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第27話 仮痴不癲《かちふてん》… 愚かなふりをして相手を油断させ、時期を待ちます(前)

 悪臭がしばらく抜けずに、僕はしばらく自室での待機をやむなくされた。


 既に魅力が大幅に低下しているので、女中たちも食事を運んでくるのをいやがるようになる。


 見かねた騎士団長のオズワルが僕を気遣って、以前のように代わりを買って出てくれるくらいだった。


 そのオズワルも、僕の身体に染みついた悪臭から解放されるまでは、甚だ閉口していたようだった。


 魅力が下がることがいかに自尊心を傷つけるか、身をもって知った僕だったが、それでもダンジョンを攻略した経験に裏切られることはなかった。


 ある夜、眠い瞼に浮かんだステータスはこれだ。




 〔カリヤ マコト レベル27 16歳 筋力45 知力64 器用度62 耐久度63 精神力53 魅力51〕




 筋力と器用度と耐久度が、9ずつ上がっていた。


 筋力が久しぶりに上がったのは、自力で戦闘に勝ったおかげだろうか。




 ようやく人前に出られるようになったところで、僕はディリアの朝礼が行われている大広間に顔を出した。


 いつもはディリアかオズワルが一方的にお触れや訓示を述べて終わるのだが、このときばかりは雰囲気が違った。


 ディリアの前にひざまずいた廷臣が何やら恭しく報告を上げると、ディリアが難しい顔で、その場にいる全員に意見を求めるのだった。


「これは本来、リカルドが差配することです。しかし、良民が直接、私に助けを求めてきたからには、知らぬ顔はできません」


 貴族の中のひとりがディリアの前に進み出て、ひざまずいた。


「リカルドならば即座に何らかの答えを出すことでしょう。しかし、それがディリア様と、良民のためになるとは思えません」


 だが、反論も上がった。


「急に作物が枯れ、毒が染み出した土に鋤鍬が通らぬようになってから、随分と時が経っております。急ぎませんと」


「さよう。生活の糧を失った農民は街に流れ込み、住人たちの仕事を奪っております」


 口々に窮状を述べ立てる廷臣や貴族たちの前に、口下手なオズワルなどは押され気味に身体を強張らせていた。


 


 だいたい、何が起こっているのかは分かった。


 原因にも、見当がつく。


 闇エルフのエドマだ。


 また、ダンジョンの中のモンスターを外へ解き放ったのだろう。


 これほど短期間で土地を荒廃させることができるのは、もはや「龍ドラゴン」級のモンスターしかない。


 エドマもしばらく鳴りを潜めていたが、久々に動き出した分、やることが凶悪になってきている。


 やれやれ、だ。


 それにしても、あの「闇の通い路」、今まで見た限りではドラゴンが通れるほど大きくはなかったのだが……。


 いや、今、それは問題じゃない。 


 ここは、「この世の何者も突破すること能わざるダンジョン」を制覇できる、異世界召喚者たる僕の出番だ。


 真っすぐに手を挙げて、名乗り出ることにした。


「これは、モンスターの仕業です。すぐにダンジョンへ向かいますので、まずは街に流入した農民たちが元の土地へ戻るまでの手当を」


 


 だが、その場は一斉にしらけかえった。


 ディリアやオズワルも含めて、大広間にいる一同のまなざしがこっちに向けられる。


 だが、それは僕に対する猜疑や非難、軽蔑の視線ではなかった。


 それらをまともに浴びてさえも平然としていられる人物が、僕に後ろから辛辣な批判の言葉を投げかけてくる。


「はて、証拠がありますかな? 確かに異世界召喚者殿はダンジョンに潜られるのがお役目でございますが……」


 別の声が、それを引き継ぐ。


「政に口を差し挟まれることは、たとえディリア様でもお許しにはなれますまい」


 これには一言もないかと思われたディリアだったが、今度ばかりは逆捩じを食らわせた。


「ならば、その後ろに立っている者も同じことではありませんか? 控えなさい」


 だが、リカルドはしゃあしゃあと言ってのけた。


「私めの言葉を、代わりに述べていただいただけのこと。この方の言葉は、代わって私が皆様に伝えますれば」


 そう言うなり、おもむろに一同を見渡して告げた。


「伝説の、救国の士はここにいらっしゃる。人の為すことなら全て見通すことのできる、賢者アルテミドラス殿である」


 静かに歩み出たのは、ゆったりとした衣をまとった、すらりと背の高い、長い髪をたなびかせた美青年だった。


 


「……というわけなんだ」


 ダンジョンの第27層を歩きながら、僕はこれまでの事情を告げた。


 すでに、無数のシンセティック合成された人型の怪物が倒されている。


 それが難なくできたのは、後ろにいる魔法使いのレシアス、僧侶のロレン、暗殺者のアンガ、エルフのターニア、そして呆れたように悪態をついたドワーフのドウニのおかげだ。


「つまり、後釜に追い出されたわけだな」 


 そこで冷ややかな批評を加えたのはレシアスだ。


「話を聞く限りでは、その賢者とやら、はるかに筋の通ったものの考え方ができるようだな」


 やかましい。


 ロレンも冷静に分析を加える。


「つまり、街の人々の商売を脅かさぬよう、武器の生産への従事と、兵としての調練で生活を安定させるわけですね」


 戦争で雇用と生産を増大させようというわけだが、仮に思いついたとしても実行に移そうとは思わない。


 それは、見せかけの景気回復にすぎない。


 土地を荒らすドラゴンを退治しない限り、問題は解決しないのだ。


 だが、そもそも、そのドラゴン自体が目撃されていない以上、僕の主張がは文字通りの「屠龍の技」に過ぎない。


 アンガはアンガで、別の心配を口にする。


「忘れてはおるまい。ディリア様が王位を継ぐために結婚すべき相手の条件を」


 覚えてはいる。


 ①王国の東西南北に領地を持つ、4つの大貴族の子息


 ②外国からの養子


 ③伝説の、救国の士


 ターニアが、僕をからかうように言った。


「さあ、どうする? カリヤ君」


 どうするも何も。


 ディリアの名誉のためにも、僕はダンジョンに潜らないわけにはいかなかったのだ。


 まっすぐ前を見据えると、その向こうに禍々しい光が、ぼんやりと現れた。


 ターニアが、さっきとはうって変わった険しい声で囁く。


「あそこよ」




 地獄門の光を背に立つしなやかな影が、くつくつと笑い声を立てた。


「久しぶりだな、ターニア」


 異世界召喚者の僕は眼中にないらしい。


 ターニアが皮肉たっぷりに答えた。


「その、いやらしい門の向こうにいるものを背負ってないと、何もできないようね」


 エドマはエドマで、この挑発を軽く受け流す。


「できないのではない、しなくてもよいのだ……私が門にたどりつきさえすれば、お前たちの世界を自らの力で荒らしてくれるものが奥にいるのでな」


 確かに、第13層のインビジブル・ストーカーは『闇の通い路』がなくても地上を荒らすことができた。


 ドラゴンもやはり、エドマの力など借りなくてもよいのだろう。


 だが、ターニアが怯むことなどありはしない。


 いかにも面倒臭そうに尋ねる。


「それ、あと、いくつあるのかしら?」


 何者が奥に巣食っていようと、地獄門など何でもないと言わんばかりだった。


 挑発を笑い飛ばしたつもりが、同じエルフからさらに見下されて、闇エルフの誇りは甚だ傷ついたらしい。 


「これが、お前たちの最後の門となる!」 


 激昂して叫ぶなり、ギラギラ光る無数の矢が、エドマの周りを球状に包んで回り始めた。


 魔法の矢マジックミサイルだ。


 それが、SFアニメのような軌跡を描いて、不規則に飛んでくる。


 レシアスが障壁バリアーの呪文で全て防ごうとすれば、その間、僕たちは身動きが取れない。


 そこでロレンの祈りが、魔法解除ディスペルマジックの効果を発揮する。


 無数の矢の光は、ひとつ残らず消えてなくなったが、そこにはもうエドマの姿はない。


 僕の傍らにいた、ターニアの姿もない。


 頭上の閃光に気付いてそっちを見ると、光と闇のエルフが凄まじい速さで斬り結んでいるのが見える。


 だが、エドマの放つ殺気は僕の肌まで泡立てるほどだった。


 その邪悪さに敗れて、落ちてくる白い身体がある。


「ターニア!」


 その真下に滑り込んだ僕の上に美しいエルフがふわりと落ちてこられたのは、レシアスの羽毛落下フェザーフォールのおかげだ。


 エドマは足音も立てずにひらりと舞い降りたが、そこに待ち構えていたのはドワーフのドウニだった。


「言っておくが……お前に卑怯呼ばわりされるいわれはないんでな!」


 大ぶりのハンマーが空を切ると、そこにあるのは、見ているだけで目まいがしてくるような妖しい光を放つ地獄門だけだった。


 これを破る方法は、今のところ、ない。




 いったん退却してダンジョンの外に出たところで、白馬にまたがるターニアは僕を見送った。


「ごめんね、場所が場所だけに、一緒には行けないんだ」


 僕が向かう先は、リントス王国の南西にある「鏡の鉱山」だ。


 ダンジョンの中に残ったドウニが僕に言い残したのは、これだ。




 ……ドワーフの知恵を借りろ。




 この戦いは、ドラゴンを倒せばいいというものではない。


 荒れた土地を蘇らせ、さらには農民たちに生きる見通しと希望を与えなければならない。


 そのためには、ドラゴンの存在を証明するだけでなく、あの「自称賢者」アルテミドラスを凌ぐ知恵が必要だ。


 これを授けてもらおうとすれば、美しいエルフの身体にしがみついて送ってもらうわけにもいかないだろう。


 自分の足で、それなりの苦労をしなくてはならなかった。


 さらに、一朝一夕で、そんな知恵が身に着くはずもない。


 時間が必要だった。


 とりあえず、レシアスとロレン、そして暗殺者のアンガには、街に入ってもらうことにした。


 予め残ってもらっていた悪党のロズ、盗賊のギルと共に、街の人と農民との衝突を防ぐためだ。


 僕のほうはといえば……。


 頭の中に浮かんだ、あの三十六枚のカードの中の1枚がくるりと回るイメージが浮かぶ。




 三十六計、その二十七。


 仮痴不癲かちふてん… 愚かなふりをして相手を油断させ、時期を待つ。

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