20.白日への焦がれ2
アルマス達の前に現れたのはセルマだった。柔らかな金糸の髪を頭の後ろで結び、着ている服は煤や灰で薄汚れている。
『陽気なひまわり亭』に来たのだ、一人娘であるセルマがいないはずなかった。おそらく火事の後始末の手伝いをしていただろうセルマが小走りに近付いてくる。
「よかった。リーリヤさんに会えて。あの後、姿が見えなかったのでもしかしたらお怪我でもしてしまったんじゃないかって心配していたんです」
セルマは眉を下げた表情を浮かべてリーリヤの手を両手で握ろうとし、自分の手が煤で汚れていることに気付いて慌てて手を引っ込めた。
「えっと。すみません。今、わたし、すごい煤だらけなんでした。リーリヤさん、大丈夫でしたか?お怪我、ないですか?」
セルマの翠色の瞳にはリーリヤを思いやる気持ちしか見て取れない。
そんな純粋すぎるセルマから逃げるようにリーリヤは視線を逸らす。その右手は自らの左手できつく握りしめられている。
黙り込むリーリヤに不安げなセルマは助けを求めるようにアルマスを見上げてくる。しかし、アルマスは助け船を出さなかった。
「・・・・・・・・・ごめんなさい」
幾ばくかの沈黙を経て、微かに唇を震わせながらリーリヤは声を絞り出した。
耳を澄ませなければ聞き逃してしまいそうな弱々しい響きだった。
セルマは大きく瞳を見開く。
「え?なんでリーリヤさんが謝るんですか?」
「なんでって・・・」
そこまで声に出してからリーリヤは口を閉じた。
魔女に関することは余人には話せない。精霊を妖精のように扱おうとして失敗した。リーリヤは自分がやった過ちを伝える術がないのだと思い出したようだった。
「リーリヤさんは何も悪くないですよ。全部、わたしが悪いんです。わたしがもっとちゃんと両親と向かい合っていれば精霊様があんなにも機嫌を損ねるはずはありませんでした。そうじゃなくても花の乙女様に相談していれば違ったのかもしれません」
「でも、私が・・・」
「リーリヤ」
リーリヤが言葉を続ける前にアルマスが小声で遮った。
アルマスは首を横に振る。それ以上リーリヤの事情を明かすことは許されない。例えセルマに真実を告げたところで今更どうにもならないのだ。リーリヤはその事実に唇を噛みしめることしかできなかった。
リーリヤが言葉を句切ったことをどう解釈したのか、セルマは再びリーリヤは悪くないのだと擁護してくれる。
「リーリヤさんの行動にはちょっと驚かされたりもしましたけど。普通はあんな小枝で『えいっ』としたくらいじゃ精霊様は怒ったりしませんよ。わたしが、わたし達が精霊様をあそこまで変えてしまったんです。お父さんとお母さんの喧嘩が精霊様に影響を与えてるのは知っていたのに、何もしなかったのが良くなかったんです」
セルマは自分自身の方が辛いだろうに健気にリーリヤを励ます。それでも、セルマが無理をしていることは伝わってくる。
「むしろわたしの方がすみませんでした。こんなことに巻き込んでしまって」
セルマの謝罪を受けてリーリヤは呻いた。
おそらく内心では罪悪感でいっぱいだろう。誰かに真実を伝えて楽になろうとすることは、この街では破滅を意味する。残酷かもしれないが、リーリヤは罪の意識をずっと抱えていかなければならないのだ。それこそがリーリヤへ科せられた重過ぎる罰となる。
「ごめん。本当に、ごめんね・・・」
理由を語るでもなく、ただ謝ることしかできないリーリヤにセルマは困った顔をする。
そして、セルマは何かを決心した顔をするとアルマスの方を見てきた。その視線の意味するところを理解したアルマスはせめてもの配慮として後ろを向いて少しだけ距離を置く。
あくまでアルマスができるのは『聞いてないよ』と示すポーズだけだ。盗み聞きするようで悪いとは思うが、万が一にも呵責の念に苛まれたリーリヤが下手なことを口走らないように注意しなければならない。
それでもセルマには十分だったようだ。リーリヤを元気づけるためにあえてセルマは朗らかな声を出す。
「本当はですね、わたし、花の乙女様に憧れてたんです。そうなりたいなってずっと思ってて。小さい頃からの夢だったんですよ。でも、現実にはいろんな壁があって。弟子入りするための伝手だってなければ、『花飾り』を作るお金だってお小遣いじゃ全然足りません。普通なら両親にお願いするんだと思うんです。花の乙女様に限ったお話じゃないですけど、『あれになりたい』『これが欲しい』って両親におねだりして」
セルマの話をリーリヤは黙って聞いている。碌な相槌も打たずにただ静かに聞きに徹していた。
その方がいいこともある。セルマは自分の中の気持ちや想いを探すように言葉を選びながら独白を続けていく。
「もちろん、だからといってなりたいものに必ずなれるわけでも、欲しいものを買って貰えるわけでもないのはわかってます。ですけど、多分、言うことに意味があるんだと思うんです。話を聞いてもらって、甘えて、褒めて貰ったり、怒られたりして。結果的に夢を諦める子もたくさんいるんですよね。それはわかってます。大きくなれば、大人になれば、夢から覚めるんだってわたしくらいの年齢でももう理解してます。でもですね、始まりは無邪気に夢を語るところからだと思うんです。ただ、わたしは―――そんなこと言えなかった」
セルマの声に宿っていた元気が抜けていく。
リーリヤはこの話を聞いてどんな気持ちだろうか、どんな顔でセルマと向かい合っているのだろうか。背中を向けているアルマスにはわからなかった。
「実はわたし、孤児だったんです」
ひょっとして知っていましたか、とセルマが問う。
リーリヤは知っていたのだろう。ヘレナ辺りがリーリヤに伝えていてもおかしくはない話だ。そして、リーリヤは知っていたことを隠すことも出来ずに馬鹿正直に顔に出してしまっているのだと容易に想像が付いた。
「物心ついたときにはもう孤児院にいました。本当の両親が誰かなんてまったく覚えていません。幸い、なんですかね、孤児院にはわたしと同じような子が何人もいましたから1人だったことはなかったです。友達もたくさんです。けれど、どうしようもなく寂しいときもありました。両親がいて、家族がいる。そんな普通のお家の子達を見る度に胸の奥がきゅうっと締まって寒くなるんです」
アルマスはセルマの気持ちに共感できなかった。似たような経験はあるし、似通った気持ちを抱いたこともある。しかし、アルマスには初めから両親がいなかったわけではない。思い出の中で母に優しく抱きしめられた温もりがアルマスにはある。
リーリヤは果たしてどうなのか。彼女はまだ何も言葉を口にしない。
「だから、今のお父さんとお母さんがわたしを迎えてくれると知ったときは本当に嬉しかったんです。だけど、同時に怖かった。やっと手に入れた優しい両親に、もし、そんなことはあり得ないとしても、見捨てられてしまったらと考えたら身体が冷たくなってしょうがないんです」
セルマの声に涙が混じる。決して大声ではないのに、セルマの心の叫びが聞こえてならなかった。
「良い子でいようとがんばりました。欲しい物があっても、やりたいことがあっても、我慢してきました。ずっと。ずっと!でも、結局、良い子にはなれなかった。あの精霊様がお家に来たとき、もしかしたら運命かもなんて勝手に盛り上がって。お父さんはうちで見るには大変だから花の乙女様に相談しようとしてたのに。お母さんも精霊様のお世話がきちんとできる家に譲ろうって言ってたのに。なのにわたしがどんな大変なことになるかも考えないで引き留めたりなんかしたからっ。自分でどうにかできると思って、余計なことをしたから!だから、こんなことになっちゃったんです・・・」
セルマが鼻を啜る音が届く。
精霊は幸運の象徴だ。良い関係を築ければ人智の及ばぬ恩恵を得ることができるのはよく知られている。例えばかまどの精霊の側でパンを焼けばただのパンがたちまち運気をもたらす不思議なパンに焼き上がったり、クッキーを焼けば病を祓い活力を与えるクッキーとなったりする。時には錬金術の貴重な材料となる場合もある。
しかし、精霊との良好な関係を維持することは簡単ではない。そこらの家庭では精霊と良い意味で共存するなど荷が重い。それが一般的な認識だ。故にそういうときは花の乙女を経由して精霊の面倒を見れる裕福な家か、経験豊富な名家旧家に引き取って貰うのが通例となっている。
それをセルマは拒んだ。そして、セルマの両親も滅多に言わない愛娘の我が儘を聞き入れてしまった。そもそもの間違いはそこだったのかもしれない。
リーリヤが精霊に接触したことが暴走のきっかけだったのは確実だ。しかし、そこに至るまでにセルマやその家族にも何かしらの瑕疵はあったのだ。どれか1つの要因がなければ、ここまでの大事にはならなかった可能性もあった。
「いっぱい、いっぱい、怒られました」
ひゅっ、とリーリヤが息を漏らした。
本当にいろんな人からです、とセルマは付け足す。
火事の後、花の乙女の真似事をしたことについてセルマは多くの人から叱られたという。両親に始まり、お店の常連客、セルマを可愛がる近所の人々、果ては通りがかっただけの見知らぬ大人。その中には花の乙女も含まれている。どんなに危なくて、どんなに愚かなことをしたのかと誰もがセルマを非難した。だが、それだけではなかったとセルマは話す。
「それで気付かされたんです。わたしのことを大事に思ってくれているからこんなにも怒ってくれるんだって。こんなことで喜んじゃいけないんですけどね。お父さんとお母さんも見たこともないくらい怖い顔をしてたっぷりお説教されちゃいました。そして、もっとたっぷり謝られました」
叱られるのと同じくらいセルマが無事だったことを皆が喜んだそうだ。泣いてセルマの心配をする人もいたようだ。そして、火事の後始末も多くの人が協力を申し出て、あっという間に片付いているのだという。今も何人もの人達が自らの仕事をほっぽって『陽気なひまわり亭』の復旧に尽力している。
それはセルマの普段の行いへの正当な見返りなのだと思う。良い子であろうとした、その頑張りをいろんな人が見ていたのだ。
「わたし、悪い子です。良い子なんかじゃありません。皆に迷惑をかけて、『ごめんなさい』っていう気持ちもたくさんあるのに、でもそれ以上に安心しちゃってるんです。こんなことをしてしまって、それでやっと、お父さんもお母さんもわたしを見捨てたりなんてしないんだって強く信じることができたから」
セルマの声に儚げながらも力が戻る。
リーリヤが何も言わずとも、アルマスが力を貸さずとも、セルマはもう立ち直っていた。そこにいたのは優しくて、強い女の子だった。
「だから、だからですね。お家も燃えちゃったけど、きっともう花の乙女様にはなれないだろうけど。わたしにとってはそれだけで満足なんです。・・・・・・って、わたし何を言ってるんでしょうねっ。なんだかよくわからない感じになっちゃいました」
もういいかなと思ったアルマスがリーリヤ達の方を振り返れば、セルマはあわあわと可愛らしく手足をパタつかせていた。
「・・・・・・そう」
セルマの想いをゆっくりと噛みしめた末のリーリヤの言葉はとても短かった。しかし、その一言には深い感慨が含まれていると思わせた。
もちろん、リーリヤよりも何歳も年下のセルマが一日にも満たない短い時間で心の整理を終えているはずもない。それなり以上に強がっているに違いなかった。それでもセルマは笑顔を浮かべて言い切った。
「はいっ。なのでリーリヤさんが落ち込んだりしないでください。全部っ、わたしの自業自得なのでっ」
リーリヤはもう謝らなかった。
それはセルマの想いを、決意を踏みにじることになるから。なによりリーリヤの贖罪は独りよがりにしかならない。当のセルマが自身の責任だと認めて受け入れているのだ。真実を語れないリーリヤにはそれを覆すことは出来なかった。
「セルマだけのせいじゃない。俺達にこそ責任がある」
そう言ったのは老齢の男性だ。隣には同じ年頃の女性もいる。2人ともあちこち煤で黒く汚れており、今の今まで火事跡で作業をしていたことが窺い知れた。言わずもがな、コッコラ夫妻だった。
「その通りね。私達が喧嘩なんて馬鹿なことをしなければ良かったのよ」
後悔したように女性も暗い表情をしている。
「違うよ!わたしが―――」
「それはもういいの。可愛い私達のセルマ」
「お前は何とかしようとしてくれたんだ。それだけだ」
夫婦はセルマを優しく抱きしめる。
家族愛。口数が少ないけれど穏やかな父親と厳しくも優しい母親。セルマを愛し、セルマの愛した家族だった。
「仲直り、したのね」
「そうみたいだね。とても酷い喧嘩をしていたようには見えないけど」
リーリヤにアルマスは同意する。
2人の様子を見る限り、精霊に悪影響を及ぼすほどに不仲であるようには見えなかった。
老夫婦は顔を見合わせると共に苦い顔をした。それは互いへの悪感情がまだ残っているという意味ではなさそうだった。
「どうかしていた」
「大切な娘の前であんなにも取り乱すなんて今考えてみても信じられないわ。いえ、とてもじゃないけど信じたくない気分。それにね、この人と喧嘩をしたことなんて、この何十年もの間で一度もなかったのよ。とても寛容な人で、どんなことでも受け入れてくれていたの。私の自慢の夫。今もそう思ってるもの」
「それは俺もだ」
話を聞く分に随分と奇妙な違和感がある。
普通に喧嘩をして仲直りをしたのとはどこか違う。
アルマスは首を捻る。
「喧嘩の原因は?よっぽどの理由があったとか?」
また揃って互いを見る2人は不思議なことを言い出す。
セルマの母は歯切れ悪く答えた。
「それが、あまり覚えていないの」
セルマの父も同意するように頷いている。
「覚えてないだって?そんなまさか。そんなことある?」
そんなふざけた話があるのだろうか。いろいろな要因が重なっているとはいえ、自らの店が燃える事態にまでなっているのに、その原因の1つである夫婦喧嘩の理由がわからないという。
だが、当事者であるセルマの両親も、娘であるセルマも心当たりがないという。冗談を言っているようには見えなかった。
そこでアルマスが1つの考えを口にしようとして、リーリヤがふと思い出したようにセルマの母であるコッコラ夫人の手を見る。
「そういえば、指輪」
「指輪?」
「ええ。右手にしていた指輪がなくなってる。喧嘩の原因はあの指輪じゃないかって話をしたんだけど」
リーリヤがセルマに視線を向けると、セルマは覚えがあるのかないのか曖昧な様子だった。
「ええっと、確かに、そんな話があったような・・・?」
「嘘。ちゃんと伝えたわよ。あの子、ヘレナと一緒に話し合ったでしょ。忘れちゃったの?」
「ご、ごめんなさい。あまり、覚えてなくて・・・」
リーリヤの咎める口調にセルマは肩を縮こまらせる。もともと小柄なこともあって横から見ているアルマスでさえ小動物を虐めている気分になってくる。
リーリヤも慌てて弁明をする。
「あっ。違うの。責めるつもりはないのよ。ただ、指輪が怪しいんじゃないかって言いたかっただけで」
言った、言わないと話がこんがらがってきた。さっきから妙に会話が噛み合っていない。
「なんだなんだ?どうにも話が変なんだけど。とにかく、指輪?持ってるの?」
アルマスがコッコラ夫人に問うと彼女は訝しみながらも自身の持ち物を確認する。
「指輪なんてない、はず」
そして、それは拍子抜けするほど簡単に見つかった。
「あった・・・」
服のポケットの中から壊れた指輪が出てくる。
青すぎるほどはっきりとした青色の質素な指輪は一部が縦にひび割れている。
アルマスには一目で魔具だとわかった。
「そうだ。思い出した。この指輪を妻が愛おしげに見ている姿に、我慢できずにカッとなってしまったんだ」
「私も似たような感じよ。とても大切な物に思えてしょうがなかった。それこそすべてがどうでも良くなるぐらいに・・・。なんで、私はこんなことを忘れていたの・・・?」
老夫婦は愕然とした様子だった。
まるで実際に指輪を見たことを切っ掛けに忘れさせられていた記憶が蘇ってきたようだ。
「なーるほどね。そういうことか。ちょっとその指輪見せて」
アルマスは夫人の手から指輪をかっ攫う。
「はいはい。やっぱね」
妙な静けさを纏って注視される中、因子構成を分析するために片眼鏡を掛けたアルマスはもっともらしく頷いてみせる。
「こりゃ、誰も悪くないね。全部これのせいだ」
持ち主を指輪に執着させ、周囲の人間も指輪ひいてはその持ち主に敵意を抱かせる。おそらくそんな効果の魔具だとアルマスは説明する。
既に壊れていることもあり、細かい因子構成を分析するのはさすがにこの場では難しい。けれど、確定的な『因子』の片鱗は見て取れた。この指輪は紛うことなき、『呪い』に属する魔具であった。
「あくまでざっと見た印象はそんな感じだね。そもそも、もう壊れてるし。今はこれ以上詳しくは無理だけど、喧嘩の原因は概ねこの指輪で間違いないよ」
夫人は気味悪そうに身体を抱きすくめ、その肩を支える夫と共に指輪を悍ましげに見ている。
リーリヤもセルマも同じだった。いや、リーリヤだけは不愉快そうにしているか。
なんにせよ、不気味と思えば思うほど忌避感は増すものだ。『呪い』の魔具であるとわかれば尚更である。
「これ、誰に貰ったの?」
言わずもがな、禁制品だった。
そこらの錬金術師では作ることも保持することも許されない。学術協会によって規制されるべき魔具の代表例だ。
「誰と言われても・・・。誰だったかしら?」
「そんなに前じゃないよね、お母さん。ただ、嬉しそうにはしてたけど内緒だって教えてくれなかったから・・・」
わたしは知らないとセルマが首を横に振る。
「占い師」
夫の呟きのような言葉に夫人が強く反応した。
「そう!そうだったわ!」
夫人が語った人物像は如何にも怪しい風貌だった。黒い外套を羽織り、フードで顔をすっぽり隠した人物。遭遇したのも日当たりの悪い入り組んだ路地の先。
近寄るまでは怪しいと思ったのに、指輪を見せられてからは吸い寄せられるように近付き、差し出されるがままに指輪を受け取ってしまった。そして、昨日の火事で指輪が壊れるまでずっと違和感がなかったという。
「心当たりがあるよ、それ。最近、不審人物がいるって自警団からも聞いてたんだ。どうやらしゃがれた声の女性らしいから、きっと老婆なんだと思う」
精力的に警邏をしている自警団から聞き出した話では、直接的な被害はまだ出ていないとなっていた。しかし、実際はこうしたからくりが仕組まれていたとなると話が変わってくる。コッコラ家と同じように『呪い』の魔具による被害が出る可能性があった。いや、すでに出ているが魔具が原因だと気付かれていないのかもしれない。思い出したとはいえ、指輪のことを忘れてしまっていた夫妻の様子を見る限り十分に考えられた。
指輪はアルマスが預かることになった。
『呪い』の類とわかったので禍々しく感じて仕方がないと夫婦が所持することを拒否したからだ。
どうせ今回の件は上街の人間ばかり守る軍の兵士ではなく、自警団側で処理されるであろうし、そうなれば自警団とも顔が利くアルマスに分析の依頼が来ることになる。ならば先に指輪を預かっていても支障はないとアルマスは考えた。だが、魔具としては致命的に破損しているので調べるのにも限界はある。
「まっ。これの出所については詮索したところでどうしようもないな。その役目は軍や自警団にでも任せるとしようか。少なくとも、この指輪がこれ以上君達家族の仲を引き裂くことはないんだから」
その言葉にセルマ達親子は安心したようだった。
無駄に不安を煽る必要はない。コッコラ家での問題は既に終わったことだ。こうして原因の指輪も壊れたわけだし、後は未来を見るべきだ。ひとまずは『陽気なひまわり亭』の修繕にかかり切りになることだろう。その後も問題は山ほどある。それでも家族の仲を取り戻したセルマ達ならば、共に苦難を乗り越えてくれるはずだ。
「じゃあ、片付けを手伝おうか」
「わ、私も」
焼け落ちた『陽気なひまわり亭』の後片付け。
もともとアルマスとリーリヤはその手伝いのために来たのだ。
アルマスがシャツの袖を捲りながら手伝う旨をコッコラ夫妻に伝えると2人は感謝を述べて先に作業に戻っていった。
アルマスの隣でリーリヤも珍しくやる気を出している。非力そうな細腕をしているので力仕事は無理そうだが、この状況だ、やれることは幾らでもあるだろう。
改めて焼け跡を観察してみると見た目よりも被害が少ないことに気付く。
近くにいた花の乙女が早急に暴走した精霊を諫めたこと。ほとんどが木で作られている店のホール部分とは違って火を扱うことを想定したレンガ造りの部屋で起きたこと。きっと運が良かったのだろう。レンガですら真っ黒に焦げ付くほどの火勢の割には『陽気なひまわり亭』は全焼することなく、一部が燃える程度で済んでいた。
とはいえ、少なくとも部屋1つは丸々燃え落ちてるので元通りになるまではそれなりに時間が必要そうだ。
ちなみにかまどの精霊は昨日の時点で花の乙女に回収されたのでもうここにはいないとのことだ。精霊なんていたら修繕どころか今度こそ店を丸焼きにされかねないので当然の処置だった。
「リーリヤさん。お気持ちは有り難いですけど、お洋服が汚れちゃいますよ」
セルマに指摘されたとおり、リーリヤはアルマスが工房と併せて間借りしている屋敷から拝借したドレスを着ていた。
動きやすい服装でもあればよかったのだが、生憎とあの屋敷にはドレスばっかり並んでおり、都合の良い服は中々見つからなかったのだ。
「ううん。気にしない。あっ、でも、これ私のじゃないんだったわ」
「煤で汚れるくらいなら大丈夫でしょ。生地が裂けるほど手荒に扱わなければね。どこかのお転婆なお嬢様はやらかしかねないけどさ」
お転婆というよりは大雑把という表現の方が合っている気もする。
「そんなことしないわよ。それに、ほら。こうやって縛れば少しはマシになるわ」
リーリヤは不服そうに鼻を鳴らした後、足下まである緩やかなスカートの裾を持ち上げると軽く縛ってみせた。スカートの丈が短くなり、日に焼けていない白い脚が外気にさらされる。
これならさっきよりも動きやすいし、裾を物に引っかけたりも心配しなくて良くなった、とは思う。
「そういうところだよ」
「え?変?」
アルマスが額に手を当てあからさまに溜め息をつく。
短くなったスカートの裾を摘まむリーリヤにセルマも困った笑みを浮かべている。
「ちょっとだけ、はしたないかなーとは思います」
「うそぉ」
「まっ、どのみち力仕事は俺がやるからさ。君達は燃え残った家具とかで使えそうな物の選別でもしてなよ」
そう言ったアルマスであったが、先ほどセルマが言っていたとおり、予想以上に人手は多く集まっており、アルマスにできることはもう余り残っていなかった。
せいぜい燃え残った半焼けの棚や机を外に運び出したり、炭化して使い物にならなくなった倒れた柱を除けたりするくらいだった。あとは専門の職人がレンガを組み直し、屋根や床に木板を敷き直したりする作業なので専門外のアルマスは早々にお役御免となった。
リーリヤとセルマを探してみると、2人は外に運び出された家具や小物のうちまだ使える物とそうでない物に仕分けていた。しかし、猛火に焼かれただけあってほとんどが原形も留めていない。それこそ無事な物の方が圧倒的に少なかった。
2人とも手も服も煤で薄汚れながらもせっせと黒い歪な塊となった物を運んでいる。
「これ・・・」
セルマが手に取ったのは端っこが火に炙られて焦げている額縁だった。比較的軽微な損壊で済んでいるが、中に収まっていた絵画らしきものは火の粉を浴びたせいで所々焼けて穴だらけだ。これでは何が描かれていたのかも定かではない。
「っ・・・・・・」
貴族の屋敷に飾られているような肖像画ほど立派なものではなく、所謂庶民がちょっとした祝い事で画家に依頼するような簡素な絵であっても大切なものだったのだろう。セルマは一抱えもある額縁を抱きしめてしゃがみ込み、涙を堪えるように目を瞑っている。
まるで静かに祈るようなセルマの様子にリーリヤは手を伸ばしたり、引っ込めたりと悩んでから、触れれば落ちる花弁を撫でるみたいにそっと優しくセルマの肩に指先を添えた。
「大切なものだったの?」
「わたしが初めてここに来た日。お母さんとお父さんが、わたしのお母さんとお父さんになってくれた日に、記念日だからって絵を描いて貰ったんです。わたし達が家族になった絵」
セルマは労るように絵の木枠に触れる。
その手つきだけでセルマがどれだけこの絵を大事に思っていたかがよくわかる。
「初めは食堂の壁に飾ってあったんです。でも、学校の中等部ぐらいになると、それが段々と恥ずかしく思えてしまって。その頃のわたしはこの絵を誰かに見られたくないと考えてたんです。私自身もなぜだか避けるようになってしまい・・・。だから、お父さんに場所を移して貰ったんです。・・・・・・こうして失って、初めて『ああ、大切だったんだな』ってそう思えて仕方がないんです」
「その気持ちは、私にもわかるわ」
リーリヤの宵闇色の瞳は優しかった。
ゆっくりとリーリヤの手がセルマの背をさする。
やがてセルマは涙の滲む目元を擦って立ち上がった。
「泣いたって失った物は帰ってきませんもんねっ。うん。この絵は大切でしたけど、もう大丈夫です。これから新しい思い出をもっと作っていけばいいだけなんですから!」
そう力強く宣言したセルマは絵を額縁ごと横に置く。そこは廃材となった家具をまとめていた場所だ。セルマは名残惜しそうに時間をかけて絵から手を離す。
「あいたっ」
その拍子にセルマは手を置かれていた廃材の1つにぶつけたようだった。
「大丈夫?」
「軽く触れただけなのでぶつけたのはそんなに。でも、あはは。お恥ずかしながら、実は昨日、指を火傷しちゃってて」
差し出されたセルマの親指にはぷっくりと水膨れができていた。
なんでも、火事が収まった直後にセルマは焼けた部屋の中に飛び込んでいったらしい。部屋に置きっ放しだった大切な物達がどうなったのか、気が気ではなくなってしまったが故の行動だった。そのときにまだ熱を帯びていた家財に触れ、火傷を負ったのだと言う。
「痛そうね。・・・あっ、そうだわ。ちょっと待ってて」
リーリヤが取り出したのは魔法薬の入った小瓶だ。アルマスが今朝方調薬し、リーリヤに渡したものである。
「火傷の薬よ。アルマスに貰ったの。ほら、手を出して」
リーリヤはガラスの蓋を開け、乳白色のクリームを指で掬う。たっぷりと指に絡めたクリームはセルマの小さい指先にはかなり多かった。
「ああっ」
案の定、セルマの指に塗りつけている途中でクリームの大部分がぽとりと下に落ちる。ちょうどセルマが置いたばかりの絵画の上に白い塊がこびり付いた。
「ご、ごめんね」
慌てるリーリヤに反し、セルマはそれほど気にしていなかった。
「いいえ、気にしないでください。もともと捨てる予定でしたし。それよりも、これ、すごいですねっ。ほらっ、もう治っちゃいました」
セルマの突き出した親指は火傷が綺麗さっぱり消えている。リーリヤの右手と同じように火傷の痕すら残っていない。
「こんなにすぐに治る薬なんて初めて見ました。良かったんですか?きっとかなりお高いんじゃ、ないん、です、か・・・?」
「うそ・・・」
リーリヤとセルマの視線がある一点に引き寄せられる。それは2人の足下に転がっている絵画だった。今さっき、セルマが大切だったと想いを語り、その上で前を向くために決別した物。それが修復されていくところを2人は目の当たりにした。
絵の表面で白く輝く光の泡が幾度も沸き立ち、泡が弾ける度に焼け落ちたはずの絵が再生していく。
それはまるで―――。
「時が戻ったみたい」
「さすがにそんなことはできないよ。かの伝説の『時の聖槍』でもあるまいし。あくまで火傷を治しただけ」
そこで様子を見ていたアルマスが会話に加わる。
「火傷・・・?」
「そう。普通は物に使う言葉ではないけどね。リーリヤがあの魔法薬『白日への焦がれ』をこれに塗ったんだろ?」
正確にはたまたま取り過ぎた薬が、たまたま絵画の上に落ちただけ。
それでもきっかけは間違いなくそれだった。
「その絵画には想いが詰まっていた。それこそこの魔法薬が反応するほどに。『想いが宿る』というのは『命が宿る』のと同義なんだよ。特に錬金術においてはね」
物質を生物と解釈する。
その前提の元でこの魔法薬は効果の対象が拡張されている。セルマの想いという名の命が吹き込まれた絵画は『生きている』と判別され魔法薬の効果が発揮された。
『白日への焦がれ』という魔法薬は火傷が直ぐ治る便利な薬に過ぎない。本来の効能はそこで終わりだ。
だが、アルマスの調薬したこの魔法薬の『質』はとても高い。それも銀光を帯びる領域に至っている。加えて特異な素材に含まれていた特殊な因子が通常ではあり得ない現象をもたらしていた。
「それってつまり―――」
「直るんですかっ!?他の物もっ!?それこそ焼けてしまった物も全部っ!?」
セルマが身を乗り出す。
燃えてしまった思い出の品は何も絵画だけではない。あの焼け落ちた部屋にあった家具や小物のほとんどが彼女にとってはかけがえのない物なのだ。
諦めていた思い出の品々を取り戻せる、その期待にセルマは小柄な身体を震わせる。
「全部は無理かな。あくまで一定以上の強度の想いの力が籠っていないと。言い換えると君や、君の家族が長い間とっても大事にしていた物なら直せると思うよ。憶測だけどね」
生物として認知されるほどの想いが込められているかどうか。魔法薬が利くかはそこにかかっている。当然、対象範囲外の物に塗っても何も起こらない。ただ、魔法薬を無駄にするだけだ。
「それでも、嬉しいです。たくさん、本当にたくさんの物を失ったと思っていたので」
「でも、薬はこれだけしかないわよ。もっと作ることはできるの?」
「錬金術は効能という意味であれば、正しい手順、適正な材料を使えば何度でも同じ物を再現できる。理論上はね。だけど、厳密にはまったく同じ物は存在しないんだ。どうしたって因子構成の歪みやムラに差異はある。今回の付与効果、というよりは効果対象の拡張か、これはそこが上手くかみ合っただけ。もう一度同じ手順を踏んでもそれと同じ効能の物を作ることはかなり厳しい」
錬金術の踏み込んだ説明にリーリヤもセルマも揃って首を傾げている。
同業者であればすんなり納得して貰えるのにな、と思いつつアルマスはわかりやすい方のもう一つの理由を述べる。
「あと、そいつを作るには特別な素材を使っていてね。滅多に手に入らない貴重な代物で、もう使い切ってしまったんだ」
つまり、魔法薬はリーリヤが持っている小瓶1つ分しかない。
真っ黒焦げになった廃材の全部に塗っていたら到底足りないだろう。
一番いいのはセルマが判断すること。思い出の品かどうかを見分けて、それだけに魔法薬を使えばいい。しかし、こうも見た目が黒焦げだと判別も中々難しいのが実情だ。
リーリヤがアルマスの側に寄ってくる。どうやら伝えたいことがあるみたいだった。アルマスが顔をリーリヤに近づけると、リーリヤは驚いたように大袈裟に仰け反った。怪訝な顔をしたアルマスに気づき、こほんと咳払いをしたリーリヤは若干頬を赤らめつつアルマスの耳元で囁いた。
「私、多分、わかる」
「マジで?」
「ええ。この絵からはほんのり温かい感覚がするの。似たような感覚の物を探せばいいんでしょう?なら、大丈夫」
想いが物に込められる際、微細な量であれども魔力もまた流れ込む。
魔女として感性のままに魔力を操れるリーリヤからすれば、そんな微量の魔力でさえ感じ取れるということか。善し悪しはある。だが、この場は良い方向に転がりそうだ。
「よし。じゃあ、不自然にならないように俺が誘導するよ。リーリヤはどれがそうなのかを教えてくれ」
「うん。わかったわ。ありがと」
リーリヤが嬉しげに笑う。
その笑みにアルマスは虚を突かれた。十数年ぶりに見た笑顔だった。幼さ故の純粋さに溢れていて、けれども自分勝手で我が儘で、閉じ籠もりがちだったアルマスを無遠慮に引っ張り回してくれた、あの頃のリーリヤを思い出させる。
自然とアルマスの口も弧を描いた。
「さぁ、やろうか!」
そこからは光の泡が何度も弾ける美しくも不思議な光景が広がった。
リーリヤが対象を見つけ出し、アルマスが言葉巧みにセルマを誘導し、小瓶から掬い取った魔法薬を塗り込む。泡に塗れながらも時が戻るように焼け焦げた家財が再生していく様子に周囲の人々も足を止め、興味深そうに近寄ってくる。丸焦げになった家具や小物が蘇る度にセルマは大喜びし、感化された人々も歓声を上げた。
粗方直し終わった頃、聞き慣れた声がアルマスの耳に届いた。思わず苦笑を浮かべてしまう。
「やっぱりここにいましたか!まったく!もう!しょうがない人ですね!」
駆け寄ってきたのは黒髪を靡かせるヘレナだった。リーリヤに詰め寄ると物凄い剣幕でまくし立てる。昨日はどうして急にいなくなったのか。昨晩はどこにいたのか。口調は剣呑としているが、話の内容自体はリーリヤを心配するものだった。
ヘレナの走ってきた方向を見やれば、トビアスとイレネが歩いてきていた。2人ともリーリヤを見て安心しているのが遠くからでもわかった。
「あー、やっべ。連絡いれるの忘れてた」
そういえば、昨晩はアルマスのところに泊まることをトビアス達に伝えていなかった。以前も似たようなことがあったが、行方不明となったリーリヤを夜通し探し回っていたのかもしれない。
トビアスもイレネも目が据わっている。どうやらリーリヤに説教する気満々のようだ。二度目ともなればそう易々と解放されないだろう。
下手をすると矛先がアルマスの方に向きかねない。トビアスはともかく、普段は優しいイレネから説教をされるのは勘弁して欲しかった。あれは地味に心に堪えるのだ。
巻き添えにならないようにアルマスはリーリヤとステーン一家から距離を置く。ほとぼりが冷めたところで顔を出すつもりだった。
アルマスの推測は間違いではなかったようでリーリヤはステーン一家総出で叱られる羽目になっている。側からアルマスがいなくなったことに気づき、助けを求めてきょろきょろと周囲を見回そうとしたリーリヤはイレネに真面目に話を聞くようにと更に怒られている。
そこで素直に謝れるようになったのは成長の証なのだろう。
「まるで本当に家族みたいだね。馴染めているようで良かったよ」
リーリヤやステーン一家から見つからないようにと人気のない住宅街の路地まで離れたアルマスはリーリヤ達の様子を覗き見ながら楽しげに笑い声を上げる。
そんなときだ。不意にそれは話しかけてきた。
「やあやあ。ご機嫌は如何かな。親愛なる錬金術師くん」
路地の暗がりから響く掠れた女の声。
アルマスの顔からは笑みが消え、灰色の瞳に鈍い輝きが宿った。




