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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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7.廻る小路の最果てに2

 こつこつと石畳を蹴る音がやたらと大きく響く。花畑とは打って変わって、人気のない街並みへと景観が戻っている。最初と違って思えるのは空をどんよりと分厚い雲が覆っているからだろうか。陽の光が遮られたことで薄暗さが際立っているのもあるだろう。


 リーリヤは覚束ない足取りながらもまったく歩みを止めない女の子に語りかける。このままでは良くない気がしてならなかった。


「ね、ねぇ。ほら、戻りましょうよ。さっきのお花、すごく綺麗だったし、もう一回ピクニックやり直すのはどう?今度はもう変なこと言わないから。そ、それに、そうっ、ブルーベリージュース!あれ、美味しかったわね。あれを一緒に飲みましょ、ね?」


 リーリヤなりに必死に考えたご機嫌取りの言葉は何も意味をなさない。女の子はピクリとも反応してくれなかった。


「どうしちゃったのよ・・・」


 力尽くに止めようにも女の子の小さな身体で出したとは思えない力で引きずられるのは実証済みだ。

 リーリヤにはもう打つ手がない。かといってこんな異常な状態の女の子を放っておくわけにもいかなかった。


「うぅ・・・・・・。なんか街の様子も変だし。いえ、変なのは元々そうだったけれど・・・・・・」


 改めて見回す街並みは異様な雰囲気に包まれている。

 曇天の空は重苦しく、なんだか息もし辛い。

 石畳はひび割れて、あちこち欠けているせいで、でこぼこしていて注意しないと足を取られてしまう。それなのに歩けば歩くほど、急激に闇が濃くなってくる。もう目を凝らさないと足元がよく見えない。まるで月の隠れた夜道のようだ。何度もつまずきながら、女の子を見失わないようにどうにか付いていく。


 それにあれだけあったはずの脇道も一つも見当たらないことに気付く。

 リーリヤの前には不気味な一本道が延々と続いていた。

 いったいどこまで行くのだろう。ひょっとしたら終わりなんてなくて倒れるまでずっと歩き続ける羽目になるのかもしれない。背筋が冷える考えが脳裏を過ぎったとき、それよりもよっぽど恐ろしい事態に陥っているのだとリーリヤは理解させられる。


 リーリヤの宵闇色の瞳が捉えた情報は3つ。

 女の子がやっと歩くのを止めたこと。一本道から行き止まりに辿り着いたこと。そして、()()()()()()()()距離に()()()()館が存在すること。


「何なの、これっ・・・・・・!?」


 こんなに近付くまで館があることを認知できなかった。いくら周囲が真夜中のように暗くなっているとしても、この館は()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。気付かないなんてあるわけがない。


 目の前の古びた木製の玄関扉はどういうわけか鎖で雁字搦めに封じられている。鎖に繋がれた錠前は1つではない。少なくとも10個はあるように見えた。ここまで厳重に閉ざされたこの館には何があるというのか。


「ひっ」


 ガタガタと風もないのに館の窓が独りでに揺れる。


「こっ・・・、わくはないわよ。怖いなんてこと、あるわけないじゃない。なによ、たかが窓が震えただけ。こんなの普通よ、普通」


 リーリヤは誰に言うでもなく早口でまくし立てる。念じるように自分に言い聞かせ、心を鼓舞しようとする。

 因みに及び腰になって、膝が震えてるなんて事実はない。自分で認めさえしなければ、ないも同然となるのだとリーリヤはやけにカクカクと上下に揺れる視界のなかで断言する。

 リーリヤがびくついているのも束の間、棒立ちになっていた女の子が唐突に動きを再開する。


「ぴぇっ!?ちょちょちょ、何をしてるのぉ!?」


 やつれ果てた幽鬼のごとき様相の女の子は、飛びつくように扉の鎖を引っ掴むと、ガンガンと引き千切ろうと半狂乱になって暴れ出す。壊れた人形のように頭を振り乱しながら、不規則に飛び跳ねて力尽くで鎖を破壊しようとしている。


「やめっ、やめっ、止めてってばぁっ!・・・・・・うぎゅぅ!?」


 リーリヤが女の子を抱きしめて止めようとするも、勢いよく振られる小さな頭がリーリヤの鳩尾に直撃して崩れ落ちる。


「ぃぃったぁ・・・・・・。ねぇっ、もうっ、どうしたのよ、本当に・・・・・・」


 涙目になったリーリヤなど気にした様子もなく、女の子の暴走は止まらない。そして、遂に扉をきつく縛っていた鎖の1つが鈍い音を立てて少しだけ位置がズレてしまう。それによって生まれたほんの少しの緩みのせいで、髪の毛一本にも満たないくらいの小さな隙間だけ扉が開く。


 その瞬間、扉の奥から得体の知れない真っ黒な靄が滲み出した。

 黒い靄をもろに浴びたリーリヤは吐き気が込み上げてきて口元を抑えた。

 おどろおどろしい瘴気が館から溢れかえっている。リーリヤは記憶の中にある魔境を思い出す。あそこまで酷くはないが、近しい感覚がリーリヤに警鈴を鳴らす。全身から冷や汗が吹き出る。濡れて額に張り付いた髪の毛が気にならないほど、意識が館の扉に釘付けになって目が離せない。


 魔女であるリーリヤがここまで警戒をしなければならない何かがここにいる。

 リーリヤは無意識に魔女の杖を求めた。その手は当然のごとく空を切る。白樺の枝から削り出され、魔女の修練を始めた幼い頃から長い時を共にし、じっくりとリーリヤの魔力に順応してきたこの世でただ1つの杖。だが、あの杖は白霞の森で儀式に失敗したときにリーリヤの手から失われてしまっている。そんなことはわかっていた。わかっているのに手を伸ばすほど、リーリヤは追い詰められている。


 リーリヤの隣ではあれだけ暴走していた女の子が泡を吹いてひっくり返ってしまっている。黒い靄はとてもじゃないが常人に耐えられるものではない。リーリヤだから正気を保っていられているのだ。

 この場からすぐに離れるべきだ。しかし、女の子を背負って逃げたくても、この瘴気の中ではリーリヤも身体に力が入らない。その上、今もなお瘴気は範囲を広めている。

 迷っている時間はなかった。


「このぉっ・・・!」


 働かない頭で導き出したリーリヤの答えは扉を閉めること。吹き出る瘴気が収まりさえすればなんとかなるかもしれない。

 外開きの扉を両手で押して体重をかけるがまったく動く様子がない。隙間と呼べるほどの隙間でもないのに、あと少しが閉め切れない。むしろ内側からとんでもない力がかかっているのが扉越しにも伝わってくる。今にも弾け飛びそうなくらい限界まで引っ張られた鎖がリーリヤの耳元でぎちぎちと悲鳴を上げていて、反射的に身が竦みそうになる。

 リーリヤの視界の端で、びくんと女の子が痙攣を始めた。まずい。女の子が死んでしまう。


「うっ、ぐうぅぅ!どうして!?なんで閉まってくれないの!?やめてよ!早く閉じて!じゃないとあの子がっ・・・・・・!」


 リーリヤは泣きたくなる。どうにかしなきゃと焦る気持ちだけが胸をかき乱し、この場を切り抜ける適切な方法は全然浮かんでくれない。叫びながら髪を振り乱した拍子にリーリヤの目に草色のリボンが映る。髪に結わえられていた草色のリボンがアルマスを思い出させる。アルマスなら今のリーリヤを見て、なんと助言をしてくれるのだろうか。そう思ったら、自然と口が動いていた。


「赤い帽子の女の子が森を歩いていると―――」


 リーリヤの口から紡がれたのは魔女の歌。

 精霊相手には役に立たない技法。アルマスにそう教えられ、実際に精霊を従えようとして失敗したのがつい先日。ましてやこの扉の奥にいる『何か』に通じる確信だってなかった。


 歌を口ずさむ度にリーリヤの胸の中を引っかき回していた焦燥や恐怖といった感情が鎮まっていく。一節を歌い終える頃にはリーリヤの心に仮初めの平穏が訪れていた。しかしそれは嵐の前の静けさと同義。理性を飲み込み、あらゆる感情を上書きする荒れ狂う激情がわき上がる前兆に過ぎない。


「カタヤタルがやってきて彼女を怒らせた―――」


 どす黒い紅色の魔力がリーリヤの身体から吹き出す。

 リーリヤの心に到来する感情の名は『憤怒』。

 セルマの一件があってからは、魔女の力は振るわないと考えていた。この街で生きていくために、もう魔女の力には縋らないと決めていたのだ。でも、結局、リーリヤは魔女なのだ。本当に困ったときにリーリヤが頼るのはこの力しかない。


 ――――――ああ、これは()()()()


 リーリヤは自分の中に眠る怒りの感情を他人事のように俯瞰していた。


「深紫の芍薬が狂い咲き、冥府の川で白鳥が啼く―――」


 心に鍵をかけて抑え込み、見ない振りをしていた怒りの感情が顔を覗かせ始める。


 ――――――なんで、私がこんな目に。


 怒りが怒りを呼び、際限なく生み出された膨大な魔力が圧縮され、その濃密さに反するようにリーリヤの身から解き放たれようとする、その寸前。


「真っ赤な顔した女の子は小さな熾火に落ち葉を―――っ・・・!」


 扉が動いた。リーリヤの紅黒い魔力が扉から漏れ出る黒い瘴気を押しのけて、逆に館の中に入り込んでいた。扉を開けようとする圧迫感が途端に小さくなる。リーリヤは魔女の歌を途中で切り上げ、そのまま全身で扉を押し込む。


「やぁっ!」


 ガン、という音で扉が閉まりきると、もう黒い靄は出てこなかった。


「はあぁぁぁ・・・・・・」


 リーリヤはその場に崩れ落ちる。

 まだ指先が震え、動悸は収まらない。またいつ扉が開くかと思うと恐ろしくて堪らない。一刻も早く、この場を離れたかった。しかし、膝が笑って立ち上がれそうにない。


 リーリヤは白い服が汚れるのも気にせず、這って女の子に近付く。幸いにも黒い靄が消えるのと同時に女の子の痙攣は止まったようだった。穏やかな顔つきに戻った女の子の胸部は緩やかに動いている。


 リーリヤは力の入らない腕を叱咤して、女の子を引き寄せると身体を引き摺って道を引き返そうとする。あちこちに引っかけた服はぼろぼろだが、気にしている余裕なんてない。


 焦りに急かされつつもどうにか館の敷地を出たときには街並みがまたがらりと姿を変えた。いや、戻ったというべきなのだろうか。空は晴れて明るくなり、道も一本道ではなく複雑に入り組んだ景観になっている。石畳だって罅や欠けなどない綺麗な状態だ。ただし、やっぱり人が誰もいないところを見るにまだこの変な世界からは抜け出せてはいないらしい。


 振り返るともう館はなかった。どこにでもありそうな街並みが広がっているだけだ。


「なんだったのよ、あれ」


 リーリヤは首を捻るがわかりようもない。


「うっ」


 呻き声が聞こえてリーリヤは声のした方に視線を移す。ちょうど女の子が目を覚まして起き上がるところだった。眠そうに目を擦り、ぼうっとしている。

目を疑うことではあったが、女の子のやせこけていたはずの頬はバラ色に色付き、顔色もずっと良くなっていた。


「大丈夫なの・・・・・・?」


 リーリヤは恐る恐る女の子に話しかける。

 あれほどの異変があったのだ。けろりと元のおしゃまな女の子に戻っているとは限らない。そして、実際に女の子の様子は先ほどとは違っている。だが、リーリヤの心配とは方向性が少し異なっていた。

 女の子の大きな瞳に大粒の涙が浮かぶ。


「ママとパパにあいたい」


 それだけ言うとわんわんと大泣きを始めたのだ。

 慌てるのはリーリヤだ。こんな小さい女の子と関わった経験がほとんどないので対応の仕方なんて思い浮かばない。


「わ、わかったから。一緒に探しましょ。ね?」


「・・・・・・おんぶして」


「えっ・・・・・・」


 必死になだめすかして一緒に両親を探すことでやっと泣き止んだかと思ったら、女の子はリーリヤに両手を向けてくる。無言で見つめてくる女の子にリーリヤはしぶしぶ頷くしかなかった。


「お、おおぉ・・・!う、腕がぷるぷるするぅ・・・」


 自分で一歩も歩く気のない女の子を背負った段階でリーリヤは早くも限界を迎えそうになる。というか、足を踏み出したら踏ん張りきれずに倒れそうだ。


「あ。あの子」


「こ、今度は何?」


 リーリヤの背中に乗った女の子が指を向けた先には『玉っころ』がいた。ころりと脇道から転がってきたようだ。元はと言えば、あれに関わろうとしたからこんなことになったのだ。リーリヤは腹いせに『玉っころ』を蹴り飛ばしてやろうかと思った。

 だが、そんな子供じみた八つ当たりもすぐにかき消える。


「ひぇっ」


 リーリヤの喉から思わず悲鳴が漏れる。

 脇道から現れた一匹の『玉っころ』。その『玉っころ』が転がり出てきた道の先にいたのは通りを覆い尽くさんばかりの『玉っころ』の群れ。多分、数百はくだらないだろう。まさしく『玉っころ』の洪水と表現するに相応しい光景だった。

 しかも、リーリヤ達を見つけたと同時に『玉っころ』が飛び跳ねながら襲いかかってきた。


「ぎゃあ!?なんでこいつら追いかけてくんのよぉ!」


 なんだかわからないがとにかく怖かった。女の子もリーリヤの肩を掴む力が強くなっている。

 リーリヤはのろのろと走り出す。


「私、そんなに走れないってばぁ・・・・・・」


 泣き言を漏らしながらリーリヤは逃走を開始するのだった。






 精霊の小路に迷い込む。

 この事象自体は特段珍しいものではない。対処法も確立されているし、そのための『白い標』といった魔具の備蓄は街の義務ですらある。精霊と共存する都市の人々にとっては身近なハプニングであり、幼少期の些細な不思議体験と考えられている。


 しかし、決して軽視していい問題ではなかった。

 毎年、近隣の街のどこかで少なからず犠牲者が出ている。精霊の小路、すなわち『あちら側』から戻ってこられず、失踪してしまう子どもが出てくるのだ。ここまで至ってしまっては子ども達が自力で戻ってくることはまずない。『こちら側』から働きかけなければ()()()()ままだ。その要諦は3つにまとめられる。


「まだなのか?」


 アルマスは道端の木箱に腰掛けながら刺々しい声を出す。


淑女(レディ)の支度には時間がかかるものです。もう少々お待ちください」


 アルマスが声をかけたヘレニウス家のメイドは声こそアルマスを宥めるものであったが、メイド自身も気にしているようで頻りに周囲に視線を走らせている。


 精霊の小路に囚われた子どもを助けるための一つ目の要諦とは『場所の特定』。

 何十本もの『白い標』を使うことで子どもの居場所を探し当てる。精霊の小路に踏み入っただけの子どもは大抵これで見つけられる。しかし、囚われた子ども相手では残り2つこそが重要となる。


 アルマスが5本中4本の『白い標』を使って辿り着いたのは、商業区の端っこにある倉庫街の一画だった。ここで『白い標』を引っ張る不可視の力が途切れたのだ。しかし、この場所にはリーリヤの姿はなかった。これでアルマスもリーリヤがあちら側にいるのだと確信を得られた。そうでなければこの魔具に導かれた先には探し人がいるはずなのだ。粗悪品であれば見当外れの場所に行き着くことも考えられた。この『白い標』はアルマスが錬成したものである以上その可能性はないと言い切れる。


 本来であれば祭りを控えたこの時期は倉庫街も人と物で溢れ、忙しなく馬車が行き交うのが通常だ。それでもアルマス達のいるこの倉庫街の大通りだけはやけに閑散としている。人も荷物も大部分はこの一画から移動され、半ば隔離された状態だ。こんな広い道を塞いでしまえば、商人達が邪魔だ何だと騒ぎ立ててもおかしくはないように思えるが、彼らは率先して協力していた。これから始まることに大事な商品が巻き込まれるのを恐れているからだ。


「準備って言ったって着替えるだけでしょ。なんでこんなに時間かかってるんだよ」


 この場所を突き止めてからもう随分と経つ。

 アルマスが気にしているのは要諦の二つ目、『時間』だ。子どもがあちら側に囚われてから1日、2日であれば意外にも何食わぬ顔で帰ってくる場合が多い。助けられた子ども達はなんで大人達がこんなにも騒いでいるのかわからないといった風に困惑していたりするほどだ。だが、3日ともなれば話は変わってくる。歴史上、このラインを越えると救助しても時既に遅しと衰弱死している可能性がぐっと上がる。


 それなのに()()()()ティア・ヘレニウスは未だにやってこない。


「そんなわけないでしょう。まずは湯浴みから始まり―――」


「湯浴みっ!?正気かよ、この火急の状況で」


 衝撃の発言にアルマスがメイドに詰め寄る。


「で、ですが、ヘレニウス家のご令嬢にあらせられるからには万に一つの失敗もあってはならないのです。であるならば、万全の体制で臨む他ないと思います。お嬢様は間違っておられません」


 メイドの目が泳ぐ。しかし、それも一瞬だった。すぐに揺るぎない意思を込めてアルマスを睨み返してきた。メイド自身も思うところはあるだろうに、それを主への忠誠が上回っている。


「やめだ、やめ。どうせ待つしかないんだから」


 アルマスは大きく溜め息を吐くと木箱に座り直す。

 既にメイドとは別の使用人がヘレニウス家に駆け込んでいる頃合いだ。多少の遅れにやきもきしていても仕方がない。


 三つ目の要諦は『精霊の小路への道を繋げること』だからだ。

 花の乙女の力を持ってして、精霊の小路へと続く門をこじ開ける。『白き標』を持って『場所』を特定し、子どもの限界が来る『時間』までに、精霊の小路への『門を開く』。それこそがあちら側に囚われた子どもを救う手段だ。精霊と共存する長い時代を経て確立されたこの手法はある種の確実性を持っている。


 しかし、最後の『門を開く』ことができる花の乙女は限られている。そこらの花の乙女を連れてきても意味はない。この街の中でも一握りしかいない一流の花の乙女の証、『三輪一彩さんりんひといろ』の実力を持っている必要がある。


 アルマスは手首に付けたままの『白い標』を見る。もしこの魔具に再び反応があれば、この精霊の小路へと続く門が移動したことを示す。人の目で見ることができないこの『門』は、時と共にあらゆる場所に移りゆく。いつまでこの場に門が留まっているのかアルマスには知り得ない。そう言う意味でも時間との戦いなのだ。手首に付けているものを含めて『白い標』は残り二つ。もしこの場の門が消えてしまったら、もう一度探し出すのに些か心許なかった。


「せめて他にも声をかけとけば良かったよ。って、無理な話だったね」


 アルマスはひとりごちる。

 三輪一彩以上の実力を持つ花の乙女なんてほぼ赤薔薇会と白百合会の二大派閥で独占されている。しかも、ヘレニウス家が関わった時点で白百合会は言わずもがな、赤薔薇会の他の連中にもむざむざ手柄を渡すわけがなかった。こんな事態に陥ってまでも上流階級の権力争いから逃れられないとは世知辛い。


「もしかしたら彼女なら―――」


 アルマスの脳裏に一人の少女が浮かび上がる。一流と呼べる実力があり、上流階級の権力争いとは無縁な立場にいる花の乙女。彼女ならば例えヘレニウス家から睨まれたとしても、人助けを優先するのではないか。約束・・をすっぽかした手前、彼女のことを無意識に選択肢から外してしまっていた。


「けど、今更か」


 駆け出そうとしたアルマスは即座に諦める。今から呼びに行ったところで予定通りにティアが来るまでの時間とそう変わらない。

 そう、彼女から現れでもしない限り。

 そんなことを考えていたから、これはアルマスにも本当に想定外だったのだ。


「ここですねっ!」


 アルマスとメイドしかいない、だだっ広い空間に突如明るい声が響く。ティアではない。闖入者を目視したアルマスはつい幻覚なのではないかと思ってしまった。

 向日葵の似合うその乙女はアルマスの姿を捉えるとその瞳に驚きの色を見せ、次いで自信満々の可憐な笑みを浮かべた。


「大丈夫です!あたしが来たからにはもう安心ですからっ!」


「君は―――」


 まだ驚きが抜けきらないアルマスは静かにその少女の名を告げた。






「何、何、何!?なんなのよ、もぉ~っ!?」


 リーリヤの悲鳴が辺りに響く。

 もう叫ばずにはいられなかった。

 リーリヤの逃走劇は早々に終了した。通りを一つ抜けるまでもなく、震える足がもたついて背負っていた女の子ともども盛大に転んでしまったのだ。痛みに呻きながら起き上がろうとしたら、その頃にはもう大量の『玉っころ』に追いつかれていた。


 『玉っころ』はぽんぽんと跳ねながらもリーリヤと女の子を囲むように回り続けている。近付いて来るわけでもないが、どこかにいなくなるわけでもなく、踊りとも儀式ともとれるこの奇妙な現象はどんどんと規模が大きくなっている。どこにこんなにいたのか、あちこちから『玉っころ』が集まって来ていた。


「こっちに来ないでってば!」


「こ、こわいよぉ。パパ、ママ、たすけてよぉ」


 宙に浮いたり、地面を跳ねたりする色とりどりの丸い精霊達に取り囲まれてリーリヤと女の子は互いに縮こまる。

 ついさっきの半壊した館のようなおどろおどろしさはなくとも、数の暴力という名の圧力がリーリヤ達を苦しめる。


「私達がなんか悪いことしたって言うの!?だったら謝るからあっち行ってよ!ほらっ、解散!しっ、しっ!」


 女の子を守ろうと気丈にもリーリヤが手で追い払おうとする。だが、それは逆効果だった。ずんっと地面を叩く重い音が響く。音の出所はリーリヤが手で払おうとしたすぐ近くの『玉っころ』からだった。毛玉っぽい軽そうな見た目に反して大岩でも落ちたような鈍い音とともに地面が揺れる。まるでリーリヤの態度が気に入らなかったと機嫌を損ねたかのような様子だ。それは一度ではなく、何度も繰り返される。


「ぎゃあ!ごめんってばぁ!悪かったわよぉ」


 リーリヤの謝罪が精霊に通じるはずもなく、『玉っころ』が跳ねる度に綺麗だった石畳には罅が入り、でこぼこに歪んでいく。しかも『玉っころ』の威嚇染みた振る舞いはあっという間に他の精霊にも伝播して、見える範囲のすべての精霊達が同じ行動を始めた。あちらこちらで揺れが起こり、とても立っていられる状況ではない。周囲の建物からパラパラと石くずが落ちてくる。

 女の子は遂にはリーリヤにしがみついて泣き出してしまった。

 リーリヤは女の子の小さな背中を精霊達から隠すように抱きしめる。


「一か八かやってみる?でも、もし失敗したらどうなるかわかんないし・・・・・・」


 魔女の術を使う、そんな考えに縋りそうになる。

 しかし、この『玉っころ』は紛う事なき精霊なのだ。さっきの館にいた『よくわからない何か』とは違うと魔女としての感覚が告げている。魔女の術はきっと効かないだろう。それに、この数の精霊達が暴走でもしようものならいったいどうなるか見当も付かない。


 リーリヤが考えているうちにも地面の揺れはどんどん激しくなり、とうとう遠くの建物が崩れ落ちるのが見えた。

 このままじっと耐えるだけでは多分ダメだ。それでもリーリヤに出来ることは自棄になって魔女の力を振るうことくらい。それもほぼ失敗するのが目に見えている。為す術がない中で必死に考えるリーリヤの前で変化は突然現れた。


 ぽん、ぽぽんと大きな―――それこそリーリヤの身長なんて優に超えるくらいの―――向日葵の花が目の前に3つ咲く。

 精霊達に塞がれていた視界に、暖かな光を帯びた向日葵の花が弾け飛ぶ。

 次いで黄色い花びらが波打ち、宙を舞い踊る。

 気付けばいつの間にか一人の少女がそこにいた。くるりくるりと軽快に日傘を振り回す赤い髪の少女だ。


「よく頑張ったね。後はモニカちゃんにお任せをっ!」


 少女の溌剌とした声が合図だった。三輪の向日葵の『花飾り(コサージュ)』が煌めく、たっぷりの花々が刺繍された日傘から魔力で出来た黄色い花びらが振りまかれると荒れ狂っていた『玉っころ』達は瞬く間に鎮まっていく。


「さぁ、みんな。お行きっ」


 少女の号令に精霊達は喜んで従った。

 精霊が散ってゆくのに合わせて、精霊の世界が崩れて消えてゆく。懐かしくも鬱陶しいくらいの人々の喧騒が周囲に戻る。若い夫婦が駆け寄ってきてリーリヤと一緒にいた女の子を泣きながら抱きしめる。


 展開についていけなくて呆然としているリーリヤの肩をアルマスが支えてくれた。それでもリーリヤの視線はある一点から離れない。

 この日、黄色い花の乙女の衝撃がリーリヤの瞳に強く焼き付いたのだった。

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