第六話 少女、暴走
つぐみとばったり邂逅した日の翌日。何故か圭は栗宮家の門前に来ていた。定例会以外の日にこの場所を訪れるなど、中学一年生以来だ。
建物全体から圧が伝わってきて、改まって見ると入り辛さがある。
「で、何で俺はここにいるんですか?獅峯院さん」
圭は横で怯える小動物のように微振動を続けている少女に問いかけた。
「つ、つぐみって呼んで。と、とと……取り敢えず突撃だ……」
男勝りな口調で話しているが、声が震えている上さっきから背後に隠れているのでポンコツ臭が酷い。
朝八時から押しかけてきてインターホンを鳴らしまくっていた人物と同じだとは、とても考えられない。
「いやね、俺は何でここに連れて来られたのかもさっぱり分かんないわけよ。んで突撃って言われたって流石に無茶よ?」
つぐみを横目で見ると、目元に滴を蓄えている。
「で、でも、このままだと大変なことになるんだぞ。本当に時間がないんだ」
「そもそも、その朝から言ってる『大変なこと』って何?つーか算段も度胸もなしに行動して巻き込むなよ」
「ちょっとその発言は傷付いたから後で憂さ晴らしするわ」
――何で俺にだけ強気なんだ、この子。
連打されるインターホンに耐えかねて玄関に出た時も、仁王立ちで偉そうにポーズを決めていた。挨拶をする間もなく「手伝ってくれ」と息巻いていた様は、今では想像し難い。
要件だって道中何度も聞いたが、朝から「大変なことが起こるので手伝ってくれ!これから椿のところに行く」しか言ってこない癖に家の中まで無理矢理入り込んできて、首を縦に振るまで寝間着の裾を離さなかった。そんなこんなで、まだ朝の十時だというのに、圭はすでに疲労困憊だ。
「ねえ、マジで帰りたい」
「あれ、圭くん……と、獅峯院の娘さん?」
栗宮の家の前でまごまごしていると、背後から若い女声がした。振り返ると、二十代ほどの女性と中学生の男の子が立っていた。
「初瀬と智紀じゃん。どしたの?」
城山初瀬と四十万智紀も鬼神だ。
初瀬は今年大学生になったばかりだ。肩より少し下ほどのセミロングまでの髪は、最近ピンクブラウンに染めたらしい。桜鼠と小花柄の切り替えスカートに真っ白なトレーナーといったシンプルな装いがいかにも彼女らしい。
四十万智紀は中学二年生にして金髪にしたやんちゃボーイである。勿論身内にも学校の先生にも怒鳴られたようだが職権乱用で押し通した。学校には大して行っていない様子で、登校しても保健室にいる時間が長い。百五十五センチの身長は、曰くまだまだ発展途上の証らしい。
「今日は智くんの勉強見ようと思って図書館に。圭くんは?」
初瀬は微笑んだ。二人は鬼神になる前からの知り合いで、定例会以外でもよく顔を合わせている。
「あー……。俺は付き添いっすね、獅峯院の」
「つぐみって呼んで」
つぐみはやたらと呼び方に固執してくる。苗字で呼ばれるのがそんなに気に食わないのだろうか。じっとりとした視線が圭に突き刺さる。
「つぐみちゃんっていうの?私は初瀬でこっちは智紀。よろしくね」
初瀬は挨拶と共に花のような笑みを振る舞った。智紀も軽く会釈をする。
つぐみも顔を輝かせ、「よろしく!」と返した。そういえばつぐみがちゃんと自己紹介をするのは初めてだ。昨日圭は逃げ帰ってしまったので、実のところまだ名乗っていない。まあつぐみは聞かずとも把握していたみたいだし、気にすることでもないだろう。
「つぐみちゃんは、何しに来たの?」
「う……!?」
一度躱したと思っていた質問の追撃に遭い、つぐみは変な鳴き声を上げた。口を真一文字に結んで、言い難い表情を浮かべたまま小刻みに震えている。
本当にこの子の考えはさっぱり分からない。
目を泳がせて口を鯉のようにパクパクと動かす。二人には「大変なことが起こる」とは言わないのだろうか。
「普通に挨拶じゃん?この前の定例会はそんな余裕無かったし、一応栗宮は鬼神の統括だし」
ポンコツ少女に意外にも助け船を出したのは、智紀だった。派手な見た目とは裏腹に、人見知りで、初対面の人の前では特に口数が少ない彼が、珍しいことだ。つぐみは地獄で仏に会ったと言わんばかりに「うん!そう!」と勢いよく便乗した。
「そっか、偉いね。圭くんも付き添いお疲れ様です」
笑顔と敬礼のポーズをする初瀬はなんとも愛らしい。
短い会話を交わし、図書館へと向かう二人の背中を見送った。端から見るとまるで姉弟のようだ。
「で、早くインターホン押せよ。挨拶すんだろ」
新しい友達ができて溶けたような笑顔で手を振っているつぐみに釘を刺すと、一気に凍り付いたように動かなくなった。そして現実から逃避するように顔を両手で覆い悶絶する。なかなかに面白い生き物だ。
「お願いせめてインターホン押して」
「分かった押すぞー」
「あっあああああ!」
まさか本当に押されるとは思っていなかったようで、大慌てで止めにかかるがもう遅い。圭はつぐみが自分の視界を塞いでいる間にそそくさとインターホンの前に移動していた。つぐみが制止するよりも押されるのが早いのは、火を見るより明らかだ。
圭は容赦も躊躇いもなく指先に力を入れ、それに伴ってボタンが沈んだ。
殆ど同時に、耳元でつぐみが息を呑む音が聞こえ、次の瞬間には肩を渾身の力でもって突き飛ばされた。バランスを崩した身体を咄嗟に支えられず、地面に倒れ込む。変な転び方をした所為で腹面を思い切り地面に打ち付ける羽目になった。
「いってぇ!?」
「な、あんた何……、わ、私が確かに……だけど……だけど!」
頭を抱え壊れたロボットみたいな口調で狼狽えるつぐみを、家主は待ってくれなかった。ほんの五秒ほどで、
『どなたですか?』
「ひぃ!?」
インターホン越しに聞こえたツルの声に驚き、またしても鳴き声を出す。しかし、ショック療法というやつだろうか。すぐに冷静さを取り戻したつぐみは、
「し、失礼しました。私は獅峯院つぐみと申します。先日はお騒がせしてすみませんでした。改めてご挨拶したくお伺い致しました。当主である椿様のお時間、大丈夫でしょうか?」
随分と丁寧な口調で話し始める姿に、一瞬違う人物に入れ替わったか二重人格なのではないかと錯覚した。言葉遣いに合わせ、表情も営業スマイルになっている。モニターホンではないので誰も見ていないが。
獅峯院は栗宮と同様に鬼神の中でも上位に位置し、御三家とも称される名家だ。そんな家柄のお嬢様が礼儀や礼節を弁えているのは当然と言えば当然のこと。むしろ睨みを利かせたり人を突き飛ばしたり、などといった場面を身内に見られたら間違いなく卒倒してしまう。
起き上がりつつ彼女の豹変ぶりに感心していると、
『わざわざ出向いていただいたのに申し訳ありませんが、椿は外出中です。ご挨拶でしたら次の定例会の際にしてください』
淡々と告げ、あっさり出鼻を挫かれる形となった。言うまでもなく表情を形状記憶したまま突っ立ている少女が、ほんの少しだけ憐れに映った。