契約
カリアスとセレネの姿は小屋近くの池のほとりにあった。
太陽が傾き始めたようで、見上げると青い空にオレンジ色のグラデーションができ始めていた。
目の前のどこまでも深く感じる碧水の池は静かで、時折吹き抜ける風で水面が揺らぐ。
いつもなら水棲馬達がソワソワしながら顔を出してくるはずなのだが、今はその気配も感じない。
きっと陽が暮れてきたせいだろう。
そうであってほしいとカリアスは願う。
何者かに踏み荒らされた形跡がくっきりと残る池の淵を見ながら、カリアスは自分の中に沸き起こる罪悪感を宥めていた。
カリアスは池に向かっていた顔をなんとなく横に向ける。移った視線の先には、変わらぬ美しさで池を見つめているセレネの姿があった。
その美貌は池のほとりでもよく映える。
「アリアちゃん、良い子だね。最初はビックリしちゃったけど」
カリアスの視線に気付いたのか、セレネは顔をこちらに向けニコッと微笑んでからそう言った。それに対して、カリアスは苦笑いを浮かべて応じる。
セレネが驚いたのも無理はない。
カリアスにとってもアリアの登場は予想外であり、その対応に追われる事は災難としか言いようがない。
アリアが押しかけてきた後、カリアスの体は何回かズタボロになりかけた。アリアの過剰な愛情表現は、毎回カリアスの体にだいぶ負担をかけてくる。
アリアに悪気が全く無い事がかえってカリアスを苦しめる。
アリアを召喚したことが無い一番の理由は魔力が足りないからだが、他の理由はと聞かれたら、カリアスは「自分の身の安全の為」と本気で答えるだろう。
今回も何とか事情を説明して変な誤解を解き、カリアスはやっと解放された。
アリアはセレネの話を最後まで聞くと同情心が芽生えたらしく、「そういう事なら仕方がない」とむしろセレネのことを心配している様子だった。
会話の最後に「でも、カリアスのお嫁さんは私だけだから!」と大声で宣言した所は本当にアリアらしい。
セレネの言う通り、アリアは基本的に良い子なのだ。
周りが苦しんだり悲しんだりしていると、誰よりも純粋な心で気遣ってくれる。カリアスも彼女の優しさには何回も助けられていた。
悪い子では無い。むしろ凄く良い子である。
ただ、カリアスに対しての愛情表現がちょっと異常なだけで……。
「アリアちゃんにも納得してもらえて良かった。それに、アリアちゃんのおかげで私がダンジョンに行く良い方法が分かったもの」
ホッとした表情でセレネがそう言った。
確かに予想外のハプニングではあったものの、アリアのおかげでダンジョンに行く為の解決策が見つかった。
しかし、やはりカリアスの中では覚悟が決まらない。
「本当にいいのか?」
「ええ。それしかいい方法がないもの」
「事が終わるまでの間は、常に俺と行動を共にしなくてはいけなくなる。それに、どちらかが死ぬまで契約自体は一生続くし、そもそもドラゴンとなんて前代未聞過ぎてどうなるのか俺にも想像がつかない。もしかしたらお互いに悪影響が出る可能性もある。それでも本当に良いのか?」
「私はカリアスと自分の運を信じる」
「こりゃ責任重大だなぁ……」
どうやらセレネの決意は相当堅いもののようだ。思わず苦笑いを浮かべてしまう。
本当に自分なんかでセレネに見合うのだろうか。
カリアスはどうしてもその考えが頭によぎってしまう。
いい加減ウジウジするのをやめろとジェイソンに言われたが、自信はその日すぐに身につくものでは無い。
「カリアスは不安なの?」
整った眉をやや下げながら、セレネは遠慮気味にそうカリアスに問いかける。
自分の決まりきらない心がセレネを困らせているのだと、カリアスは悟った。
(何を悩んでいるんだ俺は。セレネの力になると決めたじゃないか)
何の為にここに自分は来たのだと、カリアスは弱い自分を奮い立たせる。そして、セレネと一緒に行動すると決めた、あの時の強い覚悟を振り返る。
ふとカリアスの気持ちが自然に前を向き始めた。自分のことばかり考えていた事が恥ずかしく感じる。
重要なのはセレネの為になるかどうかだ。
それに、一度決めた事を無しにする事は男として出来ない。
どんなに魔力がなくて、彼女に見合わない自分で情けなくても、それだけは男として譲れないと、そうカリアスは思った。
(俺の力が少しでも役に立つのであれば)
「よし、契約を交わそう。君が覚悟を決めているなら俺も腹を括るよ」
カリアスは自分の気が変わらないうちに、セレネにそう声をかける。
「本当に? 無理してない?」
「してないよ。俺も前に進む時が来たんだきっと」
「それじゃ、よろしくお願いします」
カリアスは自分の限りある魔力を使い、セレネの目の前で自分の紋章である魔法陣を空中に描く。
そして、呼吸を整えカリアスはセレネに向かって誓約を唱える。
「主たるものを我に望む者よ、契約のもと真の力を我に与えたまえ。その命尽きるまで、この命果てるまで。召喚魔法、契約!」
静まった池のほとりで、カリアスの声はどこまでも響き渡って行くのだった。




