4.春の祭りは不穏をかもす
白き剣山と呼ばれる大陸を横断する大山脈によって切り取られた北の大地ベーネには主に4つの国が存在する。南東に位置するマルヤフナ王国も含めて冬は長く、春が短いのは土地柄としてどこの国々も似たようなものだが、やはり豊かな街もあれば物寂しい村だってある。
そんな本来ならば細々と日々の暮らしを享受するだけのマルヤフナ王国の廃れた辺境のそのまた端っこに位置するこの村で、ここまで大々的な祭事が行われているとはアルマスも思っていなかった。
右を見ても左を見ても着飾った人が歩き回っている。村の中心地にある大広場では大人子どもに限らず人が溢れている。近隣の村はもちろん下手すると少し離れたところにある街からすらも人が流れてきているのかもしれない。
そもそも村とはいうにはここは規模が大きすぎる。舟の行き交う河川もなければ大きな街と街を繋ぐ街道沿いにあるわけでもないのにこの繁栄ぶりは何なのだろうか。特徴といえば『白霞の森』が近くにあるだけで目立った産業や事業もなさそうなのに村人皆が裕福そうな格好をしているのも気になるところだ。
さすがに城壁がある街や都市と比べるべくはないものの、とてもではないが寒村などとは呼べないだろう。
「どーにも胡散臭い」
ぱっさぱさのローストハムを飲み下しながらアルマスはぽつりと呟く。
魔女の館からの帰り道は意外なことに魔女の手助けがあり大して苦労することなくすんなり帰ることができた。雪だか氷だかで出来ていそうな狼の姿をした妖精が引くソリに乗ってあっという間に村まで着いた。
これはいい。多少荒っぽくて何度も木に身体をぶつける羽目になったがそれを上回る嬉しい誤算だ。
村で行われている儀式前の祭りにはやはり参加することになった。村長が強く勧めるものだから何かしら面倒な挨拶や役割でもあるかと身構えていたのに特に何もないし、それどころか食事を振る舞われた。広場の隅に置かれたテーブルの上にはアルマスのために用意された料理や酒がたんまりとあり、好き勝手に飲み食いしていいらしい。
これもいい。肉も野菜も素材の味を生かした味という感想しか出ない、率直に言って大して味のしない料理の数々に辟易するが食べれないほどではない。酒はちゃんと飲めるものになっているだけマシだった。
「な、なにか気になることでもおありでしょうか?」
恐る恐る声を上げたのはアルマスの背後で少し離れて立っている栗毛の女の子だ。村長の孫と紹介された彼女は客人扱いを受けているアルマスのお世話役らしい。
まだ10歳くらいの年頃なのに音楽に合わせて楽しそうにはしゃぐ広場の方を見向きもせず、甲斐甲斐しく料理や酒をよそってはアルマスが飲み食いしている様子をじっと見ている。そして、皿が空になるとせっせとまた料理を取り分けるのだ。別に側を離れても構わないと言ったのになぜか頑なに拒んでいた。妙に緊張した態度の彼女に対し、アルマスは手を振ってなんでもないと伝えた。
舌に残る甘さが特徴的な蜂蜜酒を雑にあおる。芳醇な香りを嗅ぐだけでも良い代物だとわかるが、口に含んで味わうことはしないでがぶがぶ飲み干す。別に貴族の晩餐会でもないのだからお上品に振る舞うこともあるまい。
「なんか違和感があるんだよなぁ」
ついでにいうと魔女と村人との関係、もしくはその在り方にも疑問を覚える。
聞けば魔女の儀式云々とは別に元々この時期は春の訪れを祝うお祭りを行っており、儀式に合わせてその祭事も兼ねているらしい。陽気な音楽を背景に楽しげに笑う人々の前で壇上に立った整えられた髭が似合っていない村長が大きな声で話していたので間違いない。
というかどちらかというと春を祝うお祭りの方が主目的な様子だった。なにせ村長の発言の中に魔女なんて単語は一切出てこなかったほどだ。じゃあ森の魔女の儀式のことはまったく認知されていないのかというとそんなことはない。村長の言葉はなかっただけで、村人達は普通に魔女について会話をしている。大半はぽそぽそと酒の肴に陰口を叩くようなものだったが一応は村人達もそのこと自体は把握しているらしい。しかし、どうにも好意的な捉え方はされていなかった。
アルマスとしては別に魔女と懇意にしているわけでもないし、そこを気にしているわけではない。むしろこういう魔女の棲み処の近くでは魔女と友好的な関係を築いているほうが珍しいのではないかと思う。アルマスが知っている他の魔女も現にそうであった。
古来より魔女は人々から畏怖され、尊敬され、そして同時に忌避されてきた存在だ。森の奥深くに棲みつき、人に害為す妖精を従える彼女らはただの人間から見たら恐ろしい妖精と同様の恐ろしい化け物に映るものなのだろう。
しかし、彼女らが森の安寧を保つがゆえに人々はささやかなれども森からの恵みを享受することができる。決して近づきたくはないが、いないと生活が立ちいかなくなる重要な存在。それが魔女なのである。
だから魔女が村人から疎まれていること自体はおかしくはないのだが。
「あまりにも軽視されている、という感じだ」
畏れ敬う気持ちが薄まり、嫌悪の感情だけが残った。そんな表現がすとんと胸に落ちた。
なぜ村人が魔女を軽んじるに至ったのか、その理由を考えようとしてアルマスは首を横に振った。
「やめやめ。ただでさえ味しないのにもっと不味くなる」
どのみち魔女と村人のこじれた関係の行きつく先はアルマスの知ったことではない。
さて次はどれを食べようか。さっきからどれも似たような野暮ったい味しかしないが、半日森を彷徨っていたこともあって腹は空いてる。どうせなら見たことがないものを摘まんでみたい。『白霞の森』が近くにあるのだから都市では見ない珍味だってあるはず。妖精と縁が深い土地には独自の植生を形成している話が多いのだ。
「よく、食べれますね」
机の上を物色するアルマスを変なものでも見たかのように反応する女の子はその子どもらしい大きい瞳を見開いている。
「やっぱこれって君たちにとっても不味いの?」
「えっ、あ、そうですね。春のお祭りの日は昔ながらの伝統料理を振る舞うので。美味しくないので子どもはみんな苦手です。大人たちが飲むお酒は美味しいらしいんですけどまだ飲めませんから」
「ふぅん」
質素な味付けはひょっとしたらこの地方の特色なのかとも思っていたけれども、やはり今時こんな簡素な料理を好んで食べているわけではないのか。まあ、村人の様相を見ても普通の田舎とは違って金に困っているようには見えないから普段は香辛料や調味料もふんだんに使った料理を食べているのかもしれない。
「ただ飯食ってる分際で言うのもなんだけど、どうせなら美味い御馳走用意してくれればいいのにね。君もそう思うだろ?」
「はぁ、まぁ、はい。でもそういう意味で言ったのでは・・・」
女の子は煮え切らない様子で何かを言いたそうにしていたが結局口を閉じてしまった。
どこか嚙み合わない女の子との会話を切り上げてアルマスが食事に戻ろうとしたとき、間の悪いことになにやら偉そうな雰囲気を纏った男が近寄ってきた。村長だ。背後にはやけにがたいのいい若者衆を何人も連れている。
「失礼。魔女のお客人殿。少しお時間いただいてもよろしいですかな」
言葉自体は丁寧なものの、素直に言うことを聞くようにと言外に圧力を放っている。いつの間にかアルマスの周囲を取り囲んだ若者達もアルマスを見る目が鋭い。まるで獲物を前にした狩人みたいだ。
これは断れないやつだ、と察したアルマスはあからさまに溜め息を吐いた。
「えーと。確か、アントン・ポッカ殿、でしたかな?」
誰だよそれは、と思いつつもアルマスは億劫なので訂正しなかった。
アルマスが連れてこられたのは広場から少し離れた村外れの教会、その奥まった一室だった。よく村の集会にでも利用しているのか、慣れた様子で神父に声を掛けてから入り込んだ部屋には身分の高そうな老人達が大きな長机に座っている。アルマスもまたその端っこの席に腰を下ろしていた。
老人達は揃いも揃って仕立ての良い衣服に身を包んでおり、正直なところ服に着られているような人物も一人や二人ではない。村の祭事にかこつけて普段着ないような高価な服装をわざわざ用意したのが透けて見えた。
アルマスの正面、長机の一番奥に居座ったちょび髭を整えた小太りの中年男性はアルマスをこの場に連行してきた村長だ。彼がアルマスに話しかけるのを皮切りに、全員が口を閉じてアルマスの方に身体を向けた。
「わざわざこの場にご足労いただき感謝します」
話す仕草一つとっても上に立つ者の貫禄を感じさせる。どこかの大きな街で商家の上役でも務めていそうな印象さえあった。やはり辺境の村にいる人材としては違和感を拭えない。
「労りの言葉もなにもないでしょ。そんなことの前にまずはこれを解いて欲しいんだけど」
アルマスは自身を縛り付ける縄を顎で指して皮肉交じりにそう言った。
広場の宴席から離れて人目のつかない建物の陰に入った瞬間に、周りを取り囲んでいた若い衆に縄で縛られることになったのだ。揉め事を起こしたわけでもないのに、問答無用で行われたこの狼藉に対する説明を求めたいところだ。
「私達としても手荒なことはしたくなかったのですが。不思議なことに、どうにも貴方には効果がなかったようでしてね」
「効果?」
首を傾げたアルマスが村長の視線を追えば、そこには先ほどまでアルマスの世話をしてくれていた栗毛の女の子がいる。彼女はアルマスに顔を向けないようにしながら、机の上に空となった小瓶を置いて気まずそうに頷いて見せた。
「ああ。そういうこと」
遅ればせながらアルマスも理解する。つまるところ一服盛ったということだろう。彼女がアルマスのためにわざわざ何度も料理を取り分けていたのがまさにそれだ。子ども相手であれば多少不審な動きがあったところで気付かれないという思惑か。
アルマスも言われるまで薬を盛られているなどとは考えてすらいなかった。思い返してみれば女の子の言動には幾つか不可解な点があった気もする。
なんとも恐ろしい村人たちだ。まるで追剥ぎを生業にしているかのような悪辣さを感じる。魔女との顔合わせが終わり気が緩んでいたのかもしれないが、たかが辺境の村のなんてことのない祭りなんかでこんな目に遭うとは普通は想定できまい。
「なんの薬か知らないけど、俺には効かなかったわけだ。残念だったね、悪党諸君」
アルマスが小馬鹿にしたように言えば、長机に座った老人達が睨みつけてきた。
悪党呼ばわりしたことにそこかしこで怒声が上がるもアルマスは鼻で笑って見せた。人を不意打ちする卑怯な真似をとったのは事実なのだから甘んじて受け入れるべき評価だ。
「勘違いしないで頂きたいのですが私達は物取りなどではありません。確かにちょっとした魔法薬は使いましたけど、貴方を痛めつけようとか荷物を奪おうとか、そういう意図ではないのです。私達はただ交渉がしたいだけということをご理解いただきたい」
「どうだか。この状況を鑑みるに到底信じられるわけがない」
「ふむ。そう言われるとこちらも弱いのですが」
礼節ぶった言葉遣いの割に村長の表情は険しい。アルマスの縄を外すつもりはなさそうだった。交渉というのも言葉通りではなく、こちらを不利な状況に追い込んだうえでの強制的なお願いというのが実情だろう。
「それにしてもさすがは魔女のお客人というだけありますね。あの眠り薬を解呪してしまうとは。ここら辺では一番大きな街であるウスヴァで高名な錬金術師様に作っていただいた特別製だったんですがね」
「あいにく錬金術には造詣が深いものでね。こんな辺境のド田舎に住む世間知らずが手に入る程度のものが効くわけないよ」
嘘だ。アルマスは内心冷や汗をかいていた。
錬金術の知識にちょっとした自信があるのは本当だが、いくらなんでも警戒も準備もしていないなかで対応できるはずもない。それでも彼らの言う薬とやらがアルマスに効力をもたらさなかったのは、偏に魔女からもらった『魔女の秘薬』のおかげだ。飲んでから2刻は経つというのに未だに『全癒』の効果は健在らしい。
まさかとは思うが魔女はこれを見越して『魔女の秘薬』なんて霊薬をアルマスに与えたのかと思えてしまう。考えすぎとは言えないのも、魔女の底知れなさ故だった。
「素晴らしい。『遍歴の智者』というのでしたか。あなたもその名に恥じない知恵をお持ちなのでしょう」
わざとらしくアルマスを称賛する村長にアルマスは眉をひそめた。
村長が『遍歴の智者』という立場に触れてきたこと自体はなにもおかしなことではないはずだ。何百年という長い年月を魔女の棲む森のすぐ側にあり続けた村の人間ならばそれくらいの事情は知っていて然るべきだ。
それでも村長の発言とともにこの場の空気が張り詰めたのをアルマスは見逃さなかった。さすがの村長は顔色一つ変えていないが、その周りに座っている他のお年寄り達は表情に出てしまっていた。
「見たところ大分お若いようですね。『遍歴の智者』というからにはもっと知識と経験を積んだご年配の方かと勝手ながら想像していました。身なりも整っていらっしゃいますし、どことなく気品もおありのようで。どこぞの名家の御子息だったりされるのでしょうか」
「前置きはもういいよ。で、用件は?」
つらつらと一人でしゃべり続ける村長の言葉を無視してアルマスは村長の要求を訪ねた。
「ふむ。少し回りくどかったですかね。それでは単刀直入に行きましょう。此度の魔女の儀式に参加する『遍歴の智者』という役目、もっと相応しい人物がいると思いませんか?」
先ほど言っていた『交渉事』というのはこれだろう。ぺらぺらと話していたが、結局のところアルマスは若く、経験が不足しており、しがらみかコネで来ただけのぽっと出では『遍歴の智者』には不足というわけだ。
まるで真っ当に儀式を成立させることを望んでいるような言い様だが、言葉どおりの意味ではおそらくない。魔女の儀式なんかに彼らは毛ほども興味なんてなさそうなのは村を見ていればよくわかる。
「相応しい、ね。それはもしかしてこのしょっぱい魔法薬を作った人物のことを言っているのかな?」
「しょっぱい薬とは言ってくれる。どこの誰かもわからない若者にこうも虚仮にされるとは思わなんだ」
「キースキ先生」
アルマスの背後にある扉から一人の男が入ってきた。やせぎすな背格好に眼鏡を掛けた初老の男性だ。
村長にキースキと呼ばれた男性を見た瞬間に栗毛の女の子が慌てて頭を下げた。
「先生、お役に立てずすみませんでした」
「君が謝る必要はないとも。私の『小巨人の子守歌』が無効化されたのも事実。私達が思っていたよりもこの青年が用心深く、そして上手であったというだけだ」
キースキは柔和な声色で女の子を慰める。その瞳には優しさが垣間見えた。師弟、もしくは町の錬金術師と言っていたから学校の教師と生徒という関係が連想される。
それにしても『小巨人の子守歌』とはなかなかエグイものを使ってくれる。一口どころか1滴舐めるだけで丸1日は酩酊する代物だ。それこそ生成するにも高価な素材を多く必要とするし、錬金術師としての等級も相応の資格を求められる。
「一般錬成物としてはA類。少なくとも錬金術師として5級以上じゃなきゃ調合は許されないわけだけど大丈夫?分不相応な調合がバレれば資格の剝奪も免れないよ」
「ご忠告どうもありがとう。けれどいらぬ心配だな。私は錬金術師としてはとても優秀でね」
アルマスの嫌味を一蹴してみせたキースキは懐から金色に輝くネックレスを取り出す。
そこには3級錬金術師を示す3連星のマークが彫られている。
アルマスは思わず感心してしまった。
「へえ、3級か。それは凄いね。なんでこんな辺境の村にいるんだ?辺境都市部では認定できてもいいとこ5級が限界だろうし、ましてやすぐそこの街じゃ7級だって怪しいのに」
錬金術師の実力というのは基本的に階級制だ。
学術協会が定める階級は10級から始まり1級まで存在する10個の段階で区別されるのが一般的となる。10級は見習いから上がったばかりの素人に毛が生えた程度になるが、6級や7級にもなれば一人前扱いで、5級以上となれば一流と胸を張って言える力量を持つ。
しかし、辺境の田舎町ともなればそれほど階級制は意味を持たない。A類やB類といった高度な錬成ならいざ知らず、日々の暮らしで必要な程度の錬成にはほとんど階級による制限などかからない。そのため、こういった地方の弱小町村では7級すら持たずに錬金術師を生業とする者も珍しくないのだ。
その上、1級や2級は求められる技術や知識が3級までとは異質なほどに根本的に違うことを踏まえれば、在野の錬金術師として3級というのは実質最高位とも考えられる。
キースキの示した証が偽物でなければ、本来そんな高位の錬金術師がこんな田舎にいるはずがないのだ。彼らは発展した都市部で研究に専念していたり、貴族のお抱えとして領地への貢献をしていたりする。
キースキは手に持った金色のネックレスを裏返すとそこに刻まれた文字列をアルマスに見せた。それは彼が3級錬金術師として認められた都市の名前に違いなかった。
「お察しのとおり。若いときは都市ヴァルコイネンで錬金術を学んでいてね。何十年も没頭していたらいつの間にかここまで登り詰めていた。あそこは白い大理石の家々が並ぶ美しい街だったよ。王国内部では珍しく温暖な気候で、今思い返してみても素晴らしい都市の一言だ。まあ、私があの都市を離れたのはそんなに昔のことではないがね」
「大海湖の沿岸都市。歴史も格も一流。ほんとに優秀じゃないか」
錬金術師の等級を認定するのは例外なく学術協会ではあるが、どの都市でも等しく1級までの認定を授けられるわけではない。小さな街や地方では一人前の証である6級や7級でさえ認定できないところもある。というか、3級の認定ができるのなんて王国内部では一握りの大都市しかない。
それに同じ等級の認定ができる都市でもやはり少なからず違いはある。その街の積み重ねた歴史はもちろん、その地で学術協会が為した功績や排出された錬金術師達の質によって重みが変わってくる。
つまりは都市にも格があるのだ。
その点で言っても沿岸都市ヴァルコイネンは3級認定ができる大都市の中でも間違いなく上澄みといえた。
「いいところに来てくれて助かりましたよ、キースキ先生。ポッカ殿。お分かりのとおり彼はとても素晴らしい錬金術師です。そこで先ほどの話に戻るのですが、どうか『遍歴の智者』の役目を彼に譲ってはいただけませんか。もちろん対価が必要であれば払います」
「・・・意図がわからないな。彼に役目を譲ることであなた達になんのメリットがある?役目なんて大仰にいうけれど、実情は単に魔女の儀式に立ち会うだけなのに」
「あなたには関係ありません。と言いたいところですが、それではご納得いただけませんよね。私達としてもできれば合意の上がいい」
村長とキースキが視線を合わせると共に頷いた。
魔法薬を盛ったくせに今更合意などとよく言ったものだ。大方意識が混濁したところで強引にアルマスから承諾の言葉を引き出す予定だったのだろう。そうまでしてアルマスの意思確認を取り付けたいのは魔女の報復を恐れてか。
アルマスが魔女の客人の立場にあることを踏まえれば、無理矢理でもなんでも役目を譲ってもらうのと奪い取るのは全然違う。
「端的にお話しすると我々は森の魔女と会う機会が欲しいのです」
「魔女に会うため?」
そんなことのためにわざわざアルマスに薬を持ったり、こうして縄で拘束までしたのかと思ったのがわかったのだろう、村長は苦々しい顔をした。
「『遍歴の智者』の資格を持つあなたからすれば『その程度』と思われるのでしょう。しかし、私達にとっては違うのです。会話をしようにも魔女と接する機会が全くといっていいほどない。彼女が村に訪れることなど数年に一度あるかないか」
魔女が積極的に人と関わりを持つことは少ない。
人の立ち入ることが難しい森の奥に棲んでいるからということもあるが、魔女自体が人と関わることを好まないのだ。詳しい事情は知らない。しかし、村人が魔女を忌避するように、魔女もまた村人を忌み嫌っている。魔女と人との関係は元来そういうものだ。
アルマスだって昼間にあったあの魔女が気さくに村へと顔を出すなんてことは想像が付かない。
「その上こちらから魔女のもとに向かっても決して辿り着くことはできないのです」
「森に入ってもしばらくすると霧が出てきていつの間にか森の外に追い返されてしまうのだよ。私自身も実際に何度も体験した」
錬金術師のキースキは腕を組み悩ましげに唸る。
「魔女の術というのはなんとも摩訶不思議なものだ。妖精ども相手ならまだしも、魔女の霧相手では私の知る錬金術ではどうにもできなかった。不甲斐ないことだがね」
「そんな!先生は本当に良くしてくれています!妖精だって容易くあしらっておられたではないですか。すべてはあの厄介な魔女が悪いのです」
「そうだそうだ」「先生は凄い」「私達の唯一の理解者だ」
老人達も村長と一緒になってキースキを擁護している。アルマスを縄でぐるぐる巻きにしてくれた若者達もそれにあわせて意気込んでいた。やれ魔女は俺たちが怖いんだ、森に引きこもっているだけの臆病者だとか実に勇ましいばかりだ。非常にどうでもいいことだが彼らはこの交渉の席とやらに必要なのだろうか。さっきから野次しか飛ばしていない気がする。
興奮して騒ぎ立てる彼らをアルマスは冷めた目で見ていた。
それにしても随分と親切なことだな、とアルマスは思う。『森から追い出される』というのはおそらく魔女の配慮だ。一度森に入ったからわかる。白い霧に人を森から追い払う力なんてない。ならば彼ら村人が森に深入りできないよう魔女手ずから追い払っているとしか考えられない。なにせ彼らでは森の浅いところにいる悪戯好きなだけの妖精を相手にすることはできても、深部に潜む本当に怖ろしい妖精には簡単に弄ばれて殺されてしまうだろうから。
「そんな優しそうな魔女には見えなかったけどね」
ぽつりと呟くアルマスに村長が目ざとく気付いた。
「今なんと?」
「ああ、いや、独り言。それよりも事情はだいたいわかったよ。それで儀式の際に魔女と必ず会うことになる『遍歴の智者』の立場が欲しいというわけだ。―――魔女となんの話をしたいのかまでは聞かないけれど」
「それは・・・」
村長が言葉に詰まる。あまり部外者に話したくない内容なのかもしれない。外部の高名な錬金術師に協力を仰いでおり、その助力を得られている時点でその目的は目星が付く。
「ただ君達の要求は飲めないな」
村長や老人たちが何かを言おうとする前にアルマスは遮るように続けた。
「そもそも間違いが2つある。『遍歴の智者』という呼び名のせいで勘違いしたのかもしれないけどね、これは物知りであれば誰でもなれるものじゃない。ましてや錬金術師としての有能さも経歴もまるで関係がない。『遍歴の智者』とはね、学術協会が認定する歴とした称号を指すんだよ」
アルマスの説明に異議を唱えたのはキースキだった。
「何を馬鹿な。学術協会が魔女などという怪しい存在に関わるはずがない。此度の私達の計画にも協会は一度たりとも賛同しなかった。どれだけ協会の、ひいてはこの国すべての錬金術師の利になるか説いてもまるで聞き入れない。人を寄こすどころか、援助一つを得ることもかなわなかった。第一、ふざけたことに協会の奴らは頑なに魔女の存在さえ認めようとせん」
「『愚かなる賢者』」
「っ・・・!」
「3級ともなれば地方の協会の重鎮クラスだし、聞いたことくらいあるよね」
キースキの表情が固まる。
「あれは、しかし、別の学問の。それも大昔に流行った学問を探求する時代遅れの専門家達のことだろう」
「時代遅れの専門家、か。上手いこと言うね。その通り。『遍歴の智者』というのはその『愚かなる賢者』の一つの別称さ。学術協会はその存在理由や認定根拠に魔女などという単語は一切用いないけどね。『愚かなる賢者』が魔女との関わりを持つのは協会の意図したところではなく、現代では役に立たないとされるゴミ学問を収めた『賢者』が勝手にやっているだけ。協会の言い分としてはそんなもんだよ」
渋面を作ったキースキにアルマスは大仰にため息を吐きながら告げた。
「恥ずかしながら身内でね。おかげで俺の肩身も狭くて仕方がないよ。まったくもってやりたくないんだけど、代役を務めないといけない立場にあるんだ。さすがに代理の代理は認められないからってのが理由の1つ。あとは2つ目の理由だけど」
言葉を切るとともにアルマスは立ち上がった。
アルマスを縛っていた縄がバラバラに切断されて地面へと落ちるのと同時に一陣の風が室内なのにも関わらず強く吹きわたった。
瞬間、会議室は悲鳴で満ちる。長机はひっくり返り、椅子は吹っ飛び、若者も老人も関係なく人は壁際まで転がる羽目になった。
アルマスの手の平の上では渦巻く風を纏った澄んだ緑色に輝く結晶がふわふわと浮いている。錬金術により風の力が込められた魔具『青嵐の種』だ。扱いこそ複雑で小難しいが、その効力は強大。風を自在に吹かすことは言うに及ばず、使い方によっては堅い大木を切り裂くことも、重い岩石を吹き飛ばすことだって可能だ。それこそ名前どおりに局所的な『嵐』を起すことさえ出来てしまう。
今にも暴れ出しそうな荒れ狂う風の塊を制御するにも繊細な調節と膨大な知識を有するのに、アルマスは涼しい顔で風を操ってみせた。
あえて話に乗っていただけで抜け出そうと思えばいつでも縄を切り捨てることができたのだ。余裕の笑みを浮かべたアルマスは他の村人同様に情けなく床に転がるキースキに向けて首元にかけられたペンダントを取り出した。先ほどキースキ自身が見せたのと全く同じようにペンダントをかざす。金色に光るそれは大きな星と小さな星で構成された3つの連星が象られている。
「3級だと・・・!?君はその若さで錬金術を極めているというのか!」
「そっ。俺、天才だからさ。ついでに言うと学術都市シニネンクーマのね」
「3大学術都市の・・・」
「つまり等級は同じでも都市の格付け的には俺の方が上というわけだ。君達の論理で言うとより賢き者が『遍歴の智者』になるべきらしいからね。残念ながら彼はお呼びではないことになる」
押し黙るキースキ始め、村人達を前にアルマスは手を叩いた。
「そういうわけで解散解散。いやあ、無駄な時間だったね。おっとそこの君達、早まって暴力を振るおうとするなよ。俺はいつだってこんな掘っ立て小屋吹き飛ばすことができるんだからさ」
牽制の意味を込めて手の中の『青嵐の種』をちらつかせる。すると年寄りも若者も皆悔しそうに俯いた。ついさっきまでぐるぐるに縛られたアルマスを前に偉そうにふんぞり返っていたのが嘘のような情けなさだ。
つまらない茶番劇に巻き込まれたとはいえ、魔女との約束の時間まではまだ1刻以上ある。広場に戻って憂さ晴らしに酒でも飲もうと考え、アルマスが静まりかえった室内を後にしようとしたところ小さな嗚咽が耳に入った。
「・・・あ、・・・あ、ああ」
言葉にならないうめき声を漏らしているのは栗毛の女の子だ。
さすがに子どもを吹き飛ばすわけにもいかないので、彼女はアルマスからしかるほど離れていない場所で一人だけぽつんと立ち惚けていた。
アルマスの視線が女の子に向く。
小さくて細い肩が大きく跳ねた。みるみるうちに大きな瞳に涙が溜まり、雫がこぼれ落ちる。村の大人を瞬く間に吹き飛ばしたアルマスへの恐怖か、それとも見知らぬ相手に薬を盛る計画に荷担したことへの罪悪感か。
「うん。その方がいいか」
一人頷いたアルマスはへらへらとした笑みを浮かべて女の子に手を伸ばす。
アルマスの手が女の子に近づくと、女の子の顔は恐怖で引きつり、目をぎゅっと瞑った。もしかしたら殴られると思ったのかもしれない。
しかしアルマスはぽんと優しく女の子の小さな頭を包むように手の平を置くとその耳に顔を近づけてそっとあることを囁いた。すると、堅く閉じられたはずの瞳が驚きに見開かれる。
もう一度だけ女の子の頭をやんわりと撫でるように叩くとアルマスは室内の人々に向けてにっこりと笑って見せた。
「それじゃあ、皆さん。ご機嫌よう」
恨めしげな表情をする村人達をまったく気にすることなく、アルマスは悠々と惨状が広がる部屋を後にした。