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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第1章 魔女、街に棲む
10/44

3.魔女の嫉妬

「もう無理ぃ」


 リーリヤはテーブルの上にぐったりと身を伏せる。

 今日の彼女はボタン付きの水色のワンピースにフリルをあしらった白いエプロン姿だ。頭の上にはこれまた爽やかな水色のキャスケットを被っている。シンプルながらも可愛らしさを感じさせる服装だ。細かな装飾も含めてレンガ組みの落ち着いた内装に合うようよく考えられた制服だと思う。


 昼時もとっくに過ぎた穏やかな午後、向かい側の席に座って優雅にコーヒーを啜っていたアルマスは哀れなリーリヤに教えてあげる。


「店長めっちゃ見てるよ」


「ひぅっ」


 優しい風貌の店長がにっこりと満面の笑みを浮かべながらリーリヤのことを見つめている。

 リーリヤは思わず情けない悲鳴を漏らす。それでも動かないところを見るに身体的にはともかく精神的にはそこそこ参ってるらしい。

 必死に店長の方を見ようとしない彼女の姿はいっそ健気ですらあった。


「朝はあんなにやる気に溢れていたのにね」


 アルマスがからかいの言葉を投げれば、リーリヤはばつが悪そうな顔をする。


「仕方ないでしょ。思ってたのと違ったのよ」


 小声で愚痴るリーリヤではあるがこの店の仕事自体はさして珍しくもない普通の飲食店だ。

 それもリーリヤは今日が初日。仕事と言っても大したことはしていない。午前中は主に仕事の簡単な説明と他の店員の働きぶりの見学。内容も客への挨拶や対応といった基本的なことから始まり、給仕や会計の仕方も一通り教わっていた。さすがに初日には調理まではやらない方針みたいだ。

 彼女がどんな仕事を想定していたのかは聞いていないが、これで仕事を紹介したアルマスに文句を言われても難癖としか言いようがない。


 あえて言うのであれば、今まで地方も地方のド田舎で暮らしていたリーリヤにとっては少々キラキラし過ぎたのかもしれない。

 店員たちの華やかな笑顔、色彩豊かな洒落た制服、都会的な雰囲気溢れる洗練された店内。加えて若くて身綺麗な女性がきゃあきゃあ姦しい声を上げながらひっきりなしに訪れる。

 根が人見知りで、引き籠もりを脱したばかりのリーリヤには荷が重かったのだろう。おかげでリーリヤはまともな仕事も果たせず疲弊している。


 因みに今日のアルマスは初めての仕事で心細いであろうリーリヤの保護者役を兼ねて休日をまったり堪能している。他人事なので気楽に読書を満喫中だ。


 テーブルとテーブルの隙間を踊るようにすり抜けて店長が近づいてくる。木製の床を歩く軽やかな足音が聞こえる度にリーリヤの華奢な肩が跳ねていて見ている分には面白い。


「リーリヤさん。まだ休息時間じゃないですよ」


「へぅっ」


 丁寧な口調に器用に怒りを滲ませて店長はリーリヤの背後に立つ。リーリヤがまた変な悲鳴を上げる。


「ちょ、ちょっと、ちょっとだけでいいから休ませてっ」


「だめです。貴女まだほとんど働いてないじゃないですか。ほらっ、お客様来ましたよ。対応してきてください」


 リーリヤは視線でアルマスに助けを求めてくる。しかし、店長は柔和な笑顔のまま急かすようにリーリヤの肩を叩いた。

 結局リーリヤは諦めて新しく入ってきた女性客の方にのろのろと向かっていった。


「見事なまでに役立たずだね、彼女」


 余りにもアルマスがばっさりと言うものだから店長の方が苦笑いを浮かべた。


「最初は皆上手くいかないものだから。って私も言いたいんですけど。ちょっと想像以上でした」


 アルマスと店長の二人が見守る先ではリーリヤがあたふたしながら注文を取っている。


「容赦はしなくていいから」


「いいのですか?確か彼女は『やんごとない事情を抱えた世間知らずのお嬢様』、なんですよね。お仕事ができなくても多めに見てあげたいと思っているのですけど」


「いいの、いいの。折れるなら早い方がいいからね。今のうちにたっぷり挫折を味わった方が彼女のためになる。それに他の人への示しがつかないでしょ?」


「それはそうなんですけど・・・」


 不安そうな店長の視線の先には苦戦するリーリヤがいる。

 最近特に若い女性からの人気が出ているこの喫茶店は、香り豊かなコーヒーと種類豊富なトッピングが売りだ。その組み合わせは百通り以上とも言われ、お洒落な見た目と確かな美味しさが途切れなく客を呼び込んでいる。

 何より特徴的なのは商品名がとてつもなく長いことだろうか。


「ミディアムエスプレッソコーヒーウィズレッドカラントソースクッキークランブルフラッペカプチーノとバターたっぷりさくさくスコーンをください」


「は?え?みでぃ?こーひーべりー?たっぷりスコーン?」


 案の定リーリヤは混乱している。傍目からも理解が追いついていないことがよくわかる。


「えっと、だから―――」


 挙動不審になるリーリヤの反応に客はもう一度商品名を告げ直している。

 リーリヤは必死に首を縦に振ってから客の注文を伝えに調理場に向かう。しかし、その足取りは覚束ない。


「あれは絶対注文覚えてないね」


 アルマスは頬杖をついた姿勢で冷静に分析する。

 その予想通りにリーリヤから注文を伝えられた他の店員はあからさまに困惑した顔をしている。おそらくリーリヤが伝えたメニューがめちゃくちゃで、存在しない商品名を前に対応を迷っているのだろう。


「おそらくそうですね。ちょっと助けてきます」


 明るい茶色の髪を編み込んでハーフアップにした妙齢の店長は頬に手を当てながら眉を下げる。


「紹介した身としては申し訳ないと思うけど」


「それは仕方ありませんよ。話を聞いた上で雇うと決めたのは私ですから。いつもお世話になっているアルマスさんの頼みですからね、これくらいはお安い御用です」


 店長は楚々とした動作で一礼する。

 ふわりと揺れるスカートは黒を基調としたものだ。他の店員の赤や黄色みたいな明るい色の衣装でないのは一目で店長だとわかるようにするためか。


「アルマスさんはどうぞごゆっくり」


「注文は『ミディアムサイズのエスプレッソコーヒーにレッドカラントソースとクッキークランブルをトッピングしたフラッペカプチーノ』と『バターたっぷりさくさくスコーン』だったよ」


 女性客の方に足を向けていた店長が驚いた表情で振り返る。おそらくリーリヤが聞きそびれた注文を再度確認するつもりだったんだろう。

 一応、アルマスがこの場にいるのはいろんな意味でやらかすであろうリーリヤを監視、もとい見守るためだ。無理を言ってリーリヤを雇ってもらっている以上、これくらいのフォローはする。


「さすがですね。お客様にもう一度聞く手間が省けました。ありがとうございます」


 手を上げることで返事としたアルマスは椅子の背もたれに寄りかかる。

 テーブルの脇に置いていた本を手に取るが開くことはしない。

 そのままゆっくり周囲を見渡すと目につくのは中庭に建つ大きな風車だ。


 この喫茶店の名は『花々の羽休め』。

 クーケルゥ湖にほど近い商業区の一角にある。店内は客も疎らな状態ではあるが、中庭に出れば多くの人が暖かな日差しを受けながら談笑している。これもお国柄だろう。なにせ真冬にもなるとほとんど太陽が昇らない時期すらある北の大地特有の厳しい環境だ。太陽が顔をのぞかせる間は皆こぞって外に出たがる。


 そして、この喫茶店の名物はやはり中庭だ。美味しいコーヒーと甘い焼き菓子を求めてくる人も多いが、手入れされた花壇の中央でぐるぐる回る風車を見ながらのんびりと会話に花を咲かせることができるのが一番の理由だという。


 アルマスもまた昼下がりの穏やかな余韻に浸る。

 リーリヤが巻き起こす騒ぎを背景にアルマスは呑気に欠伸をするのだった。






 問題は夕刻が迫った閉店間近に起きた。

 一人の店員がそのことに気づいたのだ。


「売り上げが足りない」


 もうすでにほとんどの客が帰った後の静かな店内にその一言はよく響いた。

 しんとした沈黙を経て店員がぞろぞろと集まってくる。


「ちょっとどういう意味それ!お金が足りないの!?」


「え?え?計算が間違ってるとかじゃなくてですか?」


 途端に騒がしくなる店内。だがそれは昼間のような明るい雰囲気ではなく、不穏な気配に満ちている。

 本を読んで暇を潰していたアルマスの耳にもその騒ぎは聞こえてきた。

 どうやら計算が得意な店員が何人か手を挙げて、改めて検算をするようだ。


「騒がしくしてすみません。ちょっと問題事があったみたいで」


 店長がアルマスの側に寄って来る。一応はまだ閉店前なので店員達がうるさくしていることへの謝罪というわけだ。売り上げの計算のやり直しは店員達に任せきりにしているらしい。


「いやいや。気にしないでよ。それにしても、お金が足りないって?」


「ええ、まぁ。やっぱり聞こえてしまいますよね」


「そりゃ、こんだけガラガラならね」


 店内に客と呼べる人間はもうアルマスしかいない。そのアルマスもリーリヤの仕事が終わるのを待っているだけなので客と数えるかは微妙だ。


「大丈夫なの?」


 聞いてみると店長はさほど気にしていない様子だった。


「よくあるんですよ。ちょっとした間違いくらいは。皆さんいろんなトッピングをされているでしょう?そうすると人によって料金も全然違ってきますし、少しばかりずれちゃうことがあるんです。お昼過ぎとか忙しい時間だと特に」


 アルマスも納得する。あれだけ複雑な商品だ。普通に対応していてもちょっとした拍子にトッピングの加算を間違えてしまいそうだ。それも次々に客が訪れる時間帯ともなれば猶更だ。多少の計算間違いは日常茶飯事というわけか。


「『魔女の嫉妬』ってやつだね」


「そうですね。困ったものです」


 しかし、店員からの更なる報告がそんな店長の表情に影を差す。


「やっぱり数字が全然合わない」


「全然、ね」


 アルマスは店員の発言の気になった部分を繰り返す。店長の言う『ちょっと』ではなくかなりの数字が間違っているらしい。


「アルマスさん、すみません」


 店長は一言アルマスに断りを入れるとすぐさま金額の確認に入る。

 そして、店長の息を飲む声が聞こえた。


「1万7000メナも!?」


 1万メナを軽く超える金額に店内にひりついた緊張が走る。

 100から200メナもあれば1食分のパンを買うことができる。この店の飲み物はトッピング次第で値段が変わるとはいえ、1つ1000メナを上回ることも珍しくない贅沢品だ。それが10杯以上分の料金がずれている。ただの計算間違いではすまない問題だ。


 ことによっては店員の誰かが売り上げを盗んだのではないかと疑いが出てもおかしくない。

 いや、すでに店員の誰もがその可能性に気づき、互いに互いを目線で確認しあっている。自分はやっていない、誰かが盗む場面も見ていないと無言で主張しあっている。


 これは長くなりそうかな、とアルマスが思っていると店員の一人の女性が声を上げる。緑色の制服を着た女性だ。


「あの店長、今日って特別にイベントとか、セールとかやってましたか?」


「いいえ。やっていませんよ」


 場にそぐわないちぐはぐな質問のようにアルマスには思えた。アルマスの記憶では店内で特別なイベントごとは何もしていない。そういった案内も説明もなければ、看板にも何も書いていない。それは働いていた彼女達自身が一番よくわかっているはずだ。

 きっと店長も同じことを思ったのであろうが、店長は無下にすることなく丁寧に答える。すると表情を変えたのは質問をした店員の方だった。


「そんな。私聞いたんです。お客さんが帰るときに『今日はいつもよりお得だったね。何かイベントでもあったのかな』って話してるのを」


 それを皮切りに他の店員も声を上げていく。


「あたしもそれ聞いた」


「確かにそんなこと言ってたわね」


 混乱するのは店長の方だ。イベントごとはしていない。店長がそういう以上、この店ではやっていないのだ。

 だがこの難問の答えは案外簡単に解決した。今度は赤い制服の女の子が前に出る。


「それってあれじゃないの。あの子がたくさん失敗するからそのお詫び的な」


 赤い制服の店員の指差す先にはリーリヤがいた。


「え・・・?わ、私・・・?」


 何か問題が起きていることはわかっても、何が問題なのかを理解しておらず、所在なさげに立っているだけだったリーリヤは急に周囲から注目を浴びてびくりと肩を震わせる。


「私もそれ思ってた。彼女が会計担当のときってなんか安いなって気がしてたの。これって店長が指示してたんですよね。ずれってこれのことじゃ・・・」


 どうやらリーリヤの仕事ぶりがあまりにもお粗末なものだから、店長の機転で対象の客の料金を値下げしてお詫びしていたのではないかと言う。リーリヤの周辺にいた店員達は皆そういう認識を持っているようであった。

 これで解決という空気が彼女達の間に広がるが、肝心の店長は難しい顔をしている。


 それが示すのは一つ。店長はリーリヤにそんな指示はしていない。迷惑をかけた客の料金を割り引くようになんて伝えていないのだ。


 結局のところ原因は単純だった。

 間違えたのだ。リーリヤは会計をするときに計算を間違えた。それも周りにいる店員がただの計算間違いだと思わず、特別割引だと誤認するくらいには盛大に。


「ど、どーしよ・・・」


 己の失敗に気づいたらしいリーリヤは血の気が引いて顔が真っ青だ。

 何も言わずに黙っている店長の様子に違和感を覚えた店員達がざわめき始めたところで、アルマスは大きな音を立てて本を閉じた。


 店内の視線が自然とアルマスに集まってくる。


「あの方ってもしかして」


「ほら、先生よ。すごい錬金術師の」


「やっぱり。こんな近くで初めて見たかも」


 若い女性ばかりの店員達はアルマスを見てひそひそと内緒話をする。この街ではそこそこ有名なアルマスは面倒事を避けるために客や店員から見えづらい隅の席にいたのだが、気づいていなかった店員もそれなりにいたのだろう。

 アルマスは彼女達に爽やかに微笑みかけてから店長の方を向く。


「お取り込み中ごめんよ、店長。会計をしたいんだけど」


「あ、はい。ただいま」


 駆け寄ってきた店長にアルマスはすっとヴァル金貨を1枚テーブルに置く。


「えっと。アルマスさん?」


 店長が対応に困るのも仕方がない。

 ヴァル金貨は1枚で10万メナに相当する。金貨では額が大きすぎるのだ。今日アルマスが注文した品は全部で5000メナにも達していない。こういう場合、銀貨や銅貨で支払うのが一般的なマナーでもある。


「今日一日この席を占領してしまったからね。お詫びを兼ねてお釣りはいらないよ」


 アルマスは店長の目を真っ直ぐに見る。程なくしてその意図は伝わったようだった。


「そう、ですね。ではこれはありがたく頂いておきます。・・・いつもありがとうございます」


「いやいや、こちらこそ。とても有意義な時間を過ごすことができたよ。ここは素晴らしい店だ。また来させてもらうね」


 店長はアルマスにもう一度礼を言うと店員達を振り返った。


「そう言えば計算が合わないという話でしたね。すみません。私の一存で何人かのお客様には特別に料金の割引をしていました。誰にどれくらいの割引か、ちょっと私も覚えてなくて悩んじゃったんですが思い出せました。ちょうど今足りないくらいの金額だったので何も問題ありませんよ」


 なーんだ、と言って肩の力を抜く店員達。空気が弛緩したところでちょうど良く鐘の音が鳴るのが聞こえた。教会の時を告げる鐘だ。気付けばもう閉店の時間を迎えていた。


「皆さん、遅くならないうちに帰ってくださいね」


 ぞろぞろと店員達が店の従業員スペースに戻っていく。制服から着替えて帰り支度をするのだろう。

 離れていく店員達の中で一人だけリーリヤをじっと見つめる視線があった。先ほどリーリヤを指差していた赤い制服の娘だ。しばらく意味深な視線を向けていたが何をするでもなく彼女も奥に引っ込んでいった。


 残ったのは棒立ちになっているリーリヤと店長だけだ。


「きっと初めてのお仕事で緊張しちゃってたんですよね。まったく『魔女の嫉妬』は本当に嫌になります。リーリヤさん、あまり気にしないでくださいね」


「・・・はい」


 店長はリーリヤを責めなかった。新人がよくやる間違いの延長としてリーリヤの失敗を受け止めている。労りの笑みを浮かべている店長とは対照的に、リーリヤの表情は固いままだった。


 こうしてリーリヤの仕事初日は表向きはつつがなく、けれどリーリヤの心にさざ波を立てて終了した。






「腹減ってる?何か食べて帰ろうか?といってもステーン家で夕飯の用意をしているだろうから買い食いは少しだけだよ」


「・・・いらない」


 リンゴーン区にあるステーン家へ帰るには商業区を突っ切るのが近道だ。何本もの整備された大通りには食欲をそそる匂いを漂わせる屋台が幾つも軒を連ねている。仕事帰りに腹を空かせた住民達もつい財布の紐が緩みがちになる。


 まだ夜闇は訪れていなくても、通りのあちこちで少し早めに街灯が仄かな明かりを灯している。真夜中でも煌々と照らしてくれる街灯は安全面でも生活面でも重要な役割を果たしており、村と街の違いはなにかと聞かれれば真っ先に街灯の有無と言われるほどに都市の顔でもある。

 街灯の上部にある透明な結晶は昼間の明かりを溜め込むことが出来る錬金術によって生成された物質だ。明かりを点けるために一つ一つ起動させる手間がかかるので点灯夫という専門の職業すらあった。


 賑わいを見せる大通りの最中、リーリヤはアルマスの後ろを一歩遅れてついてくる。その顔は辛気くさいの一言に尽きる。どう考えても先ほどの喫茶店『花々の羽休め』での一件を引きずっている様子だ。

 一日の終わりに酒を酌み交わし、今日も働いたと陽気にはしゃぐ往来の人々が殊更それを強調させる。


 アルマスは仏頂面のリーリヤを慰めるわけでもなく、かといって終わったことだと諭すこともせず、リーリヤのことを放置していた。きっと彼女なりに思うところがあるのだろうし、いくら正論でも人に言われると無性に腹が立つ場合だってある。こういうときは下手に触らないのが無難である。


 代わりにアルマスは適当な世間話をすることにした。そこらの屋台を指差しながらあそこは豚の串肉が美味い、あっちの揚げ魚は塩味が薄い。そこの果実水は安くて美味しい穴場だとかそんな益体もない話をしていた。

 リーリヤは特に返事をすることはなかったが、アルマスに文句を言うこともなかった。

 そんな風にして微妙な距離を保ちつつ二人は帰路についていた。


「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」


 リーリヤがアルマスに声をかけてきたのはそろそろ商業区も終わりが見えてきた頃だった。


「なんだい?お勧めの屋台だったらいいとこ知ってるよ。ちょっと戻ることになるけど」


「違うわよ。・・・今日のこと」


 どうやら彼女は反省会をお望みらしい。

 このまま歩きながら話すか、それとも落ち着いて話せる場所を探すか迷ったがアルマスはそのまま足を進めることにした。もうステーン家も遠くない。わざわざ何処かで座り込んで話す必要もないと思ったのだ。

 少しだけ歩く速度を緩めてからアルマスはリーリヤに続きを促す。


「ちょっと気になることがあるの。あの人達の話は私も聞いてたわ。話の流れ的に、多分、私があの長ったらしい名前の飲み物の計算を間違えたというわけよね」


 ただの自身の不甲斐なさの確認ややるせない気持ちの整理というわけではなさそうだ。リーリヤは真剣な表情で何か思い詰めている。


「そうなるね。それも一回や二回じゃなさそうだ」


「なら、おかしい。だって、昨日あんたが出した計算の問題。あれ、同じような問題だったじゃない。きっと今日のことを見越した練習問題だったってことでしょう?」


 案外鋭いとアルマスは思った。

 リーリヤの言うとおり昨日リーリヤに解いてもらった計算式は喫茶店での会計を想定して作成している。『花々の羽休め』では簡素な説明とわかりやすい絵柄によるメニュー表を用いた注文方式のため、アルマスもそこまで似せて作り込んだわけではない。それでも足したり引いたりする額は、トッピングの加算や銀貨銅貨でのやりとりを考えている。


 リーリヤは重大な問題を解き明かすような仰々しい雰囲気で言葉を紡いでいく。


「私、昨日の計算は合ってた。幾つか思い返してみたけど、まるっきり同じになった注文だってあったのよ。ということは、ひょっとして私は嵌められたんじゃないの?そりゃ店長さんは私のせいだなんて言わないで誤魔化してくれてたけど、原因は私だって思ってるはず。でもね。最初、誰かが小声で言ってたのよ。お金を盗んだ人がいるんじゃないかって」


 リーリヤは濡れ衣を着せられたのであって真犯人は他にいる。そう疑っている様子だった。


「なかなか良い考察だね。でも、君は一つ勘違いしている」


「何が違うって言うの?」


 アルマスはリーリヤを振り返りながら笑って言う。


「君は昨日俺が出した計算問題を解けたと言ったけど、それ違うから」


「は?」


「ほとんど間違いだらけだったよ。もう目も当てられないくらいひどかった。初等教育から受け直した方がいいと思うね。まじで」


 あと1,2年もすれば20歳になる世間一般では大人に分類される人間に簡単な足し算引き算のルールから覚えろという羽目になるとはアルマスも思ってなかった。

 これも田舎暮らしの弊害か。いや今時小さな村でだってこれくらい習う。単にリーリヤが特殊なだけだろう。


「な、な、な・・・。なにそれ!?だったらなんでそれを教えてくれないのよっ!」


 怒り半分、羞恥半分で顔を真っ赤にするリーリヤ。


「教えたところでどうにもならないでしょ。すぐに出来るようになるものでもないし」


 何も知らない人よりも中途半端に勘違いしている人の方が正すのは難しい。それも紙面に向かい合って計算するのではなく、客を前に瞬時に計算しなければいけないのだ。たった一日でできることには限界がある。


「・・・そうだけど。そうだけどっ!」


 リーリヤは怒りのままに足を速めてアルマスを追い越していく。


 それでも人によって得意不得意はある。接客が得意な人も居れば、裏方で帳簿を睨んで数字を弄る方が性に合う人も居る。リーリヤだって計算ができない、とまでは恥ずかしくて言えなくても苦手にしているくらい店長に言っておけばそれを避けてくれるだけの配慮はしてもらえただろう。

 アルマスがあえてそうしなかったのには理由がある。


 感情任せに足音を荒立てている彼女の背中にアルマスは本音を告げる。


「それに君、無駄にプライド高そうだからね。間違っていることを伝えても『こんなのなんの役に立つんだ』とか『今まで必要なかった』とか言いそうだったから。身をもって必要性を理解した方が、話が早いと思ったんだよ」


 実際今までの生活ではリーリヤはそんなことを考えずに生きてこれた。けれど、森の中と街では状況が違う。何も学者みたいに複雑な計算を解けるようになれと言っているのではない。ある程度、それこそ買い物で料金やお釣りを誤魔化されないくらいに身につけられればそれで十分なのだ。


 自分の現状と出来ないままでいることの不利益を早い内に知っておいて欲しかった。特に魔女という一種の超然とした立場にあった彼女は人よりも劣っていることを認めるには抵抗があるはずだから。


「そう、かもしれないけど」


 リーリヤはそっぽを向いて苦々しい表情を隠しもしなかった。

 これは多分一定の理解はするけど納得はしていないという顔だ。

 それでもいい。これはあくまできっかけの一つに過ぎないのだから。


「・・・もう一つ教えて」


 自身の不利を悟ったリーリヤはあからさまに話を変えてきた。

 どうぞ、とアルマスが笑いながら言うと半目で睨んでくる。それでもアルマスには効果がないとみると彼女は諦めたようだ。


「『魔女の嫉妬』って何?」


「あ、気付いた?」


 『魔女』という単語が混ざっているのが気になったのだろう。昨日あれだけ魔女に関わる話はするなとアルマスが言っていたのに、普通に会話の中で使われたのだ。彼女が気にしないはずがなかった。


「ただの慣用句だよ。意味は『簡単なミス』、『少し運が悪い』という感じだね」


 アルマスはリーリヤの横に並んで説明を続ける。


「もともとは古~い昔話でさ」


 アルマスが語ったのはよくある子ども向けの御伽話の一つ。


 あるところに美しいお姫様がいました。その美しさは国一番とも言われ、国の内外問わず求婚する者が絶えませんでした。

 しかし、そんなお姫様に嫉妬をする者がいました。それは人の不幸を見るのが大好きなひねくれ者の魔女です。

 ある日、魔女が密かに想いを抱いていた隣国の王子がお姫様に求婚をしたのです。嫉妬に狂った魔女は魔法を使ってお姫様にあらゆる不幸をもたらしました。お姫様はへこたれませんでした。舞踏会に着る服がぼろ布にされてしまっても、ダンスの最中に足を滑らされて転んでしまっても気丈に笑ってみせるのです。

 そんなお姫様の健気さに感動した隣国の王子はますますお姫様に惹かれていきます。仲を深める二人にますます嫉妬を募らせた魔女はついには国もろとも二人を呪おうとします。それでもお姫様と王子は手を取り合って立ち向かい、やがては魔女を懲らしめて国を救うのです。そうして二人は幸せになりましたとさ。


 そんな話をアルマスはリーリヤに語ってみせる。


「そこから転じて『ちょっと運が悪い』とか『少しミスをしてしまった』ときに魔女が嫉妬をして邪魔をしたせいだって言うようになったんだよ」


「魔女はそんなことで嫉妬しない」


 話を聞き終わったリーリヤは大変ご立腹だった。

 眉をつり上げて、宵闇色の瞳に不快さを滲ませている。


「だろうね。けど、御伽話の魔女はするんだよ。実にくだらないことにね」


 そして街の住民も、もっと言うとこの王国に住むほとんどの人もそう思っている。

 魔女とは人の不幸を嘲笑う嫌な奴なんだと。それがこの慣用句には如実に表れていた。


 そんな話をしている間にステーン家に辿り着く。

 雑貨屋の店仕舞いをしていたトビアスとイレネはリーリヤに気付いて手を振っている。アルマスの付き添いは此処までだ。


「また明日も仕事だからね。引きずるのもいいけど、さっぱり切り替えてよく寝ることをお勧めするよ」


 未だに眉根を寄せているリーリヤにそれだけを残してアルマスは帰って行った。






 翌日、リーリヤが自室で準備を終えてリビングに降りるとそこには既にアルマスがいた。


 柔らかそうな金髪に整った顔、そこにはいつも浮かべている良く言えば親しみのある、悪く言えば軽薄な笑みが浮かんでいる。

 リーリヤはアルマスのこの笑みがなんとなく気に入らなかった。リーリヤの記憶にある少年だったアルマスはこんな笑い方をしていなかった。いつもむすっとしてどちらかというと気難しい男の子だったはずだ。

 しかし、しかめっ面をしていても年下のリーリヤにはなんだかんだと構ってくれていた。今もそこは変わらないのかもしれない。それがまたなぜか無性にむかつくのだ。


 彼は我が物顔で椅子に座り、家主であるトビアスやイレネと親しげに談笑している。一緒に暮らしているはずのリーリヤなんかよりもよほど親しげで二人も楽しそうだ。実際そうなんだと思う。リーリヤがこの家に来る前はアルマスがここで暮らしていたと聞いている。リーリヤと話すときは二人ともどうしてもぎこちなくなってしまう。そんなところにもリーリヤはアルマスにむかむかしてしまう。


「お待たせ」


 リーリヤはアルマスに声をかける。思ったよりも不機嫌な声が出てしまったことに自分自身でびっくりする。アルマスが気分を害してないか気になるが出してしまった声はもう戻せない。


「おっ、腐らずにちゃんと出て来たね。えらい、えらい」


 わざとらしく腕を組んで大袈裟に頷いているアルマスに対して、何を偉そうなと思う。

 『花々の羽休め』という喫茶店でのお仕事初日はお世辞にも上手くいったとは言えなかった。そのせいでリーリヤがふてくされているのではないかと勘ぐっていたのであろう。


 あいにくそこまで柔なつもりはない。リーリヤはアルマスの正面にある自分の席に座ると努めてすまし顔を維持した。


 アルマスに対するリーリヤの態度を見てトビアスは苦笑を浮かべている。イレネも微笑ましそうにしながらリーリヤの前にお茶を置いてくれる。柔らかな香りのするハーブティーだ。初めて飲んでからたった数日ではあるがリーリヤは既にこのお茶が好きになっていた。一口飲むだけで心の中にある棘が少しだけ丸くなっていく気がする。


 いけない、とリーリヤは自分を諫める。どうにもアルマスには攻撃的になってしまう。言動は軽いし、バカにされた気分になるし、理由があってもなくてもアルマスを見ると八つ当たりをしたくなる。


 これが甘えなのだとは不本意ながらわかっている。この街でアルマス以外に碌に知り合いのいないリーリヤには彼だけが頼りだ。だというのにこの男は訳もわからないままのリーリヤをステーン家に預けて7日間も顔すら出さずに放置したのだ。どれだけリーリヤが心細かったか、わかっているのだろうか。


 それだけではない。昨日の喫茶店もそうだが、彼は行く先々で様々な人から声をかけられていた。皆親しげに彼に声をかけ、彼も彼で楽しそうに会話をしている。リーリヤにはまるで見せつけられているように思えた。リーリヤには他に友達の一人もいないというのに。


 また心が荒んでくる。リーリヤはお茶のほんのりと甘い香りに意識を向けるようにする。ここのところはずっとこうだ。じっとしているとぐるぐると暗い思考が渦巻いてくる。


「それ飲み終わったら行こうか」


 アルマスの呼びかけに顔を上げれば、彼は優しげにリーリヤを見ていた。

 一応、感謝していなくもない。リーリヤのためにあれこれ手を尽くしてくれていることも知っている。

 けれどいつまでも彼に甘えるわけにもいかない。自分で出来ることくらい自分でする。


「お店の場所はわかったし、今日からは付いてこなくていいわよ」


 リーリヤなりの意思表明だった。

 

 昨日は確かに失敗してしまったけれど今日は違う。そもそも給仕なんて誰にもできる仕事だ。計算については昨日のこともあり自信はないが、自信がなければやらないように立ち回れば良い。店員の中には会計の仕事をしていない人間も何人かいた。ならばリーリヤもそうすればいいのだ。


 アルマスとの約束で誰にも言うことはできないがリーリヤは魔女だったのだ。あの霧に満ちた暗い森で凶暴で陰湿な数多の妖精共を従えてきた自分からしたらこの程度のことなんでもない。次は失敗なんてしない。


 本当のことを言えば、なんで自分がこんなことをしなければならないのだろうとは思う。けれど生きるために必要と言われれば仕方がない。やりたくはないけれどやってみせる。


 そんな意気込みを示したつもりだった。


 それなのにアルマスの反応はなんとも妙な感じがした。


「うん?ああ、そういえば伝えてなかったね」


 リーリヤはカップを握る手に無意識に力を込める。

 アルマスがこういう惚けた表情をするときは大抵ろくでもないことだとこの短い間にリーリヤは学んでいた。


「『花々の羽休め』でのことはしばらく気にしなくていいよ。言ったろう?切り替えるようにって。今日からは別の所に行ってもらうからね」


 リーリヤは頭の中が真っ白になる。

 自分が上手くできなかったことは自覚している。きっとあの優しげな店長にだって迷惑をかけたのだろう。それでも人間社会というのはこうまで厳しいものなのだろうか。


「私たった1日でクビになったの・・・?」


 リーリヤは自分の出した声が随分と遠くに聞こえた気がした。

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