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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第1章 魔女、街に棲む
23/44

16.夜更かしと語らい1

 ことり、とランタンをテーブルに置く。

 テーブルの上には既にクッキーを初めとした焼き菓子が幾つも広げられている。リーリヤに持たせていた金属製の箱に入っていた中身だ。お偉いさんから貰ったこのお菓子は遠い王都で流行っている有名店の物だという。もちろんお菓子が傷まないように処理は施されている。錬金術で作られた専用の入れ物に、中に封入されていた防腐剤も相まって数ヶ月は作りたての風味をそのまま味わえるらしい。相当な贅沢品なのは言うまでもない。


「あっ、水はどうしよう」


 最近イレネから教わっているという美味しいお茶の入れ方を披露しようとしたリーリヤが空のポットを見て固まっている。ここは遙か高い石塔に設けられたバルコニーなのでおいそれと飲み水を用意することはできないと考えたのだろう。


「あそこのを使いなよ」


 アルマスが指で示したのは空中庭園と化したバルコニーに設けられている噴水だ。穏やかに噴き出す水が受け皿の中で静かにたゆたっている。景観のためだけにわざわざこんな場所に設置されているのではなく、幾つかの役割を兼ねている。例えば花々への水やりもこの噴水の水を利用している。

 ポットは魔具なので水さえ注げば後は勝手にお湯が沸く。


 お湯が沸くまでの間、リーリヤは我慢ができなかったらしくお菓子を摘まんでいた。

 貝殻の形をしたふわふわのマドレーヌ、ドライフルーツがふんだんに練り込まれたパウンドケーキ、甘いクリームと桃の蜜漬けの小さなタルト。アーモンドがたっぷりと練り込まれたダックワーズを口に入れたリーリヤはその軽い食感に目を瞬いている。中々庶民の生活の中ではお目にかかれない手の込んだお菓子がほとんどだ。付き合いでお茶会に誘われることも多いアルマスには見慣れたものであってもリーリヤは見るのも食べるのも初めてな物ばかりのはずだ。


 夜中だというのにどんどんとお菓子を口に運ぶリーリヤはよほどお腹が減っていたと見える。とろんと眦の下がった蕩ける表情を見るに本人は気にしていないのだろうが、躊躇のない深夜の暴食にアルマスの方が心配してしまう。明日になったら後悔していそうだ。


 さすがにお茶の準備が終わる前に箱の中のお菓子を全部食べきってしまうことはなかった。

 鼻をくすぐる華やかな香りのハーブティーをどや顔で淹れて見せたリーリヤからアルマスはなんとも言えない顔でカップを受け取る。アルマスもリーリヤほどではなくても腹を空かせていたのに、リーリヤを眺めているだけで胃もたれがしてきてしまった。


 夕食を取る暇がなかったので気が進まなくても何かしらは腹に詰め込まなくてはとアルマスもクッキーを一つ口に放り込む。予想通りの砂糖たっぷりの甘さを舌で味わいつつ、爽やかなハーブティーで胃へと流し込む。甘い物は苦手じゃないのに今ばかりはそんな気分ではなかった。


 憂鬱さをできる限り隠すために頬杖を突いてカップを揺らす。

 ふと顔を上げるとリーリヤがクッキーを手に取りまじまじと見ていた。クッキーには一口だけかじった跡がある。


「ん。このクッキー・・・」


「美味しいでしょ」


 アルマスが適当に相槌を打つとリーリヤは頷いた上で小さく首を捻っていた。


「昔に作って貰ったものと似ている気がするわ」


「へぇ。君のお師匠にかい?案外と優しいんだね」


「違うわよ。あんたのお母さんによ」


 思わぬ言葉にアルマスは驚いた。

 病弱だった母は調子が良いときにだけ料理やお菓子を作ることがあった。それはリーリヤがアルマスの屋敷にいた頃も同じである。しかし、アルマスには母の味のするクッキーと言われてもどんなものであったか心当たりがなかった。母はそれこそいろんな物を作っていたし、どれもそこまで上手くはなかった。使用人の手を借りてなんとか形になったものばかりだったのだ。


 試しにリーリヤと同じクッキーを囓ってみる。さっぱりとした甘さが口に広がり、独特な香ばしさが鼻を抜ける。砂糖とも蜂蜜とも全然違う甘さ。


「シロカエデのシロップか」


 食べてみてやっと朧気ながら思い出す。母のクッキーはこんなにも完成された味ではなかった。けれども、確かにシロカエデの木の樹液で作られたシロップを良く好んでいた。リーリヤに言われるまでアルマスはそのことをすっかり忘れていた。


「・・・ああ。そういえば君のもともとの食生活は壊滅的だったね。あの森の中でお菓子なんて作っているわけがなかったか」


「一言余計よ。・・・お母さんは元気なの?あの人はとても温かくて優しかった。また会いたいわ」


 リーリヤは懐かしそうにしている。対してアルマスの声は硬かった。


「そうか。そういえば君は知らないんだった」


「え?」


「死んだよ。もう随分と前だ。君がうちにいた頃から1、2年くらい後だったかな」


 お菓子を口元に運んでいたリーリヤの手が止まる。

 あの頃のリーリヤはまだ幼かった。アルマスだって10歳になっていたかどうか。その後は互いの状況を知らせる機会などなかったのだからリーリヤが知っているはずもない。


「そう、だったの。あの、私、知らなくて・・・」


「いいさ、気にしていない。それより、俺の話はいいから君の話だ。話したいことがあるんだろう?」


 アルマスはひらひらと手を振る。

 どのみちそろそろ本題に入るつもりだった。これはいいきっかけだと思うことにする。

 美味しいお菓子にご満悦な状態のリーリヤへと重い話題を投げかけることに気が引けていたのだ。

 束の間の穏やかな空気が変わる。リーリヤも空気の変化に気付いたようだった。


「え、えっと」


 リーリヤは手に持っていたお菓子を置くと、落ち尽きなく視線を左右に巡らせる。そして、ぎこちない様子で語り始めたのは当たり障りのない世間話。それも既にここまでの道すがらで耳にした内容だ。


「その話はもう聞いた」


「そ、そうよね」


 容赦なく話を切り捨てるアルマスにリーリヤはまた動揺している。しばらく口を開けたり、閉じたりしてリーリヤはやっとこさ言葉を紡ぐ。しかし、アルマスの望んだ内容ではなく、ただの泣き言だったが。


「いざ話すってなると、何をどう話したらいいのかわからないんだけど・・・」


「そっか。じゃあ、俺から話そうか」


「へ?」


 できればリーリヤの口から語って欲しかったが仕方がない。アルマスは告げるべき事柄を淡々と伝える。


「まず、コッコラさん家の件だけど」


「コッコラ・・・?」


「・・・わかんないか。『陽気なひまわり亭』って言えばわかる?」


 リーリヤは変わらず要領の得ない様子だった。


「オーケー。君が考えなしということがよく理解できた。いや、そもそも興味がないのかもね。なんにせよ、次からは人に付いていくときは相手の身元くらいはきちんと確認するようにね」


「なんとなくバカにされている気がする。喧嘩なら買うわよ」


 リーリヤはわざとらしく口を尖らせる。アルマスはリーリヤのお巫山戯に付き合うことはせず、彼女にもわかるように言い直した。


「セルマちゃんの家の話だよ」


「っ!?」


「セルマ・コッコラ。大衆食堂『陽気なひまわり亭』の一人娘。ヘレナちゃんの学校の友人で、中等部の3年生。俺もよくヘレナちゃんから話を聞いていたからね、人柄は十分に知っている。端的に言ってとても良い娘だ」


 リーリヤの薄紅色の唇が小刻みに震える。さきほどまで暢気にお菓子を頬張っていた彼女は可哀想なほどに蒼白になっている。


「どうして―――」


 セルマの件を知っているのか、と言いたいのだろうか。

 リーリヤの様子から何が起きたのかは大体の察しが付いていた。だから、心当たりのある場所について知人に調べて貰っただけだ。大騒ぎとなっていたので、簡単に状況を知ることはできた。

 だが、それを親切に教えてあげるつもりはなかった。


「それはこっちのセリフだよ。君こそ、どうしてこんなことをした?・・・と、本当は問い詰めたいところだけど、その前に今回の件の顛末を伝えとくよ」


 アルマスはハーブティーの入ったカップをランタンにかざす。ランタンの中央にはめ込まれたのは暖色の輝きを宿す照明用の結晶だ。炎のように不規則に揺らめく光がカップの水面に映り込んでいる。


「非常に災難なことに『陽気なひまわり亭』は燃えたらしい。全焼とはいかないにせよ、少なくない範囲が焼け落ちたそうだ」


 リーリヤの肩が跳ねる。その顔は俯いており、垂れた前髪に隠れて表情を窺い知ることはできない。


「けれど、幸いなことに死人は出ていない。怪我した人はそれなりにはいる。でも、どれも軽い火傷とかくらいだってさ。今回は対処が早かったのが良かったんだろうね。たまたま腕の立つ花の乙女が近くにいて、荒れ狂うかまどの精霊相手に対応してくれたそうだ」


 死人や重傷者がいないと聞いてリーリヤが顔を上げた。

 きつく唇を噛みしめていたリーリヤは口元を少しだけ緩め、その瞳には安堵の色が見て取れた。

 だから、アルマスは釘を刺すことにした。


「あのさ。ほっとしている場合じゃないよ」


 カップを置いてアルマスはリーリヤに視線を向ける。


「原因は察しが付く。大方、君が精霊にちょっかいをかけたんだろ。そして、制御に失敗した」


 また強く唇を噛みしめ直したリーリヤの頬が赤くなる。自身の浅はかさに対する羞恥、いやどちらかというと魔女としての誇りが傷ついた故の方が大きい気がする。


「あれはあの妖精がおかしいのよ。私のやり方が間違っていたわけじゃ―――」


「君の魔女としての力量をとやかく言いたいわけじゃない」


 アルマスはリーリヤの言い訳を許さなかった。


「原因は紛うことなく君にある。けど、君が魔女であったことが知られていない以上、人々は違う理由を求める。それが何かは想像つく?」


 無言で押し黙るリーリヤにアルマスは待つことなく答えを提示する。


「セルマ・コッコラのせい」


「なっ!?それは違うわ!あの娘のせいじゃないっ」


 リーリヤは声を荒げて否定する。


「根拠はある。セルマちゃんはどうやら花の乙女の真似事をしていたらしい。部屋中に花の刺繍がされた布が多数散らばっているのが見つかってね。本物とは似ても似つかないのに『花飾り(コサージュ)』だって騒ぎ立てた人達がいる。『花飾り』っていうのは花の乙女に必須な道具で、君にもわかりやすく言うと魔女の杖みたいなものかな。もちろんただの布と糸で刺繍したところでどんなに上手く縫っても意味はない。正しい素材を使用し、適切な処理を施してやっと『花飾り』となり得る。だから、セルマちゃんが年相応の少女として華々しい未来を夢想して、健気にも練習していただけの刺繍ものでは精霊にはなんの影響も与えられない。けどね、言いがかりを付けるには十分なきっかけになった」


「そん、な・・・。あの子はただ家族のために一生懸命なだけで・・・。それにああなった本当の原因は・・・」


「そうだ。君だ」


「っ。そうよ、私のせい。だから、私が・・・!」


 両手で机を叩き、身を乗り出すようにリーリヤが立ち上がろうとする。アルマスはその鼻先に棒状のお菓子を突きつけ、今にも飛び出そうとするリーリヤを制す。

 リーリヤは反抗するようにそのロール状のクッキーに齧り付き、行儀悪く噛み砕きながらも椅子に座り直した。


「名乗り出るかい?ダメだよ。それは許されない」


「なんでっ・・・!」


「もう忘れたの?『魔女に関わるすべてを君は公言してはならない』。以前にそう約束をしたはずだ。理由だって告げた。君に関わった人達にひどく迷惑がかかると。その意味を今の君なら少しは理解できているんじゃない?」


「・・・・・・」


 沈黙は肯定と取る。

 リーリヤがこの街に来てから既に1か月は経っている。その半分くらいは部屋に引き籠もっていたが、それでも彼女なりにこの街での魔女の扱いをその目で見てきている。ただの知識ではなく、深層心理、あるいはもっと根深いところに魔女への忌避感が根付いていることくらいは肌で感じているだろう。


「ついでに言えば魔女に関する告白をしても今更セルマちゃんを救うことはできない。君が一時自己満足を得る以外には何も意味を為さないんだ」


 セルマが精霊を前にして花の乙女の真似事をしていたのは事実である。そして、そのこと事態が問題なのだ。


 コッコラ家の精霊に正規の花の乙女が関わっていれば別に良かった。精霊が住み着いていない場合もセルマの行動は特段問題にはならなかった。そうでなくとも騒ぎにさえならなければ、暗黙のうちに見逃されていた程度のこと。

 だが、セルマはなんの資格もなしに花の乙女の領分を犯すような行動をとり、精霊が暴走するという結果が残った。精霊と共生するこの街においては精霊による事故または災害は最も過敏な話題なのだ。


 例えリーリヤが魔女の力を使ったのだと触れ回ったところで既に広まってしまったセルマの悪評は消えない。『リーリヤは魔女である』という別の問題が生まれるだけに過ぎない。


「どのみちセルマちゃんが今回の件の原因であるという周囲の認識はひっくり返すことはできない。それに言い方は悪いけど、この方が君にとっても都合が良いだろ?」


 リーリヤが精霊の前で怪しさたっぷりの行動をしていたであろうことは想像に難くない。そう簡単に魔女と紐付けられることはないにせよ、揉み消せるのであればそうするべきだ。なにせ物語の中で語られるばかりの実感の湧かない魔女の仕業と考えるよりも、自分の能力を勘違いした思春期の子どもが花の乙女の真似なんて無茶をしたという現実感のある話の方を世間は真実だと優先する。人は突飛な真実よりも身近な思い込みを選ぶものなのだ。


「なにその言い方。私はっ・・・!」


「事実だよ。それに言ったろう、顛末を伝えるって。この件で君がどうこう言えることはもう何もないんだよ」


 無論、泥を被る形となったセルマがどう思っているのかは知らない。アルマスは『影響なんてない』と思っているがセルマの作った『花飾り』擬きが精霊に干渉してしまったのだと自責の念に駆られているか、それとも責任を押しつけようとする理不尽な周囲の決めつけに怒りや悲しみを抱いているか。もしかしたら店が燃えてしまった現状では、そんなことを考える余裕すらないかもしれない。


 アルマスは一つ息を吐く。無駄な思考は止めよう。考えても仕方のないことだ。

 それよりも今すべきことはもっと別のことだ。


「さて、ここで話を戻そうか。リーリヤ・メッツァ。改めて問うよ。どうしてこんなことを?」


 なぜ精霊を御そうと思ったのか。

 アルマスがリーリヤにもたらした街の暮らしでは精霊と必要以上に関わることはなかった。だというのにリーリヤは精霊と自ら関わりを持とうとした。そこにはリーリヤなりの理由があるはずだ。アルマスはその真意を確かめなければならない。


「君は既に魔女の術を世間に曝すことの危うさを理解していたのに、なぜ?」


 まだセルマのことで納得ができていないであろうリーリヤはアルマスを睨み付け、それでも不服そうに口を開いた。


「・・・助けを求められたから、それに応えようとしただけよ」


「ほうほう!人助け!それがほんとなら褒められるべきことだね!」


 アルマスは手を叩いて大袈裟に褒め称える。それはもうわざとらしいほどに。


「なによ。おかしい?あの娘には恩があったからそれを返そうと思っただけよ」


 当然、リーリヤはアルマスの態度に苛立ちを見せる。


「いやいや、普通に考えれば良いことだよ。うん。そういえばセルマちゃんは『本の日』に図書館に来てたね。そのときに色々と世話になっていたようだし。それでわざわざ危険を冒してまで魔女の力を使ったってことね。そっかそっか。――――――本当に?」


「っ」


 リーリヤの息が詰まる。

 アルマスはリーリヤを正面から観察する。一流の錬金術師に相応しい鋭さと冷徹さを宿した目にリーリヤが映る。夜闇の中であっても緊張と動揺が走るリーリヤの表情を見逃すはずがなかった。


「嘘は言ってないだろうね。けど、理由はそれだけじゃない。そんなはずがないのだから」


 困っている他人を助けるため、そんな些事でリーリヤが魔女の術を振るうはずがないとアルマスは半ば確信していた。リーリヤの性格がひん曲がっているという意味ではなく、人生のほとんどを魔女として生きてきたリーリヤであるからこその弊害をアルマスはリーリヤ以上に理解している。

 隠し立てはできない。そう判断したリーリヤが観念したように語り出す。


「・・・花の乙女になりたかったの。そのためにも実力を見せなきゃって思って」


 複雑な表情を見せるリーリヤの感情を一言で表すことは難しかった。それでも、その重々しい口調からはリーリヤ自身後ろ暗い気持ちがあったことを認めているように思えた。


「だって、私の年じゃもうなれないって聞いたから。それがこの街でのルールなんでしょ。だから、普通のやり方がダメなら認めざるを得ない実力を見せつけてやろうって」


 そうすれば年齢なんて関係なく花の乙女として迎えられると思った、と。語る声に力はなく、言葉尻はどんどん弱くなっていく。


「花の乙女、ね。わかんないな。なんでそんなに拘る?この街で普通に働いて、普通に暮らせれば別になんだっていいじゃない。最近は雑貨屋の手伝いもやり始めたって言ってたよね。それで十分だと俺は思うけど」


 リーリヤは何か言いたげにアルマスを見てくる。言葉にしなくても察しろと言わんばかりだが、アルマスはあえてリーリヤの言葉を待つ。


「私は、計算が碌にできない。共通語の読み書きも余り上手くないし、子ども向けの本だって満足に読めない。それどころか皆が知っているような常識だって私は知らない。あんた言ってたわよね、『世間知らずで何も出来ないお嬢様』って。その通りよ。街の人達が当たり前に出来ることが今の私にはとても難しい。けど、妖精の扱いなら別。花の乙女は妖精が暴れるのを懲らしめるのが仕事って聞いた。なら、ほら、わざわざ不慣れなことに手を出すよりよっぽど良いでしょ。『合理的』ってやつよね。今回は上手くいかなかったけど、多分この街の妖精に慣れてないせいだと思うの。次は絶対に上手くやってみせるから心配はいらないわ」


 リーリヤの言い分を聞いた上でアルマスは首を横に振った。


「計算も読み書きも、それ以外だって、出来ないことはこれから出来るようになれば良いだけだよ。時間と手間は掛かっても、そんなに難しいことじゃない。この街のルールを破って波風立てて、その上で『魔女』という過去がバレるリスクを背負うこととつり合いがとれるとは思えない。『合理的』と言うならば、君は花の乙女を早々に諦めて少しでも自分の出来ることを増やすべきだ」


 けれど、そうしなかった。

 アルマスが聞きたいのはそんな表面的な話ではない。リーリヤの心の奥に仕舞われている本音が聞きたかった。


「花の乙女に執着する本当の理由はなに?」


 リーリヤは黙っている。口を閉じて語るまいとしている。

 しかし、やがて押し殺し切れなかった想いが声となって漏れ始めた。


「だって・・・。だって・・・!」


 リーリヤは荒く息を吸う。そして、溜めていた不満を吐き出した。


「おかしいじゃない・・・!あの花の乙女とかいう奴ら、はっきり言ってダメダメもいいところなのよっ。魔力の練り方も、妖精の支配の仕方もまるっきりダメ!交感?対話?妖精なんかに頭を下げて言うことを聞いてもらってるのよ?あり得ないわ!私達、魔女の扱う術には、まったく、全然、及ばないの!それなのに我が物顔で妖精と関わって、街の人もそれを受け入れている。魔女のことはあんなに悪く言うのに、それにも劣る花の乙女は女の子の憧れだって!意味わかんない!」


 リーリヤが大声で叫ぶ。

 それこそが、リーリヤがこの街に来てからずっと一人で抱えていた想いだったのだろう。


「ふざけないでよ!なんであんなに笑顔に包まれているの!?」


 魔女はあんなにも憎しみと蔑みを向けられているのに。


「なんであんなに皆から認められてるのよ!」


 魔女は誰からも嫌われていて受け入れてもらえないのに。


魔女()の方がもっと上手く妖精を操れるのに!魔女()の方がもっとすごいことができるのに!」


 リーリヤの心の悲鳴が痛いほど聞こえてきた。


「なんでなの!?ねぇ、何が違うの!?教えてよ!」


 根底にあるのは『気に入らない』という感情なのだろう。

 魔女と花の乙女。人に害をなす妖精を諫め孤独に森を治める魔女は人に疎まれて、精霊と共生する街で人と精霊の仲を調停する花の乙女は感謝を受ける。リーリヤの中では二つは同じもののはずなのにどうしてこうも対極なのかと疑問と怒りが渦巻いているのだろう。


「要するに、君は花の乙女になりたいわけじゃないんだね。ただ、否定したいだけなんだ」


 お前達なんかよりも自分の方が凄いんだぞ、と知らしめて貶めてやりたい。そんな逆恨みにも近しい感情がリーリヤを蝕んでいる。

 醜い性格をしている女だと安易に嘲笑う気にはなれなかった。魔女がこの世界の負の側面を担う一種の犠牲者であると知っているアルマスからしたら呆れよりも憐憫の方が上回る。

 だからこそアルマスはここでリーリヤの間違いを正さなくてはならなかった。


「前提をはき違えているんだよ、君は」


 妖精と精霊について。

 ここまでリーリヤの話を聞いていてずっと気になっていた点だ。いや、アルマスは最初からわかっていたのだ。魔女として育てられ、碌に人と関わりもなく暮らしていたリーリヤが正しく認識できないことはあらかじめ予想していた。


「妖精と精霊は違うものだよ」


「は・・・?なにを、言ってるの・・・?」


 目を瞬かせているリーリヤにアルマスは妖精と精霊の違いの説明を試みる。


「違和感はなかった?この街に住んで1か月も経つんだ。少なからず精霊と接する機会はあったよね」


「それ、は・・・」


 リーリヤが考え込む。その様子からは思い当たることがあるのだと容易に察することが出来た。


「何が違うかと聞かれるとなかなか説明が難しいな。似ているところもたくさんあるし、違うところも然り。けど、そうだね。最も違うのは『精霊は進んで人を害そうとはしない』ってことだ」


 妖精とは人を襲うものである。それこそが彼らの存在意義と言われてもおかしくないほどで、妖精と人が仲良く共存することは絶対にできない。


「無論、絶対に安全なんてことはない。精霊が絡む小さないざこざや事件はそう珍しくもないしね」


 文献によっては本質的に同じだとする説もある。

 本質は同じ、けれど性質が違うのだそうだ。妖精は人に害しかもたらさない。けれど、精霊は人に益をもたらす。だからこそ、人と精霊は共存できる。


「白霞の森にいた頃、君はどうやって妖精と接していた?」


「どうって、こう、歌を歌って。そうすると心がぶわっとなるから、そのときに魔力もごおっと出して―――」


「ちょっと待って。抽象的過ぎてめちゃくちゃわかりづらい。えっと、なに?まず、歌?歌っていうと、ああ、『魔女の歌』ね。あれで感情を昂らせるわけか。それで膨れ上がった感情を元に魔力を練り上げる、ってことでいい?」


 こくんとリーリヤは頷く。


「大体は。あとはがーっと魔力で妖精を支配するの。簡単に言うと妖精の『しつけ』はこんな感じ」


「なるほどね。つまりは力尽くか。そりゃ、妖精が魔女にビビるわけだ」


 アルマスは森で見た妖精達を思い出す。

 あの森の妖精はどれも魔女に怯えていた。鋭い牙と爪を持つ氷の狼の妖精も、暴れ狂う巨木の妖精も魔女の一睨みで大人しく従っていた。

 それにしてもひどく才能と感覚にものを言わせた手段だと思う。魔女が人に疎まれるのもこういう理解のできなさが少なからず影響しているのだろう。


「でも、それ。精霊には通じないよ」


 しかし、ここで重要なのは精霊に魔女の術が大して意味をなさないということ。


「精霊が妖精でないならば、必然魔女もまた精霊を妖精のように扱うことはできないよね。ふむ、例え話をしようか。どう言おうかな。・・・そうだ、人間に置き換えてみようか。そうすると、うん、悪意を持って人を襲う妖精はさながら盗賊だね。粗野で乱暴、他人を殺して奪うことを生業としているひどい奴ね。対する精霊は貴族のお姫様がお似合いだ」


 片方が盗賊で、もう片方は高貴な姫。

 我ながらひどい例えだ。だが、あながち間違いではない。花の乙女でも手を焼くほどに精霊とは気位が高いのだ。


「妖精相手にとても有効な魔女の術をここでは『暴力』と置き換えよう。おっと、例えだから真に受けないでくれよ。あくまで理解しやすい説明をしているだけなんだから。盗賊を抑え込む最も簡単な手法が暴力だとする」


 アルマスは不満げに口を挟もうとするリーリヤを手で制す。


「じゃあ、貴族のお姫様に暴力をちらつかせれば言うことを聞いてくれるだろうか。時には暴力の前に屈することもあるかもね。けど、うんと誇り高い姫が相手なら暴力は悪手だ。いたずらに暴走を引き起こしかねない。では、姫の心を動かす手法とはなにか。礼節を持った丁寧な挨拶は基本中の基本。そして会話や文通をもって何度もやりとりして心を開かせ、ときには我が儘な望みを叶えてやる。そんなところかな。ありていに言うと超手間がかかるめんどくさい手法こそが最も有効になる」


 結局、この例えはリーリヤにとって難解だったらしい。リーリヤは理解出来ているんだか出来ていないんだか曖昧な顔をしている。

 アルマスは一つ息を吐いてから話をまとめることにした。


「つまるところ、妖精には妖精の、精霊には精霊の。それぞれ適した接し方がある。妖精については言わずもがな君達魔女の領分だ。しかし、精霊については花の乙女のやり方こそが正しい。君は花の乙女のやり方が魔女に劣っていると言っていたが、こと精霊についてはその認識こそ間違っている。そして、当然だが君が精霊を制御しようとしても今まで通りのやり方では絶対に上手くいかない。何度繰り返そうとも今日と同じ悲惨な結果に行き着くだろうさ」


 リーリヤは悔しげな様子で視線を下に落としている。

 その瞳は涙ぐみ、それでも雫を零すことを必死に耐えている。それはリーリヤのなけなしの意地なのだろう。

 ここで慰めの言葉の一つでもかけてあげるのが人情だとアルマスだって知っている。

 けれど、アルマスの選んだ言葉は違った。


「そもそもさ、君はなんでそんなにも他人を見下しているわけ?」


 鋭利な言葉と視線がリーリヤの華奢な身体に突き刺さる。

 容赦をするつもりはなかった。

 今宵、アルマスは一人の少女の心をへし折る。

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