第一日:語り口
はじめまして皆様。
私の名前は「透谷 凛 (とおるや りん)」と申します。
私には夫がございまして、
名前を「透谷 閑 (とおるや しずか)」と言います。
年齢的には、2人とも人生の折り返しが
迫ってきているところであります。
さて、紹介はこれぐらいにいたしましょう。
そろそろ夫が帰ってくるはずでございます。
あ、口調は普段通りに戻しますね。
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「ただいまー!!りんりん!!」
あ、バカが帰ってきた。
「おかえりなさいしずか。」
「あれ!? 呼び方、かえちゃったの…?」
いくつになっても呼び方を変えるつもりはないらしい。
最近は嬉しさよりも気恥しさが勝ってきたけど、
仕方ない。
「……しずくん」
「かわいーーーーーーーー!!」
わ、抱きついてきた。
このぎゅーってくるのがすき。嬉しいなぁ。
でもまぁ、いまだにこの愛情表現をする同年代の夫婦は
多分いないんだろうなぁ…
「あ、りんりん。朝約束したデート、
今日は高級なバーにでも行こうかと思うんだけど、
どう?」
そうだった。今日は外食デートって言われてたから、
ご飯作らなかったんだよ。楽ちんでありがたい。
「もし気分が乗らなかったら、
高級な居酒屋という選択肢が待っているよ。」
……?
「高級な居酒屋って?」
問い返すと閑は私の頭を撫でながら言う。
「そりゃあ、ビアホールさ。
ビアホールって、高級な居酒屋って意味だろう?
高級な踊り場もダンスホールって言うし。」
バーにしよう。
「バーにしよう。」
思考と言葉の見事な一致である。
「わかった!じゃあ支度が出来たら早速行こうか!」
うん。
ビアホールは決して高級な居酒屋などではない。いいね?
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かなり高そうなバーだ。
大きな1枚ガラスの窓から綺麗な夜景が見える、
暗めの穏やかな雰囲気の店。
ちなみにホテルのラウンジ。高級ホテルの。
テーブルの上にメニュー表が2つ。
たぶん羊皮紙?で出来ていて、
しかも英語じゃない言語で書かれてる。
とっても素敵な店。
でもね。
でもなんで予約名が「りんりん」なの!?
「おふたりでご予約のりんりん様」とか、
恥ずか死するかと思ったわ!!
まぁ、いつもの事だけど…。
しずくんがお酒を頼んでくれた。
こういう所に不慣れな私をリードしてくれる。
私のしずくん。
お酒は「ルジェ・カシスオレンジ」という名前。
いっぱい説明されたけど、とにかく私の誕生酒らしい。
とりあえず、乾杯。
「りんりんの可愛さにかんぱーい!!」
「か、かんぱい。」
もう。言っても辞めないからいいけど。
言われる身にもなって欲しい。顔が熱くてしょうがない。
誤魔化すようにお酒を飲む。
顔の火照りをお酒のせいにできるように。
しばらくお互いを見つめ合う時間が過ぎた。
若い頃が懐かしい。今は2人ともいい歳だ。
今年で37歳。もう誕生日は過ぎてしまった。
若々しさが逃げていく。
でも、閑は変わらず美しい。
美しくなくなった私を閑は愛してくれるの?
最近は誕生日を過ぎる度に不安になる。
そんな時はあの、最高の誕生日を思い出す。
閑にプロポーズされた日、私の誕生日だった。
今日みたいなホテルのラウンジでの出来事。
その時すっごく印象に残るプロポーズをされたが、
もう閑は覚えていないかも。
「あのね、りんりん」
「うぇ!?」
うっわすごい声出た。めっちゃ間抜けな声。
というかそれより、いつに無く真剣な声だ。
まるでプロポーズでもするような…
「結婚したこと、後悔してない?」
結婚することで、諦めてしまった夢もある。
でも若い頃の夢が全て叶うわけないし、
結婚を後悔してるってわけではない。
夫はこの年でアイドル勧誘されるくらいイケメンだし、
毎日いっぱい愛してくれる。
愛してくれるの。すっごく。
……………………………夜もね。
とってもしあわせ。だから、
「後悔してないよ。夢はあったけど、
今以上に幸福になれていたとは思えないからね。」
ゆっくりと頷き、
綺麗な目でまっすぐ見つめながら、閑は言う。
「よかった。そして、夢があったのも知ってる。
何回か話してくれたからね。夢を話す君は
とってもキラキラしていた。だから…」
少し恥ずかしさを覚えながら、聞く。
「だから…?」
閑はゆっくり、しっかりと言う。
「それを、叶えてあげる。」
閑は優しいけど、私はもうおばさん。もういいの。
「いや、もういいん…」
言いかけた言葉を制して、閑が聞く。
「りん、プロポーズの言葉覚えてる?」
覚えてる。今まで聞いたことがあるようで、
1度もなかった言葉だったから。
『僕は、あなたに、僕以外誰も与えることのできない
贈り物をすることができます。』
既に超絶惚れてたからプロポーズするまでも無く、
だったけど、この言葉はとてもはっきりと覚えてる。
結構期待してたし。
でもてっきり、
閑、忘れてるかと思ってた。
「覚えてるよ…!」
「よかった!!」
閑はじっと私を見ながら言う。
「じゃあ、少し長くなるけど、
それについてお話をするね。」
閑はグラスを傾けて、喉を潤すように飲む。
その様はとっても艶やかで…
「僕は、天使に魂を売ったんだ。」