第八章~大人の責任~
一日前。
「桃果!?」
デートの帰り道。桃果が倒れ、光人は慌てて自分の勤務先の病院に連絡した。
それが、自分の仕事を失うことだと分かっていても。
「呼ばれた理由は分かっているか? 新崎くん」
桃果が無事に一命を取り留めた後、光人は院長室に呼ばれていた。
理由は、休日にしかも動物園の前で患者である桃果と一緒にいたから。
「中原桃果さんと、どうしてあんな所で一緒にいたのかな?」
「……俺が無理矢理誘ったんです。デートしようって」
変に言い訳しても、無駄だということは分かっていた。しかし、正直に言えば桃果もバッシングを受け兼ねない。
「患者からも人気があって、医者としても優秀な新崎くんがまさかこんなことを……」
院長はそう言いながら、頭を抱えた。
「新崎くん。君の処分をどうしようか考えていたんだが……」
言ってから、引出しを開ける。中からたくさんの書類が出てきた。
「新崎くんの担当の患者さん達がね、君が解雇されるんじゃないかって噂を聞きつけて嘆願書を書いたんだ」
「嘆願書?」
そこには『新崎光人先生をクビにしないでください』と書かれており、患者達のものと思われる指紋が押されていた。
「この嘆願書だけで、君の処遇をどうこうすることはできないが……結果として君の判断で、中原さんが一命をとりとめたのも事実だ」
そこまで説明してから息を吐き出し、院長は含みのある口調で続けた。
「だから安心したまえ。君を解雇にはしない」
“にはしない”という言葉に光人は引っかかった。
つまり、他の処分にはするということだ。
「君には、ここで引き続き働いてもらう。その代わりに中原さんと一切の関係を絶ってもらう」
「っ……分かりました」
光人は一瞬戸惑ったが、院長の命令を引き受けた。
それが自分のためにも、桃果のためにも最善の方法だと思ったからだ。
*
退院してから二日後。私はリハビリをするために病院に向かった。
前より少し歩きにくくなったけど、それでもまだ人並みには歩ける。
「新崎先生がクビにならなくて良かったぁ!」
「新崎先生! 私達、いつも応援してるからね!」
患者さん達の騒ぐ声が聞こえた。
クビ……? どういうこと?
声がした方を見ると、さっきの声の患者さんと光人さんの姿があった。
光人……さん? クビになるかもしれなかったの?
そんなこと、私聞いてない……。
もしかして、この前のデートが原因で?
リハビリが終わって、思い切って小池先生に光人さんのことを聞いてみた。
「あの、小池先生。……新崎先生はクビ、になるかもしれなかったんですか?」
声が震えて小さくなってしまったけど、たしかに届いたはず。
だけど、小池先生は何も答えてくれなかった。
お母さんも先生も小池先生も、みんな光人さんの何かを隠してる。どうして、何も言ってくれないの?
「俺もよく知らないんだよ、新崎のこと」
嘘だ。一瞬、戸惑った顔をしてた。
「本当のこと、教えてください」
私は食い下がった。
もうこれ以上我慢できない。
「……桃果ちゃんさ、新崎くんとデートしてたよね?」
「え……はい……」
思わぬ質問に一瞬怯む。
でも、ここまで来た以上引き下がるわけにはいかない。
「桃果ちゃんが倒れたこと、病院に知らせたの新崎くんなんだ」
「っ……」
それが何を意味するのか、すぐに分かってしまった。
患者である私とあんな所にいて、病院が放っておくわけない。
大人の光人さんが責任を取って、辞めさせられそうになったんだ。
「新崎くんのファンが嘆願書を書いて、ひと悶着あって……結果的にクビにならずに済んだって話だけど」
た、嘆願書……。
そんなの、実際に書くんだ。
でも、光人さんのファンの力って凄いなぁ。
「言うなって言われていたんだけど、桃果ちゃんは知っておくべきだと思うから言うね」
小池先生の真剣な声に、思わず背筋が伸びる。
「クビにならない代わりに、新崎くんは桃果ちゃんと関わることを禁止されたんだ」
「え……」
だから、病院に泊まったあの日私のところに来なかったんだ。
「でも、新崎くんを責めないであげて。桃果ちゃんを思ってその条件を受けたから」
「私の、ため?」
いよいよ声が震えてきた。
油断すればすぐに涙が溢れてきそう。
「桃果ちゃんがこれ以上巻き込まれないように、自分で責任を取ったんだ。新崎くんの責任の取り方だよ」
そんなの、勝手すぎる。
あれだけ、楽しませておいて……あんなにドキドキさせておいて……自分だけ責任取ったつもりで、勝手に一人で解決して……。
「桃果ちゃん?」
「ずるいよ……ずるいよ……っ!」
私はその場で泣き崩れた。
周りが戸惑っていることは、容易に想像がついた。
でも、そんなの構っていられなかった。
光人さんと、もっとちゃんと話がしたかった。これは二人の問題だから、二人で話し合って考えたかったのに。自分だけ責任を取るなんてずるい。