第五話 嗣原圭
「いちいち小さなことを気にしていたら、お父さんみたいに立派な鬼神様になれないよ」
それが母さんの口癖だった。
鬼神は一族に一人しか存在しない。生まれてすぐに現れ消える「判」と呼ばれる文様――いわば蒙古斑のようなものが現れた者だけが鬼の力を継ぐ。「判」が息子・娘に現れず孫に現れた、なんて話しも聞いたことがある。
さらには鬼の力を継ぐにはルールがある。
先代の鬼が死ぬことだ。
どうしてこのルールが存在するのかは、伝承を読んでも定かではない。鬼神は鬼に狙われやすいから、そのリスクを避けるためか、同じ血脈の鬼が二人存在することがそもそも不可能なのか。
このルールのお陰で問題が生じる家庭は多い。
兄弟両方に「判」が出た場合なんて、目も当てられない。遠回しに「どちらかが早死にするぞ」と言われているようなものだ。
親子間であってもそれは変わらない。捉え方を変えれば、先代の死期が近いから跡取りが生まれるのだ。
俺の家の場合、元々鬼神の当事者であった父は大して気に留めていなかった。しかし嫁入りしてきた母はこの残酷なルールを受け入れることが難しかった。秘密を守るために、鬼の話をした後の婚約解消はできない。その上、母は父を心の底から愛していた。
夜な夜な「愛した夫の死を知らせに来た死神のようだ」と愚痴を漏らしているのを聞いてしまったことがある。その後すぐに、「ごめんなさい」と何度も枕元で謝り、泣いていたことも知っている。
母は何度も何度も自分の中の感情と戦っていた。その結果、少しばかり心を壊してしまった。
――よくある、仕方の無い話だ。
母に関わらずに病んでしまった人は多くいる。土台受け入れろという方が無理なのだ。
面倒臭いルールが課せられた世界で、面倒臭い役割を押し付けられて、面倒臭い人間関係を上手くやりくりしながら生きる。
物心付いた頃からそうだった。今更そこに不満を言うつもりはない。
ただ、面倒臭い。
「鬼神」に翻弄される他人も、整理の付かない感情を抱えた自分も、先の見えない人生も。
面倒臭い。
本当につまらない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大怪我少女乱入事件の翌日、圭は幸那に呼び出された。
病院で出迎えたのは、笑顔を貼り付けたまま青筋を浮かべた幸那だった。
「圭さ、どさくさに紛れて定期検診すっぽかしたよね?昨日の定例会終わりにって約束だったよね?」
「いやぁ、だって昨日は幸那忙しそうだったじゃん?邪魔かな、と」
「あのね、怪我の治療はスタッフさんがするから、圭の検診はすぐにできたわけ。っていうか残っとけって言ったのに帰ったのは流石に意味分かんないな」
幸那は満面の笑みで話しながら、圭の左腕をアメゴム管で締め上げる。
「お前……!幸那、痛い!いっったい!!」
「天誅です。元々キミは血管分かりにくいし。じゃ、採血しますねぇ」
最早慈悲などない。容赦なく注射針を腕に刺し、素早く採血を済ませた。
――でも流石幸那さん、注射は全く痛くない。
代わりにゴムの跡が綺麗に残ったのだけど。戒めにしては安いものだ。
幸那は慣れた手つきで、血液を採血用の汎用容器に入れていく。
「幸那さんさ、それ毎回やってるけどなんか意味あるの?」
「キミは八鬼の中でも特異だからね。この検査やって、毎度処方する薬を少しずつ変えてるんだよ」
「へぇ……」
平塚家は鬼であるなしに関わらす、代々医者をしている一族だ。理由は勿論鬼神の隠れ蓑だ。軽度な負傷を除き、体質的にイレギュラーな鬼を人間の医者は診ることができない。そもそも身体の構造が違うらしく、通常の人間ではあり得ない数値がいろいろ出てしまうとか。
定期検診の時はなるべく人間と会わないよう、こうして通常の診察時間外に鬼の検診をしてくれているのだ。
「はい、結果出たよ。先月結構薬飲むのサボってるから、ちょっと数値悪いよ。キツめの出さなきゃだね」
「まじか。てか結果出るのまた早くなった?」
「みんな長い検査好きじゃないから頑張ったんだよ。次出す薬は副作用で眠気酷くなると思うから、学校では無理しないで保健室行くとかしてね」
呆れたような笑いを浮かべ、パソコンにデータを打ち込んでいく。
幸那は仕事の時は髪を後ろで一本に結い、前髪をダッカールで留めている。正に仕事ができそうな雰囲気だし、実際全国トップクラスの大学出身者と肩を並べられる程に頭が良いらしい。
血液検査の結果が出るのも、幸那の研究のお陰で随分早くなった。
ちなみに、圭が定期的に処方されている薬は、幸那を筆頭に平塚家が調剤したものだ。本当に頭が上がらない。
「よし、じゃあ診察終了。お薬は――これね。もう帰って大丈夫だよ」
「ありがと、幸那さ――」
幸那が圭に手渡した紙袋には太いマジックペンで「食後三回」と大きく書かれていた。幸那は少し面倒見が良すぎる気がする。そのお陰で大いに助かっているのだが。
圭は薬を受け取ると、病院を後にした。
平塚医院のある虍爪地区は境坂地区の隣で、歩けば一時間ほどで着く。病院帰りは体力作りがてらに走って帰宅するのが、圭の習慣だ。
今日もいつも通り走っていると、境坂に入ったあたりでメッセージの受信音が聞こえた。
要件は鬼の出現報告だ。ちょうど圭の帰り道付近で門が開いたらしい。鬼の討伐要請は大抵担当地区の鬼神に連絡が来る。昨日のように担当地区外で要請が来るのは珍しいのだ。
「二日連続でとかマジで春休みみたいじゃん。怠いなぁ」
圭は誰にでもなく悪態を吐いた。
幸い今いる場所から五百メートルほどしか離れていない。微かだが鬼の声も聞こえる。今日は道を通って移動しても問題なさそうだ。
圭は鬼の元へと急ぐ。帰り道を逸れ、住宅街に入って二つ目の角を曲がり、そこからさらに一つ先の角を曲がりかけた。
と、鬼の声に混ざって金属音が聞こえた。
――俺より先に気付いたヤツでもいたのか?
指示は常に鬼が出現した地区一帯を統括している八鬼、または一番近くにいる八鬼いずれかの一人に伝達される。椿が圭以外に伝えたとは考え難い。
角を曲がり終えて数メートル先に、鬼の姿を捉えた。そこには、すでに四肢が斬り落とされ虫の息となった鬼と、一つの人影がある。その人影は圭に背を向けるようにして立っている。
やはり近くに居合わせた八鬼が先に片を付けたようだ。
人影は圭に気付く様子もなく、動くことができない鬼の脳天目掛けて刀を振り下ろした。刀身は鬼の胴を真っ二つに裂く。あの様子だと鬼を即死させられただろう。
――でも、一体誰が?
圭が歩みを止めるのと殆ど同時に、鬼を斬った人物がゆっくりと振り返る。
振り返った人物は、腰までありそうな癖っ毛を耳の上あたりでツインテールにまとめ、身体のあちこちに包帯が巻かれたりガーゼが貼られていたりといった痛々しい姿をしている。
「あ、あんたは……!」
それは、昨日乱入してきて場を騒然とさせた大怪我少女だった。
少女は刀身に付着した鬼の体液を振り落とすと、昨日と打って変わって落ち着き払った様子で、
「昨日はありがとう。アタシは獅峯院つぐみ。貴方に手伝って欲しいことがあるの」
「え。い、嫌……」
適当な即答で、つぐみなりに格好付けた登場は出鼻を挫かれることになった。
だって、最高に面倒臭そうだし。