第26話 指桑罵槐《しそうばかい》…悪い見本を与えて、人を自分の思い通りに操ります(前)
このまま「霧の湖」に戻って、エルフのターニアとのんびりスローライフを楽しみたかったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
他国のパーティをダンジョンに送って失敗したリカルドが再び鳴りを潜めたので、ディリアも遠慮しなくてよくなったのだ。
呼び戻された僕は元通り、城の中の狭い一室で居候を決め込むことになったのだった。
昼間からふて寝していると、ドアの外からアンガの声がした。
「その年で隠者になろうなどと、虫が良すぎたのではないか」
これで察しがついた。
ディリアがむきになって僕を呼び戻したのは、ターニアと一緒にいるのがバレたからなのだろう。
たぶん、アンガが経過報告か何かをするときに口を滑らせたのだ。
いや、この冷静沈着で抜け目のない暗殺者が、そんなヘマをするわけがない。
僕が許せなかったのだ。
「この世の者には破ること能わざるダンジョン」の制覇は、異世界召喚者である僕にしかできない。
その僕を招いたのは、王位継承者ディリアだ。
誰にも成し得なかったことを成し遂げることで、王位に就く資格も証レガリアもないディリアの権威は保たれているのだった。
それは分かっているのだが……ちょっとぐらい、休ませてくれてもよさそうなものだ。
「せめて昼寝ぐらいはさせてくれないかな」
そう言って、ふて寝した僕はまた、例のステータスを夢に見ることになる。
〔カリヤ マコト レベル26 16歳 筋力39 知力64 器用度56 耐久度54 精神力53 魅力64〕
レベルの半分が、魅力に加算されていた。
しかも、いきなり60台だ。
だが、戦闘にも、魔法にも関係ない。
これが筋力なら、もうグレートソードを振り回して無双しても、息ひとつ切らすことはないだろう。
耐久度が上がれば、巨大なモンスターと戦って多少痛い目に遭っても、死ぬ危険性は低くなる。
器用度が高くなれば、もしかすると2回攻撃ができるようになるかもしれない。
いや、魔法だって使えるようになるだろう。
よく考えたら、今、僕が使えるのは「魔法解除」だけだ。
もっと知力や精神力を上げて、火球とか雷撃が使えるようになってもいい。
それが、魅力。
不細工キャラよりはマシだが、ダンジョン破りには、たいして貢献してくれそうにもない能力値だった。
昼下がりに目が覚めた僕は、ふらふらと中庭に出てみた。
東屋では、休憩時間をもらった女官たちが、優雅にお茶を楽しんでいたりもする。
ディリアによって召喚された当初は、この女官たちにも、雑用の女中たちからも、結構、注目されたものだ。
それを思うと、つい、溜息が出る。
「……僕は所詮、ダンジョンに潜るしか能のない、無位無官の居候ですから」
することがなければ邪魔な置物でしかない。
最近では廊下ですれ違っても、知らん顔をされたり、知らずに突き飛ばされたり、ひどいときにはその後に含み笑いをされたりしていた。
この辺は、この城の女官も女中も、そこらの女子高生とそれほど変わらない。
だから、ここは敬して遠ざけるのが得策だった。
向こうから見えるはずもない目礼だけで、その場を立ち去ろうとしたときだった。
「お待ちくださいませ、異世界召喚者様」
それが遠くからでも聞こえるのは、5.1Chドルビーサラウンドもかくやと思わせる多重音源で呼びかけられたからだ。
スカートの裾をたくし上げて、女官たちが駆け寄ってくる。
逃げていいのか待っていいのか見当もつかず、僕はただ、その場に立ち尽くすしかなかった。
女官たちの話し相手に引っ張りダコの日中が終わった。
いきなりモテるようになった原因は、何となく分かっていた。
……魅力64。
急上昇したこのパラメータしか考えられない。
へとへとになって部屋に戻ってくると、可憐な女中が夕食を部屋に運んできた。
ありがとう、とトレイを受け取った手を、小さな手がしっかりと掴む。
「え?」
見上げる目が潤んでいた。
あの、と強引に一歩下がると、その勢いでは部屋の中に踏み込んでくる。
荒い息の下で、女中がつぶやいた。
「私が入ったんじゃありません……異世界召喚者様のせいですからね」
そう言うなり、襟元に手をかける。
たちまちのうちに胸の谷間が晒されそうになるが、トレイで手が塞がっている僕はどうすることもできない。
そこへ、野太い声が聞こえた。
「下がれ。異世界召喚者殿に内密の話がある」
忘我の状態だった女中は恥ずかしげに身体をすくめると、慌てて部屋を出て行った。
代わりに入ってきたオズワルは、不機嫌に用件だけを告げる。
「……王笏を探す」
まさか、と思った。
あの誇り高いディリアが、実力で臣下をまとめるのではなく、王権の証レガリアの権威に頼るとは。
「ご命令ですか?」
聞いてはみたが、オズワルの返事はなかった。
それは、独自の判断であることを意味している。
ただ、代わりに返ってきたこの言葉には呆れた。
「気をつけろ……少しは」
さっきの女中の振る舞いを指しているのだ。
そこで察しがついたのは、この言葉だ。
……忖度。
アンガが動かなくても今日の一件は耳に入るだろう。
いや、身の回りを世話する女中の立ち居振る舞いから、僕への感情を鋭く感じ取ったのかもしれない。
その怒りが鈍いオズワルにまで伝わったということは、かなり機嫌を損ねているのだ。
面倒臭いお姫様だが、僕が原因だと思うと、何だか可愛い気もする。
だから、割り切って聞いてみた。
「で、ダンジョンを探せばいいんですね?」
要は、女官や女中を引き寄せないために、しばらく城を離れろということなのだ。
ディリアの怒りを鎮めるためだけのレガリア探しに携わるのは、僕だけではなかった。
だいたい、ダンジョンにあると決まったわけではないから、そこだけ探すのはいい物笑いの種だ。
だが、そこで僕には思い当たることがあった。
「なぜ、この前、リカルドはわざわざ、他国からパーティを雇ったんだと思いますか? ダンジョンを探るのに」
オズワルも、怪訝そうな顔をした。
「あのリカルドが……」
僕とディリアの面子を潰すためだと思っていたが、たかが嫌がらせのためにしては、手間暇がかかりすぎている。
「もしかすると、本当にあるんじゃないですか? ダンジョンに」
そんなわけで、僕はオズワルに頼んで、騎士団の中の数名をレガリアの探索という名目で国内のあちこちに走らせた。
暗殺者のアンガにはまた、魔法使いのレシアスや僧侶のロレン、悪党のロズや盗賊のギルを呼んでもらう。
ダンジョンの最下層にはドワーフのドウニがいるし、もしかすると、またエルフのターニアが気まぐれ気味に手を貸してくれるかもしれなかった。
だが、そこで口を挟んできたのが、リカルドだった。
身支度を整えてダンジョンに向かおうと部屋を出ると、僕の前には美少年のカストが立っていた。
引き連れているのは、いかにも、そこいらへんから手当たり次第にかき集めてきた感じの、やる気のなさそうな若者たちだった。
カストが言うには、庶民の中から志願によって軍隊に集められる新兵たちだという。
「リカルド様の仰せだ……ダンジョンのことは、異世界召喚者殿に任せるべきであったのだと」
僕の頭の中で、三十六枚のカードのうちの1枚がくるりと回る。
……それは建前だ。
使えない新兵を僕に預けて探索の足を引っ張り、その醜態でレガリアのあるダンジョンから人の耳目をそらそうというのだろう。
三十六計、その二十六。
指桑罵槐…悪い見本を与えて、人を自分の思い通りに操る。
「いや、結構」
きっぱりと断ったが、カストは食い下がった。
「では、他にどなたを?」
そう来るか。
下手をすると、「ダンジョン送り」で死んだはずのロレンやレシアス、アンガが生きていることがバレる。
僕はとっさに、アホ面下げてカストの後ろに控えている若者たちに告げた。
「すぐに、城の正門へ」
連れて行ったのが、誰の目にも分かりやすくするためだ。
カストたちが下がった後で、部屋の扉を閉めた僕は、そこいらを見渡して囁く。
「ポーシャ? ハクウ?」
呼んだ? と異口同音に答えて現れたフェアリーとレプラホーンはすぐさま、計画の変更をアンガに告げるために姿を消した。




