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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第1章 魔女、街に棲む
20/44

13.尊厳とはかくも儚いもの

「はぁ・・・?」


 戸惑いを浮かべた男は所在なさげに頭を掻いている。

 30代前半くらいの店主は年齢に見合わず、随分と老け込んでいるように見えた。目元に深く刻まれた濃い隈が余計にそう思わせるのだろう。


「ええっと、大変申し上げづらいんですが。お望みの品はどれも在庫がなくてですね」


 予想通りの回答にアルマスは軽く頷いた。あまり期待はしていなかったので特段気落ちすることもなかった。初めから駄目で元々だったのだ。


「そっか。まぁ、いいよ。きっとそうだろうとは思ってたから」


「はぁ、そうですか。それならいいんですが。やっぱり時期じゃないのが大きいですよ。あと一か月もすれば『草原狐の尾』や『水の薄石』なら少しは入ってくると思いますけど」


 ご存じでしょうが、と店主が付け加えたのは嫌味でもなんでもない。これは多少なりとも錬金術に関わっていれば誰もが知っている常識だからだ。アルマスももちろんそんなことは承知の上で聞いている。


 ここは錬金術の素材を専門にしている店だ。店名は知らない。看板が軒先にぶら下がっているのはさっき見たが、いちいち覚えてはいなかった。普段から利用している店であれば少しばかり冷たい態度と言われるところだが、あいにく懇意にしている店は別にある。はっきり言ってしまえばアルマスがこの店に入ったのは今日が初めてなのだ。


 先ほどから店主が困った顔をし続けているのもそれが理由の一つであった。


「それはそうと、あなた様みたいな有名人がなんでまたこんな寂れた店に?上街にはカッティラ商会があるでしょうに」


「あそこは名家旧家とべったりだからね。俺が何を要望したかなんてすぐ筒抜けになっちゃうし。小うるさいパトロンを持つと大変なんだよ。自由に研究することもままならない。たまには首に付けられた紐から解放されたいこともあるのさ」


 アルマスの言い様に店主はあからさまに愛想笑いを浮かべた。アルマスにとっての軽口でも、彼にとっては軽々しく頷けることではない。カッティラ商会といえば王国でも三本の指に入るほどの大商会だ。この街にあるのが支店に過ぎないとはいえ、下手にアルマスの愚痴に同意でもしようものなら、こんな街角にある小さな商店など簡単に干されかねない。


 付け加えればこの街の名家旧家を敵に回すなんてことももってのほかだ。きっと彼の心中では関わりたくないと思っているに違いない。アルマスとしても余計な詮索は無用なので、その意図は正しく伝わったようでなによりだった。


「あのヘレニウス家相手にそのように言えるのはあなた様くらいだと思いますよ。さすがは『風花かざはな』先生」


「そんなことないでしょ」


 お偉いさんに反骨精神を抱く人なんて結構そこら中にいる。身近にいるのは錬金術師のエドヴァルドことエドの親方とか。あの人と比べればアルマスなんてとても友好的な部類に当てはまるだろう。


 ちなみに『風花』とはアルマスの通り名みたいなものだ。錬金術師もある一定の実力を持つと二つ名を与えられる。人柄や人間性から慕われて自然と周囲に呼ばれる場合もあれば、学術協会から直々に与えられる場合もある。二つ名の成り立ちには様々あるが、一番多いのは得意な錬金術に因んでいるものか。


 アルマスの二つ名はこの街に来た当初に起きた事件―――いや、あえて言い直そう―――とある『やらかし』に絡めて付けられている。可愛らしい響きとは異なり、その意味合いには一種の敬意と隔意が込められていることをアルマスは知っている。こっちの呼び方を使ってくるのはもっぱら錬金術の関係者ばかりだ。


「まっ、今のは冗談だけどね。ただ単にあっちの店にも素材はもうないって言われただけだよ」


 アルマスが肩をすくめて笑う。

 店主はアルマスの食えない態度をどう受け止めたらよいか迷っている。


「・・・か、からかわないでくださいよ」


 彼が絞り出した言葉は実に無難なものである。

 アルマスとしてはそれでよかった。下手に探りを入れられるのは面倒なので回避する腹づもりだった。けれども、この店を教えてくれた人物の手前、ここの店主を脅かしたままにするわけにもいかなかった。有耶無耶になった現状はアルマスの思惑通りである。


 アルマスが黙っていると店主の方から会話を続けてきた。おそらく沈黙を嫌ってのことだろう。


「それであればですけど・・・、いや、私が言うのも変な話ですが、例のお嬢様に頼まれるというのはどうなんです?」


 アルマスは特に考え込むこともなかった。これくらいなら別に答えてもいい。


「ううん。物によってはそれでもいいんだけどね。金にものを言わせて手に入れても使えなきゃ意味がない。なんて言ったらいいのかな、素人目じゃ判断は難しいというか。見映えがいくら良くてもなんでもいいわけではないからさ」


 錬金術の材料の善し悪しは目で見える情報だけでわかるものではない。これは実際に錬金術をある程度修めた者でなければ理解が難しい考え方になる。簡単な錬成であれば例え素材の質が低かろうともなまじ成功してしまうからこそ、この認識がそこまで広まっていないのが辛いところだ。複雑な錬金術を探求して初めて重要だと実感できるのだ。


 これで伝わるかなと思って店主を見れば彼は思い当たることがあるのか頷いていた。


「ああ・・・。高位の錬金術師の人は揃ってそう言われますね。やはり見た目や状態だけではなく、内包されている因子の影響が大きいとか」


「そうそう。結局のところ錬金術は因子の分解・合成によるものだから。特に最近の結晶錬成法の分野についてはより顕著だ。素材の品種が同じでも地域差もあれば個体差だってある。だから、できれば自分の目で見て判断したいんだよね」


 因子。もっと詳しく言うと生物や物質に含まれる魔力を構成する要素の通称である。因子の組み合わせ次第によって魔力の質や形はいかようにも変化する。それこそ一つの素材に内包される因子の数や種類は、同じ素材であっても傾向こそあれどまったく同じ因子構成にはならない。


 錬金術とは究極的には素材に含まれる因子を組み合わせて新たな効能を持つ物質を作り出すことなのだ。


「そういうことであればお力にはなれそうにありません」


「だね」


 アルマスは店主に同意する。

 素材の在庫がない以上はどうしようもない。

 アルマスが潔く諦めて店を出て行こうとすると店主がそれを引き留めた。


「少し待っていただけますか。せめてこの近辺の同業者がわかるメモを持ってきます。うちにはなくてもまだ残っているとこもあるかもしれない。せっかくご紹介いただいたのでそれくらいはさせてください」


「それは助かる。ありがたく貰おうかな」


 店主は頷くと店の奥に引っ込んでいった。

 アルマスは待っている間、店に置かれた他の素材を適当に物色しようとする。どれがどんな魔具の生成に用いられるか軽く錬成の行程を組み立てようとして止めた。それに連想して頭が痛くなる問題事を思い出してしまったからだ。


「やっぱりあれは痛かったよなぁ」


 かの古き土地の一つに数えられる『白霞の森』に出向いてからというもの、アルマスは手持ちの魔具をほとんど失っていた。


 魔女の儀式に参加するために用意した魔具は多岐に渡る。一歩間違えれば簡単に命を失うような危険な場所に踏み込むのだ。準備を念入りに行ったのは言うまでもない。それこそ持ちうる技術と資金を駆使した逸品の数々を持ち込んだ。


 げに恐ろしきは『魔境』だ。

 あの空間は魔具が使用できないだけではなく、その内部構成までも変質させていた。つまりは大量の魔具はそのすべてががらくた同然になっていたのだ。中には最高品質と呼ばれる類の物もあったというのに。その損失は計り知れない。ちょっとした豪商程度なら冗談ではなく破産しかねない損害だ。


 それに加えてフルクートの街に戻ってからも身につけている魔具の一部に不具合が見られていた。これについては思い当たる節がある。しかし、これもまた作り直さなければならないと考えるとどうにも気が重かった。


 こうしてわざわざ素材を集めて回っているのもこれらが原因だ。なのに必要な素材は一向に揃えられる気配がない。


 夏至祭までにはどうにか解決しているかとアルマスは楽観的に構えることにする。実際にはもう1か月もないので厳しい現実が転がっているのだが、アルマスは見ない振りをすることに決め込んだ。どうせなるようにしかならないのだ。


 戻ってきた店主からメモを受け取ったアルマスは日射しが強まってきた初夏の空の下へと足を踏み出した。






 ぽたぽたと滴り落ちた汗が石組みの地面に染みを作る。

 照りつける太陽の光は容赦なくリーリヤに降り注ぐ。絶えず額に汗が滲み、俯いた顔の鼻先を伝って落下する。


 リーリヤは両腕できつく身体を抱きしめる。暑いはずなのに背筋がゾクゾクするのが止まらない。苦しくてたまらず身体が震えた。進めば進むほど足取りは重くなり、あり得ないのに底なし沼にでも入り込んでしまったのかと錯覚する。


 ここはどこだろう。

 やたら人のいない路地や入り組んだ狭い小路を通った記憶はある。

 この街で迷子になるのも2回目だなと冷静に俯瞰している自分がいる。そんな余裕は疾うに消え去っていると思っていたから自分のことなのに不思議に感じた。


 また一歩鈍重に足を進める。

 煤塗れの汚れた姿をしているせいか遠巻きに奇異の視線を向けられているのがわかる。いつものリーリヤなら視線を嫌って人気の無い方へと道を逸れたかもしれない。そうしないのは単純に相手にしていられないからだ。


 耐え難い衝動が体を駆け巡り、思わず足が止まる。

 リーリヤのあまりの挙動不審ぶりに様子見をしていた人から恐る恐るといった風に心配の声がかけられるが、リーリヤは抑え込むのに必死で反応することができない。気付けばリーリヤはしゃがみ込んでいた。


 誰かが近づいてくる気配がする。しかし、今は誰にも触れて欲しくなかった。リーリヤは持てる気力を振り絞って拒絶の意思を込めて睨み付ける。

 近づく足音は止まると戸惑いとともに今度は遠ざかっていく。そのことに安堵して気が緩んだところに再度激しい苦痛の波が訪れてリーリヤは悲鳴を押し殺す。寄せては返すの繰り返しは段々と強まっている。もう時間の猶予はなかった。


「なんでよ・・・。なんなのよ、もう・・・」


 弱音が溢れ、涙が滲む。

 誰でもいいから助けてと叫びたかった。それなのに頭に浮かぶのはどうしてかあの金髪軽薄男だけ。


「アルくんの、ばか」


 なんで本当にいて欲しいときにいてくれないのか。リーリヤがこんなにも助けを求めているというのに。自分勝手な想いが言葉となって漏れ出す。思考がぐちゃぐちゃになって、つい子どもの頃の呼び名を使ってしまう。


 だが、理不尽な怒りも長続きはしない。あっという間に切迫感に塗り潰されて、顔を青くしたリーリヤは歯を食いしばりながら耐えるしかなかった。

 恥も外聞も投げ捨ててリーリヤはみっともなく地面に蹲る。

 魔女の誇りなんてもうどうでもよかった。いや、どうでも良くはないがとにかく今はどうでもいい。


 このどうしようもない状況で悔やむことはたった一つだけ。

 リーリヤは心の中で盛大に自分を罵倒する。

 ああ!なんでさっきあんなにたくさんのお茶を飲んでしまったの!






 空が明るい。

 アルマスはなんとなしに空を見上げてそう思った。

 午後の2回目の鐘が鳴り、仕事を終えた人々が帰り支度を始める時刻になったが、空に浮かぶ太陽は沈む気配がない。


 初夏を迎えたこの時期の特徴である。特に夏至に近づくにつれて日が出ている時間は長くなる。このフルクートの街が属するマルフヤナ王国や周辺諸国をまとめて北の大地ベーネと呼ぶが、その名のとおり地図上においても大陸の北部に位置する。それが意味するのは、季節による日照時間の変動の激しさだ。夏は日中が長く、冬は極端に短い。


 実を言うとアルマスはこの感覚がまだ慣れなかったりする。これも学術都市暮らしの弊害だろう。あそこは学問探究のためであれば気温や天候といった環境さえも管理しようとする。もちろん日照時間も例外ではなかった。厳密に説明するならば本当に太陽の動きに干渉するのではないのだが、あそこはこの街よりも遙か北方にあるというのに昼と夜の変動がずっと穏やかだ。

 自然に手を加えようとするなど常軌を逸した連中だとつくづく思う。


 そんなわけで疲労感のわりには青々とした空に違和感を覚えていたところである。しかし、残念ながら充実した心地よい疲れなんてものではなく、アルマスの今日一日の奮闘は徒労に終わったのだから笑えない。

 アルマスは手提げ袋に入った戦利品を見下ろす。


「ほんと世知辛いなぁ」


 口調に苦みだって混じろうもの。

 袋の中にはたった数個の材料しか入っていない。どれも傷みが進んでいて質としては下の下もいいところ。茸なんて空のように真っ青な色に黒い斑点が滲んでより毒々しい。無いよりもマシかと思って貰ってきたが、本当に使い物になるかは甚だ怪しかった。


 どこもかしこも素材の在庫はないの一点張りで交渉の余地などまるでない。悲しいことに親身に相談に乗ってくれる店はほとんどなかった。

 それも仕方がない話だと理解はしている。


 そもそもが1年前にこの街に来たばかりの余所者のアルマスである。しかも自分で言うのもなんだがぽっと出なのに腕はとんでもなく良いときた。この街に古くから根ざした錬金術師連中が面白く思わないのは必然だ。


 となれば彼らとやりとりのある素材売りの商人だってアルマスに特別な便宜を図るわけにはいかなくなる。そんなことすればこの街の錬金術師達の気分を損ねるのは明かだ。偶々店に顔を出しただけのアルマスよりも普段から付き合いのある方を優先するのもまた当然である。


 それにしたって限度はある、と茸を手で弄びながらアルマスは落胆する。街の住民とはそれなりに上手くやってきたつもりだが、どうも同業者との関係は改善する見込みがない。特に一部の連中からは蛇蝎のごとく嫌われている。時間をかけて確執を解消することに大したメリットがないとこの問題を放置していたアルマスのせいでもある。


 その結果がこの始末だ。素材が一般的に流通する時期とずれていることが一番の理由であっても、同業者の妬みや嫉みがそれに拍車をかけているのは言うまでもなかった。


「しょうがないからエドの親方にでも頼んでみるかな」


 あの工房であればアルマスに素材を回してくれるはずだ。まずアルマスへの敵愾心がないし、素材を雑に扱わず適性に保管していると信頼もできる。親方の気難しさを除けば、数少ないアルマスと良好な関係を築いている錬金術工房だ。


 やはり扱っている錬金術の分野が違う点も大きいのかもしれない。あちらは金属錬成の大家であるのに対し、アルマスは基本的に結晶錬成を専攻している。昨今の主流は明らかに結晶錬成ではあっても、金属錬成や魔法薬調合も根強い需要がある。この3つの分野を併せて現代錬金術と呼ぶ。


 エドヴァルドの工房を一番に頼らなかったのは迷惑をかけたくなかったからだ。アルマスに素材を融通することで少なからずアルマスに反感を持つ連中の矛先がエドヴァルドの工房に向くことになる。難癖を付けられることもきっとあるだろう。

 そんなことは気にしない、とでも言いそうな親方ではあるが。


 あとは用いる素材の方向性がかなり違うのも理由の一つだった。本音を言えばこっちの比重の方が大きい。金属錬成で毒々しい色の茸を使うことはまずない。因子的に入り用であってももっと利用しやすい別の素材を選ぶのが普通だ。

 逆に言えばアルマスが求める品がなかったとしても代用品になり得る素材はきっとある。作業時間と行程が増加するのが難点だが、そこは目を瞑ろう。


「忙しいのに手間をかけさせるのは気が引けるんだけどね」


 懸念点ではないものの心苦しくは思う。

 今の時期はどこの工房も夏至祭の準備のために慌ただしく駆け回っている。夏至祭は他の祭事とは力の入りようが違う。それはフルクートの街に限った話ではない。長く辛い冬に堪え忍ぶ代わりに短い夏の恵みを謳歌する。これも北国故の特徴だ。


 そのため、本来なら多忙もいいところで暇なんてことはあり得ない。

 アルマス同様にエドの工房も学術協会経由で街の参事会から仕事を割り振られているはずだ。それもアルマス一人しかいない工房とは違い、幾人もの錬金術師を抱える歴史ある工房となればその責任も仕事量も多大なものとなる。


「まぁ、親方に直接頼めばいいか。あの人は多分手持ち無沙汰だろうし」


 アルマスはしたり顔で一人頷く。

 そんな工房の親方であるエドヴァルドも膨大な作業に忙殺されて然るべきである。

 しかし、あそこはそこらの工房とは少し異なる事情がある。アルマスからすれば面倒なしがらみにしか思えない。けれども古くから連綿と続く由緒ある工房の主として、その名に相応しい果たすべき役割があるのだ。


 エドヴァルドが当日に行う広場での公開錬成もその一つ。近辺の街々の重役を招待した上で大々的に披露する。街同士における一種の権力誇示に他ならない。うちにはこんなにも優秀な錬金術師がいるんだぞと対外的に示すのだ。


 それ故に部下達も親方には何もやらせようとはしないはず。万が一にも失敗するわけにもいかないので、エドヴァルドも念入りな調整が必要なのだ。錬金術には素材の質も理論の構築も、加えて精緻な技術も重要だ。その上で意外なことに精神面も外せない要因なのである。


 簡単に言うとその日の調子の良し悪しで結果が大きく変わったりするのも錬金術の世界では良くあることだ。目には見えない因子を扱うがための不確定要素なのだとアルマスは考えている。


 そういうわけでエドヴァルドは祭りの準備から外されているので十分アルマスの野暮用に付き合う時間がある。祭りまでずっと根を詰めているわけでもなし、エドヴァルドにはアルマスの素材集めに協力して貰うことにしよう。


「ついでに話し相手にでもなってあげるとしよう。どうせ部下達にも邪険にされているだろうからね」


 街の人達は仕事を終えたとしても錬金術の工房の火はまだまだ消えない。もっと日が落ちるまで錬成に励んでいることだろう。

 街の人々もこの時間に走り回る人を見ればまず錬金術師の関係者だと判断するくらいだ。あっちに行ったりこっちに行ったり、工房に籠って錬成するだけが錬金術師の仕事ではないので大変だ。工房によっては相互に干渉が起きないように錬成のタイミングをずらしたりするので話し合いやすり合わせだって山ほどある。この光景はもはや夏至祭を迎えるまでの街の風物詩である。


 因みにアルマスが彼ら同様に仕事をしていないのはさぼっているからではない。素材不足で錬成したくてもできないのだ。物がなければ錬成などしようがない。おかげで学術協会から指定されたノルマの進捗はほぼゼロである。


 祭りに大した思い入れもないアルマスであっても『まずいかも』と頭の片隅に過ぎる程度には状況が悪かったりする。最悪、自分の手で素材採取なんて事態になりかねない。


「いくらなんでもそんなのやってられないからなぁ。ある程度は親方のとこで目処が立つと嬉しいね。おや?これはちょうどいいところに」


 エドヴァルドの工房に向かおうとしていたアルマスの前方に見慣れた茶色い髪が見えた。軽快な走りにあわせて短い髪をひょこひょこ跳ねさせているのはエドヴァルドの工房に所属する錬金術師のマイラだった。

 アルマスは手を上げて彼女を呼び止めようとした。


「マイラさーん。ちょっといいでーーー」


「いたー!!」


 アルマスの呼びかけに重ねるようにマイラは叫ぶ。

 その指先はアルマスの方を向いている。

 どうやらマイラもアルマスに用事がありそうだった。


「アルマス君、こっち来て!」


 走る勢いそのままに近寄って来たマイラはアルマスの腕を引っ掴む。そして、そのまま今来たばかりの方向に戻ろうとする。


「いったいどうしたんです?エドの親方の工房はあっちですけど」


「知ってるよ!じゃなくて、そんなことはいいから早く!」


 アルマスの冗談はマイラに一蹴される。

 彼女の表情は切羽詰まっている。これは巫山戯ている場合ではなさそうだった。

 アルマスは諦めてマイラに引っ張られるままに走り出した。






 アルマスがマイラに連れて来られた先は職人街区にある一つの小広場だった。

 そこにはちょっとした人だかりができている。住宅街が近いこともあって親子連れも多い。誰もが遠巻きに何かを見ていた。

 ざわめく人々の隙間からその何かを確認したアルマスは思わず首を傾げた。


「何やってんの、彼女」


 そこには一人の少女がいた。知っている顔である。リーリヤだ。

 地面にへたり込む彼女の姿は悲惨の一言である。おめかししていたであろう服は煤っぽく汚れ、髪も艶を失いいつもよりくすんで見える。あれだけ綺麗だった亜麻色の髪が見る影もない。顔色もなんだか悪そうだった。

 姿格好だけ見るなら焼け落ちる屋敷からなんとか這い出してきた悲劇の令嬢といった様子だ。


 それだけなら周囲の人達も距離を置くことはしないだろう。どうかしたのかと手助けをしようとする親切な心を持っている人も案外いるものだ。そうなっていないのは彼女の態度が原因なのは間違いない。


 リーリヤは石畳に座り込みながらも近づこうとする人に向けてとにかくガンを飛ばしている。

 なによりその眼力は凄まじい。あんな血走った目で睨まれれば、小さな子どもなら堪らず泣き出す。実際アルマスの隣で幼子が母親に縋り付いて涙ぐんでいる。


「ふむ」


 アルマスは顎に手を当てる。

 この状況がちょっと本気で理解できなかった。

 リーリヤの汚れた格好には察しが付く。これは()()()()()()だ。彼女が何をして、どういう結末になったのかは細かい事情を聞かなくても大凡は理解できた。いずれこうなることは初めからわかっていた。むしろ、そうなるようにアルマス自身が仕向けていた節もある。だから、これはいい。


 アルマスの思惑通りに事が進んでいたのであれば、人見知りするリーリヤの性格上またぞろ部屋に引き籠もるか、人気のない場所でひっそりと膝を抱えることになると思っていた。


 けれど、実際にはアルマスの目の前で彼女は広場のど真ん中を陣取っている。近寄る人を遠ざけながらも頑なにその場を動こうとしない。これがわからない。大勢の見知らぬ人に囲まれるなんて苦手にしているだろうに。


 アルマスがリーリヤの不可解な行動を考察しているとマイラに肩を叩かれた。


「なにぼうっとしてるの!早く側に行ってあげてっ」


「それは別にいいんですけど。あれ?マイラさんは俺とあの娘が知り合いだって知ってましたっけ?」


 ふと思い返してみると変な話だ。マイラはアルマスとリーリヤの関係を知らないはずだ。それなのにマイラはなぜアルマスをこの場に連れてきたのだろう。


「だって、彼女、ずっと君のこと呼んでるでしょ」


 答えは非常に単純だった。

 よくよく観察すればリーリヤの口元は小刻みに動いている。マイラの言うとおりにどうやら何事かをぶつぶつと呟いているようだ。アルマスもリーリヤの呟きに意識を集中してみる。


「アルマス・ポルク、アルマス・ポルク、アルマス・ポルク、アルマス・ポルク―――」


「うわぁ」


 世話焼きのマイラが直接声をかけるのではなく、わざわざアルマスを呼ぼうとした理由がわかる。何も事情を知らない人であってもこんなのを耳にすれば、まずアルマスを呼ぼうと考える。呼ばれる方は堪ったものではないが。


「何で何で?何で来ないの、アルマス・ポルク。ねぇ、なんでなの・・・?ふざけないでよっ。もう、ほんとに、ふざけないでよ・・・!」


 しかも、なんだかリーリヤは一人で勝手に盛り上がっている。

 人混みに紛れるアルマスに気付いているわけでもないのに、リーリヤの呟きには段々と恨み言が混ざり始めた。


 そこにただならぬ怒りが籠っていると感じるのはアルマスの勘違いだろうか。いや、勘違いであって欲しい。彼女に対して恨まれるほどひどいことをした覚えはそんなにない。細やかなからかいや馴れ馴れしい物言いはしていても、お茶目なコミュニケーションの範疇に収まっていたと思う。まさかそれが原因なわけではないはず。こんなにも重々しい感情をぶつけられる謂れに覚えがなかった。


「ほらほら。行った、行った」


 しびれを切らしたマイラがアルマスの背中をぐいぐいと押してくる。


「なんか近づきたくなくなってきた。そうだ、マイラさんが前歩いてくださいよ」


 せめてもの抵抗でマイラに先に行くよう頼んでみたが、彼女は首を横に振る。


「私は行かないから。アルマス君が一人で行くんだよ」


「え?それまたなんで?」


 困っている人を見かけたらとにかく声をかけるくらいにはお人好しのマイラにしては意外だった。マイラは気まずそうに眉を下げている。


「うんとね。あの子、『誰も近寄るな』って雰囲気が凄いでしょ。だから、そうした方がいい気がして」


「なんですか、それ。って、ちょっと押さないでくださいってば」


 要領の得ないマイラの言い分にアルマスは呆れた目を向ける。それが気に入らなかったのか、マイラはむっとして背中を押す力を強めてきた。

 そんな文字通りの押し問答をしているとリーリヤの様子に変化があった。


「ひんっ。あるますぅ。助けてぇ」


「あっ。泣きが入った」


 リーリヤの据わっていた瞳から涙が零れ落ちそうになっている。ギリギリのところで涙を堪えているリーリヤは見窄らしい格好も相まって余計に悲壮感に溢れている。

 マイラが非難がましくアルマスを見ていた。


「仕方ないなぁ」


 流石に可哀想になった。アルマスは頭を掻きながら群衆の間に割って入る。

 リーリヤの待ち人だと思ったのか周りを囲んでいた人達は意外とすんなりと通してくれた。

 人混みから抜け出してぽっかりと開けた空間に入り込んだ途端、ひりつく感覚が襲いかかる。


 気にせず歩を進めながらアルマスは得心する。マイラが言っていた意味がわかった。これはリーリヤが無意識のうちに発している魔力的な威嚇だ。マイラを含めた広場に集まった人達がリーリヤを気にかけながらも近づかないのはこれが理由だった。本能的にリーリヤに接近することを恐れたのだ。


「お呼びのアルマスさんが来ましたよ。で、どしたの?」


 リーリヤの目の前に辿り着いたアルマスはしゃがみ込んでリーリヤと目線を合わせた。リーリヤは息を荒げており、青灰の瞳は心あらずといったように虚ろになっている。

 軽く声を掛けるとリーリヤは緩慢な動きで顔を上げた。ゆっくりと時間をかけて焦点をあわせ、やっとのことでアルマスを認識したようだった。

 その様子にアルマスはいつもの軽々しさを引っ込めた。


「本当にどうしたのさ」


 アルマスを見たリーリヤは救いを得たように頬を綻ばせたと思ったら、すぐさま苦しみに耐えるみたいに顔を歪ませた。あれだけ執念染みた雰囲気を纏って呼んでいたアルマスが正面に来てもリーリヤは顔色を青白くさせるだけで言葉が出てこないようだ。

 地面に座り込んでいるだけなのにやたら息切れをしているリーリヤは少しの間をおいてから小さく声を絞り出した。


「みみ、こっちに」


 辿々しい口調で顔をリーリヤに寄せるように言われる。この状況で内緒話とは、よっぽどのことらしい。

 わかりづらいが煤で黒く滲んだ頬には赤みがさしている。


「はやく・・・!」


「はいはい」


 急かされたアルマスがリーリヤに身体を寄せる。直ぐ側に来ると涙でぐちゃぐちゃになった顔がよく見えた。それでも綺麗だと思うのは元々の顔立ちが良いからなのか。


 言われたとおりに耳をリーリヤの口元に近づけると彼女の温かい呼気がアルマスの頬にあたってむず痒かった。この距離だと息づかいだけでなく、ほんのりと体温も感じる。しかし、それらを軽く吹っ飛ばすほどの凄まじい焦げ臭さが漂っているおかげであまり意識を向けずに済んだ。


「も、もれ、そう」


「うん?」


 アルマスは耳を疑った。まさかこの距離で聞き間違いをするとは思わなかった。

 反応の鈍いアルマスに対し、今度はより明確にはっきりとリーリヤは告げる。リーリヤの名誉のために付け加えさせて貰うと、それはもうやけくそな声色だった。


「おしっこが漏れそうなの・・・!」


「なんだって?」


 何を言ってるんだろうか、この娘は。

 アルマスは真顔でリーリヤを見つめてしまった。

 リーリヤは熟れた苺のように顔を真っ赤にさせ、その次の瞬間には青白くさせるという器用なことを繰り返している。冗談を言ってるようには到底見えなかった。


「まじか」


 この街中でそんな問題を抱えているなど誰が想像できようか。

 こんな広場のど真ん中で蹲ってないでさっさとどこかのトイレに駆け込めばいいだけなのに。

 そこまで考えてからアルマスは思い直す。それができないほどの人見知りで、無駄な虚栄心だけは持っていて、弱音を見せられない意地っ張りがリーリヤなのだ。

 どんだけだよ、とアルマスは思うが口には出さない。心の繊細さは人それぞれだから仕方がない。


「言いたいことはあるけど後にしよう。とにかく近くの公共トイレに、いや、誰かの家のを借りた方が早いか。さぁ、立って」


 アルマス自身も立ち上がろうとしてできなかった。リーリヤがアルマスの服の裾をがっちり握りしめていた。


「むり・・・」


「え?」


 何がとは聞く暇がなかった。

 リーリヤの目がぐるぐると回っている。嫌な予感がアルマスを襲う。


「あぁ、もう、むりぃ」


「ちょいちょいちょい!待って待って待って!」


 すべてを諦めた絶望の声を漏らすリーリヤを全力で制止し、アルマスは急いで周りに視線を巡らす。ある物を見つけるとリーリヤを両手で抱き上げる。アルマスの服にも黒い煤が付くがそんなことはお構いなしだ。

 もうこれしかなかった。

 アルマスは見守る人々を押しのけて広場に設けられた噴水へ走り込む。そして、リーリヤを横抱きにしたまま、勢いよく水の中に飛び込んだ。


「あふぁ」


 盛大な水飛沫を浴びる中、恍惚とした表情を浮かべるリーリヤを見てアルマスはひとまずの危機が去ったことを悟る。

 からくも彼女の尊厳は保たれたようだった。いや、保たれているのだろうか、これは。


 アルマスは静かに首を横に振る。

 ダメだ。深く考えてはいけない。ここはリーリヤの痴態が衆目に曝されなくてよかったと思っておこう。もちろん、揺蕩う水の中に滲んでは消えてゆく色の付いた液体からもそっと視線を逸らした。


 それよりも考えるべきことがある。

 こちらに駆け寄ってくるマイラを見ながらアルマスは思考を回すことに注力する。

 暑さに一時的に参っていただけ、なんて言い訳は通用しないだろうなとアルマスは心の内でぼやいた。

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