


上街の奴ら(上流階級)の動きがきな臭ぇ』


 話を聞いた当初、アルマスは馬鹿馬鹿しいと一笑に付した。

 なんのことはない、余所者が嫌いなお偉いさんやそこと繋がる地元の錬金術師連中によるいつもの嫌がらせだと思ったからだ。彼らのやることなんて、その器の小ささに相応しいちっぽけなものに決まっている。つい先日も学術協会を通してネチネチ小言を言ってきたばかりだ。


 しかし、エドヴァルドは首を横に振った。錬金術の名家に名を連ねるエドヴァルドだからこそ、その空気の違いを肌で感じたようだ。


『詳しくは知らん。俺もそこまで暇じゃねぇしな。いちいち奴らの回りくどい長話に付き合ってられん。が、だ。連中、どうやら今度は本気っぽいな。忠告だけはしておいてやる。・・・・・・ったく。ただでさえチール区の件もあるってのに。何なんだ、今年は』


 そう言うとエドヴァルドは帰っていった。去り際の背中には珍しく疲れが滲んでいた。


 エドヴァルドが最後に残していった呟きは一体なんだったのか。

 チール区とは上街を構成する地区の一部だ。湖方面にある商業区と上街の間、ちょうど丘の半ばに位置し、一応は上街の一部にあたる。


 とはいえ話さなかったということはアルマスに特段影響のない事柄なのだろう。

 

 想定される事態を頭の中で並べようとしてやめる。それはアルマスが考えるべきことではない。それよりも、そんな忙しい中、エドヴァルドがあえてアルマスに伝えに来た意味を重視した方がいい。


 しかし、幾らエドヴァルドの忠告とはいえ、地元の錬金術師連中ひいてはその裏にいる上街の権力者達がアルマスに直接手を出してくることは考え辛い。


 一度、徹底的に実力差を突きつけたことがあるからだ。それこそ、アルマスが生半可な弱味を晒したくらいではどうにもならないくらいには。


 だが、喉に魚の小骨が刺さったような些細な違和感が残る。

 もし、万が一、形振り構わなくなって狙いをアルマスからその周囲の人物に変えたとすれば。最も後ろ盾がなく、最も対象とされやすい人物をアルマスは脳裏に浮かべる。


「チッ」


 アルマスは自身の思考に短く舌打ちをする。

 彼女に手を出されるわけにはいかなかった。

 一抹の不安をかき消すようにかまどの火に灰を吹っ掛ける。


「とりあえず行くか。この時間ならあそこにいるだろ」


 ゆっくりゆっくりと空を下り始めたばかりの太陽を尻目にアルマスは工房を後にした。






 ヘレニウス家とは特別な家柄である。


 フルクートに名だたる旧家、名家の中でも群を抜いた地位と名声を誇る。アルマスに聞いたこの話はやはり事実なのだろう。


 門扉を潜った奥に広がる壮麗な庭園を一目見るだけでも、誰もがそのことを思い知ることになる。以前訪れたときにはじっくり見る余裕がなかった花園は、改めてリーリヤの視界を圧倒してくる。


 手入れの行き届いた庭木の花々はどれもが瑞々しく、生命力に溢れているのに、同時に人の手による造形の美を感じさせる。途方もない時間と労力をかけて作り上げられた庭園なのだとリーリヤにも理解できた。


 幾つもの色鮮やかな花のアーチを通ってリーリヤが連れてこられたのは、花園の一画に用意されたお茶会の席だった。


 四方を薔薇の垣根に囲われたその場所は、鮮烈な薔薇の赤さと瑞々しい緑の葉が印象的だった。リーリヤの背を優に超える薔薇の壁も相まって、外にいるのにまるで秘密の小部屋に入り込んだような気分になる。


 この『薔薇の小部屋』の中央にあるテーブルには、まだ誰の姿もない。あの美しくも恐ろしいヘレニウス家のお嬢様はまだ来ていないようだった。


 メイドの一人がリーリヤの側にある椅子を静かに引く。一拍置いて座るよう促されていることに気付いたリーリヤは慌てて席につく。


「今しばらくお待ちくださいませ」


 そう告げると数人いたメイド達がこの場から姿を消す。黒のワンピースに白いエプロンを付けた集団はあっという間に薔薇の垣根の向こう側に隠れてしまう。


「一体なんなのぉ・・・?」


 一人になったことでリーリヤは胸の内に抱えていた本音を漏らす。メイド達は垣根に隠れて見えないだけで、すぐ側にいるかもしれないので小声だ。


 そもそもリーリヤとヘレニウス家のお嬢様の接点なんて、ついこの間アルマスを通して会ったくらいだ。

 それなのになぜリーリヤだけが呼ばれたのか。全く理由が思い浮かばない。


 いや、嘘だ。本当は思い当たることがちょっぴりある。

 それはついさっきモニカから聞いたばかりの話。アルマスに特別扱いされているリーリヤが他の女性達からとんでもなく嫌われているらしいこと。まるでたくさんの少女達に詰め寄られていたモニカのように。


 つまり、ヘレニウス家のお嬢様がリーリヤに嫉妬している説があり得るのだ。リーリヤをいびるために呼び出した可能性が真っ先に頭に思い浮かんだのは被害妄想過ぎるだろうか。


 しかし、モニカの話を聞いた今となっては、もうそうとしか思えない。なにせここのお嬢様は錬金術師アルマス・ポルクの雇い主だと言う。それに先日のアルマスとのやり取りもなんだか親しげに見えた。あくまでリーリヤからしたら、だが。


 あの綺麗なお嬢様のことはほとんど何も知らないリーリヤであるが、ぽっと出のリーリヤに構うアルマスを見て気分を害す様子が簡単に想像できてしまった。


 大袈裟に妄想を膨らませて、リーリヤは一人勝手にあたふたする。緊張で冷たくなった指先をぎこちなく擦り合わせ、視線は意味もなく右往左往する。


 せめて心を少しでも落ち着けるためにリーリヤはどうにか意識を他に向けようとする。


 とは言っても、視界に入るのは薔薇の赤ばかり。ここに来るまではたくさんの種類の色とりどりの花が咲いていたというのに。

 そんな疑問がふと口を付いて出た。


「なんでここは赤い薔薇だけなのかしら」


「それはわたくしが紅き薔薇を戴く者だからですわ」


「ひぃうっ・・・!」


 感情の色がない透明な声がリーリヤの心の隙を突く。椅子から立ち上がって振り返れば、そこにティア・ヘレニウスがいた。


 艷やかなブラウンの髪を緻密に編み込んだティアは、テーブルを挟んでリーリヤの正面に移動する。

 メイド達が引いた椅子に座るとティアは持っていた扇子を開いて口元に当てた。この間見た扇子とはまた違うものだ。


「ご機嫌よう。ようこそ、わたくしのお茶会へ」


「ごっ、ご機嫌、よぅ・・・?」


「まずはお座りなさい」


「は、はいっ」


 指示されるがままにリーリヤが席に着くとメイドがお茶の準備を始める。華やかな香りのハーブティーがカップに注がれ、ティアとリーリヤの前に置かれた。


 その間、ティアは一言も喋らなかった。自然とリーリヤも黙るしかない。

 沈黙はティアがカップに口を付けてからも続いた。流石におかしいなとリーリヤが首を傾げていると、メイドがそっとリーリヤに近寄り耳打ちをする。


「えっ」


 メイドは声を上げたリーリヤをたしなめると、もう一度自身の言ったことを繰り返すように囁いてきた。

 その間もティアは静かにお茶を嗜んでる。


 リーリヤは違和感を抱えながらも、言われたとおりにすることにした。


「ほ、本日は?お呼びいただき、あ、ありがとう、ございます・・・?」


 内心で疑問の嵐が吹き荒れる。

 なんで無理矢理連れてこられたリーリヤがお礼を言っているのだろう。


 混乱しているリーリヤにメイドが続きを促してきた。


「次は自己紹介を」


「へぅえ?」


 今更すぎる内容にリーリヤは間抜けな声を出す。

 いくら何でもティアだってリーリヤの名前くらい知っていると思っていた。だって、このメイドの女性はリーリヤの名前を呼んでいたのだ。


 しかし、どうやらそういう意味ではないようだった。

 よくよく思い返してみるとリーリヤ達は特に自己紹介はしていない。だから、多分形式的な意味なのだろう。アルマスも上街に住む人は回りくどくて面倒くさいと言っていた気がする。


「・・・リーリヤ・メッツァです」


「そう。わたくしはティア・ヘレニウスと申します」


 ティアは頷きもせず、淡々と名乗り返してきた。

 なんだろう、このやり取りは。普通に面倒くさい。絶対口にしたら怒られるから言わないが。


 悶々とするリーリヤを気にかけることなく、ティアは開いた扇子を口元に当てる。

 これも何なのだろう。話すときに口元を隠してるのかと思えば、そうでないときもある。気にはなっても、やっぱりリーリヤには聞くことが出来ない。


「貴女、確かこの街に来てからひと月ほどだったかしら」


「な、なんで知って・・・?」


 クスクスと扇子の下で笑い声が奏でられる。それなのにリーリヤにはティアが本当に笑っているようには思えなかった。


「おかしなことを仰られますこと。有名でしてよ。アルマス様が可愛らしい女の子を連れてきた、と噂になっていましたもの」


 リーリヤはティアの顔から目を逸らして顔を俯ける。


 来た。


 リーリヤの勘が囁いている。きっとここからリーリヤを責め立てる言葉が続くのだ。それか、勿体ぶった嫌味でチクチクと虐められるかのどちらかだ。

 リーリヤの中で警戒心がグンと高まる。


「アルマス様が貴女と共にこの街に戻ったのが、ちょうどひと月前というだけですの」


 警戒を強めるリーリヤの様子を知ってか知らずか、ティアは扇子を閉じて膝の上に置くとリーリヤを真っ直ぐ見据えて言った。


この街(フルクート)は素晴らしい街でしょう?」


 その言葉だけはいつも扇子で表情を隠していた彼女の本当の言葉のように思えた。


 街に来た当初は驚く余裕もなかった。けれど、ここ最近になってようやく理解してきた。


 この街は凄いところだ。人が多く、街も発展している。生活を良くする便利な魔具がそこかしこに置いてある。


 それだけじゃない。街中に満ち溢れる活気は疑いようもないほど。リーリヤの思い出の中にある幼い頃過ごしたあの街よりもずっと。


「何より伝承に語られる地に住まうこと。この街に住んでいて誇りに思わない者はいないでしょう」


 伝承、という言葉に頷こうとしていたリーリヤが不自然に固まる。


 何それ、聞いてない。


 そう思うリーリヤを余所にティアは静かにハーブティーを口に含む。伝承って何ですか、とは聞ける雰囲気ではなかった。リーリヤもその機微はちょっとだけわかってきた。


「それだけではありませんのよ」


 ぱちんとティアが手元で扇子を鳴らす。

 途端に何人ものメイド達が薔薇の小部屋に現れる。その手には銀製のトレーが抱えられていた。


「ふわぁ」


 ぽかんと口を開けるリーリヤの目の前で、メイド達はトレーに載っていた皿をいくつもテーブルに置いていく。


「フルクートは大海湖から流れる運河を伝い、交易によって栄えました。様々な地方に繋がる要所と言えますわ」


 メイドが用意を進める中、ティアは気にせず語り始める。


「そして、ヘレニウス家はそれを統括する立場にあります」


 あっという間に机の上にはずらりと甘そうなお菓子が並ぶ。その数は真っ白なテーブルクロスが見えなくなるほど。


「フルクートに入ってくるのは、交易品だけではなくてよ。国や地方ごとの多様な文化だって目にする機会がありますの。もちろん食文化も。例えばそちらは北限都市の白菓子。こっちは大海湖の向こう側で流行っているプリンセストルタですわね。他には―――」


 ティアが次々と説明をしているのに、あまりにも種類が多すぎてリーリヤの頭に全然入ってこない。


「甘いものがお好きなのでしょう?どうぞお食べになって」


 まさかこれを全部食べろと言うのか。

 お腹が空いている、空いていない以前にこの量はいくら何でもちょっと無理。


 戸惑うリーリヤを口元で扇子を開いたティアが見つめている。


「ええっと。いや、そ、そのぉ・・・」


 折角、用意された物を『いらない』と突っ返すのもどうなのかとリーリヤはまごつく。

 そんなリーリヤに何を思ったのか、ティアはテーブルの一画を扇子で指し示す。


「では、わたくしはそこの林檎をいただきましょうか」


 ティアが選んだのは、焼きたての匂いのするたくさんのお菓子の中にあって唯一籠に盛られた生の林檎だった。

 ティアの命令に従い、メイドが籠ごと林檎を持ち上げる。


「あっ・・・!」


 声を上げてしまったのは最早反射だった。

 当然のごとく、その場の視線の全てがリーリヤに向く。


「あぅ」


 怯んだリーリヤは声を上げたことを後悔した。籠に盛られた林檎の中に()()()()()があり、つい反応してしまったのだ。


「いかがしましたか?」


 言葉に詰まったリーリヤにティアがゆっくりと問いかける。その声色には場を乱したリーリヤへの怒りの感情は見えない。いつもどおりの澄んだ透明さがあるのみだ。


 言おうかどうかを迷ってからリーリヤは結局答えることにした。だって、このままティアが苦しむのを待つのも違う気がしたからだ。


「そ、その林檎を食べるのは、ちょっと、ど、どうかなと思ったり、思わなかったり。や、やっぱり、やめた方が・・・」


 日和って言葉を選ぼうとしたら変な感じになってしまった。ティアに向かってはっきりと『食べるな』とは怖くて言えなかったのだ。


 リーリヤの指摘を受けて、ティアは扇子越しでもわかるほどに目を丸くした。そして、籠の中の林檎を見ると、それだけで察したように頷いた。


「・・・これは失礼しました。少々手違いがあったみたいですわ」


 ティアの合図で、メイドが林檎を籠から一つずつ取り出して、ティアの前に置いていく。どれも同じくらい真っ赤に熟れた林檎に見える。そう、見えるだけ。リーリヤにはそこに違う物が混ざっているのがよくわかった。


「よくお気付きになられましたわね」


 並べられた林檎のうち、ティアはある一つの林檎に触れる。赤い花の刺繍がされた白い手袋越しに撫でる林檎は艷やかな赤のままだ。


「見た目と違って、これはあいにく食材ではありませんの。こんなにも瑞々しい林檎のように見えますのに」


 ティアはおもむろに手袋を外すとその白く細い手に林檎を乗せる。その途端、劇的な変化が起きる。林檎はまるで生きているかのように輝きを帯びたのだ。


「こちらは『太陽の欠片』。一般的には高価な錬金術素材として扱われていますわ」


 その様はまさに燃え盛る炎の塊のよう。


「不思議でしょう?まるで小さな太陽が手の平にあるかのようです」


 光の角度で炎が燃えるように色が揺らめく。


「もし一口でも齧れば、この世のものとは思えない苦味とエグ味が三日三晩続くと聞きますわ。誤って食べたらと思うとゾッとします。残念なことに人の食べる物ではないのです」


「そ、それは違っ・・・!」


 『人の食べる物ではない』。

 決してそんなことはないとリーリヤは知っている。人ではないと言われている気がして、リーリヤは咄嗟に否定の言葉が出てしまった。


「というと?」


 静かにその感情の見えない透明な眼差しが向けられる。


「採りたてなら美味しいの!・・・で、です」


 そうなのだ。

 故郷の森では、この林檎が―――というか、リーリヤにとってはこれこそが普通の『林檎』だと認識していた―――あちこちに鈴なりに生っていた。

 秋になる度に飽きるほど食べていたのを思い出す。


 食べてはいけないのは鮮度が落ちたものだけ。

 ティアの持つ林檎が放つ輝きの中には、目を凝らせば少しだけ陰りが混ざって見える。これは鮮度が落ちた証だ。

 そのことをリーリヤは辿々しく説明した。


「まあ。そうだったのですね。なるほど。こうして掲げると確かに黒っぽさが感じられますわ。貴女はとても物知りなのですね」


「い、いや、別に。そういうわけでは」


「ふふっ。ご謙遜を。流石はアルマス様の『特別』ということですわね」


 『特別』という言葉に思い出す。

 すっかり忘れていた。目の前で穏やかに笑うこのお嬢様(ティア)は内心でリーリヤを憎たらしく思っているかもしれないことを。


 それにしてもなぜだろう。魔女として生きてきたリーリヤは、本来他者からの悪意には敏感なのだ。それなのにティアからは感情の色がまったく読み取れない。


 考えてみれば、ティアほどではなくともモニカにも似たような感覚があった。ひょっとして花の乙女は皆そうなのか。

 ということは、ティアだけでなくモニカもリーリヤへの嫌な感情を隠していてもおかしくはないことに気づく。


 リーリヤはむくりと湧き上がる不穏な考えを搔き消そうと頭を横に振る。

 暗いことを考えている自分を自覚する。

 なんでこんなことをいちいち気にしないといけないんだろうと思う反面、実際どう思われているのかと不安が滲み出てくる。


 庭園に咲く綺麗な赤薔薇も何だか急に味気なく感じてくる。そのうえ、首でも絞められているようにだんだんと呼吸がし辛くなってくる気さえする。


「あら。どこかお体の調子でも悪くて?」


 リーリヤはハッと顔を上げる。

 ティアの声で現実に戻された。

 そうだ。今はティアの相手をしている真っ最中。考え事は後だ。


「っ!い、いや、考え事をしてただけで。で、でも、もう大丈夫ですっ」


「とてもそうは見えませんけれども。そうですわね。お身体の具合でないとすると、何かお悩みでも抱えていらっしゃるとか?先ほどから心あらずだったのはそのせいなのかしら?」


「うっ、いや、えっとぉ・・・」


 やはりティアを無視して考え事に耽ってしまっていたのは良くなかっただろうか。

 失礼な態度をとったとかで、今度こそティアに怒られるとリーリヤは身構える。

 だから、ティアの次の言葉にリーリヤは驚かされた。


「よろしくてよ。どうやら悩み事がある様子。まずは貴女のお話しから伺うといたしましょう」


「うぇっ!?」


 リーリヤは目を瞬かせる。

 ティアの思いがけない親切に驚いたのも束の間、リーリヤは思い至ってしまう。


 これ、本人に対してこんな自惚れたとも取られかねない相談をしないといけない流れだ、と。下手をしなくても火に油を注ぐ未来が見える。


 新たに生まれた別の悩みの種に苦しまされるリーリヤの姿は、優しさとは似ても似つかない人形のように無機質な瞳に映し出されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ