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3.霞の森の女主人

 晴れる様子の見えない濃霧。足が深く沈み込む雪の地面。一層暗く、不気味さを増していく森。

 そこら中から聞こえてくる鳥とも何ともわからない奇怪な鳴き声の中、火の玉のごとく怪しげに浮かび上がる大きな赤い目の梟に導かれてアルマスは『白霞の森』の奥深くに入り込む。


 吐き出した息が白く染まる。


 森の入り口付近と比べて、気温が下がっていると感じるのはおそらく気のせいではない。まだ日が暮れる時間でもないのに周囲は薄暗く、霧と相まって闇の中を歩いている気分になってくる。時折垣間見える、か細い陽光だけが今が昼間であることを教えてくれていた。


 先導する魔女の使い魔のおかげだろう。これだけ森の奥深くに踏み込めば、ぞろぞろと妖精が出て来てもおかしくないのにアルマス達の方へ近寄ってくる妖精の気配はまったくなかった。


 やがて木々の陰から見えてきたのは石造りの館だった。背の高い針葉樹にひっそりと埋もれるように存在するそれは館と表現するには少しばかりこじんまりしているが、これこそ聞き及んでいた魔女の館に他ならない。


 ここまで来れば恐ろしい妖精達も襲ってくることはあるまい。なにせ、ここには妖精さえも畏れてやまない魔女が棲んでいるのだから。


「これはまた趣のある家ですね」


 魔女の館は端的に言うと古びて寂れていた。枯れた蔦が石壁に張り付き、所々石がひび割れている。廃墟と言われても頷いてしまうくらいにはぼろぼろだった。しかし、何者かが住んでいる証として、その窓には揺らめく橙色の明かりが灯っている。


「なんというか歴史の重みを感じますよ―――おわっと」


 アルマスが魔女の使い魔相手に大胆な感想を口にしながら館へと通じる小路に差し掛かったとき、ガランガランとけたたましい音が鳴り響く。


 小路の脇に突き立っている街灯にも木にも見える棒状の何かが鐘も付いてないのに金属製特有の冷たい音を発している。


「『招かざる者を告げる鐘』・・・」


 アルマスは肩越しに視線だけで森を振り返った。途端にアルマスの背後に広がる森がざわっと空気が膨らむように濃密な気配を放ち、様々な動物のいななきや息づかいが強まった気がした。


「招かざる者、か」


 小さく言葉を溢すアルマスが森に意識を向けているうちに、いつの間にか梟は館の扉の前で止まっていた。

 ぎょろりとした梟の赤い瞳が瞬いている。


「これは早めに用をすませてお暇した方がいいかもしれない」


 独り言のつもりで呟いた言葉であったが思わぬ返答が戻ってくる。

 梟がこくりと頷き、その細い嘴を開いて鳴き声を上げたのだ。そして、梟の声に応えたように館の扉がひとりでに開いていく。

 まるで『それがいいでしょう。ですが、まずはお入りなさい』と言われているかのようだ。


 扉の向こうは底のない穴を覗き込んだかのような真っ黒な闇が広がっている。

 一息吐いてからアルマスは躊躇することなくその闇の中に入り込んだ。






 太陽の光とも燃えさかる炎とも違うぼやけた明かりに出迎えられる。


 館に踏み入ったと同時にアルマスの頭上付近で拳くらいの大きさの光が瞬いた。明かりとしては幾分心もとなく、建物内部がぼんやりと照らし出される程度。蠟燭もないのにゆらゆらと漂っている光の玉につられて自身の影が不規則に揺れ動く様を見ているとなんだか並行感覚がおかしくなってくる。


 少なくとも見える範囲では館の入り口には誰もおらず、梟はアルマスを見やることもなくスッと奥の方へと飛んでいった。

 出迎えは特にないらしい。


 外套を掛ける場所も見当たらないので、アルマスは雪と泥で汚れた格好のまま館に上がり込む。

 魔女の館に入った感想としては独特な内装や雰囲気よりもまず『広い』と感じた。

 客を出迎えるこの入り口の空間だけでちょっとした小屋程度にしか見えなかった外観を遙かに上回っている。何かしらの魔女の術が働いていることは明白だ。しかもその大きさが尋常ではない。通路も階段もあちらこちらにあり、まったく全容を把握できない。


 魔女の趣味なのか館の内部には多様な植物が広がっていた。彩りのために花瓶に生けられているのではない。壁や棚、机すらも覆いつくさんばかりに無造作に草花が茂っている。広大な敷地のわりに人の気配がしないことも相まって人々に忘れ去られた古代遺跡にでも迷い込んだみたいだ。


 天井からぶら下がる蔦を手で払いつつ、アルマスは呆れた言葉を口にした。


「とても人が住む場所とは思えないね」


 梟が飛んでいったであろう方向に進んでいくとやがて3つの通路が現れた。頭上に浮かぶ光の玉を仰ぎ見るとふらふらと不安定に宙を漂いながら真ん中の通路に進んでいく。どうやら道案内はきちんとしてくれるらしい。


 導かれるままに幾つかの分かれ道や階段を上り下りした末に豪奢な扉の前に辿り着く。

 おそらく魔女のいる部屋だ。根拠はないが予感があった。


 複雑で凝った文様が刻まれた重厚な扉をアルマスが手で押し開けようとする前に、またもや扉がひとりでに開いていく。


 最初に耳に届いたのはパチパチと薪が爆ぜる音。次いで本のページが捲られる紙の擦れる音が鳴る。

アルマスの視界には後ろ向きに置かれた一つの大きな椅子が映る。椅子の背に遮られてその姿は見えないが直感的にわかる。この『白霞の森』を治める魔女がそこにいる。薄暗い室内の中、暖炉の前で椅子に座りながら本を読んでいるらしい魔女は背後にいるアルマスの方を見向きもしない。


 さすがの魔女も暖を取るために火を焚くくらいのことはするのかと場違いな感想を抱きつつ、アルマスは魔女に話しかけた。


「ご機嫌麗しゅう。『霞の森の女主人』殿」


 飄々と挨拶を述べるアルマスに対して魔女からの返事はない。


「いやあ、ここまで来るの大変でしたよ。足場は悪くて何度も転びましたし、雪のせいで寒いはずなのに歩き疲れて汗だくになりますし。それに知ってます?森から入ってすぐの所なんですけど大きな泉があるでしょう?その近くにも小さな沼があったんですがそこがまた雪に埋もれてて―――」


「まずは証を」


 アルマスの流暢な話を魔女は端的に遮った。生きた人間が発しているとは思えないガラスが震えるような繊細にして深みのある声色だ。


「おっと。そうでした。こちらを―――」


 アルマスが懐から一通の手紙を取り出すと横から使い魔の梟が手紙をかっ攫い魔女の元に運んでいく。梟は椅子の手すりに止まると器用に身体を振って封筒から書面を取り出した。


 魔女の許しが出るまでアルマスは部屋の中に入ることはしなかった。周囲の人達からは楽観的で適当と言われるアルマスであっても最低限の礼節くらいはわきまえている。魔女が手紙を読むくらいの間は待っているつもりだった。しかし、封入されていた手紙はたった一枚しかなかったのに、しばらく経っても魔女は何も言葉を発さなかった。


「どうしました?なにか問題でも?」


 暖炉で静かに燃える薪の音だけが響く奇妙な沈黙に耐えられなくなったアルマスは、部屋の入り口から離れて椅子に座っているだろう魔女の様子を後ろから覗き見た。


 だが、驚いたことにそこに魔女はいなかった。

 椅子には誰も座っていない。椅子の前に置かれた分厚い本が風もないのにパラパラと独りでにめくれているだけだ。


 アルマスは部屋をぐるりと見回した。歩いてきた館の内部とは違い、毛足の短い絨毯が敷き詰められた室内は植物がはびこることもなく、棚や机などの家具がいくつかあるだけだ。ほの暗くてわかりにくいが、どこかに人が潜んでいるようにも見えなかった。


「いいでしょう。貴方を『遍歴の智者』と認めます」


 また声が聞こえた。


 アルマスの視線は椅子の手すりに鎮座する使い魔の梟に引き寄せられる。しかし、声の発生源はもっと下であった。暖炉の仄かな光に照らされて浮かび上がった梟の影が不気味にうごめいて女性の姿を象った。

 当然ながら影に瞳があるはずないというのにアルマスはその影にじっと見られている感覚を覚えた。


「ようこそ。我が『ヴェルナの森』へ。泡沫の時であれど歓迎いたします。お客人」


 影の口に当たる部分が大きく裂けて、魔女は歓迎する気などまったくなさそうな抑揚のない声で淡々と告げる。

 それと、と魔女は続けた。


「魔女、で構いませんとも。先ほど貴方もそう呼んでいたでしょう」


 先ほどというのは館に入る前、使い魔の梟相手に言ったことだろう。

 アルマスへの皮肉なのかそれとも言葉どおりただ寛容なのか、黒いだけの影からは表情など伺いしれない。


「ではそのように」


 聞く者によっては魔女の気分を害してしまったのではないかと背筋を冷やすやりとりであってもアルマスは気にした様子もない。


 あの恐るべき魔女を前に緊張すらみせず気楽ともいえる雰囲気を纏うアルマスを余所に魔女の影が横を向くように動く。するとそれに反応するようにどこからか椅子がふわりと浮かんでやってきて、魔女の対面に置かれた。

 座れ、ということだろう。


「どうも。ちょうど一休みしたいと思ってたところなんですよ」


 アルマスは遠慮することなく椅子にどかりと座り込む。

 疲れた身体を柔らかく受け止めるアンティークの椅子は魔女の館よりも豪華な城にこそ似合いそうな代物だ。


 アルマスが椅子の座り心地に関心を寄せていると手元には気付かないうちに小さなテーブルと共に飲み物が用意されている。簡素な意匠ながらも質の良い陶磁のカップの中で温かな飲み物が湯気を立てていた。

 深い森の中に棲むというから質素な小屋で慎ましく暮らすイメージを勝手に抱いていたのだが、存外魔女というのは金持ちなのかもしれない。


 それでもカップの中に並々と注がれている鈍い輝きを放つ灰色の液体だけはアルマスも見たことがない。酒なのか茶の類なのかすら検討もつかない。見た目は完全に怪しげな薬そのものだ。

訝しげな表情でアルマスはカップを揺らす。


「これってなんなんです?」


 針葉樹の葉のような青臭くも爽やかな臭いを放つ不可思議な飲み物を気にするアルマスを相手にせず、魔女は訥々と語り出した。


「まず始めに、一つお詫びを」


 魔女の話に耳を傾けながらもアルマスは飲んでみたらわかるかと試しにカップに口をつけてみる。

一口目はすんなりと飲み込めた。味を問われればおそらく『美味い』というのが正しい気がする。甘いと言えば甘いし、コクだってある。それに加えて舌に残る少しのほろ苦さも感じる。総じて美味いとは思うがそれが何かは思い至らない。


 適当にカップを啜っていると、アルマスは身体に仄かな熱が宿り、疲れがすーっと引いていくのを感じた。


「我が弟子の『森開きの儀』にあたりお越しいただいたお客人に対して森の妖精達が無礼を働いたことを謝罪します。こうして貴方が『遍歴の智者』であると確信が得られた今、私に害意はないということはご理解いただきますよう。あれはあくまでこの森での習わしにすぎないものですから」


 なるほど。それでこれがお詫びというわけか。

 アルマスは納得したように頷いた。


 魔女であればアルマスを襲った『巨木の翁』のような妖精を支配し、危害を加えないようにすることなど容易なはずだ。それも今回アルマスはこの儀式のためにお呼ばれした身なのだから妖精達からのちょっかいを事前に抑え込むのは当たり前のようにも思える。


 それでもそうしなかった。


 習わしというのは言わば魔女に会うために越えなければならない試練とも言い換えられるのだろう。なんともおっかない話である。あんな巨木の妖精なんて大抵の人間であれば枝に潰されて森の養分になるのが落ちであろうに。

 そしてこの灰色の液体がなんなのかも理解する。これは『魔女の秘薬』だ。


「わざわざ呼び出したのに苦労させたことに対するお詫びがこの秘薬というわけですね」


 手の中の飲み物の正体がわかったというのにアルマスは微妙な顔をした。


「逆に飲みづらくなりましたよ、これ」


 『魔女の秘薬』といえばあらゆる傷と病を癒やすと謳われる、現代錬金術では再現不可能な所謂霊薬である。錬金術の知識には自信のあるアルマスでさえもその製法はまるで見当も付かない代物だ。いくら魔女といえどもおいそれとは作れないし、秘蔵の一品をあえて持ち出してきたのだろう。


 魔女に唯一並び立つことを許される『遍歴の智者』への謝意と誠意というのはわかるが、旅の疲れを労るためだけに出して良い代物ではない。なにせ売れば大都市の中心地に広大な屋敷を持つことだってできるはずだ。


 さすがに原液のままではなくお茶か何かに混ぜているのだろうが、そのせいで気付くのが遅くなってしまった。


「それにしてもあの『巨木の翁』。あんな元気に走り回ろうとするのなんて聞いたことありませんよ。魔女殿のご助力がなかったらと思うとぞっとします」


 残りわずかとなった秘薬をちびちびと飲みながらするアルマスの雑談に意外にも魔女は応じてくれた。


「あの程度のこと、『遍歴の智者』であればどうということもないでしょう。それどころか折角育てたアレを無用に痛めつけられる方がこちらとしては困るのです」


 この魔女が先ほど『巨木の翁』が暴れるのを止めた理由がまさかの妖精自身を守るためだったとは。

まるでアルマスがあの巨木の妖精を力尽くでどうにかできるという言い様だ。ただの人間にあの凶悪な質量の塊をどうしろというのだろうか。


「先ほどから気になっていましたが、俺はあくまで代理ですよ。代理。あの男、いや父のように正式な『遍歴の智者』ではありませんから」


 魔女の形をした影が揺らめく。


「それでも、貴方は儀式に立ち会うべき資格を持った人間。そのことに相違はありません」


 実態はどうあれ、あくまでこの場ではいっぱしの『遍歴の智者』として扱うということである。魔女に渡した手紙にもおそらくそう記されているのであろう。

 まあ、それまで否定してしまえばなんのためにここまで来たのかという話にもなる。

 アルマスは相手の言い分を認めるように飲み終わったカップを置くことで答えとした。


「さて。無益な語らいはここまでにして本題へ」


 アルマスは背もたれに体重を預けたまま前を見る。梟を除けば誰も座っていない空の椅子を前に真面目な話をするというのも滑稽だ。アルマスは姿勢を更に崩すと、地面で揺れる影に横目を向けた。


「儀式の開始は今日の夕刻からでしたっけ。そんで朝方には終わると」


「その理解で構いません。貴方には『遍歴の智者』として儀式に立ち会ってもらうだけですので。あとはこちらの、いえ、あの子次第というところです」


 あの子というのが今回の『森開きの儀』の主役だ。

 儀式を経て一人の若き魔女が生まれる。

 つまりは目の前にいる魔女こと『霞の森の女主人』の代替わりこそ、この儀式の唯一の目的だ。アルマスはその目付役を任じられているに過ぎない。


「場所はどこで?この館の周辺ですかね。まさかとは思いますけど、更に深部っていうことはないでしょう?」


「深部・・・、魔境のことですか。あそこは私達ですら迂闊には踏み込めません。ですが、あそこに『あれ』がある以上近づかないわけにもいかない。儀式の最後には望める位置には行くことになるでしょう」


 魔境。『白霞の森』の最奥ともなるとアルマスも死を覚悟せざるを得ない。さすがに儀式の道程に含まれてはいないようだが、間違っても踏み込まないようにしたいところだ。


「ですが、儀式の始まりは森の外縁にある泉からになります。日が沈む頃にいらしてください。村に近い場所にあるのですぐわかるでしょう」


「あー、なるほど。村の近くからですか。・・・え?村?」


 だらけた姿勢になっていたアルマスが思わず顔を上げる。


「そう言いました。貴方も我が森に入る前に一度寄ってきているでしょう」


「え?半日掛けてここまで来たんですけど、わざわざここから村に戻らないといけないんですか?マジで言ってます?このままここで待機するんじゃダメなんですか?」


「いいえ。此度の儀式は必ず村から始まります。これは遙か昔からの決まり事ですので」


 アルマスは半日かかった道程を思い出してげんなりとする。足腰は痛いし、半ば遭難するし、妖精と遭遇するしで気苦労が絶えなかった。それなのにこのあとまた半日かけて村に戻らないといけないことを考えると気が重いことこの上ない。しかもその後すぐにまた儀式のために森に入らなければならないときた。


「なんて時間の無駄な。だったら初めから村で落ち合うことにしてくださいよ。どうせ使い魔を通すから場所なんて関係ないし、大した話もしないんですから」


「それも昔からの習わしです。貴方が『遍歴の智者』の資格を有するかどうか見定める必要がありますから。そうでなければ儀式への参加は許されません」


 アルマスが文句を言うも、魔女の影はのらりくらりと取り合うつもりはないらしい。


「め、めんどくさい。俺、魔女殿のところに行くことを理由に村の祭りに出るの断ってきたのに」


 森に入る前、アルマスは村長である男性から村で行われる祭りに出席するようにとお達しを受けていた。なんでも儀式の前に行うのが通例の祭りらしいが、しつこく参加を迫る村長の様子から面倒ごとの気配を察したアルマスは魔女への訪問を理由に辞退してきたのだ。


 ますます村に戻りたくなくなってきたアルマスは細やかな抵抗をするべく背もたれに寄りかかって天井を見上げた。そこでアルマスはあることに気づく。


「そういえばですけど、魔女殿。貴女は儀式に参列しないんですか。そこの使い魔を通して話してるっていうことは近くにはいないんでしょう?大事な弟子の門出なのにいいんですか?」


「貴方も知っているとおり、今は魔女会の真っ只中。此方から離れるわけにはいきません。それに儀式への参列は我が使い魔で十分」


 そこで言葉を句切った魔女の形をした影は、より黒さを増し、独特な気配が濃くなった気がした。


「ただ、誤解なきよう訂正するのであれば、これは門出などではありません。儀式を経て一人の魔女が生まれるだけのこと。大事ではありますが喜ばしい類のものではない」


 魔女の言い回しには明かな含みがあった。後継者が独り立ちして無事に代替わりすることができる、そのことが良いことではないというのも変な話だ。


「その感覚は俺にはわかりませんけど。でも、とりあえずわかったことにしておきます」


 アルマスは椅子から立ち上がると荷物を肩に担いだ。


「そろそろ帰らせてもらいますよ。戻るのにも時間かかりますからね」


 なにせ村までまた半日かかるのだ。話すべき事が済んだのであればさっさと動くべきだ。

儀式の打ち合わせなどあってないようなもの。準備はアルマスの仕事ではないし、最低限の流れを把握できればそれでいい。


 無事に魔女の館に辿り着き、魔女から儀式参加の了承を取り付けられた時点で今回の用事は済んだも同然だ。村にとんぼ返りする羽目になったのは予想外ではあるがそこは諦めて従うしかない。


 魔女の影は無言のまま赤く燃える暖炉の火に合わせて揺らめいていて、考え事をしているようにも見えた。

 今さっきまでアルマスが座っていた椅子が気付かないうちにどこかに消え去っていることから、帰っても良いという無言の意思表示とも読みとれる。

 思考にふけっている魔女を置いて、アルマスは扉の取っ手を掴んだところで振り返る。


「あっ、そうだ。彼女は今どこにいるんです?」


「・・・リーリヤであれば儀式前の禊ぎに。夜まで戻りません」


「そうですか、それは残念。久しぶりに顔でも見たかったんですがね。まあいいか、どのみちこの後に会うことになるし。では、ご機嫌よう。魔女殿」


 返事など期待していなかったが、魔女は暖炉を見つめた姿のまま静かに口を開く。


「アルマス・ポルク。貴方に一つ忠告です。・・・貴方のその浮ついた振る舞いは気をつけた方がいい。特に魔女の前では」


 咎める言葉ではあるが、その声を聞いてもやはり感情は読み取れない。


「ごもっとも。ご不快でしたらすみませんね。どうにも思ったことをすぐに口に出してしまうたちでして」


 返事とは裏腹に取り合うつもりのない声色でアルマスは扉をくぐる。


「くれぐれもよく見ておくことです。賢しらな魔女達の介入がないように。公平の番人としての役目を期待しております」


 扉が閉じる寸前、そんな言葉が耳に届いた。ただ儀式を見届けるだけと気楽に構えていたアルマスにはそれが不吉な宣言のように聞こえてしまった。


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