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第1話 瞞天過海(まんてんかかい)…相手を油断させてピンチを乗り切ります

 思えば異世界への追放は、週末に出勤するなり朝一番に呼びだされた校長室で告げられた、そのひと言で始まったようなものだった。




「悪いけど仮屋さん、来週からの育休講師は、お願いしなくても済むようです」


 代理の臨時任用で講師の契約をしたんだから、それは当然のことだ。


 この4月に勤務が始まったときには、もしかすると育休もなんてことはほのめかされていた。


 だが、その辺がどう動くかは、公立でもはっきりしないことが多い。


 ましてや、一企業にすぎない私立高校なら、なおさらのことだ。


 こんなこともあろうかと、契約が切れるのを見越して、四畳半のアパートで荷造りはしてある。


「あ、産休の先生、復帰されるんですか?」


 その社交辞令で校長は言葉に詰まったが、追及することでもない。


 裏で何が動いていたかを知ったのは、その日の、本当に最後になってしまった授業でのことだった。




 3年生の、受験組と就職組の混合クラスでのことだ。


 科目は、「国語表現」だった。


「え~、明日から秋のシルバーウィークではありますが、ここで課題を出しておきます」


 そう言いながら授業用タブレットの画面をなぞると、ホワイトボードに浮かび上がったのは、空欄補充問題の一文だ。




 (       )逃げるに如かず。




 この私学はたいしてレベルの高いところではないが、ICT情報通信技術に熱心で、もう数年前から生徒全員にタブレットが配布されている。


 就職組の割には挙手や発言が苦手な生徒にとって、これはかなり便利なツールだ。


 だから僕は、授業中にチャットで質問を受け付けて、それに応じて授業を進めるようにしている。


 だが、手元の画面には、質問ではなく、勝手な解答や悪態が送信されてくる。




《三十六計》


《これで課題なしですね》


《過去問やらせてください》


 


 教室の後ろのほうで、授業を真面目に受けずに英語の単語帳をめくっている連中が、互いに目配せして笑い交わしていた。


 秋口になって目の色が……というより目つきの変わった、一般入試受験組だ。 


 志望校がどこかは知らないが、合格できる実力を持った生徒がオーラのようにまとう、余裕というものがない。


 だが、僕も30代にさしかかった、余裕ある成人男性だ。


 知らん顔して、ホワイトボードに、36枚のカードを映し出す。


 オーサリングツールで、ほとんど徹夜で作った教材だ。


「三十六計逃げるにしかず、と言いますが……」




 5つ6つ、身の丈を知らない受験組から同じレスが来る。




《逃げるが勝ち》




 それができない生徒は、だまってこっちを見ているだけだ。


 だが、寝ている体育会系の生徒よりはましだった。


 こいつらはスポーツ推薦で大学から声がかかっているバスケ部の連中で、慣用句が理解できなくても、試合で勝てばいいとなめてかかっている。


 だが、産休の臨時講師が目くじら立てて怒っても、得るものはない。


 僕は、正解を待つしかない生徒のために解説する。


「逃げるが勝ち、という意味ではありません」


 そう言いながら、タブレットに浮かんだカードの36枚目をめくる。




 〔走為上〕




 全てのカードには、中国の「三十六計」が書いてある。


 僕は高校生の頃、RPGやシミュレーションゲームが大好きで、三国志系をプレイするために必死で覚えたものだ。


 本当は、この三十六枚を生徒に配って、それを出し合うカードバトルをやるつもりだった。


 でも、授業が今日で終わりなら、仕方がない。


 もっとも、生徒にはそれを伏せてもらうよう、校長には頼んであった。


 来週から僕が来ないと分かれば、受験組と体育会系は何をするか分からないからだ。


「チャットで書き下しと現代語訳をお願いします」


 事情を授業終了のチャイムと共に伝えるつもりで、計画を変更して尋ねる。


 もっとも、返答できるほどの学力がある生徒がこの教室にいないことは分かっている。7。


 だから僕はすぐに、解答例を示した。




ぐるをじょうと為す〕=〔打つ手がなくなったら、体力のあるうちに逃げて反撃の機会を待つ〕




 早速、チャットに勝手なレスが来た。




《そんなこと、電子辞書に書いてありません」


《俺ら逃げたら勝てないんで》




 前のが受験組で、後のがバスケ部だ。


 構うことなく、他の生徒のために分かりやすそうな例を出す。


 ホワイトボードには、RPGのモンスターが現れた。




 〔レッド ドラゴンが あらわれた? どうしますか?〕


 〔にげる〕




 冷やかに静まり返った教室の空気を、終業のチャイムが打ち破った。


 勝手に立ち上がって一礼する生徒は無視して、まとめのひと言を述べた。


「たとえ逃げても、レベルを上げて戻って来れば倒せますよね? このドラゴン」


 誰が送ったのか分からないが、チャットに最後のメッセージが送られてきた。




《はい、空回り乙!》


《来週からオタクな話を聞かずに済んで、せいせいします》 


  


 その夜、僕は眠れなかった。


「つまり、あいつらが騒いだわけか……」


 なぜ、あの生徒たちは予め、今日が最後の授業になると知っていたのか。


 産休中の先生は関係ない。


 体育会重視の学校で、受験に関係ないという理由であいつらの顰蹙を買って、僕は年度の途中で交代させられたのだ。


 どうすることもできずに逃げだすようで、それがたまらなく嫌だった。


 四畳半のアパートでの腹立たしい夜が明けて、僕はぼやきながら外へ出る。


「遅いよ、引っ越し屋」


 腹いせに朝一番に呼んでおいたのを迎えるためだ。


 だが、ちょっと朝が早すぎたのか、まだダンプカーが行き交う時間帯だった。


 それが走ってくる真ん前に歩み出てしまったのは、眠い目をこすりながらだったせいかもしれない。


「え……こんなことで?」


 そう口走ってしまったのは、もちろん、気が遠くなったからだ。


 はねられたにせよ何にせよ、死ぬ前というのは、やはり、それまでの人生が走馬灯のように蘇るものなのだろうか。


 生まれ育った田舎の山河が、泣けとばかりに目に浮かぶ。


 その中に現れた、山城の麓の真っ白な建物は、僕が出た高校だ。


 もとは藩校だったので、そこには公立としては県下屈指の巨大図書館がある。


 高校時代の僕は、その書庫に深々と潜っていく、本の虫だったのだ。


 小説なんか、書いてみたりしたこともある。


 いや、それは中学校時代からだったか。


 三国志演義あたりから兵法シミュレーションにはまって……。


 そこまで思い出したところで、目の前は真っ暗になる。


 ただ、浮かんだのは愛想のない文字だった。




 〔レベル1〕




 その下に現れたのは、いかにもファンタジー系RPGに出て来そうな少年の姿だった。


 だが、その顔は僕に似ていた。


 いや……少年の姿の下には、こう書いてある。




 〔カリヤ マコト 16歳 筋力8 知力15 器用度9 耐久度8 精神力10 魅力13〕




 僕の名前と、ステータス能力とパラメータ数値が並んでいた。


 まるで、TRPGだ。


 図書館の隅で、オタク仲間たちとこっそりダイスを振って楽しんでいた……。


 剣と魔法を操ってモンスターを倒し、深い洞窟ダンジョンを攻略していくのだ。


 その先にいるのは、囚われの……。


「来てくださいましたのね」


 そうそう、こんな美しい姫君だ。


 ……え?


「異世界の方を召喚する呪文は、まことでした」


 目の前で僕を見つめているのは、柔らかい亜麻色をした長い髪にサークレット円形の髪飾りをはめた少女だった。


 しなやかなレザーアーマー革鎧が、すらりとした身体をぴったりと覆っている。


 僕が座り込んだまま何も言わないうちに、その少女は手に持った長剣の柄を僕に押し付けてきた。


「王家に伝わる、破邪の剣です」


 アイテムの余りのベタさに、はいそうですかとしか言いようがない。


「どうやら私には使えないようですが、このダンジョンを破るべきあなたなら使いこなせるでしょう」


 剣道部員だったならともかく、本の虫で帰宅部だった僕は、木刀はおろか竹刀だって持ったことがない。


 それなのに、姫君は有無を言わさず語り続ける。


「この国は、このダンジョンから現れるモンスターに侵されています。しかし、誰もが尻込みして、ここに潜ろうとはしません。王家を継ぐべき私が自らやってきたのですが……」


 そこで見やったのは、冷たい岩の床に置かれたカンテラに照らし出された、小さな2体の人型怪物ヒューマノイドだった。


 ダンジョンとはいっても、ここは今や、姫君を幽閉する牢獄となっている。


 こういうことをTRPGでやると、ゲームマスターはプレイヤーから「これは四畳半ダンジョンだ」と非難される。


 そのTRPGでおなじみのゴブリンたちは、「四畳半ダンジョン」に突然現れた僕を、光る目で睨みつけている。


 両方とも、手にしているのは醜く曲がった短剣だった。


 姫君は、自嘲気味にため息をつく。


「あてにしていた王家の剣が私を持ち主と認めてくれないのでは、このゴブリンすら倒せません。出口にも……」


 確かに、僕たちを挟んで立つゴブリンたちがいる限り、天井にぽっかりと開いた穴には近づけそうにない。


 それでも人間が手を伸ばせば、なんとか這い上がれそうな高さだ。


 そこまで分かったところでようやく、僕は口を開くことができた。


「よく、無事でしたね、ええと……」


 ゴブリンが2体でかかれば、この姫君を殺すのは何でもないはずだ。


 僕が言いたいことと聞きたいことをまとめて察したのだろう、姫君の答え方はおかしなものになった。


「私、ディリアもそう思って抜け出そうとすると、あの短剣が」


 困り果てたのをごまかすように、精一杯のはにかみ笑いを浮かべる。


 その芝居が、ゴブリンに囚われた恐怖と絶望に耐えるためなのだと思うと、16歳になったらしい僕の胸は痛んだ。


 だが、事情が呑み込めた僕の頭に閃いたことがあった。 


 授業のために作った、あの三十六計カードのイメージが浮かぶ。


 その中の1枚が、ソーシャルゲームのガチャを引くみたいにくるりと回る。


「ここから動かないで」


 僕は剣を持って立ち上がると、出口に向かって歩きだした


 ディリアは慌てふためく。


「いけません、ええと」


「カリヤ」


 名前を全て答える前に、短剣が振り上げられた。


 だが、僕は後ろ歩きに戻ると、ゴブリンは、短剣を下ろす。


 ディリアは、呆然とつぶやいた。


「どうして……」


 それには構わず、僕は進んでは退き、同じことを繰り返した。


 やがて、ゴブリンは僕が動いても、黙って見ているようになった。


 僕はディリアに手を差し伸べる。


「行きましょう」


「しかし……」


 怖がる姫君に、僕は囁きながら笑ってみせた。


「目を閉じてください」


 


 瞞天過海まんてんかかい


 三十六計の、「その一」だ。


 敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油断を誘って攻撃する。


 これは、皇帝が船を怖がるので、その上に土を盛り屋敷を建てて中に招き入れ、海を渡らせたという故事によっている。 


 僕の頭に閃いたカードのイメージは、これだったのだ。




 悠々とゴブリンの前を通り抜けた僕は、再び囁いた。


「先に行って」


 察しのいいディリアは、天井の穴に手をかける。


 それでも腕の力がないのか、なかなか身体が上がっていかない。


 僕は剣を投げ捨てると、ディリアの尻を押し上げた。


「きゃっ!」


 姫君らしからぬ声だけが、四畳半ダンジョンに響き渡る。


 床に置き忘れられたカンテラの光の中、短剣を手にしたゴブリンたちが並んで突進してくる。


 とっさに拾い上げた剣を、目を固く閉じて横に振るう。


 意外に軽かった。


 甲高い音と共に、ケダモノの悲鳴が聞こえる。


 目を開けてみると、短剣を床に吹き飛ばされたゴブリンが、床の穴から逃げ去るところだった。




 カンテラを拾って天井の穴に差し上げると、ディリアが受け取ってくれた。


 そのまま先に立ってもらって、狭い洞窟を抜け出す。


 外に出てみると、夜が明けるところだった。


 どうやら鉱山か何かだったらしい岩場の向こうから、紫色の光が差している。


 それを背にしたディリアが、厳かな声で呼びかけた。


「破邪の剣を振るい、この世の者では突破できないダンジョンを脱出した異世界の方」


 高貴な人だけが放てるオーラを感じて、僕はその場に直立した。


 真っすぐな眼をした王女様が、僕に告げる。


「リントス王家の後継者として、改めてお願いいたします。その力でダンジョンの最下層にたどりつき、王国を侵す者どもの源を断ち切ってください」


 いやだと言える雰囲気ではなかった。


 夢なら夢で、はいと返事しても差し支えはない。


 だから、余裕たっぷりに答えてみせた。


「僕でよければ、僕なりに」


 それが苦難の始まりだとは、それこそ夢にも思わなかった。

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