表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第1章 魔女、街に棲む
15/44

8.魅力的なお誘い

 店内は静かなものだった。今日は店も開けていないので客は誰もいない。

 壁際に所狭しと設置された棚にはたくさんの商品が並んでいる。改めて見回すと雑貨屋とは興味深い店だとリーリヤは思う。置かれた品々には統一性がなく、瓶詰めされた保存食やワインといった飲食物から肩下げバッグやコップといった小物、野菜や花の種に加えて机や椅子といった家具まである。この中にはアルマスが作ったという魔具もあるのだろう。


 しかも雑多に置かれた商品は種類が多すぎて何処に何があるのか判然としない。初めて来た客はきっと少しの困惑とともに未知の物を探し当てる些細な喜びに心が躍るに違いない。


 そんな多くの棚と品物に囲まれた空間にヘレナはいた。かちゃかちゃと瓶同士が擦り合う甲高い音だけが店内に響いている。


 トビアスやイレネの代わりにヘレナの考えを聞くこと。

 勢いで引き受けたはいいもののどう話しかけるべきか。無言でジャムを棚に配置するヘレナを観察しつつリーリヤは逡巡する。よくよく考えればリーリヤはヘレナとまともな会話が成立したことがない。どう話しかけたところで無視されるのが落ちな気もする。


 悩んだ末にリーリヤは考えるのを止めた。ヘレナと一緒に作業をしつつ話せれば話す。トビアスに手渡されたジャム瓶の入った木箱はそのための物だ。

 無視されたらそのときはもうしょうがない。作業場への通用口で心配そうに覗き見をしているイレネとトビアスには悪いがダメでもともとなのだ。


「あ~、その・・・。手伝う、わよ」


 ヘレナがいたのは店の入り口正面、入ってきた客が一番に目に付く場所にジャム瓶を並べていた。

 声をかけたリーリヤにヘレナはちらりと目線だけを寄越す。そして、何も言わずに作業に戻った。まるで見知らぬ他人がたまたま側に近寄ってきたとでも言いたげだ。

 予想通りの反応である。ヘレナはとことんリーリヤの存在を認めたくないようだ。


 これはもうどうしようもない。

 リーリヤは早々に諦めた。百歩譲ってリーリヤがこの生意気な少女に歩み寄ってやったとしても、相手にその気がないのでは意味がない。人間関係の経験が少ないリーリヤには既に手詰まりだ。


 リーリヤはヘレナと付かず離れずの微妙な距離を保ったまま黙ってジャムの瓶を棚の上に置いていく。

 ジャムの種類はまったく同じ物なのにリーリヤもヘレナも互いに好き勝手にジャムを並べていくせいで見た目にまとまりがない。こういうところを見ても気が合わないということがよくわかる。


 持ってきた木箱が空になったらさっさと退散しよう。リーリヤがそんなことを考えていたとき、ヘレナがリーリヤの置いた瓶の列を見ているのに気付いた。


「下手くそですね」


 小声で、それでもしっかりとリーリヤの耳に届くようにヘレナは呟いた。ついでに鼻まで鳴らしている。


 ぴくりと自分の眉が跳ねたのがわかる。

 我慢だ。リーリヤは言い返したくなるのをぐっと堪える。喧嘩をするためにわざわざこんなことをしているのではないのだ。

 逆に考えよう。あのだんまりだったヘレナが自分からリーリヤに話しかけているのだ。これは会話の切っ掛けになるのでないか。


 よく見ればヘレナが並べたジャム瓶はラベルの向きが揃えられ、傍目にも整頓されている。なにも考えずに並べていたリーリヤよりも客の目線に立っている証拠だ。ここは褒めて年上の余裕を見せてやろう。


「さすが手慣れて―――」


「いい歳して陳列すらまともにできないなんて恥ずかしくないんですか」


 せっかく褒めようとしたリーリヤの言葉に被せるようにヘレナから追撃が入る。もう隠す気もないのか小声ですらない。


 リーリヤの口元が勝手にひくつく。リーリヤは両手で口の端を揉むように抑え込んだ。

 生意気な子どもの戯れ言くらい聞き流さなければ。そうだ、これくらいなんてことない。気にすることなんてまったくないのだ。内心荒れまくりのリーリヤは自分に何度も言い聞かせる。


 リーリヤが自身の心と葛藤している間にヘレナは持ってきた木箱の中のジャム瓶が空になったようで立ち上がった。

 リーリヤはヘレナが別の木箱を取りに行くのだと思った。作業場にはまだまだたくさんの木箱が積み上がっているし、目の前の棚だって全部が埋まっているわけではない。しかし、ヘレナは脇に置いてあった自分の鞄を手に取るとリーリヤに告げた。


「居候さんがいるんだから、わたしはもういいですよね」


「は・・・?」


 それだけ告げて外に出て行こうとするヘレナ。

 リーリヤは理解するのに一呼吸の間が必要だった。それはつまりヘレナは自分の仕事を放棄して、あの大量のジャム瓶を片付けるのをリーリヤにやらせようとしているのだ。

 いくらなんでもそれはない。リーリヤはヘレナの腕を慌てて掴んで引き留める。


「ちょっと待ちなさいっ」


 ヘレナは嫌そうに振り返る。ヘレナの腕を掴んだリーリヤの手を見てひどく冷たい声を発した。


「放してください」


 そう言われて放すわけがない。このままヘレナを行かせるわけにはいかなかった。

 リーリヤ達の険悪な雰囲気を察して遠くで見守っていたトビアス達が慌てる気配が伝わってくる。だが、そんなことを気にしている暇はない。


「あんた、私に全部押しつける気?」


 なんで手伝いに来てあげたリーリヤがヘレナの仕事を押しつけられなければならないのか。しれっと自然にやらせようとするなんて性格が悪いにもほどがある。


「他人の家に居候しているんだからそれくらいしたらどうですか」


「それを言うならこの家の子どもなんだからあんたがするべきでしょ」


 リーリヤとヘレナは睨み合う。

 だいたいリーリヤも我慢の限界だった。リーリヤはあの広大にして峻酷なヴェルナの森を治める偉大な魔女になるべき立場だった。こんな子どもらしさすら抜けない容貌の小娘にいつまでも嘗められるいわれはない。


 燻っていた炎が再燃する。今まで積もった不満と鬱憤をもとにふつふつと怒りが燃え上がる。世話になっているステーン家の娘だからと配慮するのはもうやめだ。


「その『居候さん』っていう言い方やめなさいよ」


 居候、居候といい加減に鬱陶しい。ヘレナが言う『居候さん』はいかにも嫌味ったらしい。お前はこの家の住人ではなく他人に過ぎないのだと突きつけてくるようだ。


「私にはリーリヤという名前があるの」


「そうですか。穀潰しの、い・そ・う・ろ・う・さ・ん!」


「こんの・・・!」


 さすがにただの喧嘩のために魔力を練り上げるのはやり過ぎだとリーリヤも思っていた。だから自制はしていたのだ。けれども、思わぬヘレナの煽りにむき出しになった感情につられてちろりと魔力が漏れ出した。激情に染まった魔力はどす黒い紅色をしている。


 リーリヤは冷や汗を流す。自分の意思とは無関係に魔力が噴き出したことに焦りを覚え、怒りは一気に吹き飛んでしまった。自分自身に驚いてしまって掴んでいたヘレナの腕も放してしまう。


 ほんの少しの量であったし、慌てて魔力を引っ込めたのでヘレナも目で捉えられたわけではないはずだ。それでも至近距離にいたヘレナは何か恐ろしいものを感じ取ったみたいに怯えの表情を滲ませた。

 このままではまずい。どうにかして挽回しなければ。そう思った矢先だった。


「お邪魔します~」


 雑貨屋の出入り口となっている扉から誰かが入ってきた。

 うやむやにできる好機と思い、人見知りのリーリヤには珍しく積極的に闖入者を対応する。


「えっと、今日はお休みで・・・」


 来店したのは可愛らしい少女だった。

 首元までのふわふわとした金糸の髪にくりくりとした翠色の瞳はお人形のように愛らしさに溢れている。リーリヤは自分が調子に乗っていたことに気付く。お嬢様というのはこういう子のことを言うのだろうと衝撃を受けた。

 少女はほにゃりと笑う。その姿にまた庇護欲がそそられる。


「はい~、知ってます。わたし、ヘレナちゃんを迎えに来たんですけど。って、あれあれ?ああっ。お久しぶりです~」


「え?え?ええ!?」


 少女はリーリヤの姿を認めるとどうしたわけか急に距離を詰めてきた。

 そして、その勢いで両手でリーリヤの手を掴んでくる。害意はないみたいだったので、リーリヤもされるがままになってしまった。


 どうやら少女はリーリヤのことを知っている様子である。だが、リーリヤは少女が誰なのかまったく心当たりがなかった。そもそもアルマスとステーン家以外に知り合いなんてほとんどいない。リーリヤは少女が誰かと勘違いをしているのではないかと疑った。


「セルマさん。ごめんなさい。わたしが遅かったせいでわざわざお店まで来てもらっちゃって」


 セルマと呼ばれた少女とリーリヤの間にヘレナが割って入ってくる。押しのけられたのは当然のごとくリーリヤだった。ぐいぐい押してくるヘレナの小柄な身体に追いやられたリーリヤはよろめくように後ろに下がる。


 ヘレナの振る舞いにはいちいち腹が立つが、リーリヤとしても得体の知れない少女に親しげに引っ付かれたことに困っていたのでこの場は良しとする。それにさっきの怯えていたヘレナの姿はもうないようだった。


「ううん、いいの。わたしが来たくて来ただけだから」


 にこにことセルマが浮かべる人の良い笑顔はアルマスの胡散臭い笑みとは違って人を安心させるものがある。ヘレナはほっとして胸をなで下ろしていた。


 セルマと話すヘレナの様子にリーリヤは虚を突かれた気持ちになった。あの何もかもが気に入らないとつんけんしていた少女はいない。そこにいるのは年相応に振る舞う少女だ。


 リーリヤは拍子抜けした。なんだ、普通に会話できる人がいるんじゃないかと。当たり前といえば当たり前なんだろう。リーリヤと違ってヘレナは家の外にも知り合いがいるはずだ。学校だったり、それ以外の場所だったり。それこそ友人だってたくさんいるのかもしれない。


 ヘレナと話をする?ステーン夫妻との仲を取り持つ?

 初めから間違っていた。そんなのリーリヤよりも相応しい人はきっといくらでもいる。リーリヤはやっとそのことに気付いた。わざわざリーリヤが気負う必要なんかなかったのだ。


 しかし、リーリヤでさえ気付いたことにトビアスやイレネが思い至らないなんてことも変な話である。


 はっとリーリヤは理解した。

 もしかしたらヘレナとステーン夫妻の不和を解決するというのは建前で目的は別にあったのでは。イレネもトビアスも本当はリーリヤとヘレナの仲の悪さを把握しており、リーリヤ達の関係を改善するきっかけ作りのために一芝居打ったという可能性に思い至る。


 いや、イレネはともかくトビアスは真剣に悩んでいる様子だった。それにそこまで回りくどいことをするものなのか。

 リーリヤが考え込んでいるとヘレナの胡乱げな瞳がリーリヤに向いた。


「セルマさんはこの人とお知り合いだったんですか?」


「うん、実はそうなの。図書館での『本の日』以来ですよね」


 そこまで言われてやっとリーリヤは思い出した。

 そうであった、この少女とは図書館で会っていた。

 リーリヤがなぜか子ども達に避けられて孤立していた時に助けてくれたのだ。広間の端の方でぽつんと座り込んでいたリーリヤの元まで何人かの小さな女の子達を引き連れてきてくれた娘だ。あのときは髪を結んでいたせいもあり、印象が違ってわからなかった。


「そういえば自己紹介してませんでした。改めまして、わたし、セルマ・コッコラといいます。年は15歳で、家は小さな食堂をやってます。ヘレナちゃんとは学校のお友達なんですよ」


 セルマはリーリヤよりも年下であった。見た目からもそうではないかと思っていた。しかし、ヘレナと大して背格好が変わらないので同い年なのかと思いきやセルマの方が年上だったとは。


「・・・リーリヤ・メッツァよ。一応、ここの家に住んでいるわね」


 返答までに間が空いたのには理由がある。

 リーリヤはメッツァという苗字を名乗るのに抵抗があった。それは師と同じものであるからでもあり、森から追放された身だからという事情もある。


 しかし、メッツァという苗字は地方ではそこまで珍しいものではないらしい。古代からある森の近辺に住む人間であればよくある名前だそうだ。そこから魔女の関係者とバレることはないとアルマスが言っていた。


 リーリヤの気持ちはともかくとして、現代では苗字を持たない方がおかしいので気にせず名乗るようにとアルマスに言い含められている。


「ただの居候の間違いでしょう。それも無職の」


 まだ言うか、こいつは。

 リーリヤとヘレナは再び睨み合う。

 そんな険悪な空気をセルマは朗らかに塗り替えてしまう。


「まさかリーリヤさんがヘレナちゃんと一緒に暮らしているなんて。あっ、『リーリヤさん』って呼んでもいいですか?いいですよね?それにしてもすごい偶然です。わたし、リーリヤさんともっとお話ししたいと思ってたんですっ」


「そ、そうなの?」


 すでにリーリヤはセルマに苦手意識を持っていた。

 悪い娘でないのはわかるのだ。それでも根が暗いリーリヤとしては明るくにこやかな性格のセルマに対してなんだか引け目を感じてしまう。


「そうです。もしよかったらリーリヤさんも一緒に来てくれませんか」


「「え!?」」


 くしくもヘレナと反応が被ってしまった。

 セルマはぽわぽわしているように見えて意外にも強引な娘だったようだ。悪意じゃなくて善意で言っているのが余計にたちが悪い。


「この人を呼んだっていいことないですよ!絶対に役に立たないに決まってます!」


「こっちこそ願い下げよ。誰が好き好んであんたと行くと思うの」


 互いに指を差し合いながらいがみ合うリーリヤとヘレナを見てなおセルマは笑顔だった。


「そんなことないと思いますよ?たくさん人がいた方がきっと楽しいです。それになんだかリーリヤさんなら良い意見をくれる気もするんです。ヘレナちゃんのお母さ~ん。すみません、ちょっといいですか?」


「あら。セルマちゃん。いらっしゃい」


 作業場の入り口からずっと様子を伺っていたイレネがセルマに呼ばれてやってくる。そして、詳しい話を聞くこともなく頷いてみせた。


「話は聞いてたわ。リーリヤちゃんもぜひ行ってらっしゃい。たまには外の空気を吸うのもいいものよ」


 どこに何しに行くのか何も知らないうちにリーリヤの外出が決まっていた。

 いくらイレネの後押しがあったとしても、ヘレナと一緒というだけで行きたくない。まだ一人で出歩く方がましだ。


 例によって『店のお手伝いはどうするんだ?』などと呟いているトビアスの意見はイレネによって封殺されている。行きたくないリーリヤとしてはもう少し頑張って欲しかった。


「あの~。アルマスさんはいらっしゃらないんですか?アルマスさんもご一緒にどうかなって思ったんですけど」


「あら?アルマス君も?でもごめんなさいね。あの子、今はうちにいないの」


 アルマスが既にこの家に住んでいないことを聞くとセルマは肩を落としてしまった。ついでに誘ったにしてはセルマの落ち込みようは些か大袈裟に見える。イレネもそう思ったらしい。


「何か用事でもあったのかしら?」


「い、いえ。そういうわけではないです・・・。できたらお話聞きたいな~と思っただけなんです。ほら、アルマスさんって物知りって聞いてたので。いろいろためになるお話聞けるかなって。本当ですよっ」


 多分、嘘だ。

 リーリヤですらそう思った。きっと他の人もそう思っただろうに誰も追求はしなかった。ただ一人ヘレナを除いて。


「今日はちょっとした相談事があるって言ってましたよね。おにい・・・、いえ、アルマスさんならどんな相談事でも解決してくれると思いますけど。しいて言うならやっぱり錬金術関連か、あとは精霊様の困り事ですよね。そういえばセルマさんのお家には最近になって精霊様が来たってお話でしたから、もしかして今日の相談ってそれだったんですか。すいません、そういうことならアルマスさんに事前に連絡しとくべきでした」


 図らずもセルマの悩み事がわかってしまった。

 それにしてもヘレナのアルマスに対する信頼の高さはなんなのか。イレネやトビアスよりも遙かに信じ切っている感じがする。あの胡散臭い男のどこにそんな信じる要素があるのか。実に納得がいかない。


 イレネは頬に手を当てると困ったように言った。


「精霊様について何か相談したいことがあるの?アルマス君なら良いアドバイスをしてくれると思うけど。でも、精霊様についてならやっぱり専門家、『花の乙女』に頼る方が良いわよ?」


 おかしなことを言うものだ。

 腐ってもアルマスは『遍歴の智者』の代理を務めていたのだ。妖精に関する知識なら魔女に次ぐと言っても過言ではないのに。『花の乙女』がどれほどのものかは知らないが、先日の様子を見る限りは大したものではなさそうだった。


 それにしても意外だ。イレネ達の反応からしてアルマスが妖精について詳しいという事実は特に秘密にされているわけではなさそうだ。魔女に関することは黙っているようにとしつこいくらい言っていたくせに自分はペラペラと広めているとは。どうにもかみ合わない感じがして据わりが悪い。

 しかし、下手なことを言うと墓穴を掘りかねないのでリーリヤは疑問を声に出すことはしなかった。


「いえいえ、本当に違うんですっ。精霊様のことは関係・・・、ありますけどそうじゃなくてですね。それに『花の乙女』様達だとお金がたくさんかかって・・・、というのでもなくて。そもそもお話聞きたかったのはこれとは別の件で、でも関係ないわけでもないし。えと、えと。あうあう」


 セルマは一人慌てている。どうにか誤魔化そうとして見事に自滅していた。

 なんにせよ、セルマの相談事は妖精も関係しているのは間違いなさそうだった。しかし、どうやら複雑な話になりそうだ。リーリヤは関わると面倒そうだなと思った。

 セルマにとっては深刻な悩み事であったとしてもリーリヤには所詮他人事。ヘレナという問題児も一緒だろうし、嫌な思いをしてまで協力する気はなかった。


 リーリヤはイレネ達の視界に映らないようにそっと後ろに下がる。いつの間にかこの場からいなくなっていれば、さっきのリーリヤを誘うという話もなかったことになるだろう。

 話に夢中になっている三人からゆっくりと静かに距離を離す。遠巻きに見守っていたトビアスと視線が合うがトビアスは見て見ぬ振りをしてくれた。

 このまま作業場に戻ろうというところでリーリヤは気付いてしまった。


「待って。これってひょっとして・・・?」


 精霊の関係する揉め事。それはつまりリーリヤが待ち望んでいた実力を示す好機ではないか。


 ちらりと棚の影からヘレナとセルマを見やる。

 正直に言えば面倒くさい。

 けれど、もしかしたらこれを機にとんとん拍子で話が上手く進むかもしれない。そう考えるとこれを逃す手はない。


 冷静に考えよう。リーリヤの目的はあくまで『花の乙女』になることだ。なぜならそれがリーリヤにとって一番楽で簡単な仕事だから。培ってきた魔女の技術や経験が存分に生かせる仕事なんて他にはない。


 妖精を華麗に御して見せれば、『ぜひ花の乙女に』と声がかかるに違いない。余りにも手際の良い精霊捌きにきっと人々も羨望の眼差しを向けるだろう。なにせこの街では『花の乙女』とやらは大層人気で若い女の子の憧れの存在だと聞く。気の早い話だがリーリヤの弟子になりたいという女の子も出てくるかもしれない。


 そうすれば生意気なヘレナも態度を改めて尊敬の念を抱くに違いない。なによりアルマスを見返すこともできる。再会を果たしてからというもののアルマスには散々馬鹿にされた記憶ばかりがある。立派に独り立ちして高嶺の花となったリーリヤを見て自身の過ちをせいぜい反省するがいい。そうしたら心の広いリーリヤはしょうがないから許してやるとしよう。


 ちやほやされる未来像を思い浮かべていたら、だらしない笑みが勝手に浮かぶ。緩んだ口元から涎が垂れそうになったところで現実に戻る。


 いけない。思わず妄想に耽ってしまった。

 少しばかり自分に都合の良すぎる考えだと自覚はある。でも、あながち間違いではないはずだ。

 リーリヤの明るい計画のためにも第一歩を失敗するわけにはいかない。


 しかし、障害もあるにはある。なにやら難しそうなセルマの相談事がひとまずの懸念事項だ。妖精をしつけるだけの単純な作業で済めばいい。そうではなくて妖精なんておまけ程度の予想外の問題事だった場合はどうしよう。


 ちょっと考え込んでからリーリヤは考えるのを放棄した。それならそれでいいやと。なにも律儀にセルマの相談事に応える必要もない。リーリヤはあくまで妖精の起こしている問題を颯爽と解決したいだけだ。それ以外はどうでもいい。


 やっとのことでリーリヤは覚悟を決めた。

 リーリヤが考え込んでいる間にイレネ達もリーリヤの姿がないとちょうど周囲を見回していた。

 逃げようとしていたことなんてなかったようにリーリヤは彼女達に近づく。


「それで?私はどこに何しに行けばいいの?」


 その一言でリーリヤがセルマの誘いに乗ったことは伝わった。反応は三者三様だった。

 ヘレナは当たり前のようにしかめっ面をする。これはいい、リーリヤだってまったく同じ気分だ。イレネは瞳を優しく細め、セルマは見るからに喜びを浮かべた。

 リーリヤの質問に答えたのはもちろんセルマだった。


「ではでは。秘密のお茶会にご招待します!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ