6.花の乙女
開け放った窓から差し込む日の光を浴びながらリーリヤは寝返りを打つ。
そわそわと肌を撫でる風はほどよくぬるく、いつもであれば心地よい微睡みに浸っていたことだろう。しかし、今日のリーリヤは落ち着きなくベッドの上でごろごろと転がるだけで眠気はまったくやってこない。
なぜならもう十分すぎるほどに惰眠をむさぼった後だからだ。
「暇」
仰向けになったまま青空を眺めつつリーリヤはぼやく。
今日の仕事は何もなし。
昨晩アルマスからそう告げられたので、本日のリーリヤの予定は全くの白紙となった。つまりはお休みを与えられたとも言う。
たった数日間ではあるが、リーリヤは既に働くことへの憂鬱さを感じ始めていた。街の人達はよくも毎日嫌な顔もせずに仕事をしているものだと思う。いくら生活やお金のためであっても、ずっとこんなことを続けるなんて考えると息が詰まって仕方がない。
そういうわけで仕事をしなくていいのであれば大歓迎のリーリヤである。
しかし、困ったことにそれはそれで暇を持て余してしまっていた。森の中であればいくらでも時間を潰すことができる自信がある。広い森を散策するだけでも一日なんてあっという間に過ぎ去っていく。けれど街の中とくれば話は別だ。
はっきり言ってリーリヤは街を一人で出歩く気にはなれない。昨日は迷子になったばっかりだし、何より見知らぬ土地を歩き回ることにまだ心細さがあるのだ。
せめてアルマスの道案内でもあれば話は違うのだが。
そのアルマスはというと、だ。
「失礼な奴よね、まったく」
リーリヤは不機嫌に毒づく。
昨日の去り際にアルマスが言っていたことを思い出したらまた腹が立ってきた。
『ぶっちゃけ見つかんないんだよね、君の仕事。いやね、選ばなければなんでもあるよ。地下下水道の掃除とか、ほんとにいろいろね。でも、君でもできるっていう条件を付けるとこれがまた大変なんだよ。なにせ計算できないし、文字も読めないし、体力もない上に人見知りでもある。加えて一般常識もないときた。うん、こりゃしばらく無理だね』
簡単にまとめるとリーリヤに合った仕事を探すのが難航しているらしい。
それにしてももっと別の言い方はなかったのか。ちっとも思いやりの感じられない物言いはリーリヤの言い訳する余地を残してくれない。自分の出来の悪さくらい、リーリヤだって気にしているのに。
配慮がどうたらと謝っていた人間とは思えない無神経さだ。リーリヤは込み上げる感情のままにクッションをぼすぼす殴りつつ怒りを発散する。それも虚しくなってすぐに止めた。
そしてまた意味もなく窓から空模様を見上げる作業に戻って、しばらくした時だった。
こんこん、と部屋の入り口をノックする音が聞こえた。完全に気を抜いていたリーリヤは急いで上半身を起す。
アルマスだったらもうとっくに声をかけてきているはず。誰だろうかとリーリヤは思わず警戒し、身構えた。
「リーリヤちゃん。今いいかしら?」
扉の外にいたのはイレネだった。彼女はいつものおっとりとした優しい口調でリーリヤに語りかけてくる。
リーリヤが返事をするとイレネがひょっこりと扉から顔を出す。
「良かったらお出かけしない?」
一人で寂しそうに店番をしているトビアスを置いてきてリーリヤとイレネは昼間で人も疎らな通りを歩いて行く。
「まずはお洋服かしらね」
そう言われてイレネに連れてこられたのはこじんまりとした店構えの服屋だった。店先には服をかたどった看板がぶら下がっている。
「古着屋さんよ。本当は新しい方がいいと思うんだけど、やっぱりお値段が張っちゃうから。いいとこのお嬢さんだと古着にちょっと抵抗あるわよね。でも、大丈夫。ここのお店はその分種類も多いし、丁寧に手入れしているから新品と同じくらい状態がいいのよ」
イレネ曰く上流階級の者は一から仕立屋が作るのが普通だという。庶民の中でも多少裕福な人達は古着ではなくて新しい服を買うらしいが、それでも仕立屋に依頼するのではなく既製品となってしまうとか。それこそイレネ達のような住宅街に居を構える一般庶民達は自分で服を縫ったり、古着を買って今風にアレンジして着ていると聞いた。
考えてみるとリーリヤは師から与えられた物を着ていただけなので、今まで来ていた服がどうやって作られたものなのかはいまいちわからなかった。それでも、あの冷徹な師が手ずから服を縫うことだけはないと断言できる。
イレネが言うだけはあって狭い店内にずらりと並ぶ色とりどりの服の数にはそれだけで圧倒される。ざっと見るだけでも一つとして同じ物はなさそうだった。模様や形が違ったり、大きなリボンや布でできた小さな花が付けられていたりする。
店の入り口で立ち止まっていたリーリヤは奥に進んでいったイレネから手招きをされる。
「え?私の、ですか?」
イレネが手に取った服をリーリヤの胸の前に広げてみせたことで、彼女がリーリヤの服を買おうとしていることに気付く。
てっきりイレネの服を買いに来たのだと思っていた。
「でも、別に大丈夫ですけど」
故郷の森から持ってきた私物はほとんどないが、着るものならイレネがくれたものがある。貰ったのは二着くらいだけれども、今だってリーリヤはそれを着込んでいる。季節が変われば必要な服装も変わってくるとはいえ現状は困っていない。
リーリヤとしてはそう伝えたつもりだった。
「遠慮しなくていいのよ。私の使わなくなった服を幾つかあげたけど、それだけじゃ全然足りないでしょう?」
「そ、そんなことないと思うんですけど」
リーリヤの認識では季節ごとに二、三着の服を持っていれば十分だと思っていた。
しかし、イレネに言わせればまったく足りていないらしい。リーリヤにはなんでそんなに服が必要なのかが理解できなかった。
「それに渡したのはもう着なくなった昔のばかりだったから、やっぱり型が古いのよね。色だって気に入らなかったりするでしょうし。流行の物とまではいかなくても、今の若い子が着るような服を買いましょうね」
何がどう古くて、どれが新しいのかなんてわからないリーリヤは早々に諦めてイレネの言うとおりにすることにした。なんで古い型とやらがダメで新しい型の方がいいのか、後でアルマスに聞くことにする。アルマスを頼るのは癪だが、街での常識をリーリヤ一人で身につけようとするには無理がある。
イレネは次々と服を見繕ってはリーリヤに渡してくる。おかげでリーリヤの両腕がいっぱいになるまでそう時間はかからなかった。
「これなんかいいんじゃないかしら。リーリヤちゃんは肌が白いから濃い青系が特に似合いそう。ほらほら、折角だから試着してみて」
あっちを着たり、こっちを着たり、言われるがままに脱ぎ着を繰り返す。
イレネが満足する頃にはリーリヤは疲れ切っていた。
「うん。これだけあれば当分困らないと思うわ。後で上手い着回しの仕方も教えてあげるわね」
「はい・・・、ありがとうございます・・・」
やっと終わったと試着室から出て来たリーリヤはこれで買い物から解放されると気を抜いたのがいけなかったのか、横にあった棚に手を付こうとして空振りし、そのままこけそうになる。
「リーリヤちゃん、大丈夫?」
イレネの心配を余所にリーリヤの視線は一つの服に吸い寄せられていた。
「これ・・・」
それは棚の下段にあって今まで見えていなかったものだった。ひっそりと奥まった角に追いやられるように置かれている。くすんだ緑色の長いスカートをリーリヤは手に取った。
「あら?それが気になるの?ちょっと古いけれど、少し手直しすればまだまだ着られると思うわ。でも、それでいいの?若い子にはちょっと渋い色な気もするけど。意匠が気に入ったなら他にも似たような物はあるのよ」
イレネは別の棚にあるもっと明るい色の似たような服を見せてくれたがリーリヤは首を横に振った。
「これが、良いです。この色が。昔、似合っていると言われたことがあって。だから・・・」
「そう。それじゃ、それも買いましょうか」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん。色々言ったけどお洋服は好きな物を着るのが一番いいのよ」
支払いの段階になってリーリヤはお金を持っていないことを思い出した。
しかし、イレネにやんわりと気にしなくていいと諭される。遠慮しようにも払うべきお金がないのでイレネの言葉に甘えるほかなかった。
「じゃあ、次に行きましょうね」
「えっ。まだあるんですか?」
「ええ。お洋服しか買ってないもの。それ以外にも靴と帽子に、アクセサリーとかの小物でしょう?あと下着も重要ね。身嗜みを整えたり、お化粧に使う物は雑貨屋で取り扱っている商品があるから。そうね、とりあえずはこれくらいかしらね。他にもあった方がいい物はもっともっとあるけど、それは追々揃えていきましょう」
「そ、そんなにも?」
リーリヤは目が回りそうだった。服だけでもこんなに時間がかかったのに、今日中にまだまだ別の店を巡るというのだ。
「どれも大切よ。女の子だもの」
「ぅぅ・・・。そう、ですか。そうなんですね」
「うふふ。楽しいわね。最近ヘレナちゃんはこういうお買い物に付き合ってくれなくて。リーリヤちゃんが居てくれて嬉しいわ。私も年甲斐もなく張り切っちゃう。それじゃあ、今日のうちに必要な物はあらかた買い揃えちゃいましょうね」
もう帰りたい、とリーリヤは思っていたが、楽しそうにころころと笑っているイレネを見るとそんなことは言えそうになかった。
たくさんの服が入った袋を両手で抱えてリーリヤは肩を落とした。
「んっ。このスープおいしい」
「でしょう?私もここのサーモンスープはお気に入りなの」
やっとこさ全ての買い物を終えてリーリヤ達は遅めの昼食を取っていた。時刻としてはさっき午後の1回目の鐘がなったところ。
今はイレネお勧めの喫茶店でゆったりとランチを味わっている。
スライスしたトマトとチーズだけを交互に並べて挟み込んだバゲットサンドと分厚いサーモンが浮かぶクリームスープはハーブの香りも合わさって食欲が刺激される。
黙々と食べ進め、スプーンを置いたところでやっと人心地が付く。
お腹も満ちて心に余裕が戻ってくると周りの様子を見渡せるようになった。
リーリヤ達は店の外にある通りに置かれたテーブルに座っている。
先日の喫茶店『花々の羽休め』でもそうであったが、この喫茶店も店内にはほとんど人はおらず誰もが通りに面したこの場所にいる。その理由はなんとなくリーリヤにもわかった。せっかくの日の光を浴びたいのだ。リーリヤも森にいた頃には天気の良い日にちょうどいい木漏れ日の場所を探して歩き回ったものだ。
リーリヤの座っている席は見通しがよく、緩い傾斜になっている通りを降りた先にある広場の噴水をよく見ることができた。涼やかな水を勢いよく噴き上げており、強めの春の日射しにはきっと心地よいことだろう。リーリヤには水が噴き出す勢いが強すぎるような気もした。けれども、塗れた石畳の上で遊ぶ子ども達を見るにこれがいつもの光景なのだと思えた。
噴水を見ながらまったりする人もいれば、飲み物片手に本を読む人もいる。
誰もがくつろいだ雰囲気を醸し出していて、リーリヤもなんだか穏やかな気持ちになってくる。
「結構、人が多いのね」
お昼の時間でもないのにほとんどの席が埋まっている。それだけではなく新たに訪れる客も少なくない。あっという間に満席になり、座るところがなくなると彼らは注文した品を持ってわざわざ通りに立っていたりする。
「そうね。皆、同じ目的で来てるのよ。何しろここは穴場だから」
リーリヤが首を傾げているとイレネは食後のハーブティーを味わいながら教えてくれる。
「一週間に一度、あの広場の噴水には花の乙女が来るの」
「花の、乙女?」
どこかで聞き覚えがある。
そうだ、昨日図書館で行われていた人形劇にそんな名前が出ていた。
幼い子ども向けの話とはいえ、魔女であったリーリヤにとってはあまりに不快な内容だったので半ば記憶から忘却していた。
「えっと、なんか昔のお話に出てくる人でしたっけ?」
「あら?リーリヤちゃん、ひょっとして知らないの?」
イレネが目を丸くして驚いている。
その反応にリーリヤは背筋がひやりとする。これは知っていないとおかしい話題なのか。
リーリヤ自身、この街での常識に欠けている自覚はある。
それが原因で魔女と関わりがある人間だと怪しまれる可能性だって十分考えられるのだ。しかし、リーリヤにはどんな行動をすると疑いの目が向けられるのかまでは判断が付かない。昨日の『魔女ばれ』の一件はリーリヤの早とちりで済んだが、ああいう魔女らしい行動以外にもきっと些細な振る舞いでボロが出てしまうのかもしれない。
リーリヤは無知であることがどんなに拙いことかをやっと理解した。
それはそれとして、こういう誰もが知っているはずの知識くらい教えておいて欲しいとも思う。ここにはいないアルマスに恨み言をぶつけたい気持ちに駆られる。
「そういえばリーリヤちゃん、もともとずっと遠くの地方に住んでいたって言ってたものね。花の乙女の風習は地方の小さな村や町にはないって聞いたことがあるわ。リーリヤちゃんが暮らしていた場所には花の乙女がいなかったのね」
頬に手を当ててイレネは頷いている。
リーリヤが現実逃避をしてアルマスへの文句を考えている間にイレネは一人で納得してくれたようだ。
『田舎から出て来たばかりのやんごとない事情を抱えた世間知らずのお嬢様』、だったか。アルマスに初めて言われたときには『何を巫山戯たことを』と思ったが案外この嘘の肩書きは役に立っているみたいだ。やんごとなくもないしお嬢様でもないので他人事の気分になるが助けられているのも事実である。
「そうね。多分、説明するよりも直接見た方がいいと思うわ。ほら、ちょうど着いたみたい」
イレネが指差したのは広場とは反対方向。通りの上の方から下の広場に向かって一人の少女が駆け込んでくる。年頃はリーリヤと同じくらいだろうか。
綺麗な花模様の刺繍が施されたケープを肩にかけた少女は人混みをかき分けてこっちに向かってくる。
「どいて、どいてー。ちょいと通らせてもらいますよっと」
肩の力が抜けるような落ち着きと親しみのある声で赤毛の少女がリーリヤの座るテーブルの横を走っていった。
「やっと主役の登場だ。ちょっと来るのが遅いんじゃないかー!」
「向日葵の嬢ちゃん、今日も期待してるよっ」
「花の乙女さん、頑張ってね!」
黄色い大輪の花が付いたカチューシャをした赤毛の少女は野次とも声援とも付かない周囲の声に対して、にへらと笑って手を上げて応えている。
「あははー。すみませんね。ちょっと本業の方で手間取っちゃいまして」
少女が広場に着いた時には噴水を囲むように人だかりができていた。
昨日見た有名な吟遊詩人とやらよりも熱狂的に迎え入れられている。彼女の姿を見ただけで人々は拍手をしたり、口笛を吹いたりとはやし立てていた。
「あの人が花の乙女なんですよね。これから何かあるんですか?」
イレネは口元に微笑を浮かべるだけだった。どうやらその目で見なさいということらしい。
花を象った衣服や小物を付けている姿は華やかで、確かに『花の乙女』という見た目をしている。
赤毛の少女は派手に降りかかる水飛沫も気にせずに噴水の縁に上がると周囲に手で静かにするよう合図を送る。すると騒ぎ立てていた人達は瞬く間に静まっていく。
これから何が始まるのかと不思議に思うリーリヤを余所に、花の乙女なる少女は手に持っていた木製の綺麗な箱から一枚の布を取り出す。遠目で見づらいがおそらくハンカチだろうか。
彼女は手に持ったハンカチらしき布を器用に折りたたんで両手で包むと噴水に向けて祈るようにしゃがみ込む。
目を瞑り何かを話しているようであったが如何せん距離があるのでそこまでは聞き取れない。
「泉の精よ。どうか清純なる乙女の願いをお聞き届けください」
リーリヤの正面に座っているイレネが唐突に小声で唱えた。
リーリヤが困惑しているとイレネは花の乙女を手で示す。そこでやっと花の乙女が口ずさんでいた言葉を教えてくれたのだと理解する。
その間にも花の乙女は次の動きに移っていた。彼女は立ち上がると、両手で挟み込んでいた布を広げてみせた。
「なっ・・・!」
リーリヤが思わず声を上げたのはあり得ない光景を見たからだった。
その布はなんと光を発していた。リーリヤの鋭敏な感覚が、魔女としての感性がそれを捉える。あれは魔力だ。花の乙女が街の人々の前で堂々と魔力を発している。いや、より正確には言うのであれば、花の乙女が魔力を発しているのではない。彼女の手にある一片の布きれがやんわりと、しかし確かに魔力を帯びているのだ。
淡い青色の光を放つ布を花の乙女がふわりと揺らす。すると布から光が離れるように浮き上がり、宙を舞った。それはまるで光でできた花だった。空気を含ませるように布を小さく揺らす度に空中に青く光る花が咲き誇っていく。その数はどんどんと増えていき、噴水の周りをくるりくるりと優雅に回る。
観客と化した住民の誰もが感嘆の息を吐き、見とれている。
やがて花々は渦となり、噴水を、広場を、空よりもなお濃い青色が埋め尽くす。
「来る」
言葉にはできないぞわぞわとした感覚に従い、思わずリーリヤは口に出す。人々が息を飲んで見守る先でそれは現れる。
噴水の水が弾け飛び、膨大な水が花々と共に宙に浮かぶ。その中心にはリーリヤが予想していた存在がいた。透明な水が人に似た姿を形作る。それを見た人達から、わっと声が上がる。
「妖精・・・!」
リーリヤの呟きは歓声にかき消された。
それは妖精であるはずだった。もちろん白霞の森にいた妖精達とは似ても似つかない。昨日の妖精もそうだが、森の妖精達はあんなにも人を思わせる姿はしていない。違いを挙げるのであればそれだけではない。目に見えない感覚としての違和感はやっぱりある。
しかし、魔女であったリーリヤからしても、噴水の上に浮かぶ人型の水の塊は妖精にしか見えなかった。
妖精が姿を現すや花の乙女は布の振り方を変えた。
小刻みに揺り動かす動作から大きく波打たせる動きへと。それはまるで踊っているようだった。
青い光の花々はより速く、より複雑に空を飛び、妖精の周りを巡る。それに応えるがごとく妖精もまた水飛沫を広場に散らす。
花の乙女と妖精による幻想的な光景はほんの一時だけであった。
やがて妖精は大量の水と供に噴水の中へと戻っていった。いつの間にか青い光の花も消えている。驚くべきことにあれだけ勢いよく水を噴出していた噴水は、今は穏やかに水のベールを作り出している。
一仕事を終えた花の乙女である赤毛の少女は周囲に一礼すると大きな拍手を背に受けながら忙しそうに走り去ってしまった。
「綺麗だったでしょう?今のが花の乙女のお役目なのよ」
イレネが誇らしそうに言う。イレネだけではない、広場を中心に集まっていた人達は皆どこか満足そうな表情をしていた。
「この街にはね、至る所に精霊様がいるの。そこの噴水もそうだし、それ以外にも狭い路地とか、風車の屋根裏とか。本当にいろんなところにね。ただの民家のかまどにだっていたりするわよ。普段は私達人間と上手く折り合いをつけて暮らしているの。この街の人達は精霊様のことを尊重している。そして、逆に精霊様から恩恵も受けている。そうやって共存しているのね。でも、やっぱりたまに不和が起こったりもする。そういうときには花の乙女がああやって精霊様とお話をして問題を収めてくれるのよ」
今回は噴水から出る水の調子が狂わされてしまったので、その原因である妖精をなだめたのだという。ここの噴水はあの妖精の棲み処となっているため、定期的に花の乙女が対応しているそうだ。
イレネの話の中でリーリヤが気になったことは二つあった。
イレネがあの存在を精霊と呼んでいることはただ単に呼称の違いなのだと察することができる。リーリヤの前にいた土地とこの街は遠く離れていると聞いたから、同じ妖精のことであっても呼び名くらい変わっていても不思議ではない。だからこのことはそんなに気にしていない。
リーリヤが気になっている一つ目はそんなにも街中に妖精―――街の人に合わせて言うのであれば精霊だろう―――がいるというならば、なぜリーリヤがまったく気付かなかったのか。経験上では近くに妖精がいれば直接見なくても気配で察知できるのだ。
さっきの妖精自体は大して力は強くなかった。もしリーリヤが全力で使役しようものならおそらく一回か二回くらいで使い潰してしまう程度。それを踏まえてもその存在を感知することができていなかったことがおかしく感じた。
もう一つは花の乙女のやり方だ。見たまま感じたままを言うならば、花の乙女は妖精と交感しているように思えた。人間で例えると会話のようなものだ。魔力をわざわざ花の形状へと変化させてちまちまとやりとりをしていた。それがリーリヤにはもどかしく感じた。
魔女ならば対話なんてしない。妖精など強烈な魔力を持ってして支配してしまえばいい。なぜそうしないのかをリーリヤは疑問に思ったのだ。
だがどちらにせよ、そんなことをイレネ相手に言うことはできなかった。
にこにことしてリーリヤの反応を待っているイレネになんと返事をしたものかと悩んでいたリーリヤだが、ふと閃きが舞い降りた。
「イレネさん。花の乙女になるにはどうすればいいんですか?」
「え?」
「私、花の乙女になりたいです」
これこそがリーリヤの思いついた名案だ。
アルマスも人が悪い。こんなにもリーリヤに適した仕事があるのに紹介してくれないなんて。
花の乙女というのが妖精を相手に問題を解決する仕事なら、魔女だってやっていることは似たようなものだ。妖精に命令して言うことを聞かせるなんて魔女の修練で散々やってきた。さっきの赤毛の少女よりも妖精を遙かに上手く扱えると自信を持って言える。
なぜ魔女は世間の嫌われ者なのに、同じようなことをしている花の乙女があんなにも人々から支持されているのかは疑問が残る。けれど、要は魔女ということを黙ったまま花の乙女と名乗ればいいだけの話だ。
「う~ん。念のため確認させてね?リーリヤちゃんって幾つだったかしら?」
はて、なぜイレネはそんなことを聞くのだろう。そう思ったが隠すことでもないので素直に答えることにした。
リーリヤは思い出すように指で歳を数える。年齢なんてほとんど気にしてこなかったから、改めて問われると咄嗟には出てこなかった。
「18、です」
誕生日が来れば19歳になるので、今は18歳で間違いない。リーリヤは真冬の生まれなのでまだまだ先のことだ。
「・・・そう。それじゃ、ちょっと、ね」
イレネの顔が申し訳なさそうに曇る。
言いづらそうに口ごもってからイレネは眉を下げながら続けた。
「花の乙女になるにはね、15歳までに花の乙女のお師匠様に弟子入りしなきゃダメなの」
リーリヤの浅はかな思いつきは早くも瓦解した。