生きる。飢える。
思えばなんてことない一生だった。
それなりに親からは愛されていたし、友達もきちんといた。彼女だって作ることは出来た。
でもなんか違った。充たされていなかった。
「よお、陶山。元気だったか?」
「元気だったよ。というか元気ってこの場所で言うのはおかしくないか?」
「ははっ、間違いねえや」
そういって俺たちは笑った。
俺は亀井史弥。ごく普通と言っていいかわからないけど一般大学生。友達だっていないわけじゃない。そんな俺ももうすぐ就活を始めないといけない時期になってきた。わかっている、面倒くさがりな俺でも課題のレポート提出みたいに軽くさぼっていいわけじゃないということも。しかし面倒くさいものは面倒くさい。そんなことを思いながらスマホにグループから通知が来た。友達の就活の報告だった。
「あいつらもう最終面接までいってんのか。きちんとやってえらいな」
そんな面倒くさがりな発言が飛び出す。わかっているさ、今までだって文句を言いながらもきちんとやることはやってきた。就活だって文句をいいながらきちんとやるさ。そう思いながら就活サイトで企業を一つ一つ見ていく。こうやってパソコンを前に企業を調べるのもだんだんと面倒くさくなってくるが生きていくうえで必要だから仕方ない。文句を言いたい気持ちをぐっとこらえて探す、探していく。
「やっぱり面倒くさいけど公務員目指すべきだったかなあ。企業調べるのも面倒くさくなってきたぞ」
もう夜も明けそうな時間。企業の説明会やらインターンやらを調べながら苦い顔をしてしまう。そんな状況下だと思考もマイナスになっていくことに気付きながらも渋々と企業を調べていった。
幼いころから俺は面倒くさがりで自分の好きなことでさえも面倒くさいと感じると嫌になってしまうタイプ。しょうがない、面倒くさいものは面倒くさいのだから。そう考えている今も面倒くさいと思ってしまう。ずっとそうだったのだ。面倒くさいからさぼりたくなる。だけど後々大変になるから一応はやる。そうやって今まで生きてきた。そんな面倒くさがりだったのが関係したのかはわからない。多分原因の一つではあったかもだけれど小学校の頃はいじめられていた。だからと言って報復してやろうとも思わなかった。いじめられていた影響か、自己評価において最底辺もいいところの評価をしていた。ふとした瞬間、自分の生きる意味を問いたくなる。
そんな小学校生活のせいで中学は私立を受験した。思えば両親は頑張れといって応援してくれたのは謎だったが、その時はうれしかった。頑張って入った私立ではいじめといういじめもなく、嫌いというべきか、苦手というべきか微妙だがそういった集団はいた。だけど普通に友達もいたし、仲良く一緒に帰る友達もいた。「遊ぼうぜ」って言ったらそら行くぞ早くいくぞさあ行くぞと言わんばかりの友達もいた。友達の家で一緒にゲームをしたり、夏にはプールや海にだって行った。冬になったらスキーだって一緒にやる友達がいた。カラオケだって凄いときは週1で行って、バカ騒ぎしていた。楽しい中学生活だった。
俺は中高一貫の私立に通っていたからそのままエスカレーター式で高校に上がる予定だった。俺がいつも一緒に帰っているメンバーは四人だった。何かしらの用事があるなら別だったが特にないときは四人で帰っていた。帰りにコンビニで一緒にアイスを食べて帰るのはすごい楽しかった。だけどその中の二人は別の高校に行くらしく、俺は頑張れと応援はしていたが少し寂しかった。だが行くときは四人で行くし、別に今後も遊ぶ約束はしていたから何とも思わなかった。
だけど、俺の発言が一緒に高校に上がった友達の癇に障ったのだろう。そこから一緒に遊ぶ頻度は減っていった。いや、無くなったといった方が正しかったかもしれない。俺の発言が悪かったのはわかるが、どの発言かわからずじまいだった。それからは登校する時間をずらして、あまりそのメンバーと関わらないようにしていた。何かすっぽりと自分の心に穴が開いたきがした。
そうだ。その頃が特に自己評価が下がる時期だった。高校にエスカレーター式で上がったため、友達はそれなりにいた。今となっては親友と呼んでもいいような友達もいた。親友である小林結斗とは中学一年で仲良くなって、本当に気が合う仲だったと思う。勿論本人に聞いたわけじゃないから自信はないが、少なくとも自分の中ではそう思っていた。だけどその結斗とクラスも別だし、特に仲良った友達とも別だった。勿論クラスの中にはそれなりに遊ぶ友達はいたし、一緒にご飯も行くやつだっていた。それに他校とはいえ彼女だってできた。一緒に手をつないだりしながらデートもした。だけど何か違う気がした。
そう思いながら二年生になった。二年になればそれなりに受験の意識も高くなってくるし、友達も塾だなんだと忙しそうにしていた。俺だって面倒くさいといいながらもそれなりに勉強はしていた。なんだかんだ時間を作りながら友達や結斗とも遊んでいた。だけどなぜかこの高校に自分の居場所はないと思ってしまった。理由はいくつかが原因だったんだと思う。結斗と遊ぶ頻度も落ち、あいつは薬学部へ行くために猛勉強していたからか、頭の良いやつとよく話をしていた。自分にはあまりわからない内容だった。後は中学でいつも帰っていたメンバーとの接点が本当になくなっていた。
何が悪かったんだろうか、わからない。そうやって周りから取り残されていく気分だった。彼女とももう別れていた。クラスの皆は俺のことをただ同じクラスメイトのやつだって自分の中で思っていた。それなりに仲が良いと思っていた友達も自分のことは他に話すやつがいない時に話す感じの、そんなレベルだと思っていた。そんな思考から、結斗のことも向こうは俺と話したくないんだろうなって勘違いをしていた。そう思うきっかけも結斗の対応が俺に対してだけなんとなく素っ気なく感じてしまったからだ。
そうやって思考はどんどんと悪い方に流れていって、勉強への意識も下がりなにもかも捨ててしまいたいと思ってしまった。そんなことを話せるような相手がいなかった。
「だって俺は友達じゃないんでしょう?」
今思えば何言ってんだこの馬鹿と叱ってやりたいと思えるくらいには自己評価が限界突破していた。勿論下の方にだ。止めは結斗の素っ気なさに気付いたときだったから、本当に仲のいい、いろんなことを話せるような奴だと思っていた。実際のところは結斗は俺に対してだけツンとデレの割合が九対一とかいう謎のツンデレチックな対応をしていたのが原因と気付いたのは高校卒業前日の話だ。
そんな自己評価が最底辺だった時に三年生になった。本当に受験で遊ぶ暇なんてなかった。勿論嫌だし面倒くさいけれど一応は勉強した。理系の大学に行くつもりだった。それなりに数学は出来たし、理科もまあ悪くはない程度の出来だったから。だけど自己評価が最底辺になって、大学行くのをやめようかなと本気で考え始めたときに、友達が死んだ。心臓の病気だ。そいつは小さいころに心臓の病気で体もあまり強くなかった。中学も最初の一学期は登校していなかった。だけどペースメーカーの力もあったし、そいつの心も強かった。中学二年の時には仲良く遊ぶくらいに仲がよかった。
でも、死んだ。最近はペースメーカーなくてもいけるっていうくらいには元気だったのに。俺はただただ何も考えたくなかった。高校に上がってからも一緒に笑い合っていた。なんなら死ぬ前の最後の学校の日に「またなー」って言いながら笑って手を振って、向こうも「おうよ」って言いながら手を振り返してくれたのに。ただ、現実逃避していた。これは嘘なんだ、あいつは元気で明日になったらおはようって言いながら笑って教室に入ってくるものだと、そう思っていた。
次の日に通夜があった。おかしいな、なんであいつ学校にこないんだって思いながら通夜に参加した。あいつの棺をのぞき込んだら寝ているような穏やかな顔で目を閉じていた。周りにはそいつの両親や兄弟だっていた。その時は何を思っていたのか、もう思い出せないけれど一緒にバーベキューをやって、花火をみて、一緒にゲームをした思い出だけはハッキリと蘇っていた。
「なあ■■、来週新しいエナドリ出るんだけどさ、一緒に買いに行こうぜ?」
そっとそいつの棺の前でつぶやいた。もしかしたらあいつが死んだ理由はエナドリなんじゃないかと思うくらいエナドリが大好きな奴だった。一緒によくコンビニに買いに行って飲んでたのも原因なんだろうか、もうわからない。
俺がエナドリが大好きというのは■■と共通の友達は知ってたからか、
「お前もうエナドリ飲むな、お願いだから飲むな。死なないでくれ」
そういわれたときにこいつと友達でよかったって、そう思えた。その日からエナドリを飲む頻度も控えた。週に一本、■■の机にエナドリを置いて、その次の週に新しいやつを買って先週の古いやつを飲む。その時しか飲まなくなっていた。
■■の死を悲しむ間もなく日は過ぎていくし、受験という存在が近づいてくる。気持ちを切り替えて、勉強しないとって思うのに、あまり集中できなかった。結局はそいつの死を夏休み前までは引きずっていたと思う。さらに言えば結斗との関係も話をしないわけではないが、ほとんどしないといっていいレベルだった。
夏休みが来た。先生はこの夏休み、どれだけやれるがが大事だって言いながら課題を出してきた。こんなもの燃やしてやろうかと思えるくらいにはもう勉強なんてしたくなかった。そんな夏休みのある日、叔父が死んだ。遊びに行ったときは仲良くしてくれていたし、尊敬できる叔父だった。自分の中で何かぽきっと折れたような音がした。
それからというものの、課題はやる。塾も行く。けど家で勉強なんてしたくないとずっとゲームばかりしていた。なんでこんなことしないといけないんだって思いながら、すべてが面倒くさくなっていた。
夏休みが明けて先生との面談。最初は適当に自分の頭で行ける範囲の大学にしようと思っていた。だけど大学なんて行ってどうするんだよって、変なことを考えていた。その時に読んでいた本の名前は憶えていないけど、恰好良い執事が主に一生懸命仕えるような描写のある本だった。なぜか自分の中でこんな人になりたいなって思った。だけど担任には相談したくなかったからたまたま隣のクラスの担任の先生に「レストランとかで働くような感じの、専門学校行きたいと思うんですけど」って聞いてみた。
学校としてはあまり専門学校に行かせたくないような感じの高校だったからか、それとも単純にきちんと先生と生徒という関係でしっかりと相談に乗ってくれたのかはわからない。その先生は「大学に行け」。その言葉を力強く言った。専門学校も悪くないが将来の選択肢を狭めるなと言われてから確かにその通りだなって思った。
その相談が後日、担任に聞かれて水臭いなって言われながらいろんな大学を進めてきた。理系だけでなく、文系のそれこと本当に総合大学みたいな学校を進めてくれた。推薦もしてやるといわれたときに、「勉強しなくていいじゃん」なんて甘い考えをした当時の自分を殴りたいと思えるくらいにはその案に乗り気だった。
そうやって推薦してもらった関西の大学へ合格し、経営やいろんなことを学んだ。もともと数字にはそれなりに強かったこともあって、簿記とか会計に興味がわいたからそんな感じのところで就活しようかなと思えるくらいにはなっていた。
パンデミックの影響で大学での友達はほとんど作れなかったが、今のご時世はスマホを使っていくらでも高校時代の友達と連絡がとれる。高校卒業前に結斗と共通の友人の女の子から結斗は親友って思っているみだいだよっていう話を聞けた。そいつとは結斗のことで相談をしていた。結斗の雰囲気がその女の子が好きというような感じだったからなのだろうか。素直にこの子とは友達だって思えた。おかげで結斗との関係もそれなりに元に戻ったように思う。実際のところは俺が遠慮しすぎていた部分が大きいのだが。結果としてほんの少しだけ自信を取り戻せた。そこからは素直に高校時代に話していた友達のことをきちんと友達と思えるようになっていた。それと結斗もまさかの同じ大学だった。少し、嬉しかった。だけど充たされなかった。
アルバイトも大学生になったんだからということで始めた。居酒屋で働いた。知人からの紹介ではあったから簡単に受かったが、後からオーナーに紹介じゃなかったら多分落としてたよって言われてよかったと思った。パンデミックの影響もあったし、殆ど話す機会が減ったせいで、初めての出勤日に店長や先輩ともまともに話せなかった。自己紹介もされたが、少し怪しいといえるくらいには本当に緊張していた。
そんなアルバイト生活も慣れて、だんだんと話せるようになって、常連さんとも飲みにいくよって誘われるくらいには仲良くなれたと思っている。店長とは年齢も近いこともあって本当によくしてくれた。一緒にご飯にも連れて行ってくれたし、遊びにも誘ってくれた。趣味が近かったこともあって店長の家で一緒にゲームもした。でもその店長も俺が大学三回生の夏にやめた。
だんだんと近づく就活と仲の良かった店長がやめた影響もあってまた精神が不安定になってきた。店長と遊ぶ頻度も減っていたのも原因の一つだ。後は店長と仲の良かった常連さんともあまり合わなくなった。この常連さんの影響も大きかったんだって、後から気が付いた。
自己評価が低いせいも相まって基本的に自分から連絡を取るということが出来るタイプじゃなかった。
「自分が連絡入れるのって良くないよね。だってこんな奴だし」
その言葉がすっと頭の中で出てきたときにはもう遅かった。元店長とも常連さんとのやり取りも一気に減った。今まで仲の良かった友達との連絡も減った。就活が嫌になってゲームに逃げた。
ほとんど連絡を取らなくなってから数ヶ月がたった。アルバイトだって新しく入ってきた子もいる。表面上は仲良くする努力をした。だってこのアルバイト先で自分が一番歴が長い存在になったからだ。常連さんだけでなく初めてのお客さん相手にも話しかける努力をした。自分が一番歴が長い存在だから。そうやっていろいろと取り繕った。自分の先輩が新しい店長になるっていう話は聞いていたから先輩との関係も今まで以上に仲良くやる努力をした。先輩だからお店のことはわかるけど店長としては初心者なのだから、自分が出来る範囲で支えないとって意味の分からないような考えで努力した。
新しい店長主体になってからは常連さんの層が変わってきた。勿論今までいた常連だっている。だけど前まで来てくれていた常連さんがこなくなって、少しづつ変わってきたんだって思った。特に前の店長には優しくしてもらったから、自分だけが取り残されているような気がした。いや、気がするじゃなくて実際そうだった。自分よりも後とはいえ数ヶ月後輩は新しい店長との仲がよかったからかそこまでの変化はなかった。本当にこの店で前の店長をきちんと知っているのは自分だけなのかなと思えるくらいには悲しかった。
そうこうしているうちに就活の時期がやってきた。大学も春休みだ。しかしゼミの課題は残っていた。提出期限が春休み半ばまでだったからか、期限ギリギリまで存在を忘れていた。ギリギリになってから始めた課題。勿論きちんと提出した、期限最終日ではあるが。
「課題も終わったし、就活に専念するか」
そうつぶやいたあの時の自分を殴りたい。課題の期限が過ぎてふときちんと提出できているか確認をした。勿論きちんと提出できていた。
“最終課題の一つ前の課題”を。
最終課題が出せていない場合、四回生のゼミに参加は出来ない。そんなことを口酸っぱく教授から言われていた。顔が真っ青になるのも、絶望の淵に叩き落されたのもしっかりと理解できた。
急いで連絡を入れ、新しいのを提出した。が、就活の不安と教授からの返信待ちの不安。その時には死にたいとしか思えなかった。
わずかに明るくなっていく空、今住んでいるアパートは五階。今までの自己評価の低さ。面倒くさがった自分。うっかりな自分。その時には簡単に口からこぼれてきた。
「もういっか」
机に出しっぱなしにしていたノートに両親、兄弟それと仲良くしてくれた元店長と常連さん。そして新しい店長やバイト仲間、今も連絡を取ってくれている友達と、結斗への書置きを残して―――
★
「お父さん、お母さんへ」
今まで育ててくれてありがとう。こんな不出来な息子だったけれど、可愛がってくれてありがとう。親不孝な僕を許してください。先に行って待ってます。
「お姉ちゃんへ」
今までありがとう。一緒にご飯いったり、買い物に行ったり、遊びに行ったりたのしかったよ。いっつも文句ばっかり言ってたけどお姉ちゃんのこと、大好きだよ。
「ときやさんへ」
今までこんな僕をよくしてくれてありがとうございます。一緒に遊んで、寝ずにゲームなんでバカげたことやって、凄い楽しかったです。一緒にお酒飲みすぎてぶっ倒れたときはやらかしすぎて僕たち怒られて、でもそんな日々が楽しかったです。
「いしだちさんへ」
今まで遊んでくれてありがとうございます。元店長のこと、頼みました。もっといっぱい遊びたかったです。あ、お酒いろいろやらかしてごめんなさい!(笑)
「やまさんへ」
今までありがとうございました。もっと一緒に働きたかったです。僕抜きできちんとお店回してくださいね!あと、きちんとお箸、補充するように教えてください。僕が入るとき、かなり少なくなってますよ(笑)
………
「結斗へ」
いっつも俺にだけツンツンしすぎだよばーか。まあ俺にだけだからうれしいけどさ。もっと一緒に遊びたかったよ。先行っとくから、お前はすぐにくんなよ!向こうでいろんな話聞かせてもらえるの楽しみにしてるから!じゃあな唯一の親友!
最後の方はうっすらと滲んで、少しだけ読みにくくなっている
どうも初めまして!作者の鵺傘と申します。今回の主人公は小学校のいじめが始まりで自分のことを最底辺の人間と思っている自己評価最低男の子でございます。基本的に家族からの愛情はたっぷりではあるものの、他の人からの愛情、いわゆる血のつながらない人からの愛情に飢えた青年のお話となっています。なんでそんな自己評価低いんだっていうのは他人から愛情をもらえなかったからで、自分を一番においてくれる人が一人でいいからほしかったと思い願っていたというお話です。なので最後に「結斗へ」という言葉を残しています。大学生活で結斗は高校時代の友達とほとんど連絡をとっておらず、唯一主人公とはそれなりに連絡していたという部分で主人公の飢えを充たしていた、という感じです。
それと最初に出てきた陶山という人物は高校時代に亡くなった友達で、最初の就活の内容は外を見て主人公が飛び降りなかった、というIFルートという風にしています。
最後の書き置きで固有名詞は上から順に元店長、仲の良かった常連さん、新しい店長でございます。
という感じで今回の小説、いかがでしたか。また機会があれば書き綴っていきたいなと思います。(今度はファンタジーか恋愛書いてみたいなあとか)