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偸梁換柱《ちゅうりょうかんちゅう》…難しいことを相手に押し付けて、相対的に自分を優位にします(後)

 その日の夕方のことだった。


 僕の部屋の扉をノックする者があったので、夕食が運ばれてきたのかと思って顔を出してみた。


 フードをかぶった女中が、トレイに載せて差し出したものがある。


「これは……」


 粗末な食事に、思わず呻いた。


 何かあったのかと思って、食事を運んできた女中さんの顔をフード越しに覗き込む。


 こっそり香水でもつけているのか、不思議な香りがする。


「……カスト?」


 脳裏に閃いた名前を口にすると、フードの奥の眼が怪しく光った。


 今朝の囁き声が、再び僕に告げる。


「追放だ……異世界召喚者殿」


 こういうとき、じたばたするのは性に合わない。


 城の廊下を並んで歩きながら、僕はカストに尋ねる。


「ディリア様は、このことを……」


「さあな」


 目も合わせないで答えるのは、リカルドの独断だということだ。


「何の罪で?」


 どんな証拠で、どんな出来事をでっち上げたのか。


「罪などない。住みかを変えてもらうだけだ……ずっと広い所ヘな」


 ちょっと、拍子抜けだった。


 カストが僕を連れて行ったのは、城の裏口っぽいところを出たところに停められた幌馬車だった。


 乗せられる前に、一応、聞いてみた。


「どこへ?」


 返事はなかった。


 御者となったカストに連れて行かれたのは、暗い田舎道の果てにある、埃っぽい小屋だった。


 着いたのは夜中だったが、その中へ灯もよこさず僕を押し込んだカストは、幌馬車に乗って帰っていく。


 ただ、去り際には、こう言い残した。


「余計なことはするな。リカルド様に任せておけば、ディリア様が傷つくことも、無駄な血が流れることもない」


 とりあえず、僕も逆らうつもりはなかった。


 こういうときは、寝るしかないのだ。




 目が覚めると、微かに波の音がした。


 閉じられた窓の隙間から、朝日が差し込んでくる。


 窓を開けてみると、目の前には、輝く湖面が広がっていた。


 それに見とれる間もなく、後ろから声が聞こえる。


「おはよう……カリヤ」


 振り向いたところには、肌着の襟元に白い胸の谷間を晒した、エルフのターニアが横たわっていた。


 ちょうど、僕が寝ていた辺りに。


 僕は、おずおずと尋ねた。


「い……いつから?」


 ターニアは、いたずらっぽく笑いながら答えた。


「カリヤがすっかり寝入った後」


 


 ……しまったあああ! 何で起きなかったんだああああ! 添い寝してもらってたのにいいいいい!




 聞けば、僕がカストに連れて行かれるのを、フェアリーのポーシャとレプラホーンのハクウが見ていたらしい。


 隠し部屋の中にいたディリアは、リカルドへの怒りで身体を震わせたが、僕を奪い返そうとはしなかった。


 ただ、フェレットのマイオを抱きしめて、こう言うしかなかったのだった。


「ごめんなさい……カリヤ。私に黙って行ったのは、あなたを助けさせないためね」


 そうなのだ。僕は罪に問われてさえいない。


 たかが住居移転にディリアが口を挟めば、リカルドはまた王位継承者としての資質を問うてくるだろう。


 だから、僕も抵抗はしなかったのだ。


 マイオはターニアの分身だから、その辺の事情は全て伝わる。


 心配したターニアはわざわざ、あの白馬を駆って追いかけてきてくれたのだった。


 


 僕が連れてこられたのは、リントス王国の南東にある「霧の湖」だった。


 不思議な生物が棲みついているらしいので、その見物も兼ねて、僕はしばらく、ここでのんびりと過ごすことにした。


「あ、ターニア、あれは?」


 翼の生えたウサギのような獣が、水面を軽々と跳ねる。


「あれはね……」


 何やら長い名前をターニアが楽しそうにまくしたてたが、あまりの速さに聞き取れなかった。


 静かな湖面に遊ぶ幻獣たちを眺めながら、いつまでもターニアとここで暮らしたいと思いはじめた頃だった。


「いい気なもんだな」


 愛想のない声が聞こえた。


 その代わりにターニアの姿は消えたので、仕方なしに振り向く。


 そこにはフードを目深にかぶってマントを羽織った男がひとり、湖畔の光の中で影のように立っていた。


 暗殺者のアンガだった。


 別に逃げたわけでもサボっているわけでもないのでムッと来たが、そこは爽やかに答えてみせる。


「追放者っていうのは、こんなものさ」


 須磨に流された光源氏は、案外、こんなふうに現場のストレスから解放されて、のんびりやっていたのかもしれない。


 だが、そんな日々は長く続かないものだ。


 こっちが望まなくても、活躍の場は向こうからやってくる。


「リカルドが外国から強力なパーティを雇って、ダンジョンへ潜らせた」


「たぶん、そうするだろうと思っていたよ」


 満座の中でリカルドの面子を潰しにかかった僕を城から追い出すには、ダンジョン破りのお株を奪うのがいちばん効く。


 前回は近衛兵団を使って失敗したから、今度は本職中の本職を使おうというのだろう。


 平然としている僕への苛立ちを抑えているらしく、アンガはくぐもった声で告げた。


「すぐに戻れ。連中は生きて帰った。先を越されるな」


 僕は遠い水平線を眺めながら答える。


「下の階への入り口は?」


「扉があったが、魔法でも鍵でも開かなかったようだ」


 それだけ聞けば充分だった。


 僕は余裕たっぷりに答える。


「行かない。ゆっくりしていけよ、アンガも」


「どういうつもりだ」


 愛想のない声から、抑揚が消えた。


 暗殺者の怒りが、背中にビリビリ伝わってくる。


 さすがに怖くなったので、僕は本音を告げることにした。


「実はな……」


 もちろん、アンガがバカンスを決め込むわけがない。


 すぐに城へと取って返したところで、僕の傍らには再びターニアが戻ってきた。


「フェレットのマイオが聞いたんだけど……例のパーティ、壊滅したんだって」


 期待通りの展開だったが、ちょっと早すぎる。


「残念でした」


 いつの間にか戻ってきていたターニアが、耳元で囁いた。


 今夜こそ、眠り込んでしまうことなく、ふたりきりで過ごしたかったのに。


 頭の中で再び、三十六枚のカードのうちの1枚が、くるりと回る。




 三十六計、その二十五。


 偸梁換柱ちゅうりょうかんちゅう…難しいことを相手に押し付けて、相対的に自分を優位にする。




 今度は僕の勝ちだけど、やっぱり、面白くないイメージだった。 


 僕は仕方なく、ダンジョンへ向かうことにする。


 


 次の階へと向かう扉を見つけたということは、リカルドの雇ったパーティのレベルは相当のものだったのだろう。


 アンガが焦ったのは、もっともなことだった。


 そのせいか、ただでさえ速い仕事には、さらに磨きがかかっていた。


 白馬を駆るターニアの胸に触らないように気をつけながら、その細い腰にしがみついていると、城から馬を飛ばしてきたらしいオズワルが横に並んだ。


「やはり、異世界召喚者でなければ……あのダンジョンには!」


 その入り口に到着すると、段取り通り、もう他の仲間たちが集まっていた。


 魔法使いのレシアス。


 僧侶のロレン。


 フェアリーのポーシャとレプラホーンのハクウ。


 悪党のロズ。


 盗賊のギル。


 このために奔走してくれた、暗殺者のアンガもいる。


「急ごう。リカルドはとっくに気付いている」


 雇われたパーティは、僕たちに先を越されまいとして、こっちへ向かっていることだろう。


 第24層にたどりつくと、ドワーフのドウニが待っていた。


「たった6人だったが、大した連中だったぜ」


 戦士3人に、僧侶と盗賊、魔法使いが1人ずつ。


 呪文と祈り、トラップ破りのバックアップを受けた、力押しのオーソドックスな編成だった。


 この人数でダンジョンの奥から生きて帰ってきたのだから、やはり大したものだ。


 だが、今は手柄を争う厄介な敵でしかない。


 僕は、追手と同じ編成のパーティを残すことにした。


「足止めを頼みます」


 そう言うと、僕はエルフを含む妖精たちだけを連れて、第25層へと向かう洞窟に足を踏み入れる。


 思ったとおりだった。


 カンテラに照らされたモンスターの屍が、あちこちに転がっている。


 ドウニが皮肉に笑った。


「先に入った、あの若い連中が残らず始末してくれたというわけさ」


 無人のダンジョンを進んでいくと、やがて、洞窟の行き止まりに突き当たった。


 そこにあるのは、カギでも魔法でも開かないという、小さな鉄の扉だ。


 ぱっと見ただけで、ドウニが唸った。


「こいつは、ちょっとやそっとでは開かんな」


 ターニアは、耳元で尋ねてきた。


「どうする? 魔法を使う?」


 だが、僕は「解錠」の呪文を唱えはしない。


 ただ、声をかけてやるだけだ。


「待ってたんだろう? エドマ……僕がこうするのを!」


 手をかけるだけで、扉は大きく開いた。


 僕が口にした闇エルフの名前を、ターニアは低い声で繰り返した。


「エドマ……どういうつもり?」


 それがどうしてなのかは、何となくわかっていた。


 エドマにとっては、この先で対峙する相手は僕しかいないのだ。


 これで、この階の探索は終わった。


 僕はターニアとドウニを促す。


「戻ろう……オズワルたちを助けるんだ」




 狭いダンジョンでほぼ互角の戦いをしていた2つのパーティの均衡は、僕たちが戻ってきたことで、脆くも崩れた。


 精霊を操るターニアと、頑強な肉体を持つドウニ、そして相手の弱点を読める僕の前に、リカルド側のパーティはあっさりと膝をついたのだ。


 武器を奪って両腕を縛りはしたが、ダンジョンの外で返して解放してやると、そのまま姿を夜の暗闇の中へくらました。


 それを見ていた、アンガがつぶやいた。


「これでもう、リカルドのもとに他国のパーティが集まることはあるまい……あの宰相殿、また面目を失ったな」


 実際、その通りだった。


 その後、宰相リカルドに雇われた者はおろか、ダンジョンでの一攫千金目当てのパーティさえも、リントス王国に姿を現すことはなかったのだった。

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