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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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2.賑やかなる日常

 アルマスは黒光りする木製の重厚な玄関扉を足早にくぐる。

 そのまま石造りのひさしを通り抜けると、照りつける日射しの下に出た。暗さと明るさの落差に一瞬目が眩み、それもすぐに慣れる。

 目を細めて仰ぎ見た空にはモコモコとした白い雲がどこまでも広がる青さの中を悠々と泳いでいた。


 のんびりとしたその光景がささくれだった苛立ちをほんの少し鎮めてくれる。

 アルマスは出て来たばかりの巨大な建物を振り返る。貴族の屋敷よりもなお巨大なこの施設は湖畔都市フルクートの中央区、そのまた中心部に位置する学術協会のフルクート支部である。言わずとしれた錬金術師達の統括組織だ。


 すべての錬金術師は学術協会の認定する階級という名の資格制度のもとでその身分、実力を保証される。それはすなわち学術協会の機嫌を損ねれば資格の剥奪だって可能性としてはあり得るわけで、当然協会の意向を無下にすることは憚られる。それはアルマスも例外ではない。だからこそ、こうしてわざわざ足を運んだわけなのだが。


「あー、しんど。やっと解放された。長いんだよ、話が。しかも話し方がまどろっこしいし。これだからお偉いさんは・・・」


 ぶつくさと文句を垂れるアルマスは足音荒くその場を去る。

 先日、アルマス宛てに学術協会から顔を出すようにと指示があったのだ。アルマスも暇ではないので最初は無視していた。


 資格剥奪とまではいかなくとも協会からの命令を放棄すれば相応の処罰は考えられる。だが、ここら近辺ではそこそこ大きな都市とはいえ、地方の支部程度ではそこまで強力な権限は与えられていない。それもアルマスは3級の資格を持つ高位の錬金術師だ。王都からもほど遠い一地方ともなれば両手で数えられるくらいの希少な人材。地域によっては片手で収まる程度の人数だろう。そんな極一部の実力者であるアルマスの方が上の立場と言っても過言ではないのが実情だったりする。


 そもそもアルマスは正式にフルクート支部に所属する錬金術師ではなく、あくまでとある名家に雇われているだけだ。そういった絡み合う立場や利害の複雑さのせいで学術協会もアルマスに対しておいそれと強気に出れないのだ。


 とは言っても再三に渡る催促を受けたのでアルマスもしょうがなく要請に応じたという次第だ。


「ほんと、時間の無駄だったね。しつこく呼び立てるからせっかく来てやったのに。損した気分だ」


 要件はアルマスからすればどうでも良いものだった。

 近く行われる夏至祭の準備としてフルクートに居住する錬金術師には学術協会からそれぞれ役割が宛がわれる。参事会を通じて決定した内容を役所から協会が依頼を受けるかたちだ。そこから更に支部傘下の錬金術師達に依頼が行われる。

 とある家に個人的に雇われているだけのアルマスも錬金術師である以上は学術協会と無縁ではいられず、相応の協力を請われていた。


 今回の話というのはその進捗を確認するものだった。

 本当にただそれだけの理由でアルマスは呼び出されたのだ。

 不機嫌丸出しのアルマスに対応した優男風の中年男性は終始困った顔をしていた。この街の学術協会のトップである支部長なのにそんな威厳はまるで感じられない。それもそのはずで支部長は本部から派遣された所謂余所者だからだ。この都市で生まれ育ったのではない彼は、その地位に反して立場が弱い。きっと日々、街の参事会といったお偉方や地元の有力な錬金術師の派閥に挟まれて苦労していることは想像に難くない。だからといってアルマスが配慮してやる必要性も特に感じなかった。


 なにせ巡り巡ってアルマスに不要な労力を強いているのだから尚更だ。

 因みにアルマスに依頼された業務は街灯の照明を初めとした街の備品の在庫の確保。もちろん、アルマスだけに依頼される類のものではなく、その他大勢の錬金術師達にも同様の依頼は出されている。

 重要な仕事の大半は地元の古参錬金術師達が占有しているので、アルマスに回ってくる仕事なんて形式上『何かしらの案件を依頼した』と意味を持たせるくらいだ。


 どうせ使うかどうかもわからない備品の予備のそのまた予備だと言うのになぜアルマスを呼びつけたのか。

 大方、アルマスを気に入らない派閥からの嫌がらせだ。支部長もその要求に応じただけだろう。かといってアルマスと敵対するわけにもいかず、結果として時間をかけて遠回しにアルマスの現状を探りつつ、控えめに改めてお願いしてきたわけだ。


『順調に進んでいる?なにか困ったことはない?できる限りの協力はするよ。でも、依頼は依頼だからなるべく努力はしてね』。要約するとこんな感じだった。


「ったく。少しは素材を残しておくんだった。そうすればこんな面倒なことにはならなかったかもね」


 アルマス・ポルクは錬金術の素材不足に悩んでいる。そんな噂が広まっているらしい。


 実際、アルマスはリーリヤの故郷である『白霞の森』に出向く際、魔具の準備で手持ちの材料のほとんどを費やしてしまった。貴重な物もそうでない物も等しくすっからかんだ。その上でせっかく作った魔具もほとんどが壊れて使い物にならなくなる始末。


 だから、素材を探して街中を駆けずり回ったりしていた。アルマスが訪れた店々を通してそのことが性根の悪い錬金術師連中に筒抜けになっているのだ。重要ではなかろうとある程度は依頼をこなしておこうとちょっとした責任感を発揮した結果、それが返って裏目になっていた。これなら初めから雇い主からの業務が多忙で対応できないとか言い訳して有耶無耶にした方が遙かにマシだった。


「逃げ道を塞がれた以上はどうにかしないとか。そろそろ潮時かな。嫌だなぁ、あいつに頭下げるの。絶対に馬鹿にされる」


 晴れ渡る空とは対照的に憂鬱な気分に浸っていたアルマスは豪華な邸宅ばかり並ぶ中央区から見慣れた住宅街区に入っていた。

 広くとも閑静な通りから狭くて騒々しい小路へと切り替わる。


 アルマスはいつもと違う浮ついた雰囲気を感じた。

 通りすがりの人も道端の屋台で野菜を売る人も爽やかで明るい笑顔を浮かべている。言うなれば初夏の訪れに気分が高揚しているかのようだ。


「まぁ、祭りまであとちょっとだもんな」


 北の国に住む人々にとって夏至の祭りは他の祭事と比べても殊更に大切な行事なのだ。

 アルマスは人波に紛れて歩いて行く。

 心を擽られるような住民達の喧騒にアルマスもつられて気持ちが上向いてくる。


 ゆったりとした歩幅で心にゆとりを持って周りを見渡せる。

 だから、大量の荷物を抱えて前方不注意となっていた少女が躓いて転びそうになっているのに気付くことが出来た。


「よっと。大丈夫?」


 アルマスが少女の肩を掴んで身体を支えた拍子に柔らかい金色の髪がふわりと浮き上がった。

 見覚えがある容姿にアルマスは驚きを覚える。

 小柄で華奢な子どもらしい体躯に首元までの金糸の髪、人形のように可愛らしい顔をした少女もまた目を大きく見開いた。


「あっ、ありがとうございました。おかげで転ばずにすみましたっ。って、あれ?アルマスさんっ!?」


 近隣住民にも大層人気な定食屋『陽気なひまわり亭』の一人娘であるセルマ・コッコラだった。

 アルマスの従妹であり、元居候先の娘であるヘレナの友人でもある。最近はリーリヤともよく話しているのを見かける。


「奇遇だね。ところで、すごい荷物の量だけど買い出し?もうお店を再開したの?」


 『陽気なひまわり亭』はつい数日前に精霊の暴走でお店の一部が焼け落ちる被害に遭った。

 しばらくの間は営業停止だと聞いていたが、まさかもう営業を再開したのだろうか。


 コッコラ親子の人柄故か建物の修繕にはかなりの人手が集まったこともあり、とんでもない速さで再築されていたのは知っている。信じがたいが十分あり得るとアルマスは思っていた。


「いえ、さすがにお店はまだです」


 セルマはきょとんとした後、くすくすと笑った。どうやらアルマスが冗談を言ったのだと受け取ったみたいだ。

 小刻みに肩を揺らしているセルマの表情に暗い陰はなさそうだった。世間一般的にはセルマが火事の原因の一端を担っていると認知されている。本当の理由は違うのだが、それを語るのは禁忌(タブー)となる。真の元凶たるリーリヤほどではなくとも、アルマスも気になってはいたのだ。

 既に罪滅ぼしはしたつもりであっても、それとこれとは別の問題だった。


「そうです。アルマスさん。あの時はどうもありがとうございました」


 『あの時』というのはリーリヤと共に燃えたお店の後片付けに参加したときのことだ。

 アルマスの錬成した魔法薬が黒焦げに燃えてしまったセルマ達一家の思い出の品を蘇らせた。セルマからすれば失ったはずの大切な物が再び手元に戻ってきたのだ。あり得ないはずのことが起きた。奇跡だと思ったのかもしれない。


「いいって。もう。お礼は何度も聞いたから」


「それでもです。本当に、とっても、感謝しているんですっ」


 ほんとですよ、と小さな身体に力を込めて言い切るセルマは小動物みたいで微笑ましい。勢い余って抱えた荷物を落としそうになるところも含めてだ。

 アルマスも根負けしたように苦笑した。


「わかったよ、お礼は貰っとく。それよりお店の再開がまだとなると今はどこに住んでるの?セルマちゃんのとこってお店が家を兼ねてたよね」


「はい。今はお父さんのお友達のところでご厄介になってます」


 家が住めるように修繕されるまでセルマ達はそこに住むらしい。遠からず修繕は終わるらしいが折り悪く夏至祭を挟むことになる。さすがに祭りの最中に作業を進めることは難しい。まだまだセルマ達の仮宿暮らしは続きそうだ。


 せめてもの良いことは元々の場所よりもステーン家に近くなったことだと言う。

 今もどうやらヘレナに用があってステーン家に向かう途中だったと聞いた。

 アルマスもちょうどステーン家に用事があったので二人して連れたって歩いて行く。


「そうそう。お店はまだですけど、屋台だったらできるんじゃないかってお父さんが言ってまして。お祭り中には屋台で出店予定なんです。アルマスさんもぜひ来てくださいね」


 ころころと嬉しそうな笑い声を上げるセルマとの雑談は話題が尽きそうにない。どうやら道中に暇を持て余すことはなさそうだ。

 ステーン家に辿り着くまで二人は楽しくおしゃべりに興じるのであった。






「あわわわ・・・」


 慌てふためくセルマの傍らでアルマスは呆れたように問いかける。


「で?今日はなんで喧嘩したの?」


 ステーン家に到着したアルマス達を出迎えたのは喧嘩真っ最中のリーリヤとヘレナだった。二人は罵り合ってこそいないものの、リビングの端と端で互いに背中を向け合って無言で『私、怒ってます』アピールをしている。


 先日のリーリヤ一晩失踪事件―――単にアルマスと一緒に居ただけだが―――の後、ヘレナ含めたステーン家とリーリヤの距離感は縮まったようだった。だというのにリーリヤとヘレナの喧嘩の頻度が激増しているそうだ。ヘレナの父であるトビアスが胃を押さえて嘆いていた。逆に母であるイレネはにこにこと満足げに微笑んでいるのだから不思議なものだ。別にイレネの性格が捻くれているわけではなく、ちょっとした些細なことで喧嘩をするのは仲が良くなった証ということだろう。アルマスもどちらかというとイレネ側の考えに共感している。


 あからさまに仲が悪そうに振る舞う二人の様子にセルマはおろおろしているが、アルマスからすればどうせ茶番だ。放っておいてもいつの間にか元通りに戻っているはずだ。それくらいの関係を二人が築いているのは傍目からでも見て取れる。


 しかし、このままでは話が進まない。二人が自然と仲直りするのを待つより、さっさと衝突した要因を洗い出して解決してしまいたかった。今日はこの後に大事な用事が控えているのだ。

 そんなアルマスの思惑を知るよしもなく、喧嘩の原因を聞かれたリーリヤが恨み言を言う。ただし、その怒りの矛先はアルマスに向いていた。


「あんたでしょ。あの娘(ヘレナ)に余計なことを頼んだのは」


 リーリヤは背中に流した亜麻色の髪をぞんざいに手で払いつつ、ぎろりと宵闇色の瞳でアルマスを見据える。今日のリーリヤは一日中家にいるつもりだったのかゆったりとした服装に身を包んでいる。18歳になる少女で年齢の割には細身で控えめな体型だ。


 元々は『白霞の森』と呼ばれる秘境の地でひっそりと暮らしていた、人から忌み嫌われる魔女の系譜だった。それもつい1か月ほど前に大事な儀式に失敗して師の元を破門となっている。今はアルマスの伝手もあってステーン家に居候の身だ。因みに絶賛無職中である。


 最近はイレネの食事が美味しくて食べ過ぎることが悩みらしい。森に居たときの食事が質素だったせいもあり、街に来たばかりの頃よりも幾分ふくよかになってきた。アルマスとしては同年代の女の子と比べてももう少し肉が付いた方が健康的なのではないかと思っている。当然、直接言うとどんな反応をするのか恐ろしいので心の中で留めておくだけにしている。


「なになに?なんでいきなり俺が怒られるの?」


 アルマスが両手を挙げてリーリヤから距離を取る。リーリヤとヘレナの二人の喧嘩だと思っていたのに、そこでアルマスの名が出てくる理由が想像できなかった。断言するが今回の件はアルマスが意図的に仕組んだものではない。


 そこで口を挟んだのはヘレナだった。ステーン家の一人娘で艶やかな黒髪に青い瞳の綺麗な、中等教育1年生の少女である。年齢相応の慎ましい容姿をしたヘレナは自分にも他人にも厳しいと評判のしっかり者で近所には通っている。


「待ってくださいっ。なんでお兄、じゃなくて、えっと、アルマスさんに八つ当たりするんですかっ」


「うっさいわね。事実じゃない。あと、あんたのそれもなんなの?いい加減まどろっこしいのよ。いっつも何か言いかけているわよね。なに?アルマスのことを『お兄ちゃん』とでも呼びた―――」


「わーっ!わーっ!」


 離れていたところにいたヘレナが慌てて大声を上げてリーリヤを遮る。そして、その勢いのままリーリヤの口を力尽くで塞ぎに掛かった。

 もがもがと口を押さえられたリーリヤはヘレナの手を払い落とす。


「何すんのよっ」


「こっちのセリフです!勝手なこと言わないでください!もうっ、ほんっとに最悪ですっ!・・・・・・あっ」


 恥ずかしそうに頬を染めたヘレナと視線が合う。

 多分隠そうと必死なだけなのだろうが、当の本人であるアルマスの目の前で『最悪』という一言を発してしまったヘレナはみるみる顔を青くしていき、わたわたと言い訳を始める。


「ち、違うんです。アルマスさん。そう言う意味ではなくてですね。リーリヤさんが・・・。リーリヤさんのせいで・・・。それで、だから・・・・、うっ、ぐすっ」


「あー、うん。わかってるよ、うん。わかってるから大丈夫だって。だから、そんな泣きそうにならないで」


 ヘレナがアルマスのことを慕ってくれていることはアルマスも理解している。なにせ1年近くも同じ家で暮らしていたのだ。それくらいは察している。きっと『兄』と呼びたいのだろうことも。

 実際、アルマスとヘレナは従兄妹であるし、年も一回りくらい離れている。親しげに愛称で呼ぶのもむしろ自然である。それに加えてヘレナがアルマスを特別視する()()()()()も知っている。


 その上で年頃の少女であるヘレナは恥ずかしくて素直に言い出せないのだ。矛盾にも似た葛藤を少女ながら抱えて苦しんでいる。だから、ヘレナが持て余す心の扱い方を覚えるまではそっとしておく方針だった。


 アルマスはヘレナに向けて気にしていないと手で示す。だが、本当は地味に心に傷を負っていた。そう言う意味ではないとわかっていても、勝手ながら『妹』みたいに思っていた女の子から拒絶されるのは辛かった。


「えっ、あっ、えっ?ひょっとして、私が悪い・・・?」


 泣くほどとは思っていなかったのかリーリヤは目に見えるほどに狼狽えていた。

 ヘレナの前でおろおろと迷った末に慰めようと伸ばされた手はすぐに引っ込められることになった。

 がばりとヘレナが俯いていた顔を上げたのだ。


「大体リーリヤさんが悪いんじゃないですか!せっかくわたしが勉強を教えてあげているのに!なのに全然やる気無さそうにして!わかったって言うから問題を出してみればなんですか、これは!あえて簡単な問題だって混ぜてみたのに。なのに全部間違えるなんてわざとなんですか!?かけ算ですよ!?割り算ですよ!?こんなの初等部の子だってできますよ!絶対、私への当てつけですよね!?」


 ヘレナは感情のままにバシバシとテーブルを叩く。そこには幾つかの教材が大雑把に散逸している。


「あ、あんたの教え方が下手なんじゃないの?」


「なっ・・・!この期に及んでそんなこと言います!?本気で言っているならリーリヤさんの頭がぽんこつなんです!」


「いくらなんでもそれは失礼でしょ!そっちこそ本に書いてあることをそのまま読み上げているだけじゃないの!?何度聞いても同じ説明しか返ってこないわよ!この頭でっかち!」


 売り言葉に買い言葉が飛び交う。

 ぎゃいぎゃいと喚く二人を見守りつつ、アルマスは顎に手を当てて悩む。

 これ、本当に仲が良くなったのだろうか。人の機微には聡い自信があったのだが、アルマスはちょっと自信がなくなってきた。

 アルマスの横でやっと落ち着きを取り戻したセルマが安堵したように言う。


「良かった。いつもの仲良しな二人に戻りましたね」


「えぇ・・・」


 この状況を見てどう解釈すればその結論に落ち着くのだろうか。

 アルマスはセルマの感性に戦く。

 実のところアルマスはセルマに若干苦手意識を持っていたりする。子どものように純粋で真っ直ぐな性格が眩しいのだ。


 それはそれとして大体の話の流れが見えてきた。リーリヤとヘレナの喧嘩の原因はどうやら勉強にあるらしい。もちろん、リーリヤがヘレナに教えるのではない。年下のヘレナが年上のリーリヤに教えているのだ。


 これもリーリヤの育った特殊な環境のせいだ。他人との関わりを極限まで排除した魔女にとっては、一般的な生活で必要とされる知識も不要と切り捨てているものが多い。共通語の読み書きや複雑な計算がまさしくそれに当たる。そも、古から連綿と続く魔女の系譜は共通語ではなく、現在では滅多に使われない古代語を学ぶのだとか。


「どれどれ。ちょいと借りるよ」


 言い合いを続ける二人を余所にアルマスはテーブルから教材を取り上げた。

 ざっと中身を確認してからリーリヤを見る。


「あっ・・・」


 リーリヤが気まずげにそっぽを向いた。

 教材はヘレナが実際に学校で使っている物。つまり、ヘレナが教えていたのは中等部の内容だった。


「そーいうわけね。ヘレナちゃん、今のリーリヤにこれは難しいよ。もっと基礎的なことからじゃないと」


 具体的には初等部の低学年レベルからだ。まずは共通語の文字の読み書きから修得して貰いたい。あとは基礎的な計算能力もか。


「え?でも、リーリヤさん。わたしが説明したときには『理解できた』って言いましたよね」


 訝しむヘレナの視線を受けてリーリヤは視線を合わせようとしない。

 つまるところ、リーリヤは見栄を張ったのだ。


「詳しく言わなかった俺が悪かったよ」


 確かにアルマスはヘレナにお願いをしていた。でも、『時間があるときに勉強を教えてあげて欲しい』としか言わなかったのだ。それなりに関係の改善ができた二人であれば、逐一どのレベルかまで伝えなくともそれくらい話し合うと思っていた。


「そんな・・・。まさかリーリヤさんが本当に理解出来てなかったなんて。ポンコツなんて言ってごめんなさい。てっきり私に教えられるのが嫌だから反抗しているのかと。くぅっ・・・!お姉ちゃんとしてあるまじき失態です」


「絶対言うと思った。だから、嫌だったのよ。なんであんたは私を妹扱いしてくるのよ」


「わたしの方がしっかり者だからです。これだけで十分でしょう」


 思春期の少女らしいささやかな胸を張るヘレナに対し、リーリヤは項垂れている。

 ヘレナから『大きな妹』扱いされるのが心底嫌なのだろう。それで碌に文字も読めないのに読める振りをして中等部の問題に挑戦して惨敗したわけだ。リーリヤのなけなしのプライドはもう砕け散っているようだった。


「うん。リーリヤが悪い」


「そうよ。どうせ私が悪いわよ」


「こういうときは初めから素直に認めた方が傷は浅くなるもんだよ。そうすればそこまで惨めな気分にならなかったのに」


「わかったからもう言わないでよぉ・・・・・・」


 リーリヤは椅子に座って塞ぎ込んでしまう。


「そ、そういう世間知らずさが深窓のご令嬢っぽくて憧れちゃいますよっ」


「そう・・・。ありがと・・・」


 セルマからの励ましにもリーリヤは嬉しくなさそうに投げやりに返す。実際、リーリヤは魔女故の常識の無さを隠すために『遠い辺境で育てられた箱入りお嬢様』と称しているだけなのでセルマの善意にも虚しさが増すだけだ。


 落ち込んだままのリーリヤに困り果てたセルマは思い出したように両手を打った。


「そういえば忘れるところでした。今日はお誘いがあってお邪魔したんでした。リーリヤさん、ヘレナちゃん。この後、お時間ありますか?」


「両親の手伝いがあるくらいですね。なので、わたしは大丈夫ですよ。何かご用事ですか?」


「うん。良かったら一緒に教会に行かないかなって」


「教会ね。それまたどうして?」


 アルマスが首を捻る。


「この間の火事の件で教会の方々には色々と助けて貰ったのでお礼に伺いたいなと思いまして。わたし達の一時的に寝泊まりする場所とか、お店が直るまでの仕事とかも紹介してくれましたし。結局、あまり手は借りなかったんですけど。でも、本当に良くしていただきました。そこで丁度お祭りの準備で人手がいると聞いたので参加しようと思うんです」


「え?今から行くの?もうしばらくしたらお昼の時間よ?」


「はい。お昼にはボランティアの人向けに大きな炊き出しをするらしいですし」


 これでも料理は得意なんですよ、とセルマはリーリヤに向けて力説している。料理屋の娘だ、調理ともなれば心強いだろう。そういえばセルマが抱えていた大量の荷物も食材ばかりだ。あれはきっと炊き出しのための差し入れだったのだろう。


「そう・・・。今日のお昼は『ヤンソンさんの誘惑』だってイレネさんが言ってたのに・・・」


 『ヤンソンさんの誘惑』とは簡単に言うとジャガイモとアンチョビを使った一般的な家庭料理だ。香ばしく焦げた表面のサクサク感とジャガイモのホクホクさが食欲を刺激する逸品だ。

 イレネの作る料理を食べられないことにリーリヤは本気で残念がっている。


「完全に餌付けされているよね。ああ、それとリーリヤは教会には行かないよ?」


「えっ?」


 意味のわかっていないリーリヤにアルマスが続ける。


「リーリヤには俺と付き合って貰うからね。さぁ、一緒にお出かけと洒落込もうか」


 お茶目さを意識してアルマスは紳士のようにリーリヤに手を差し出す。


「はぁ?それって―――」


「デートですか!」


「デートですねっ!」


 なぜかリーリヤ以上に食いついてきた小さな乙女2人が瞳を輝かせる。詰め寄る二人に気圧されたリーリヤは思わず椅子から転げ落ちるのだった。

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