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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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5.精霊の小路

 踏み出した足が地面に着くまでのほんの少しの間に、ふわりと身体が浮く感覚がリーリヤを襲う。体勢が崩れて咄嗟に手を付こうとする。転んだ、と思ったのに実際にはきちんと両足で立っていた。


「あっぶな・・・!って、あれ?」


 リーリヤは妙な感覚に首を傾げる。

 周囲を見回してみても、おかしなところはない。そこそこ広い路地は日当たりも良く、石畳のでこぼこ具合までしっかり見て取れる。両脇には石造りの建物が並び、ところどころお店の看板らしき鉄細工が壁から突き出している。ただの何処にでもありそうな路地だ。それでも何かが足りないような気がして心がざわつく。


 あのどこか恐ろしさを漂わせるお嬢様のいたヘレニウス家。そんなに長い時間いたわけではないけれども、リーリヤはすでにティアにもヘレニウス家の館にも苦手意識がしっかりと刻まれた。そんなわけで一刻も早く逃げたかったリーリヤは馬車に乗るよう勧めてくる館の使用人の言葉を全力で拒否して、渋るアルマスを引っ張って街中を歩いているところだった。


 そんな帰り道に行きでも見かけた『玉っころ』こと小さな精霊が路地の端に隠れていた。さっき会ったときは視界を過ぎっただけだったので今度こそはその姿をよく見てやろうと近付いたところ、変な浮遊感と共にリーリヤは転びそうになったのだ。しかし、そうこうしているうちに『玉っころ』はもう見当たらなくなっていた。リーリヤは仕方なく諦めることにして背後にいるはずのアルマスを振り返る。


「ねぇ、アルマス―――」


 これからどうするの、と続けようとしてリーリヤは困惑する。


「え?え?え?」


 そこにアルマスの姿はなかった。そんなはずはない。すぐ側にアルマスはいたはずなのだ。そうだ、きっとアルマスの悪戯だ。1人では帰ることすらままならないリーリヤを脅かそうとしているのだ。アルマスならリーリヤをからかうためにやりかねない。


「ア、アルマス・・・・・・?ふざけてるのよね?そんな手には引っかからないわよ?早く出て来なさいよ。今なら怒らないから。ね?」


 リーリヤの声が震える。話しているうちにこれがアルマスの悪戯ではないのだと無意識に理解してしまっていた。


「ほ、ほんとにいないの?どこいっちゃったのよ、アルマスぅ」


 不安げに当たりを見回して、建物の窪みなどの人が隠れられそうな場所を探してみる。だが、アルマスの姿はどこにもない。

 そして、リーリヤはやっと先ほどからあった違和感の元に気付く。

 静かすぎるのだ。リーリヤは急いで来た道を引き返す。路地に入り込む前の通りには行き交う人々が少なからずいたはずだ。


「っ・・・・・・!」


 しん、と静まりかえった道を目にしてリーリヤは息を飲む。

 アルマスだけではなかった。この十字の路地にも、ちょっと戻った通りすらも、人の姿や気配がまるでない。道端のお店を覗いても店員も客も誰もいなかった。

 リーリヤは寒気に身を捩らせる。


「なんなのよ、もぉ・・・・・・」


 一体どうなっているのか。リーリヤにはまるで思い当たらず、力なく立ち尽くすしかなかった。






「まずった!まさか本当に入り込むなんて!」


 荒く息を吐き出しながらアルマスは街中を駆ける。

 リーリヤが失踪した。

 おそらく『精霊の小路』に迷い込んだのだ。

 いくら商業区の道が入り組んでいるからといってあの距離で見失うことはあり得ない。そうとなれば考えられる可能性は『精霊の小路(それ)』しかなかった。初夏を迎えた時期的にもその推測が妥当に思えた。


「ごめんっ、どいて!」


 普段よりも割り増しでゆったりと仕事をする人々をかき分けてアルマスはひた走る。お祭り前に浮かれている人達が今は邪魔でしょうがない。


「こっちからの方が早いかっ」


 大通りへと続く道から複雑に曲がりくねった路地の奥へと入り込む。迷いやすいが、道さえ知っていれば近道できる。

 目指していたのは職人街区の端にある自身の工房だった。


 忽然といなくなったリーリヤの消息は誰にもわからない。

 『精霊の小路』とは謂わば精霊達の力で編み上げられた現世(こちら側)とはズレた精霊の世界(あちら側)。あちら側に繋がることは滅多にないのだが、特定の時期に決まって境界の揺らぎが大きくなり、只人が誤って迷い込む。特に子どもの時分には少なくない人がそんな不可思議な経験をしていたりする。


 『精霊の小路』に踏み入れた先に出る場所の法則性はないとされる。街の外に出現する例は聞いたことがないのでリーリヤも街のどこかにいるはずだ。しかし、それで安心できるわけではない。人一人を探すにはこの街(フルクート)は広すぎる。


 なによりもアルマスの脳裏には嫌な想像が浮かんでいた。普通ならばひょんなことからあちら側に迷い込み、ふとした拍子にこちら側に戻っているものだ。迷い込んだことすら認識しない場合だってある。けれども、あいにくリーリヤは()()ではない。もし、あちら側に囚われているとしたら厄介だ。


 迷路のように無数に枝分かれする細くて狭い路地裏を駆け抜けて小さな広場に出たとき、アルマスの足が地面に縫い止められたように止まる。

 年老いて枯れ果てた女性を連想させる特徴的なしゃがれ声がアルマスの耳朶を打つ。


「大変そうだね、錬金術師くん」


 建物の陰から女性を象った影が不気味に伸びている。例によって影の主の姿を直接見ることは適わない。

 アルマスは聞こえないように舌打ちをする。面倒なときに面倒な人物に絡まれた。


「なんですか?申し訳ないですけど取り込み中でして。お相手する暇はないんですよ」


 アルマスは内心の苛立ちを声に出さないように苦心する。


「ふふふっ。そう邪険にしないでほしいな。悲しくなってしまうよ。私にそんな態度を取ってもいいのかな?」


 アルマスは言葉に詰まる。本当は文句の1つや2つでも吐き捨てたいところだ。しかし、この場でこの人物を敵に回すのがどれだけ危ういことかをアルマスは知っている。感情的になるべきではない。そもそも誰の責任というわけでもないのだ。

 リーリヤが巻き込まれたのはただ運が悪かっただけ。

 ――――――本当にそうだろうか。


「それにしても不思議だよね。何も知らない愚かで純粋な子ども、というわけでもなかろうにあっちに引き込まれちゃうなんてね」


 アルマスの中で湧き上がった疑念を影の主はくすぐってくる。まるでアルマスの疑問が正しいと言うかのように。

 いや、それ以前になぜリーリヤのことを知っているのか。リーリヤがいなくなったのはついさっきだ。まさか一部始終を見ていたとでもいうのか。


「私は物知りだからね。君が知らないことも知っている。ということは、君が知りたいことも知っているかもね?」


「・・・・・・それはいずれ別の機会に伺わせてもらいます。今は急いでいるので」


 荒れそうになる感情を飲み込んでアルマスは平静さを装う。

 優先すべきは早急にリーリヤを見つけること。そのための方策は既にある。ここで影の主の話に耳を傾ける暇があれば、とにかく走った方がいい。

 アルマスの返答に影の主はむしろ上機嫌な声を上げる。


「ふぅん。いいよ、それでも。君は私のお気に入りだからね。多少の我が儘くらい聞いてあげる。でも、ほんとーにいいのかなぁ。前に言った話の続きなんだけど。魔女が街に棲む、その弊害の話さ」


 駆け出そうとしたアルマスは足を踏み出すことが出来なかった。

 先日の火事の一件以来、リーリヤの中にあった人々を蔑み見下す魔女としての傲慢さは鳴りを潜めている。街で平穏に暮らすに当たってリーリヤの意識の変革は避けては通れなかった。

 しかし、それでは足らないのだと、あのとき影の主はアルマスに言い残していたのだ。


「おやおや?やっぱり気になる?そうだよね、気になるよね」


「いい加減にしていただきたい。契約内容を忘れたんですか?」


「せっかちだなぁ。もう少し会話を楽しもうよ。おおっと。怖い怖い。そろそろ本気で怒りそうだね」


 アルマスが影の元へと躙り寄ろうとするとようやく影の主は話す気になったようだった。


「君も察したかもしれないけどさ、今回のことは偶然じゃないよ。これは魔女のもたらす弊害の1つ」


「1つ・・・。つまり、他にもあるってことですか」


「当たり前だよ。錬金術師くんだって心当たりあるんじゃないの?それも含めると、そうだね、何個あるかな?1つ、2つ、・・・・・・3つ?まぁ、少なくともそれくらいはあるよ」


「・・・・・・」


 アルマスにも思い当たることはある。しかし、それは今回の件とはどうやっても結びつかない。となると、影の主の言う3つの弊害の1つであっても、リーリヤの失踪の原因とはまた別ということだ。


「だんまりかい?それもいいけどね。とにかく、原因は単純だよ。だからこそ難儀なんだけどさ。教えてあげるよ、錬金術師くん。あの娘はね、精霊から嫌われているんだよ」


「嫌われて・・・・・・?それが本当ならいったい何が原因で・・・・・・。いや、聞きたいのはそうじゃない。あなたの言うとおり、リーリヤが精霊に嫌われているとしましょう。それでどうして『精霊の小路』に迷い込むことになるんですか?」


「うーん。どうしてと言われてもねぇ。ほら、精霊はよく子どもをあっち側に誘うだろう?あれは愚かしくとも純真な存在に対する精霊のちょっかいなわけだね。好意の表れとも言うかな。笑えることにあれで善意なんだよ。けど、あの娘へのものは違う。紛う事なきただの嫌がらせさ」


 ケラケラと嗤う影の主にアルマスは眉をひそめる。


「ちょっかいと嫌がらせは似て非なるもの。しかして、精霊にとってはその本質は変わらない。って言うのが君への答えかな。要は好きでも嫌いでも精霊のやることは似たり寄ったりなのさ。・・・・・・だから心配しなくても大丈夫だよ。きっと一緒にいるだろうからさ」


「は?最後のはどういう・・・・・・?」


 アルマスが確かめようとする前に影の主はこの場を去ろうとする。


「ふむ?どうやら私はここまでみたいだね」


「待ってください。まだ聞きたいことが――――――」


 引き留める間もなく、影は揺らぎ、次の瞬間には音もなく姿がかき消える。


「くそっ」


 アルマスは悪態をつく。

 だが、悠長に悔しがっている時間は与えられないようだった。

 がらがらと荒々しく馬車が走る音が広場に響く。相当に急いで来たらしい馬車は勢いもそのままにアルマスの横に停められる。その馬車に刻まれた紋章は少し前に見たばかりの赤い牡丹と絡み合う葉冠の紋。それはヘレニウス家の紋章だった。


「ポルク様っ!急ぎこちらへっ!早くっ!」


 馬車からメイドが飛び出してくる。


「ああ、もうっ。次から次へと」


 アルマスは片手で額を押さえた。どうやら厄介事というのは重なるものらしい。






 普段よりも広く感じる誰も歩かない大通り。商品はあっても売り子のいない屋台。噴水の飛沫に陽光が煌めくだけの静かな広場。まさしく人のいない世界がここにある。

 この状況にリーリヤが思ったことは如何にもリーリヤらしい考えだった。


「慣れてくると案外快適かも」


 リーリヤも最初は戸惑った。急に人々が姿を消したのだ。驚いたし、恐ろしさもあった。それに誰かさんが隣からいなくなって不安を感じなかったと言うと嘘になる。

 しかし、意味のわからない状況に取り乱して、途方に暮れていたリーリヤはふと思ってしまったのだ。


 落ち着くなぁ、と。


 取り残されてしまったかのような寂しさよりも、むしろ人がいない心地よさの方が勝っている。

 そう考え至ってからリーリヤは実にのんびりと構えている。


「これ、もしかして『精霊の小路』ってやつなの?たしか精霊の力でできてるんだっけ?その割には精霊の気配は全然感じないんだけど」


 今のリーリヤはおそらく直前までアルマスと話していた『精霊の小路』に迷い込んでいる状態なのだろう。小さな子どもだけの話だと聞いていたのになんでリーリヤがこんなことになっているのか。わからないことだらけである。


「私、まだ精霊の力ってしっくりこないのよね。妖精を相手してたときと微妙に感覚が違うし」


 魔女であったリーリヤは故郷の森の中で妖精の気配を感じ取れたようにある程度は精霊を感知することもできる。けれども、妖精と精霊は厳密には異なる存在なのでどうにも違和感は拭えない。そのため、精霊が近くにいると勘違いしたり、逆に気づけなかったりとわりかし穴が多いのが実情だったりする。

 どのみち魔女の術では精霊を自由に操ることは出来ないので、結局はリーリヤ自身で解決する手段を持たないのがもどかしい。


「あれ?この道って、こうなってたかしら?んんん?ここの路地は広場につながっていたような、そうでないような?」


 とりあえず歩き回って様子を見ようとはした。もしかしたら適当に歩くだけで、この奇妙な空間から抜け出せるかも知れない。そうでなくともこの場所が実際の街並みを模しているのであれば、そのうち端に行き着いて外に出られるということも考えられる。


 自分でも中々良い考えだと思ったのは初めだけ。よくよく考えなくともリーリヤは碌に道を覚えていないのだ。目の前に広がる街並みが正しいものなのか、はたまたそれっぽいだけでめちゃくちゃな造りをしているのか、リーリヤにはまるで判別がつかなかった。


 そういうわけでとっとと諦めた。

 あと、どうせアルマスがリーリヤを助けるために動いているはずだという変な安心感もある。

 なので、リーリヤは暇に飽かしてそこらを散歩している最中だ。


「ふぅん。こんな道あったの。うへぇ、思ったより狭いわね」


 ぐにぐにとのたうつ蛇のように細くて狭い脇道を覗き込む。普段ならこんな道には近付きもしない。


「でも、ちょっと行ってみようかしら。・・・・・・えいっ」


 リーリヤは思い切って薄暗い路地裏へと飛び込む。

 両手を胸の前で握り合わせ、肩を縮こまらせながらゆっくりと慎重に薄闇の中を進む。胸のどきどきの原因は慣れない場所を歩く怖さとほんの少しの好奇心。


 見上げれば狭い空間にはみ出した窓辺の柵の向こうに広がる青空があった。自然とリーリヤの肩の力が抜ける。

 リーリヤはくすりと笑う。なんだかびくびくとしているのが馬鹿らしくなってきた。こんな誰もいない世界でいったい何に怯えているのか。リーリヤの足取りが一気に軽くなる。


 誰にも会わないと思うと途端に浮き浮きしてくるのだから不思議だ。いつもより気が大きくなって行動も大胆になってくる。なんならちょっとした探検気分で気ままに歌い出す。『魔女の歌』以外に知っている歌なんて1つもない。だから、歌詞もメロディもでたらめだ。あえて曲名を付けるなら『ぽかぽか日なたの昼下がり』なんてどうだろう。


 リーリヤはその後も気分の向くままに小路も大通りも自由に歩き回った。

 だから、その広場に辿り着いたのは偶々だったのだと思う。


「なんなのよ、これ?」


 それはなんてことのない広場のはずだった。小さすぎず、大きすぎず、ステーン家の近くにもあるような住宅街でそこそこ見かける普通の広場。


 ただし、噴水の水が紫色に染まっている。透き通った紫ではない。水面を覗いても底が見えないほどに濃い紫の水がたっぷりと満ちている。近付いたことで甘酸っぱい匂いがすることにリーリヤは気付いた。おそらく、この紫の水から漂っている。


「お姉ちゃんもこの子たちによばれたの?」


「え?」


 かけられた声にリーリヤは惚けてしまう。噴水に意識が向いていて噴水の向こう側に小さな女の子がいることにまったく気がつかなかった。そもそもリーリヤ以外にこの世界に人がいるとは微塵も思っていなかった。


 女の子は可愛らしく首を傾げてリーリヤを見ている。その周りにはあの『玉っころ』と呼ばれた精霊が浮いていたり、地面に転がっていたりとたくさんいる。『この子たち』というのはこの精霊を指しているのだろう。こうしてまじまじと観察すると大きさも色も様々あるのだとよくわかる。一番大きいのでも両手で受け止められそうな程度だ。ふわふわな毛並みをしているようにも見えるし、そう光っているだけのようにも感じられる。ひょっとすると目だってあるのかもしれない。こうだとは言い切れないあやふやな見た目だった。


「お姉ちゃん、のどがかわいたの?」


「え?そ、そうね。そう言われると喉カラカラかも」


 女の子に聞かれるままにリーリヤが答えると女の子は持っていた木のコップを噴水の中に突っ込んだ。掬い上げられたコップにはなみなみと紫色の液体が揺れている。


「ほら。お姉ちゃんもどうぞ」


「うぇ・・・!?こ、これを飲むの・・・?」


 紫の液体は如何にも毒々しい。しかも、なぜか噴水から吹き出ている怪しげな液体だ。はっきり言って飲みたくなかった。


「どうぞ?のまないの?」


 リーリヤから見ても女の子は純粋な善意からのようだった。こうも無垢な顔をされると断るに断れない。リーリヤは女の子が差し出すコップを恐る恐る受け取る。色味の割にはサラサラとしており、チャポンとコップの中で音がした。


 受け取ったはいいものの、やはり飲むとなると躊躇する。最後の抵抗とばかりにちらりと女の子の様子を窺えば、女の子はニコニコと嬉しそうに笑っていた。


「どうしたの?()()()()()()()()()()だよ?あまくておいしいの。パパはだいすきなんだって。わたしもだいすきっ!」


「ほ、本当?これ、本当にブルーベリージュースなの?」


 笑顔のまま女の子は頷く。

 リーリヤは目を瞑ると、思い切って一口飲んだ。


「甘い、わね。それにさっぱりしてる。本当にジュースだったのね・・・」


 信じられないことに紫の水は本物のブルーベリージュースだった。それもかなり美味しい。

 だが、そうするとこの噴水はなんなのだと疑問が出てくる。いったいどうしてジュースをどばどばと吐き出しているのだ。

 リーリヤが噴水に対して胡乱げな目をしている側で女の子が今度は別の質問をしてくる。


「おなかは?へってる?」


「そっちは大丈夫よ。さっき食べたから」


 ヘレニウス家でのことをあまり思い出したくないリーリヤは知らずうちに口がひん曲がる。じっとリーリヤを見つめる女の子のことを思い出すと慌てて笑って誤魔化した。

 しかし、噴水から飲み物が出ていることを考えると食べ物ももしかしたら同様なのかもしれない。リーリヤは広場に視線を行き渡せ、大丈夫そうだと胸をなで下ろす。あるのはベンチや椅子くらいなものだったからだ。

 だが、リーリヤの観察眼は甘かったらしい。


「そっかぁ。おいしいのに。この()()()


 女の子は広場の端においてあったベンチに駆け寄ると、小さな口を目一杯広げてかぶり付いた。


「うっそぉ・・・・・・」


「たべる?」


 頬に生クリームを付けた女の子が振り返る。一緒にベンチ型のケーキを食べるかとさっきと同じ純粋さで聞いてくる。

 リーリヤは言葉も無く、首を横に振るしか出来なかった。


「ざんねん」


 それだけ言って女の子はあっという間に()()()を平らげる。どうやったって女の子の身体よりもベンチの方が大きいのに全部食べきってしまった。

 あり得ない光景にリーリヤは頭がおかしくなりそうだった。


「そうだっ。お姉ちゃん、おひま?」


「・・・・・・まぁ、そう言われるとそうとも言うかもね」


 食べ終わった女の子が今度はリーリヤに駆け寄って来ると、リーリヤの手をとった。

 よかったとリーリヤは思った。女の子の手は温かく、ちゃんと生きている人間なのだと確認できてほっとする。


「じゃあ、お姉ちゃんもこっちにきてっ。いっしょにやろっ」


 リーリヤは女の子に引っ張られる。

 思ったよりも強い力にリーリヤは碌に抵抗できなかった。女の子にあわせて『玉っころ』もぞろぞろと動き出す。


「え?は?え?ち、ちょっとっー!?」


 女の子の目的地はすぐ側だった。

 広場を囲むたくさんの建物の1つにリーリヤは連れ込まれることになったのだった。






「もう既に3日は経過しております」


 重苦しい口調で告げるメイドにアルマスは苛立ちも露わに眉を上げる。


「あり得ないね。なんでそんなになるまで放置したんだよ」


「あのお高くとまった白百合会のことです。ヘレニウス家、ひいては赤薔薇会への借りを作ることを嫌ったのだと思われます」


「馬鹿馬鹿しい」


 馬車に揺られるアルマスは背もたれに身体を投げ出す。

 赤みがかった金髪のメイドは首を横に振る。


「一概にそうは言えません。自らの管轄で起きたことは自らの力で対処する。派閥同士の不要な干渉は控えるべきでしょう」


「それが出来てないから問題なんだろうさ。・・・・・・君達に言うことじゃないのはわかってるけどね。派閥とかうんたら会とかもう少しどうにかなんないの?俺からすれば無駄と面倒が過ぎる」


「赤薔薇会です、ポルク様。それに私共の口から申し上げられることではございません」


「そりゃそうだ」


 アルマスは鼻を鳴らして視線を馬車の外に向けた。

 だが、目に映る街の人々の陽気さに嫌気が差してすぐに視線を戻した。


「で?どこの子どもが()()()()()のさ?」


「白百合会側の商会傘下の者と繋がりがある商家の娘だそうです。もともとは王都方面で服飾関係を営んでいるようですね。最近になってこの街まで販路を伸ばしています。ただ、商家としての規模は小さく、派閥の会合に顔が出せるようになってからも日が浅いそうで。今回の対応がやけに遅かったのもそこら辺の事情が関係している可能性があるとお嬢様はお考えです」


「なるほど。新参者か。それが余計に気に入らなかったのかな。あっちは昔からの伝統主義だしね。もちろん、悪い意味でだけど。何はともあれ、そうなるとあのお嬢様の懸念は大当たりだったわけだ。義務を果たしつつ、恩も売れる。さすがは腹黒お嬢様。抜け目がないね」


「・・・・・・ポルク様。以前から申し上げておりますが、そのようにお嬢様を貶める呼称を用いるのはおやめください」


 アルマスに向けられるメイドの視線はとても厳しい。彼女からすれば尊敬する主人をぞんざいに扱われて良い気分ではないのだろう。相変わらず従者には慕われているようで羨ましい限りだ。


「わかってるって。これでも雇われの身だからね。外ではもちろん自重するよ」


 アルマスが適当に頷くとメイドは引き下がった。それでもその表情には隠しきれない不満さが見て取れる。アルマスに忠告する意味の無さは彼女も知っているだろうに毎度よくやるものだ。


「それはそれとして。そっちの準備は問題ないよね?」


「はい。貴方様のご用意ができ次第、ティアお嬢様自らがお役目を果たされるご予定です」


 アルマスの望んでいた返答がメイドからもたらされる。


「なら、いいよ。まずは工房に着かなきゃ話にならない。とにかく馬車を急がせてくれ」


 アルマスは工房に到着してから行うべき作業を頭の中で組み立てる。まずはたっぷりのお湯を沸かすところからだ。次に薬草類を磨り潰すために薬研を引っ張り出して、その次は――――――。


 少しでも時間が惜しい状況だ。出来ることはやっておかなければならない。どんなことでも手遅れになってからでは遅いのだ。

 思考の海を泳ぐ最中、アルマスはぽつりと零す。


「リーリヤのやつ、自棄になってないといいけれど」






「なんで・・・?ねぇ、なんでなの・・・?」


 リーリヤは頭を抱えてうめき声を上げる。

 我が身に降りかかる苦痛と理不尽さに耐えかねて、目の奥から熱い涙が溢れてくる。無性に情けなくなって悔しいので、涙を零すことだけは必死に堪える。それでも、口から心の叫びを出すのは止められない。


「なんで私は働かされてるの・・・・!?」


 きょとんと振り返るのはさっきの女の子だ。年に似合わない俊敏さで店に訪れた客をどんどんさばいている。


「ごはんをたべたらおしごとのじかんなのよ。じょうしきだって、みんながいってたよ?」


 当たり前なのに、と女の子は首を傾げている。

 まさかの正論にリーリヤは言い返せない。女の子から出される指示に従って棚の上に山積みになっている服の束を下ろす。とても小さくて、子どもでも着られないくらいに小さい服だ。

 手の中で広げたそれを見て、リーリヤは次に()()を見る。そんなことをすれば、この胸に渦巻く感情を抑えられるわけがなかった。


「なんで?なんでぬいぐるみが動いてるの?なんであいつらのために服なんて着せ替えてやってるの!?」


 女の子に連れてこられた場所は『ぬいぐるみの洋服屋さん』だ。

 クマやらヒツジやらウサギやらのデフォルメされたぬいぐるみが二足歩行で動き回っている。しかも、次から次へと店の中に入ってくるせいで店内はぬいぐるみでひしめいている。こうなると可愛さよりも圧倒的に不気味さが勝る。


 何十、ひょっとしたら何百という真っ黒で無機質な瞳がリーリヤを見据えている。話し出したりしないのはせめてもの救いなのだろうか。それとも愉快に会話でもしてた方がマシなんだろうか。いや、やっぱりどっちも嫌だ。


「ぴぇっ。なんでこっち見るのよぉ・・・・・・」


 凄まじい数のぬいぐるみがリーリヤの姿を追って、ぐるんぐるんと頭を動かしてくる光景には身の危険しか感じない。


「お姉ちゃん。おしゃべりばかりしてないで。ちゃんとてをうごかして」


 女の子は小さな頬を膨らませている。

 そして、リーリヤにあれをしろ、これをしろと命令をしてくるのだ。この洋服屋の店員は女の子とリーリヤしかいないので、リーリヤはさっきから自分よりも遙かに年下の女の子にこき使われている。何が悲しくてこんな状況になってしまったのか。


「わかったわよっ、いいわよっ、もうっ!やってやるわよぉ!」


 投げやりになったリーリヤのわめき声はぬいぐるみだらけの店内に良く響いた。

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