第二章~動かなくなっていく体~
病院からの帰り道。
何も話す気になれなくて、私はただ車の窓から流れる外の景色を眺めているだけだった。
今はみんなと同じように普通に歩けているけど、いつかあんな風に道を歩くことも走ることも出来なくなるんだよね。
そして、寝たきりになって最後には呼吸さえ出来なくなっちゃって死んじゃうんだ。
「桃果。着替えておいで」
「うん……」
お母さんにそう言われて、私はゆっくりと部屋へ向かう。
部屋に着いても、着替える気なんて起きなかった。
制服のまま、地べたに座り込んだ。
どうして……どうして私なの? 普通に生きてきただけなのに。
悪いことなんてしたことないし、しようと思ったこともない。
それなのに、どうして、病気は私の所に来たの? 酷いよ……。
「桃果。まだ着替えてなかったの?」
部屋のドアをノックする音と共に、お母さんの優しい声が聞こえた。
「おかあ、さん?」
外では涙なんて出なかったのに、今になって涙が流れてきた。
「桃果……」
お母さんは私の涙に気づいてくれたのか、優しく抱きしめてくれた。
「どうして……どうして病気は私のところに来ちゃったの?」
「私、まだ高校生だよ? こんなの酷いよ……助けて、お母さん……!」
「ごめんね、桃果……こんな体に産んじゃってごめんね……」
お母さんも泣いていた。
お母さん、ごめんね。こんな娘で、本当にごめんね。親不孝者だよね。
翌日から毎日リハビリが始まった。部活をやってないから、放課後は毎日病院に通った。
でも、毎日学校が終わるとさっと教室を出て行く私に恵と友は流石に不審感を抱いたみたいで、病気の宣告を受けてから一週間が経った日の昼休みに二人に捕まった。
「え、と……どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ」
「どういうことなのか説明して」
二人がどうして私を屋上に連れて来たのかは分かってたけど、聞いて欲しくなくてわざととぼけて見せた。
でも、二人の真剣な目つきに何も言えなかった。
「私たちに何か隠してるんでしょ?」
「っ……」
「私たちに言えないことなのかな?」
言いたいけど言えるわけないよ。二人が離れていくんじゃないかって怖くなっちゃう。
病状が悪くなる前に、言わなきゃいけないことは分かってる。
でも……怖いよ。
「お願い。桃果が今抱えているものを私たちも知りたいの」
「力になれるか分からないけど、友だちとして何か出来ることがしたいの」
恵と友の声が胸に響く。
「桃果だって、私が骨折とかしたら助けてくれるでしょ? それと一緒だよ」
「恵……」
私、良い友達持ったんだね。今さらだけど、気づくことができた。
「二人ともありがとう」
泣きそうな声で答えた私に、2人はお互いの目を見合わせながら言った。
「無理に聞こうとしてごめんね。話せるようになったら言って」
「あり、がとう……」
思わず涙が出てしまった。
昨日から泣いてばかりだ。
ごめんね、病気のことはまだ言えないけど二人に感謝して生きていくね。
それから二日。病気のことを知ってから少し歩きにくくなった。
「桃果ちゃん!」
「新崎先生!」
リハビリを続けているうちに、新崎先生と仲良くなった。
リハビリの先生が出張の時とか、他の仕事が重なった時に、たまに新崎先生がリハビリに付き合ってくれたのがきっかけだった。
「順調か? リハビリ」
「まぁまぁかな」
私がそう言うと、新崎先生は私の頭を撫でて笑いながら「何だそりゃ」と言った。
その笑顔も、さりげない気遣いもカッコいい。
「桃果ちゃん、まだ練習終わってないよ!」
「はーい。じゃあね、新崎先生」
出会った時は軽薄な人だと思い込んで、遠巻きにしていたけど……。
そうじゃないんだと分かった今は、新崎先生が私の心の支えになりつつあった。
「明日、俺がリハビリ見るから」
リハビリが終わって、新崎先生に送ってもらっている途中、そう言われた。
一人で帰れるって言ったんだけど、どうしてもって新崎先生がうるさくて。
まぁ、嫌じゃないけど。
「リハビリの先生また出張?」
「いや、明日は確か家族と過ごすって言っていたな」
「へぇ、家族いるんだ」
新崎先生は医者って感じがしないんだよなぁ。
歳が近いのもあるかもしれないけど、友達みたいに話している。
事情を知った今でも、彼は私をことさら病人扱いしない。その距離感が、今の私にとって心地よかった。
「ショックなんだ?」
「違います。ちょっとビックリしただけです」
「じゃあ……俺に奥さんとかいたら、嫌?」
新崎先生は私に顔を近づけ、不敵にほほ笑んだ。
「な、何言ってるんですか!」
新崎先生を押しのけ、私は家に向かって走り出した。
逃げていたら、あっという間に家に着く。
後ろから追いかけてくる新崎先生をからかいながら、家に向かって走る。
「何やっているの、桃果!」
家から出てきたお母さんに、止められた。
「お母さん。ただいま!」
でも、私の顔を見た途端、お母さんはしわを寄せていた眉を下げ、笑って優しく言ってくれた。
「おかえり。桃果。あまり走っちゃダメよ。……あれ?」
私の後ろにいた新崎先生に気付いたのか、お母さんは不思議そうな顔をした。
「あ、この人新崎光人先生。リハビリたまに見てくれるんだ」
私が紹介すると、お母さんは新崎先生に笑顔を向けた。
「あら、そうなの! いつも娘がお世話になっています!」
「いえ、こちらこそ。娘さん、いつも頑張っていますよ」
普段は友達みたいで年上だなんて思えないけど、こういう時はきちっとしていて何だか大人の男性に見える。
やっぱり、年上の大人の人なんだなぁって思う。
「今日は桃果を送ってくれてありがとうございます。今度何かお礼しますわね」
「いえ、そんな。これくらい当たり前ですから。では、僕はこれで」
いつも一人称“俺”なのに今は“僕”なんだ。なんか新鮮。
「桃果。今日の晩ご飯カレーにしよっか」
「お母さん、気に入っちゃった?
機嫌が良くなると、お母さんはカレーを作る。
カレーはお母さんの大好物だから。その影響か、私もカレーは大好物。
手先が不器用になったけど、昔から大好きなお母さんのカレーの味は変わらない。
「お母さん……いつもありがとう 」
私がそう言うと、お母さんは顔を赤くした。
「急に何よ。恥ずかしいわね」
だって、これからどれだけ話せるか分からないんだもん。
だから、ちゃんと自分の口で伝えられる今、言いたいことはきちんと言っておこうと思ったの。
これからは、弱音吐かずにリハビリ頑張るね。
翌日。この日は学校は休みだったため、リハビリは朝からあった。
「桃果ちゃん。そろそろ休憩しようか」
「いえ。まだ大丈夫です」
リハビリの先生の言葉を断り、リハビリを続けた。
少しでも、長く歩いていたい。リハビリをしなきゃ、歩けなくなるような気がしたから。
「桃果ちゃん」
「……新崎先生」
新崎先生が来たのがきっかけで、リハビリの先生の言う通り、休憩することになった。
病院の屋上に出て、少し肌寒く感じる風を浴びる。
私はあと何回,、この風を自分の足で浴びに行けるのだろう。
「頑張ってるね、リハビリ」
「まぁね。今やれることはやっておかないと」
「……もし」
「え?」
私が目を見開くと同時に、新崎先生の小さな声が聞こえた。
「もし、夏休みまで頑張ることが出来たらどこか遊びに行くか」
「え? 良いの!?」
その提案に私は思わず目を輝かせる。
新崎先生と遊びに行けるなんて、夢みたいだ。
「ちゃんと、リハビリ続けることが出来たらな?」
「うん、私頑張る!」
よし! やる気出てきた!
新崎先生とのデートのためにも頑張らなくちゃ!