18.錬金術師アルマス・ポルク
うっすらと白みがかった光が窓から差し込む。
湖畔都市フルクートの朝は早い。
比喩ではない。街の住民達が勤勉だという意味ではなく、文字通りに太陽が昇るのが早いのだ。
それも当然だ。
日暮れが遅く、夜明けが早い。それが北の大地の夏の特徴なのだ。
だから、空が明るくなっていても、まだ街中は静まりかえっている時刻となる。
アルマスは工房で一人、腕を組んで唸っていた。
「並べてみるとはっきりとわかるけど・・・。ひっどいね。ほんと、ひどすぎる。質が悪いなんてもんじゃないよ、もう」
工房の長机に並べてあるのは錬金術の素材達。
痛んだ黒い斑点付きの青い茸。真っ白に染まったひび割れた魚の鱗。萎れてしわくちゃになった枯れかけの大きな葉っぱ。他にも用意した物がちらほらとあるがどれも適正な管理をされていたとは到底言いがたい物ばかり。
一応、昨日一日かけてあちこちの店で手に入れた品々である。後は保管庫の奥の方に放置されていた残り物も混ざっている。
せめてもの救いは噴水に飛び込んだせいでびしょ濡れになってしまった素材は一晩干した甲斐もあり粗方乾いていることだろうか。
アルマスは左目に付けた片眼鏡の奥で目を細め、諦めたように肩から力を抜いた。
「いっそのこと笑えてくる。まったくもって絶望的な組み合わせだね」
素材の劣化は内包された魔力的因子の摩耗を意味する。
普通はこんな素材からは何も作ることは出来ない。一番簡単な錬成区分E類こと一般的な日用品レベルすらこの素材から作るとなると超高難度へと様変わりする。
だがそれも組み合わせ次第でどうとでもなるのが錬金術なのだ。
「錬金術とは正に不可思議なもの。こんな素材でもまともな物を作ることが可能になるなんてね」
アルマスの視線が横に滑る。
長机の上に並べられた物とは別に柳の籠が置かれている。中綿の敷き詰められた内部には3つの瓶が丁寧に収められている。
アルマスはそのうち1つの瓶を手に取る。
軽く揺らしてみれば、煌めきを放つ金色の粒子が自由奔放に舞い踊る。
ラミリエシーの星水。
昨晩採取したばかりの新鮮で瑕疵一つない紛うことなき最高品質。内包された因子も、その強度も申し分ない。これがあるだけで他の素材の善し悪しを覆して余りある。ただ、それでもまともな錬金術が可能になるだけとも言える。
「むしろ、とっておきはこっちの方だな」
籠の中に残った二つの瓶。
片方には薄く黄色に色づいた液体が満ちている。もう一つは瓶の大きさに比してたった1粒の水滴が入っているだけのもの。どちらも手に入れてから日は経っていない。
星水の瓶の代わりに手にとって顔に近づけてよく観察する。
見れば見るほど不思議な物質だ。
目を見張るべきはその異常な因子構成。錬金術の探求が一際盛んな三大学術都市の1つであるシニネンクーマで学んでいたアルマスでさえ、かなり珍しいと思う特殊な因子が内包されている。それも複数だ。
1つの素材に複数の種類の因子が内在することは珍しくない。むしろ単一の因子のみの方が圧倒的に少ない。どんな高級素材であっても主要となる因子以外に何かしら雑多な因子が混ざっているものだ。
着目するべきは、『極冬地の燃え落ちる花弁』や『大海湖の朧岬に散る銀粉』といった入手が非常に困難かつ極少量しか採取できない素材にしかないはずの特別な因子が一つの素材に同居していること。さすがに質はそこまでではないものの、通常こんな組み合わせはあり得ないし、見たことだってない。
そんな代物がアルマスの前に2つもある。
アルマスの頬が上がり、自然と弧を描く。獰猛。もし誰かがアルマスの表情を見ていればきっとそう表現しただろう。
異質にして未知。錬金術師としては最高に面白い素材と言えよう。
「おっと。戻ってきたか」
がたがたと雑に扉を開く音が耳に入ってきて、アルマスは素知らぬ顔で瓶を籠に戻した。そして、いつもの力の抜けた軽薄な笑みを顔に貼り付ける。
「やぁ、お帰り。目は覚めたかな?さっぱりしたようでなにより」
工房に入ってきたのは言わずもがなリーリヤである。
亜麻色の髪をしっとりと湿らせ、昨日とは別のドレスを着ている。型は似ているが色は違う。ふんわりとした深緑の衣服に身を包んでいる。その瞳はつり上がり、不機嫌さが丸出しになっていた。
「何が『さっぱりしてなにより』よ!無理矢理サウナに突っ込んだくせにっ」
「言葉に語弊があるよ。俺は『入りたかったら入っても良いよ』って言っただけじゃないか」
「そうしなきゃ工房には入れないって譲らないからでしょ!」
時忘れの塔から戻ってきたアルマスは工房で『ある物』を錬成するとリーリヤに伝えた。
まだ早朝でもあることだし、ステーン家に戻るとしてももう少し日が昇ってからの方がいい。アルマスは屋敷の方でゆっくりするよう言ったのだが、リーリヤはどうしても工房に付いてくると言い張った。やけに頑固だったがその理由は定かではない。
ならば、とアルマスは工房に入る前の条件としてサウナに入るよう指示したのだ。
「嫌なら屋敷で待ってていいのに。あっちの方が柔らかいソファとかあるし。なのに『こっちがいい』って言ったのは君じゃん」
「・・・君って呼ばないでよ。ちゃんとリーリヤって呼んで、アルマス」
「はいはい。わかったよ。リーリヤ」
そうなのだ。今朝からアルマスとリーリヤは互いに名前で呼び合っている。
リーリヤと再会して以来、アルマスは彼女の名を呼ばないように意識してきた。距離感に悩んだ面もある。けれど、一番は近づきすぎないため。独り立ちをしなければならないリーリヤの将来のために一定の距離を置くことを心掛けていた。特に街で暮らす手助けをするアルマスに依存することがないように。
だが、普段は親しげに振る舞う一方で見えない壁を作る違和感はリーリヤに見透かされていた。それに加えてアルマスは昨晩に関係性を言葉にすることを濁している。
一晩考えた末にリーリヤが出した要求がこれだった。2人の関係をはっきりとした形にしなくても構わない。代わりに2人の距離を一歩だけ詰めること。そのための名前呼びだ。
名前を言ったことで満足げに頷いたリーリヤは、けれども直ぐにふて腐れて口を尖らせる。
「それはそうと、なんだってサウナに入る必要があるのよ。意味わかんないんだけど。なんなのよ、もう。・・・・・・ひょっとして私、に、臭ってた?確かにあの塔を登ったり降りたりで結構汗かいちゃったけど。ま、まさかね?そうじゃないわよね?遠回しにそう言ってたわけじゃないわよね!?」
唸るように文句を垂れていたかと思えば、急に慌てて髪とか腕とか気にしてそわそわしている。サウナに入ったのだから身綺麗になっているに決まっているだろうに。今だって甘やかな花の香りしかしない。
リーリヤは例によって感情がむき出しになっている。昨日も思ったが、サウナ後のリーリヤはどうにも感情の制御が疎かになるようだ。あたかも酔っ払っているかのように一人で盛り上がり、その上でアルマスに絡んでくる。
有り体に言えば凄く面倒くさい。
「これから錬成するから外的要因は可能な限り排除したいって説明したよね。まぁ、ほんのり汗の香りはしてたよ。でも、俺が気にしてたのは別のことで―――」
「や、やっぱり!?汗臭かったの!?私、そんなに臭かったのねっ。ううっ。恥ずかしい。乙女の矜持がぼろぼろよ・・・」
リーリヤはその白い顔を見事に赤く染め、両手を当てて蹲る。そのまま床に寝転がってじたばた暴れそうな勢いだ。
アルマスは浮かべていた笑みを早々に放り捨てた。
乙女の矜持なんか昨日の時点で疾うに粉砕されている、という事実を告げなかったのは優しさでも何でもない。言ったところでリーリヤの暴走が加速するだけだからだ。
今のリーリヤに何を言っても仕方がない。アルマスは作業に取りかかることを一旦諦めて、まずはお茶でも入れることにした。
「ほら。落ち着いた?」
「・・・うん。ありがと」
アルマスから湯気の立つカップを受け取ったリーリヤは先ほどまでの痴態を恥じているのか、それとも生来の性格が戻ってきているのか大人しかった。
取り乱していたリーリヤをそのまま作業場に居させるわけにもいかず、かといって目の届かない場所に追い出すのも危なっかしく、結局は隣にある執務室で休ませることにした。
こじんまりとした執務室は昨晩同様に散らかっている。それでも一人が座るスペースくらいは作り出せる。カップを両手に抱えたリーリヤはちょこんと椅子に座っていた。
作業場へと続く扉を開け放したままにして、リーリヤを視界の端に収めつつアルマスは錬成の準備を進めていく。
「どこかで嗅いだことがあるような気もする・・・」
すんすんと鼻を鳴らしてリーリヤはカップに注がれた黒い液体を恐る恐る眺めている。怪訝な顔を見るにどうやら慣れない飲み物に飲みあぐねているらしい。
「あれ?飲んだことないの?」
アルマスが声をかけるとリーリヤは頷いた。
煎って焦げた匂いの中に芳醇さが隠れた独特の香り。一口含めば舌が痺れる苦みの後に微かな甘みが口内に広がる。
所謂『コーヒー』だ。
美味しいから飲んでみたらと促すとリーリヤは意を決して口に含む。そして、情けない悲鳴を上げた。
「う゛ぇぇぇ」
リーリヤは眉を下げ、思い切り顔をしかめて呻いている。予想通りの反応にアルマスは噴き出した。
「なによ、これ。全然美味しくないじゃない」
舌を突き出して、リーリヤはアルマスに抗議する。
「いやいや。その苦さと渋みが美味しいんだよ。コーヒーは巷じゃ人気の飲み物の1つだからね。世の大人達は皆、ハーブティーかコーヒーのどちらかを嗜むものさ」
アルマスがそう言ってもリーリヤはまったく信じていない。なんならアルマスがリーリヤを騙そうとしていると思っているようだった。
「どうしても飲みづらいなら砂糖やミルクを入れるだけでも違うよ。まろやかで甘くなる。子ども達が飲む分にはもっぱらこっちだね」
「子ども・・・。でも、これよりマシになるなら・・・。でもでも、子ども扱いはちょっと・・・。でもでもでも、これ美味しくないし・・・。むぅぅ・・・!」
難しい顔をしてコーヒーを睨むリーリヤ。どうやら子ども扱いは嫌らしく、ぶつぶつと葛藤している。別に大人でも砂糖とミルクをたっぷり入れたカフェオレを好む人もいるので悩むほどのことではないのだが。
「ちょっと前に喫茶店で働いたのを覚えてる?『花々の羽休め』ってところ。あそこで出してた飲み物も同じようなもんだよ。コーヒーに色々甘いシロップやらなにやらたっぷり入れてるだけでさ」
「え?あれもこーひーだったの?見た目がまったく違ったけど。こんなに黒くなかったし」
「コーヒーの原形がなくなるくらい甘々なトッピングをするのが最近の流行らしいから。もはや見た目は別物だよね。あれは若い女性に人気だったでしょ。コーヒーを甘くするのは何も子どもだけじゃないから気にしなくてもいいよ」
じゃあ、とリーリヤが睨み付けていたコーヒーから顔を上げる。
「砂糖とミルクを入れてみようかしら」
そこでアルマスは悪戯っぽくにやりと口角を上げた。
「ところが残念。ここにはどっちもないから我慢してそのまま飲んでね」
「なんなのよ、もう・・・。今の話はいったいなんだったの・・・?」
アルマスは普段何も入れずに『ブラック』で飲んでいる。砂糖もミルクも使わないので、この工房には置いていなかった。あくまで錬金術師としての拠点であって、寝泊まりする住居は別にあるので、ここには余分な物は用意されていない。
「因みにこのコーヒー、厳密に言うと本当のコーヒーじゃないんだよ」
「じゃあ、何?」
苦いまま飲まなくてはいけなくなったコーヒーと再びにらめっこを開始したリーリヤは適当にアルマスの話を聞き流している。それに苦笑しつつもアルマスは続ける。
「本物のコーヒーは木に成る実を煎ってできる。とても暑い気候でのみ育つ品種だから北の大地では基本的に栽培はできないかな。だから俺達が飲むのはもっぱら代用品。そのコーヒーはね、チコリっていうハーブの根を元に作られているんだ」
それでも北の国々で何百年とこのコーヒーが飲まれ続けて愛されていることを踏まえれば、もはやチコリを使った代用コーヒーこそが本物とも言えるのかもしれない。いや、一般の人々は本来のコーヒーなんてもう認知などしていないだろう。既に代用品が本物に取って代わっているのだ。
一応、隣国の火山地帯において少しではあるものの本物のコーヒーも採取されている。聞くところによると同量の金よりも価値があるそうだ。当然、一般人では手の届かない王侯貴族のための高級品だ。
「つまりだね、このコーヒーはハーブティーの一種でもあるわけだ。コーヒーじゃなくて、ハーブティー。そう思ったら美味しく感じてこない?」
「全っ然」
リーリヤは考える素振りすらせずに勢いよく首を横に振った。
リーリヤの飲み慣れているハーブティーと思わせることで苦手意識を緩和しようとしたのだが、どうやら無駄だったようだ。もちろんどう思ったところで味が変わるわけではないので仕方なくもある。
それでも飲もうとはするらしい。変なところで意固地な性格をしている。素直に残せばいいのに、と思うアルマスの生暖かい視線を浴びる中、リーリヤはちびちびとコーヒーを口に含んではいちいち大袈裟に呻いている。
リーリヤは目尻にちょっぴり浮かんだ涙を擦りつつ、作業場のかまどに薪を積み上げていたアルマスの顔をじっと見てきた。
「どしたの?そんなに砂糖が欲しいの?しょうがないな。そこらの棚を漁ってみなよ。もしかしたら代わりになる物があるかもだし」
仕事の関係でアルマスはよくお菓子やお茶を貰ったりする。貰い物は執務室の中に放り込むことが多いので、探せば何かしらあるかもしれない。
「違うわよ。もう半分くらい飲んじゃったし、これはこれで飲めなくもないし。美味しくはないけど。そうじゃなくて、その・・・。眼鏡、かけてるのね」
「うん?そういや、そうだね。見せたことがなかったっけ」
アルマスは左目に付けていた片眼鏡を外す。
「目が悪かったの?知らなかったわ」
「違う違う。これは魔具。錬金術をする上での必需品さ。別に目が悪いわけじゃないからね」
この片眼鏡は『賢者の瞳』と呼ばれる。物質に内包される魔力的な因子を可視化するための魔具だ。これによって素材の質や錬成過程の反応を確認する。謂わば錬金術における補助具だ。これがあるとないとでは錬成の精度に大きな違いが出る。
とはいえ、それだけで誰もが劇的に錬金術の腕を上げられるわけではない。膨大な知識や経験、何よりも研ぎ澄まされた感覚が重要なのは変わらない。
アルマスは片眼鏡をかけ直すと頭の上で両手を組んで、ぐっと背を逸らして身体を伸ばす。
準備は整った。後は錬成をするだけ。
「それじゃ、やっていこうかな」
さあ、錬金術師アルマス・ポルクの腕の見せ所だ。
かまどに火を入れる。
ぱちりと音を立てて、燃えやすい白樺の樹皮に火がつく。
火を熾すとなれば、この街では魔具を使う。黒い石ころみたいな形をした『かまどの種』という名の魔具は、薪と共に使うと長く、そして良く燃える。火で出来た小さな花が幾つも断続的に生まれては消える様子からそう呼ばれるようになった。ただし、『かまどの種』だけでは火力が安定しないので薪と一緒に燃やすのが一般的な使い方だ。それでも薪のみで燃やすよりも圧倒的に薪の消費量は少なくなる。
「そろそろ良い頃合いだ」
樹皮を焦がす程度だった小さな火は次に太い薪へと燃え移り、木の芯をも真っ赤に色づけて燃え上がる。火の粉が吹き上がって宙を舞う。距離が離れた執務室にいるのに火の粉に反応してリーリヤが身体を大きく跳ねさせたのが見えた。アルマスは薪の位置を動かすことで荒ぶる火の勢いを調整する。
「まず一つ目。『水の薄石』から。ボロボロだけど、まぁ、使えるでしょ」
分厚い革の手袋を付けた手でひび割れた魚の鱗を掴むとかまどに放り込む。
火が白濁した鱗を直接炙り、あっという間に赤みを帯びる。
それでもアルマスは鱗の素材を焼きすぎるほどに焼いていく。白かった鱗は熱量に耐えられず、やがて溶け始める。アルマスは素早く鱗を取り出すと今度はそれを用意していた金属製の大鍋に放り込む。
中に入っていた大量の水に反応し、じゅわっと水が弾ける音と共に蒸気が上がり、アルマスの片眼鏡が白く曇る。片眼鏡に付いた水滴を指で大雑把に拭い、アルマスは次の工程に移る。
「よっと」
重い大鍋を持ち上げるとかまどの火にかけて沸騰させる。
焼く。煮る。刻む。叩く。練る。冷やす。絞る。混ぜる。
様々な工程を通して素材に含まれた雑多な因子を取り除き、錬成に必要な因子のみを抽出していく。これを『精練』と言う。錬金術を執り行う前の重要な下処理だ。
額に浮かぶ汗を拭く暇もなく、アルマスは別の素材の精練に取りかかる。
「お次は『日だまり茸』。傷みすぎてて、もはやグロいまであるね。因子的にも普通の素材としてはゴミ同然。けど、今日はむしろこっちの方が好都合」
取れたてなら鮮やかな黄色い傘をしている茸は毒々しい青となっている。アルマスは茸を傘と柄に切り分ける。それぞれ含まれる因子の種類が違うので、部位によって処理も変わってくる。柄は細かく切ってから水にさらしておく。傘は刻まずに力尽くですり潰し、粗い布で漉した物を大鍋に追加した。
錬金術には当然のごとくレシピが存在する。
複雑極まりない因子の反応を観察して理論を一から構築するよりも、決まったレシピ通りの素材をレシピ通りに処理してレシピ通りに錬成をする。これこそが錬金術の正道だ。難易度にもよるが誰もが安定して錬成を成功させることが出来るための道標がレシピである。
しかし、今日のアルマスはレシピを使わない。
正確にはレシピがない。常では使われない劣化した素材。特殊な因子構成を持つ異質な素材。それを扱うレシピなどもとより想定されていない。
故にアルマスが用いるのは邪道。いや、これこそが真の錬金術と言えるのだろう。
持てる知識を使って原理原則である因子の反応を推察し、工程を組み立てて錬成を行う。左目に付けた片眼鏡を通して因子の状態を分析し、正確なタイミングを見分け、適切な処理を即時に判断し、求める因子構成を再現する。それを幾度も繰り返して完成へと漕ぎ着ける。手間も複雑さも難易度もすべてを度外視した技量と才覚の力押しだ。
頭の中で思い描いた工程通りに手を動かし、ときには因子の状況に合わせて作業を修正する。
沸騰する大鍋をかき混ぜると、素材同士がかけ合わさり変化を起こす。異なる因子が大鍋の中でぶつかり合い、一混ぜするごとに錬成反応として微細な光が幾つも弾ける。
大汗をかきながら作業するアルマスは執務室へと続く扉から顔だけを出したリーリヤが興味深そうにしているのに気付く。
「気になる?」
こくりと頷くリーリヤを手招きする。
「こっちに来てもいいよ。ああ。コーヒーはそこに置いてね。その香りは錬成に影響を及ぼすから」
リーリヤは意外なほど素直に近寄ってくる。
アルマスは作業台の付近に置いてある椅子をかまどが見える位置に運ぶとリーリヤに座るようにと促す。
言われたとおりに席に着いたリーリヤは、ラミリエシーの星水が入った瓶を揺すっているアルマスに尋ねてくる。
「何を作ってるの?」
「・・・リーリヤ。君は『始まりの錬金術』がどんなものか知ってる?」
リーリヤの質問には答えず、アルマスは逆に問いを投げかける。
「錬金術ってさ。いろんな種類があるんだよ。現代の主要なものは、結晶錬成、金属錬成、魔法薬調合の3つ。でも、もちろん他にもたくさんある。物質錬成の括りだけでも数えられないほど。革とか、布とかね。あまり使われないけど刻印形式だってある。じゃあ、その中で一番始めに行われた錬金術ってなんだろうね?」
錬金術師が錬金術師と呼ばれる前。
今ほど細分化されておらず、技術も洗練されていなくとも、確かにその起源となるものは存在していた。
「ううん。何かしら?そもそも錬金術とはなんなのかが未だによくわからないのよね」
リーリヤが悩みながら首を捻る。
アルマスは手元に意識を集中し、目まぐるしく変わり続ける因子の遷移に思考を巡らせながらも答える。
「魔法薬だよ」
それは料理とも言う。
錬金術の始まりはなんてことのない日常生活の料理からだとされる。だからこそ、古風な錬金術師ほど最先端の結晶錬成ではなくて魔法薬に重きを置き、敬意を込めて『スープ』と呼称する。
「さすがにどんな効能を持っていたかまで知る術はないけどね」
銀色に輝く火花を激しく吐き出し続ける大鍋からアルマスは大きな木匙で一掬いして掲げてみせる。匙から大鍋へとこぼれ落ちる液体は極光のごとく多彩に揺らめいている。
「つまりね、今しているのは魔法薬調合というわけさ」
見ててもいいけど静かにね、そう言ってアルマスは次の素材に手を伸ばす。
魔法薬の調合はまだ始まったばかりだ。
リーリヤは錬金術をその目で見るのは初めてだった。
見たことのない材料を焼いたり、切ったり、大鍋で煮たり。アルマスの手は止まることがない。端から見ているリーリヤにはアルマスが何をしているのかまったくわからなかった。
そういえば、とトビアスが言っていたことを思い出す。アルマスはこの街で一番の錬金術師なのだとトビアスは語っていた。
アルマスは1つ1つの動きに迷いがなく、流れるように次から次へと作業をこなしていて無駄がない。リーリヤに向けるアルマスの背中は大きくて、自信に満ち溢れているように感じ取れた。
自然とアルマスが1番凄い錬金術師なのだと思えた。
そこに根拠はない。
他の錬金術師なんて誰一人知らない。アルマスのどこがどう凄いのかも説明できない。その上でアルマスが1番だとリーリヤの心の中にすとんと落ちた。
アルマスの作業する様子はとても綺麗だった。アルマスが素材に手を加える度に、魔力の光が飛沫となって宙を舞う。素材と素材が合わさる瞬間に生まれる煌めきは見ていて飽きない。錬金術とはこんなにも美しいものなのかとリーリヤは感心する。
それでも、リーリヤの視線が向かうのは別のところ。椅子の肘掛けにちょっと寄りかかって身体を傾ける。
ついアルマスの横顔を追ってしまっていた。
柔らかな金髪は汗に濡れて額に張り付き、普段の軽々しい笑みは消えて、その目には真剣さが浮かんでいる。
そう、真剣だった。それもリーリヤが見たことがないほどに。
そして、どうしようもなく真剣なのにどこか―――。
「楽しそう」
リーリヤの口からぽつりと漏れる。
静かにしていて、と言われたのを思い出して慌てて口元を手で覆う。なんだか今のアルマスの邪魔はしたくなかった。
「なによ。あんな表情もできるのね」
誰にも聞こえないようにひっそりと独り言を呟く。
真剣なのに楽しそうに見えるアルマスの横顔をリーリヤは眺める。どうにも視線を外すことができなかった。
そのまま思いを馳せるのは昨晩のこと。
アルマスの放った言葉は厳しく、リーリヤの心に容赦なく突き刺さった。辛かったし、苦しかった。なにより自分が情けなかった。心の醜さと弱さを嫌というほど突きつけられた。
そして、最後にはそんなリーリヤにもアルマスは寄り添ってくれると宣言してくれた。
どうしてこんなにもリーリヤを助けてくれるのだろう。昨晩だけではない。森を追い出されてからずっとアルマスはリーリヤのために動き回ってくれている。突き放すようなことだって言われたし、嫌みたらしいところもたくさんあった。しかし、アルマスはリーリヤを見捨てることはしなかった。
どうしてなのか。疑問に思わなかったわけではない。むしろ頭の片隅でずっと考えていた。
アルマスの横顔を見つめつつ、リーリヤは考え込む。
こんなにも親身になってくれるのに、アルマスはリーリヤとの関係性を言葉にしたがらなかった。友達だから助けてくれるならそう言えばいい。でも、アルマスはぐだぐだと言い訳を並べ立ててはぐらかしていた。それはつまり、言えないもしくは言いたくない理由があるということを示す。
じっくりと考えた末に導き出した結論は、人との関わりがまだまだ少ないリーリヤらしい突拍子もないものだった。
まさか、恋っ!?
アルマスはリーリヤに恋をしている。
そんなはずはと思いつつも、そう考えることでリーリヤの中の幾つもの疑問がするすると解けていく。
リーリヤの頬がほんのりと熱を持つ。
リーリヤはまだ愛も恋も知らない。知っているのはそういうものがあるという知識だけ。それもすべて本で仕入れてきた上辺だけの知識だ。現実感を伴った認識はまだ持てず、動揺する感情を持て余すことしか出来ない。
アルマスの錬金術は続いている。その光景は確かに見惚れるほどに綺麗だった。
しかし、リーリヤの瞳はずっとアルマスを映していた。